あらすじ
もっと新聞を活用しなければ、もったいない!いくつになっても、誰でもどこでも学べる最新情報満載のテキスト“新聞”を使って脳力を上げる!
「中高年になって知的荒廃が起こると、ひいては健康を害する」と著者は言う。そうならないためにはどうしたらいいのか? そんなとき、まったく偶然に新聞の存在を思いついた著者が、中高年のための自己学習には、新聞こそがもっとも具体的、かつ、簡便であり、それを「新聞大学」と呼んでも少しもおかしくないと閃く。さらによいことに、日本の新聞は戸別配達で、「テキスト」は日替わり、じっとしていても手許に届く。それを活用しない手はないと。著者自身の新聞の活用法を例に挙げ、脳力が上がる読み方を伝授!
・すぐれた“見出し読者”になる・「疑う力」を養う・株式欄は数字の砂漠ではない・個人情報のおもしろさ・目からウロコの保健知識・広告文の効用・休刊日には“旧聞”をひっぱりだす・わかりにくい記事ほどいい……etc.
「新聞大学は、毎日、標準的日本語の散文を提供してくれる。それに親しんでいれば、散文に対する目が養われる。それだけでなく、理知的なものの見方、考え方を身につけるようになる可能性は大きい。
俗にいえば、頭がよくなる、のである。――そう言っても過言ではない。」――本文より
※本書は2016年11月、扶桑社より刊行した『新聞大学』に追記し、文庫化したものの電子版になります。
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Posted by ブクログ
少し前までは人生50年と言われ、還暦(60年)をクリアすると非常に喜ばしいこととされ、さらに70歳では「古稀稀なり」とそんなに長生きする人は稀だと言われていた。
ところが寿命が延びてくると、逆に老いた生活が長い為、健康に老いるということが必要な時代となってきた。
著者は、「頭脳が働かなくなると、体もおかしくなってくる」として、まずは頭脳の老化にストップをかけようということで、そういう世代をメインターゲットとして本書を書かれたようだ。
高齢化社会において、中高年は「生涯学習」と言われるように、最期まで自己学習をしていこうではないかと訴えられる。そのうえで、最新の情報が日々更新される「新聞」を最強のツールとして活用することで、コストもかけずに、知的自己開発を進めていけると提案される。この新聞を活用した生涯学習のことを「新聞大学」と呼ばれているのである。
もちろん、新聞の読み方の話なので、万人に役立つ話ではある。
それにしても、外山さんの本は、文章が精錬されているので、内容もさながら、文章を読むこと自体にも快感を覚える。
本書は、「見出し」とか「社説」とか「コラム」とか「書評」とか、新聞の各パーツについて取り上げられている他、「新聞は社会の木鐸である」とか、「新聞は複数読んだ方がよい」とか、その役割とか活用の方法とかについても述べられている。それぞれが28個のエッセイとなっている。
エッセイなので軽い感じですぐ読めるが、大切なエキスを絞り込んで美味しく仕上げた濃縮ジュースのようなイメージだ。
「新聞」を生涯学習のテキストとして採用するメリットをいくつか挙げられていた。
・まず、新鮮な情報の掲載されたテキストが毎日手元に届く。
・使い捨てなので、「切り貼り」など活用が自在
・文章のプロが書いている など
学習の姿勢としては、情報を鵜呑みにするな(→疑って読め、考えながら読め)ということで、ただの知識メタボにならないようにと警告している。
反面、知らないことが書かれたりする場合には、敬遠せずに挑むことで、新たな知識の習得や視野の拡大につながるとして、ベテラン記者や専門記者が書く「社説」や「経済面」での学習などを進めている。著者が、よく言われる「アルファ読み」から「ベータ読み」への移行である。
本選びに際して、署名付きの書評より署名なしの書評のほうが、出版社や著者とのしがらみのないよい書評であることが多いという話や、第一面の「サンヤツ広告」(そもそもあの一面の広告を「サンヤツ広告ということや、そこには必ず書籍の広告(8社分)が掲載されているということを初めて知った)を著者はしっかりと目を通されるということなどは、参考になった。
新聞や本などの上に表された文章は、記者や著者の発する言葉が「凍結」されたものであって、それを読む際に解凍してどのように味付けするかは読者だというような考えが示されていたが、この考え方は面白かった。新聞大学の学生として、どう味付けしていくかということだ。これは本の読者も同様だ。
学習の習慣化について、日記が習慣化すると、空白の頁の存在が気持ち悪くなるので、何かを書きたくなるというエピソードを通し、新聞大学の学習についても、それくらいの習慣化を目指そうよと提案されていた。何事にも通用する発想である。
とても面白く読めました。