あらすじ
もっと新聞を活用しなければ、もったいない!いくつになっても、誰でもどこでも学べる最新情報満載のテキスト“新聞”を使って脳力を上げる!
「中高年になって知的荒廃が起こると、ひいては健康を害する」と著者は言う。そうならないためにはどうしたらいいのか? そんなとき、まったく偶然に新聞の存在を思いついた著者が、中高年のための自己学習には、新聞こそがもっとも具体的、かつ、簡便であり、それを「新聞大学」と呼んでも少しもおかしくないと閃く。さらによいことに、日本の新聞は戸別配達で、「テキスト」は日替わり、じっとしていても手許に届く。それを活用しない手はないと。著者自身の新聞の活用法を例に挙げ、脳力が上がる読み方を伝授!
・すぐれた“見出し読者”になる・「疑う力」を養う・株式欄は数字の砂漠ではない・個人情報のおもしろさ・目からウロコの保健知識・広告文の効用・休刊日には“旧聞”をひっぱりだす・わかりにくい記事ほどいい……etc.
「新聞大学は、毎日、標準的日本語の散文を提供してくれる。それに親しんでいれば、散文に対する目が養われる。それだけでなく、理知的なものの見方、考え方を身につけるようになる可能性は大きい。
俗にいえば、頭がよくなる、のである。――そう言っても過言ではない。」――本文より
※本書は2016年11月、扶桑社より刊行した『新聞大学』に追記し、文庫化したものの電子版になります。
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Posted by ブクログ
新聞学科がある中で、自宅で新聞をテキストにして、大学のように学ぶのは画期的。私は中学生の頃から新聞を読むことに目覚め、新聞大好きな青年になり今に至ります。
世の中の政治経済、スポーツ面を幅広く網羅していて、世間では新聞離れが進んでいる中、二十代で1パーセントしか読んでいないという現実。
そんな中、しっかりと新聞を読むことは、自分自身の考えをまとめることができ、そして新たな発見を得られることが出来ます。
正に新聞を読んでいる人の特権。
それを端的に教えてくれる1冊てある。
Posted by ブクログ
新聞は単なるリアル情報を届けるためのものではないと痛感しました。
過去と比較するデータにもなるし、お客さんとのコミュニケーションツールにもなります。もっと深いところを攻めると、新聞社がどこに気を遣って記事を書いているのか、どのように民衆を誘導したいのか、そこまで深く読み取ることができる面白いツールだと感じました。
かくいう私も踊らされてる側の人間です。自分がどんな情報に飛びつきやすいのか、引っ掛かりやすいのかを自覚してく必要があるなと思いました。
Posted by ブクログ
精読はせず、ざーっと読んだ。時々著者が尖ったことをいうのが面白い。(戦争に負けて頭がおかしくなったのか、など)
新聞の読み方だけでなく、一日のうちのどの時間に読めばいいのか、ページ別にどのように読めばいいのか、日本人の文章との付き合い方や言葉の歴史、教育のことなども書いてある。
日常的に質のいい散文に目を通すことで読む力が養われ、頭が良くなるらしい。
新聞を読もうという気になる。しかし関係ないが新聞は高い。
Posted by ブクログ
少し前までは人生50年と言われ、還暦(60年)をクリアすると非常に喜ばしいこととされ、さらに70歳では「古稀稀なり」とそんなに長生きする人は稀だと言われていた。
ところが寿命が延びてくると、逆に老いた生活が長い為、健康に老いるということが必要な時代となってきた。
著者は、「頭脳が働かなくなると、体もおかしくなってくる」として、まずは頭脳の老化にストップをかけようということで、そういう世代をメインターゲットとして本書を書かれたようだ。
高齢化社会において、中高年は「生涯学習」と言われるように、最期まで自己学習をしていこうではないかと訴えられる。そのうえで、最新の情報が日々更新される「新聞」を最強のツールとして活用することで、コストもかけずに、知的自己開発を進めていけると提案される。この新聞を活用した生涯学習のことを「新聞大学」と呼ばれているのである。
もちろん、新聞の読み方の話なので、万人に役立つ話ではある。
それにしても、外山さんの本は、文章が精錬されているので、内容もさながら、文章を読むこと自体にも快感を覚える。
本書は、「見出し」とか「社説」とか「コラム」とか「書評」とか、新聞の各パーツについて取り上げられている他、「新聞は社会の木鐸である」とか、「新聞は複数読んだ方がよい」とか、その役割とか活用の方法とかについても述べられている。それぞれが28個のエッセイとなっている。
エッセイなので軽い感じですぐ読めるが、大切なエキスを絞り込んで美味しく仕上げた濃縮ジュースのようなイメージだ。
「新聞」を生涯学習のテキストとして採用するメリットをいくつか挙げられていた。
・まず、新鮮な情報の掲載されたテキストが毎日手元に届く。
・使い捨てなので、「切り貼り」など活用が自在
・文章のプロが書いている など
学習の姿勢としては、情報を鵜呑みにするな(→疑って読め、考えながら読め)ということで、ただの知識メタボにならないようにと警告している。
反面、知らないことが書かれたりする場合には、敬遠せずに挑むことで、新たな知識の習得や視野の拡大につながるとして、ベテラン記者や専門記者が書く「社説」や「経済面」での学習などを進めている。著者が、よく言われる「アルファ読み」から「ベータ読み」への移行である。
本選びに際して、署名付きの書評より署名なしの書評のほうが、出版社や著者とのしがらみのないよい書評であることが多いという話や、第一面の「サンヤツ広告」(そもそもあの一面の広告を「サンヤツ広告ということや、そこには必ず書籍の広告(8社分)が掲載されているということを初めて知った)を著者はしっかりと目を通されるということなどは、参考になった。
新聞や本などの上に表された文章は、記者や著者の発する言葉が「凍結」されたものであって、それを読む際に解凍してどのように味付けするかは読者だというような考えが示されていたが、この考え方は面白かった。新聞大学の学生として、どう味付けしていくかということだ。これは本の読者も同様だ。
学習の習慣化について、日記が習慣化すると、空白の頁の存在が気持ち悪くなるので、何かを書きたくなるというエピソードを通し、新聞大学の学習についても、それくらいの習慣化を目指そうよと提案されていた。何事にも通用する発想である。
とても面白く読めました。
Posted by ブクログ
今だからこそ読むべき本である。毎日必ず届けられる新聞=テキスト。これを活用せずにはいられない。毎朝新書一冊分の文字量がある新聞をどう活かすか。
Posted by ブクログ
毎日届けられる新聞というテキストを活用すれば、頭を良くなると主張する本書。
その主張が真であるか否かはさておき、毎朝新しいテキストが提供されるというのは確かに新聞の強みかもしれない。
読書と同じ、読み方である。
使い方である。
毎朝の習慣として漫然とこなすのではなく、主体的に目的をもって取り組む事。
単純に活字の量だけを問うのであれば、読み続ける事でいっぱしの読文家になれるかもしれない。