【感想・ネタバレ】「民族」で読み解く世界史 教養として知っておきたいのレビュー

あらすじ

人類のダイナミズムを描く新しい世界史!

アメリカにおける白人至上主義者と反対派の衝突、中東諸国を揺るがすクルド人問題、ロヒンギャ族難民をめぐる宗教対立……。
いま世界中で起こっている紛争や対立の多くは、「民族問題」に根ざしています。

そして、かつて人類が経験した戦争や動乱もまた、その多くが「民族問題」と無関係ではありませんでした。世界史とは、さまざまな民族が経験した衝突と融合の軌跡です。

本書は、世界の歴史を人種や血統、そして民族という視点から見つめ直すことで人類のダイナミズムを描く、新しい世界史です。年代を追うだけの味気ない世界史ではわからなかった、人類の本質が浮かび上がってきます。

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Posted by ブクログ

高校時代、「得意」だと誤認していた世界史・・単に暗鬼が得意だったからと改めて認識し、その時代の教科書のお粗末さに笑えた。

時が名晴れ過ぎての今、40歳代以上の方が持つ知識と現在の世界史抗議にかなり異なりが出来ていることに気付けた。
視野狭窄、偏愛・偏狭、国粋主義、感情論・・などなど日頃陥ってはいけない事態に安易になってしまう事への啓蒙たる一冊。

20世紀、戦争の世紀・・で21世紀はその後に高まった民族主義による交戦地区が深刻化している・・グローバリズムとともに。

こういった一冊を読んでいると国営放送の味のない「金をかけた取材とドラマ、ドキュメンタリーのむなしい中身」が改めてバカらしさが増した。

感情だけではいかんとも解決策に繋がらない民族。
住んでいる地域性、気候変動、パンデミック、病虫害・・地球に人類が生まれてどれだけ起こって消えて人を苦しめ、喜ばせ、今日に至ったか。宇宙論の雄大な様とも異なる悠久の歴史を想いいることができた時間となった。

特に面白かったのは
*コーカロイドの中アングロサクソンが今日突出して優位に世界を牛耳たらんとしてきた経緯。
短頭長頭の優位度の比較、WASP有能説、英露に分かれたノルマン人、更にローマ教皇が十字軍の勝利を異として呼び寄せた事情etc

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2024年03月24日

Posted by ブクログ

大学受験のときにこれを読んでいたかった!!

特にトルコ人の来し方が特に勉強になった。
地理?地史?ベースの歴史の見方だと、時々侵略しては引っ掻き回しいつの間にか去っていく、しかも毎回呼び名が変わる。なんなんだ…と苦手意識が強かったので。

加えて、ヘブライ人についても同様。
民族という切り口で歴史を追うことで、現代までのつながりも理解でき非常に為になった。

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2021年07月07日

Posted by ブクログ

社会が混乱する度に民族主義が持ち出され、ナショナリズムが高揚するが、現在のほとんどの民族は混血である事が歴史からわかる。国民国家的な意識は現在においても当然存在しているが、そのような意識が今後における国家間対立や戦争の引き金になるのではないかと感じた。

グローバル化と資本主義の台頭によって、貧富の差による社会の分断は進み、敗者の怒りは「移民」や「外国人」に向かう可能性がある。

今までほとんど単一民族で構成されてきた日本においても、相対的貧困が増加している現代社会において、グローバル化の波は他人事ではない。

民族の視点で歴史を読み解く事で、今日の世界が抱える負の側面について考える一助になる一冊。

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2021年06月20日

Posted by ブクログ

帝国主義的な社会の仕組みが今の主流なので、それを作り上げた民族(?)が優位になってしまっているど、そんなことは無く、それぞれに築いてきた歴史がある。ある程度の知識量が無いと世界全体の時代の動きっていうのは分からないものだなあと、改めて思う。日本の歴史は世界の動きの中にあったのだとワクワクして読んだ。国家の一員ではなく、地球人の一人としてどう生きるか。民族の(争いの)歴史を振り返ってそう考えるときなのだと思う。

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2018年09月08日

Posted by ブクログ

血統や血脈をベースに言語、文化、慣習等を同じくする「民族」がその誕生から現在までいかに勃興し、衰退していったかを膨大な知識で解説した本。著者の知識量に脱帽&感服。ロヒンギャ問題、クルド族問題、中東問題等々、現在の民族問題についてもその根本から解説してくれている。
本書を読んでいると、結局、民族ベースであろうと人種ベースであろうと、人間の歴史とは、今更ではあるが、殺し合いの歴史であるということをあらためて認識させられ、人間の愚かさにちょっと悲しくなるものがある。

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2018年03月12日

Posted by ブクログ

トルコ人をモンゴロイドとするかコーカソイドとするか定まっていない。人種間に明白な境界はない。純粋なモンゴロイドもいないし、純粋なコーカソイドもいない。p.14

アルタイ語族(モンゴル・トルコ)。シナ・チベット語族(中国・チベット・ビルマ)。

ナチスの鉤十字は古代アーリア人の太陽のシンボルで、神や幸運を表わすスヴァスティカ。p.33

ヨーロッパ人の使う算用数字・アルファベットは、どちらもアラビア人から借用したもの。p.36

北魏(モンゴル人の王朝)。孝文帝は両民族の混血を推し進めた。漢人の若い女たちは、モンゴル人の男の妾になった。モンゴル人の女は、漢人の男に嫁がされた。p.45

漢人の王朝。秦、漢、晋、明。p.46

宋をつくった趙匡胤は、自らを前漢の名臣の末裔だと称したが、じつはトルコ系の沙陀(さた)族出身とされる。p.55

朝鮮半島の南西部には日本から伝わった前方後円墳や日本伝来の埴輪や銅器が出土している。p.59

日本にとって、属国である百済を失うことは自国領土を失うことと同じ。だから無謀であっても4万7千の軍を送って、これを死守しようとした。白村江の戦い。p.65

オランダ独立前、イングランド人は、オランダ人とドイツ人をまとめてDutch(ドイツ人)と呼んでいた。p.105

フィンランド語、エストニア語、ハンガリー語はウラル語族。スウェーデン語とノルウェー語はゲルマン語派(インド・ヨーロッパ語族)。

ベルベル人。白人、アラブ人、黒人の混血。歴史学者イブン・ハルドゥーン。旅行家イブン・バットゥータ。p.144

18世紀後半、黒人奴隷の卸売り価格が上昇。砂糖・綿花の生産増大で商品価格が低下。奴隷貿易の利益が先細りしはじめた。1807年、イギリス議会は奴隷貿易を禁止する。人道的な理由というより、奴隷貿易の利益を搾り取り終わったから。p.239

アメリカのインディアン虐殺は、ナチス顔負けの民族絶滅政策。ジョージ・ワシントンも、インディアン部族の集落にたいし焦土作戦を実行した。p.243

アメリカの白人優位主義者は今でも南北戦争のとき黒人奴隷を肯定していた南軍の司令官リー将軍を讃えている。リー将軍の像撤去にも反対。p.248

エジプトのマムルーク朝(都カイロ)のスルタン(バイバルス, トルコ人)は、フラグ(モンゴル人)の侵入を撃退した。

日本はパリ講和会議で人種差別撤廃の条項を盛り込むよう提案したが、英などの拒否により実現しなかった。p.307

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2024年05月19日

Posted by ブクログ

 民族という視点から歴史を視る事で、現在、各国が抱える政治、宗教、領土問題を理解することが出来た。今後、世界情勢を読み解く上での知識になった。

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2023年03月04日

Posted by ブクログ

「民族」を軸に世界各地の歴史を幅広く解説している。世界史のヨコの繋がりが分かる。(あくまでひとつの説としても)勉強になる。

こう考えると、大陸は特に民族の入れ替わりや統合が多く複雑な歴史を辿っている。現在の内紛や国際問題につながっているものも多い。平和を願うばかりだけど、それぞれの民族の事情で考えたとき、そう簡単に解決できるものでもないんだろうなと思ってしまう。

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2021年10月24日

Posted by ブクログ

#本 #民族で読み解く世界史
教科書で知ってはいても、改めて昔の勢力図が今と違ったり、その名残が今にあったり、というのを知ることが出来て面白かったです。

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2021年04月29日

Posted by ブクログ

世界史を勉強してる人には読んでもらいたい一冊。歴史を一通り勉強した上で、この本を読むと一層理解が深まると思う。繰り返し読んで理解を深めたい。以下気になったところをまとめる。

❶民族はこうして始まった

①我々は日本人というアイデンティティがあるが遺伝的には中国人や韓国人と同じモンゴロイドの人種である。

②人類はコーカソイド、モンゴロイド、ネグロイド、オーストラロイドの4大人種に分類できる。

③コーカソイドが一番分かりにくいかもしれない。ヨーロッパ人とインド人が同じ分類といわれてもピンとこないかもしれないが遺伝的には同じである。

④DNAなどの遺伝的な分類では4つの分類になるが、言語、文化、慣習による『民族』で分けると、我々が考える民族の分け方になる。

『国民』という分け方は法律、制度を共有する分け方をいう。

⑤コーカソイドの名前は黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地方に由来する。これにはキリスト教が大きく関係している。

⑥言語というものは民族の『歴史的血統書』ということができる。

⑦インド ・ヨーロッパ語族は『アーリア人』とも呼ばれ、もともとは中央アジアにいたが、紀元前2000年くらいに寒冷化を避けて、西を目指した多数派は中東を経てヨーロッパへ。南を目指した少数派はインド へ侵入した。

⑧フェニキア人はセム語族の中で最も先進的な文字の文化を持っていた。それをパクったのがインド ・ヨーロッパ語族のギリシャ・ローマ人であり、今のアルファベットの原型を作った。

❷東アジアと日本

①中国は戦いの歴史であり、その過程で様々な民族の混血が進んだ。『漢人の国』といっているが、言語などを考えてもそうとはいえない。歴代の皇帝は漢人以外も多い。隋、唐の建国者は鮮卑族といくモンゴル人である。宋の建国者はトルコ人の沙陀族である。元はモンゴル人であるし、清は満州人である。

②『華』というのは文化のことであり、漢人は文化の『中』にいる民族、すなわち中華である。この言葉を概念化して一般化させたのは宋王朝の司馬光である。
宋王朝は漢人ではなくトルコ系の沙汰族である。文治主義である宋王朝が民族主義を政治的に利用し、求心力を高める目的で利用したのが中華思想である。

③宋王朝は武力が弱く、モンゴル系の契丹族に毎年、献納することで体裁を保っていた。この状況を粉飾する目的として、『文明人である漢人が野蛮人を寛大に許して施しを与えている』という中華思想が持ち出された。
当初は弱気を隠すための言い訳として中華思想は始まったのである。

④古墳時代に日本にも朝鮮から大量の移民がやってきて混血が進んだ。政権の中枢にいた蘇我氏も朝鮮系と言われている。特に、百済が消滅した後は大量に日本に移民がやってきたとされる。

⑤日本は391年に百済を服従させたとされる。その後、百済を足掛かりに200年以上、朝鮮に影響力を及ぼしてきたが、7世紀に唐王朝ができると事態は変わる。唐が新羅と手を組んで、百済をとりにきた。これに対し、朝鮮へ出兵した出来事で有名なのが662年の白村江の戦いである。
この時、中大兄皇子はこの戦争を国威上昇の道具に使い、政権の求心力を高めるとともに、反発分子は徹底して糾弾して政権強化をすることに成功した。

⑥唐との戦いに備えて太宰府に国防軍を作ったが、この時に詠まれたと言われる防人歌は政権のプロパガンダとして書かれたものと思われる。あの時代に、歌を読める兵士など少数であった可能性が高いからだ。

⑦朝鮮人とは韓人と満州人という2つの流れにまとめることができる。韓人と満州人はもともとは言語系統からも血統からも異なる民族とされている。

⑧高句麗は満州人の国で、南の百済や新羅は韓人の国だった。高句麗は唐に滅ぼされ、唐の支援を受けた新羅が百済を滅ぼし、朝鮮を統一した。

⑨高句麗を滅ぼされた満州人は満州に渤海を建国。唐の衰退とともに新羅が衰退したところで、高麗を建国し朝鮮を統一した。

❸世界を支配したヨーロッパの国々

①ヨーロッパ人は大きく分けて3つの系列、ラテン人、ゲルマン人、スラブ人に分けられる。この区分は使う言語の文法による区分で血統や人種のカテゴリーではない。

②スラブ人が多く移住しているロシア・東欧地域はビザンツ帝国の影響を文化的にも宗教的にも受けている。宗教や文字も古代ギリシャの影響を強く受けたのがスラブ人である。

③イタリア ・スペイン・フランスなどのラテン人は古代ローマ帝国の言語や文化の影響を受けている。

④ゲルマン人はドイツ系の人々で、イギリス人や北欧の人々も含まれる。歴史的には4世紀以降、ローマ帝国の弱体化とともに帝国内に侵入し、395年のローマ帝国の分裂を誘因。476年には西ローマ帝国を滅ぼした。(ゲルマン人の大移動)ゲルマン人の大移動はフン族(トルコ人?モンゴル人?あるいは混血?)の西進によって追いやられたとも言われる。

⑤温暖化による影響で食料増産の機運が出てきた時に、勢力を伸ばしたのがゲルマン人である。ゲルマン人の中で有力な民族であったフランク族が今のドイツの場所で作ったのがフランス王国である。権威を得るために、ローマ教皇に接近し、800年に遂にローマ教皇から皇帝の地位を認められるに至る。こうして、スラブ人が治める東ヨーロッパと、ゲルマン人とラテン人が治める西ヨーロッパに分かれることになった。

⑥カール大帝の死後、フランク王国はドイツ、フランス、イタリア に分裂。ドイツはゲルマン人の言葉と文化を継承したが、フランス、イタリア はラテン人の文化と言葉が混ざる形になった。特に、イタリア はローマ教皇の居住地からラテン文化が強かった。

⑦9世紀以降になると北方に移住したゲルマン民族のノルマン人が航海技術を飛躍的に発展させた。(第二次ゲルマン大移動)ノルマン人=ヴァイキング(海賊)という印象が強いが、略奪者というより、航海技術を開発し都市ネットワークを作ったた創造者というのが実状だろう。

⑧ノルマン人はイギリスとロシアへ渡り、自らの国を築いた。

⑨12世紀、ローマ教皇が十字軍の安全な航行を目的として、ノルマン人を招き入れたことが、後にヴェネツィアやジェノヴァなどで造船などの海洋技術が発展する素地になった。

⑩アングロサクソン人は第一次ゲルマン大移動のときにドイツの北西部からブリテン島に移住したアングル人とサクソン人の総称である。

❹インド ・中東・中央アジア

①インド のカースト制度はインド の原住民であるドラヴィダ人をアーリア人が征服するためにバラモン教の教義として持ち込んだ。紀元前13世紀のことで今から3200年前になる。ヒンドゥー教はバラモン教から派生した。仏教もバラモン教とカースト制度の否定から始まったが、信仰は都市生活を送る商人や貴族に留まり、大多数を占める農民には広がらなかった。ヒンドゥー教は多神教で自然と生きる農民に受け入れやすかったこともある。

②16世紀に700年ぶりにインド にムガル帝国という統一国家が誕生した。国教はイスラム教であったが、建国当時は信仰の自由を認めていた。
17世紀に6代皇帝アウラングゼーブの時にこれまでの信仰の自由を破棄してヒンドゥー教の弾圧が始まった。そこにつけ込んだのがイギリスとフランスである。カースト制度をうまく利用しながら、ヒンドゥー教とイスラム教の対立を煽って互いに争わせて植民地支配に利用した。その痕が今のインド とパキスタンの対立である。

②今は混血が進んでわからないが、イランとイラクでは厳密には人種が違う。イラン人はインド ・ヨーロッパ語族であるのに対して、イラク人はセム語族、いわゆるアラブ人である。ペルシアはイラン人の国家である。

③ペルシアはササン朝の時に転機を迎える。もともとアーリア人の宗教の一つであったゾロアスター教を国教とし、イラン人優位主義、極端な排外主義をとった。
こうしたササン朝の支配に疑義を唱えたのがイスラム教の創始者であったムハンマドである。イスラム教はゾロアスター教のような選民思想を排除し、神の前の平等を説いた。また、他の宗教を敵視することもなかったため、商人を中心に急速に広まった。このイスラム教の台頭により、ササン朝ペルシアは敗れ、1200年に及ぶイラン人の支配に終止符が打たれるのである。

④ササン朝の後に創設されたのがウマイヤ朝であるが、アラブ人の特権思想に基づく軍国主義をとる政権であった。ヨーロッパ侵略に失敗した後に、すぐ瓦解し、アッバース朝が創設された。アッバース朝はウマイヤ朝のような帝国主義をとらず、経済を優先。また、アラブ人の特権も廃止した。これに反発した者がスペインに創設したのが後ウマイヤ朝である。アラブ人による支配はこの後700年続く。

⑤新疆ウイグル自治区のウイグル人はトルコ系である。中国には北方異民族の匈奴などモンゴル系も多いが、違いは何だろうか。同じアルタイ語系であるが、トルコはテュルク系である。(モンゴル人はモンゴル語、満州人はツングース語)

⑥ユダヤ人は白人のイメージがあるが、もともとはアラブ人と同じセム語族であったことからアラブ人の風貌に近かったことと思われる。

⑦ユダヤ人の迫害は、まずユダヤ教が閉鎖性と排他性が強いというものがある。さらに、歴史的に金融業で成功を治めており、イギリス議会への介入や第一次世界大戦後にはドイツ企業の多くがユダヤ資本下にあったことも大きい。

⑧ユダヤ人にとって約束の地であるパレスチナは永年オスマン帝国が支配していた。19世紀に入り、オスマン帝国が弱体化すると、シオニズム運動が起きた。(シオンとはエルサレムを指す古い呼称)

⑨第一次世界大戦時に、イギリスの三枚舌外交により、パレスチナを巡って現在も解決されていない問題が起きた。まず、ユダヤ人富豪のロスチャイルド家とイギリスの外相であったバルフォアにより資金援助の見返りにユダヤ人のパレスチナ帰還を約束させた。(バルフォア宣言)同時に、アラブ人のパレスチナ居住を認める代わりに対トルコ戦の協力を約束させたフサイン=マクマホン協定を結んだ。さらに、ロシア、フランスと戦後のオスマントルコの分割を協議したサイクスピコ協定により、パレスチナは混乱に陥った。
第一次世界大戦後、イギリスは国際社会から猛烈な批判を浴び、ユダヤ人のパレスチナ移住を制限した。それに失望したユダヤ人は米国のロビー活動を強化し、第二次世界大戦後のイスラエル建国につなげた。

❻アメリカ 、アフリカ、民族に刻まれた侵略と対立の傷跡

①トウモロコシ、トマト、ジャガイモなどは中南米原産の予算で大航海時代にヨーロッパはもたらされた。

②インカ帝国とアステカ帝国が崩壊した理由は病原菌であったとされる。天然痘やペストは中南米では存在せずパンデミックになす術なく滅んでしまった。

③19世紀に入るまでイギリスの三角貿易は莫大なリターンを稼いでいたが、19世紀半ばには衰退した。その理由としては、ブラジルで砂糖の生産効率が上がり、砂糖の値段が下がり、奴隷貿易で利益が出なくなったことがあげられる。

④17世紀から18世紀にかけてヨーロッパの人口は5000万人から1億人へ2倍くらい増加した。主な理由としては科学・医学の発展であり、感染症で死ぬ幼児の数が激減した時代であった。

⑤WASPと呼ばれるアングロサクソンのプロテスタント(イギリスでは清教徒と呼ばれ、貧困層に信者が多かった)は新天地の米国で己の宗教的使命に基づきインディアンに攻撃を加えて領地の拡大を進めた。

⑥18世紀の米国では、奴隷を輸入できるほどの財力がなかったため、増殖政策が取られた。この時、黒人の人口が飛躍的に増加した。負の歴史として、迫害したインディアンの女性を増殖政策として利用していたことを忘れてはならない。

⑦1863年にリンカーンが奴隷解放宣言を出して、黒人の奴隷化を禁止したが、経済的にも実質的な人権の確立も程遠いところにあった。特に、南部は戦後も差別が色濃く残り、キング牧師の公民権運動が身を結び市民権を得るには、1964年にケネディ大統領により、公民権法が成立するまで100年もかかった。

❼大帝国の成立

①歴史上、最初の大帝国はモンゴル帝国である。その力の源泉としては、シルクロードを支配したことが大きい。宋は経済政策に重きを置いた運営をしており、東ではヨーロッパの十字軍が東進してくる中で、ユーラシア大陸の経済が活性化した。
経済政策としては、関税の簡素化と共通通貨として銀を用いてグローバル経済に必要な仕組みを導入した。

❽民族の血統が教える世界

①国民国家では法的な立場を示す国籍より民族の同一性によって国民と認定される。日本人にとって馴染みの深い考え方であるが、中国や米国、欧州などはその限りではない。

②今日の国家主義は国民国家が急進したものというより、グローバリズムの反動のように思える。

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2022年05月08日

Posted by ブクログ

民族という視点から世界史の流れを見ていくので、それぞれの地域の人々のルーツなどが分かって興味深かった。
人類の移動が、民族というものを形作ったのだと思う。

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2020年05月01日

Posted by ブクログ

高校1年生の時の必修科目であった世界史なんですが、日本を含めた東アジア他、東南アジア、中央アジア、中東、アフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカ等の民族史について書かれており、中華思想、黒人奴隷、ナチズム、ロヒンギャ問題等についてもそれら問題の原因となった思想的根拠についても知る事が出来ます。凄く判り易く書かれていますので高校生でも十分楽しんで読めますし、社会人であれば正に”教養”として知っておきたい知識が得られると思いますので結構御勧めです!

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2020年04月02日

Posted by ブクログ

語族とインターネット文化の関係に興味があるので、この本も面白く読みました。歴史の本だけど堅苦しくなく、カジュアルに読める。

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2019年01月07日

Posted by ブクログ

塾の世界史の先生が書いている本なので、わかりやすかった。自分が今まで知っていると思っていたことが違っていたということも発見できた。

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2018年09月11日

Posted by ブクログ

この数年で、歴史の事件に特化するのではなく、歴史を通してみるのも面白い事に気づきました。その場合の切り口も色々あります、経済で見るとか、地形に着目するなど。

この本ではその切り口を「民族」にしています、現在は国境がありますが、その国境は人為的に決められた経緯もあり、民族と国境が対応しているとは限りません、日本は一応、単一民族ということになっているようですが。

この本の帯にあるように、人種・血統を通じて人類のダイナミズムを描く、新しいタイプの世界史に触れることができました、また新しい見方ができて楽しかったです。

以下は気になったポイントです。

・人種:DNA・血統・肉体、民族:言語・文化・慣習、国民:国家・法律・制度で構成される、人種→国民になるほど、外的要因が強い(p17)

・中国の民族分布、漢族は92%、少数民族としては、チョワン族・満州族・ホイ族・ミヤオ族・ウィグル族・モンゴル族・チベット族の順で、それ以外に48民族がいる(p41)

・中国の主要統一王朝:秦、漢、晋、隋、唐、宋、元、明、清のうち、漢民族が作ったのは、秦・漢・晋・明の4つ、長期に渡って異民族王朝によって支配されている(p47)

・百済(全羅南道)は高麗によって奴隷民に貶められた、新羅は前王朝を形成した国家なので、王都慶州を中心に先進的な地域であったので、慶尚北道・南道は敬意を払った(p79)

・6,7世紀、欧州の農業生産力が増強される(ゲルマン民族)と、欧州はビザンツ帝国の食糧調達ルートに依存する必要がなくなった、ビザンツ帝国は高いコストをかけて広大な領土を維持するインセンティブを失い、領土を縮小していく(p98)

・リトアニア大公国(後のヤゲウォ朝=バルト三国・ウクライナ・ベルラーシ・ロシア西部)は、アジア系ウラル語族の国家、あるいは彼らの血統を濃く受け継いだ国家とみることができる。14世紀末にポーランド女王と結婚する際にキリスト教に改宗する(p119)

・ルーマニアとは、ローマ人の土地、と意味する。ローマ人が330年、コンスタンチノープル(イスタンブール)に遷都したとき、この地域一帯のブルガリア、ルーマニアがローマ化された、ローマ人が入植してローマ語が使われた。ブルガリアはブルガール人に侵略されるが、北部ルーマニアは血統が残った(p124)

・イラン人はインド・欧州語族、いわゆるヨーロッパ人の仲間であるのに対して、イラク人はセム語系、アラブ人である。しかしイラン人は中東地域にあって、長い年月をかけてアラブ人との混血を繰り返してアラブ人化している(p136)

・アレクサンドロスの死後、帝国は分裂、イラン人はギリシア人勢力を追い出して、パルティア王国を建国して、イラン・イラクに領土を広げて、ローマ帝国と対等に戦い、500年間も続いた(p137)

・642年、ニハーヴァンドの戦いで、イスラム勢力はアラブ人勢力(ササン朝)に敗退して滅びる、そして中東の覇権はアラブ人によるイスラム帝国が形成、アケメネス朝ペルシアから、ササン朝ペルシアまでの1200年間におよびイラン人優位が崩れた(p140)

・1492年、スペインによりグラナダが陥落させられ、ナスル朝は滅亡、イスラムはイベリア半島から撤退する(p146)

・トルコ人はトルキスタンへ西進して、10世紀にイスラム化、カラ・ハン朝(トルキスタン)をつくった、今の国名で言えば、トルクメニスタン・ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン・タジキスタン・アブガニスタン北部にあたる、「~スタン」とは、ペルシア語で、「~が住む場所、~が多い場所」を表す(p152)

・フン人を率いていた、アッティラ王は欧州に進撃するが、451年西ローマ帝国軍に敗北して、東欧州まで撤退して定住した。この地域をフンガリアと呼ぶ、ハンガリーの首都のブタペストあたり(p156)

・トルコ人はロシアを超えて東欧州に入る、9世紀にハンガリーに定住したのがマジャール人、7世紀にバルカン半島に入りトルコ人王国をつくったのが、ブルガール人、これがブルガリアになる。スカンジナビア半島に入り、トルコ人王国をつくったのが、フィン人。なので、ハンガリー・ブルガリア・フィンランドはアジア系に分類される(p161)

・ユダヤ人には3系統あり、アシュケナジム(ドイツ、東欧州、米国)、セファルディム(スペイン)、ミズラヒム(中東)で、前者2つは白人化した(p165)

・1471年に黎朝は南ベトナムのチャムパー(ベトナムとは別の独立領域)を征服し、南北ベトナムが統一された。中国系の多い北部人と、インドネシア系の多い南部人との混血も進んだ。(p187)

・天然痘、ペストなどの伝染性の病原菌は、インカ帝国・アステカ王国を崩壊させた、多くの種類の家畜を飼うスペイン人などの欧州人は、免疫を持っていたが、新大陸の原住民は、牛・豚を飼う習慣がなく、動物性の病原菌に対する免疫がなかった(p219)

・人類はもともと黒人から始まった、いまから10-5万年前に、彼らの一部がスエズ地峡を渡り世界へ拡散していき、白人や黄人に変化した。1987年に、DNA解析により、ネアンデルタール人(旧人)と現生人類(ホモサピエンス)は、遺伝子上のつながりがないことが判明した(p226)

・16世紀になるとスペインが西インド諸島、中南米で農園や鉱山を経営、現地のインディアンが酷使され人口が減少したので、その穴埋めとしてアフリカ黒人を奴隷として送った。17世紀にはイギリスが組織的に奴隷貿易を展開する。イギリスは武器をアフリカに私、黒人奴隷と交換、黒人を西インド諸島へっ搬送し、砂糖プランテーションで労働させて、砂糖を持ち帰る三角貿易を行った、フランスの領土(ハイチ)にも供給した(p237)

・アメリカでは奴隷に家族を持たせて子孫たちを永続的に土地に住まわせて奴隷人口を増大させたので、イギリスに対する奴隷購入は減少した、ポルトガル領ブラジルで砂糖生産量が増えたので、奴隷貿易は利益がでなくなり自然消滅した。(p239)

・イギリスが新天地アメリカを求めたとき、ラテンアメリカ、肥沃なミシシッピ流域はすでにスペイン領土、ブラジルもポルトガル領土であり、残っていたのは、東海岸の荒れ地のみ、イギリス極貧層はこの地へ移住して、そこを「ニューイングランド」とした(p241)

・女性インディアンは、増殖政策に利用されて、黒人奴隷の子を産まされた、このような負の歴史は人権意識の向上とともに白人の恥とされて、記録としてはなかなか表に出てこない(p246)

・16世紀以降、スペイン白人入植者たちは、中南米でインディアンや黒人と混血した、スペインはインディアン女性を好み、メスティーソと呼ばれた。ところがイギリス人は混血しなかった、これはピューリタンの宗教戒律が大きく影響している(p247)

・南北戦争後、憲法修正により奴隷制度が廃止され、解放された黒人に市民権・選挙権が与えられたが、土地は与えられなかったので、経済的に自立できずに、大部分は奴隷同然の労働者になった、本当の差別がなくなったのは、1964年の公民権法成立から(p250)

・モンゴル人の興隆は4回ある、1)匈奴(紀元前2世紀)、2)鮮卑(5世紀、北魏)、3)契丹(10世紀、遼)、4)モンゴル(13世紀、モンゴル帝国)(p254)

・元王朝は、モンゴル人第一主義を掲げ、モンゴル人・色目人(中央アジア、イラン出身)・漢人・南人に分けて、支配階級はモンゴル人と色目人が占めた(p260)

・モンゴルは基本的に寛容は共存政策であったが、例外は中国人や中国文化に対する政策、儒教を始めとする中国文化は例外的に認めなかった(p263)

・満州人の清王朝は、どの中国王朝よりも、強大な力を持っていた、その支配領域も最大、台湾やモンゴル高原、チベットも領有した(p269)

2018年6月10日作成

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2018年06月10日

Posted by ブクログ

世界各地の民族史の修正。中国の歴代王朝で漢人が成立した王朝は半数に満たず、他民族支配中の混血政策により今となっては純粋な漢人は存在しない、など刺激的ではあるが納得できる内容。日本も朝鮮人との混血が行われており、現日本人は沖縄、アイヌに残っているなど、こちらも刺激的。そもそも純粋な民族性の保持など完全隔離された地域でもない限り無理な話なのに、民族国家、国民国家への憧れなの高まるのは、まさにそれが幻想の国家であるからこその憧れなのかも知れない。

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2018年03月29日

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民族からヨーロッパ史を眺めてみたいと思い再読。
ただ、本の趣旨が広くさまざまな地域・民族を取り上げるもので、求めていた内容とはちょっと違った。
あと、終わり方が唐突で、結局なにが言いたいのかは分からなかったので、あとがき的なものがあっても良かったと思う。
そもそもそういう趣旨の本ではないのかもしれないが。

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2024年10月12日

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民族を切り口とした歴史の流れが俯瞰でき、有益。書中、暗い歴史もあり、楽しく読むだけでなく、学びになる。

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2022年07月27日

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島国日本では中々実感できない民族という概念だが、歴史はこの民族の変遷そのものと言って良いのだろう。民族を軸に世界史を眺めてみることで、新たな視点が加わりこれまでの理解に深みが増す、逆にこの視点を欠くと、現代の世界情勢を正しく理解することはできないのだと再認識した。

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2021年07月23日

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どの民族の由来にも大抵、肯定的な意味があるように人類は自分たちの民族に誇りや強さを感じて生きてきた。そうすれば必ず白人至上主義や北方人種優位主義など様々な過激派のような団体が生まれる。自分たちが一番でありたいという願望が各地での争いを生んできたと感じた。

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2021年03月04日

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