【感想・ネタバレ】臨死体験(下)のレビュー

あらすじ

科学はどこまで臨死体験の核心に迫りうるのか。生物学者や神経学者は、様々な実験や仮説によってそのメカニズムの解明に挑み、成果をあげてきた。しかし、なお謎は残る。蘇生した人々はなぜ、本来、知るはずのない事実を知ってしまうのだろうか。
構想、取材、執筆に5年。大反響を呼んだ著者渾身の大著。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

臨死体験者へのインタビューと,様々な研究者へのインタビューを基に,臨死体験という現象に迫る。体外離脱,トンネル体験,神々しい光や,死んだ人たちとの出会い。そのような要素体験で構成される臨死体験は,脳内で起きている現象なのか,それとも現実に体験していることなのか。その解釈をめぐって,膨大な資料とインタビューから,吟味を重ねていく。時には現実体験説を擁護し,時には脳内体験説を支持する。最初から結論があったり,自らの信念や思想に沿うよう物語が構成されていたりはしないので,読み進める中で筆者の思索を追体験できるのが面白い。

さて,そのような思索を重ねた末に筆者が出した結論は,現時点では,脳内体験説に軍配が上がる,というもの。現実体験説では,あまりに説明に無理・矛盾が生じる点が多いからである(詳しくは下巻pp.461~463にまとめがある)。とは言え,脳内体験説で全てが説明し尽くされるかというと,そうでもない。22章のサリバンさんの例のように,手術中で見ることのできない事実を詳細に知っていたりする例があるからである。そのような事実を認めつつ,それでもやはり現時点で最も合理的な説明が可能なのは,脳内体験説であろう,というのが立花氏の立場である。

「では,私はどう考えているのかというと,先に書いたように,基本的には,脳内現象説に立っている。つまり,基本的には,物質的一元論で,この世界は説明できるだろうという科学的世界観の側に立っている。しかし一方で,本当にそうだろうかという懐疑心も常に持っている。」(下巻p.471)

しかし,脳内体験説が有力であろうという予想は立つものの,現在の脳科学が臨死体験のメカニズムを完全に解明しているかというと,そうではない。下巻p.421の「サヴァデラ・アギレル」モデルは側頭葉てんかんと臨死体験の類似性を説明する有力なモデルではあるものの,脳内体験説と現実体験説の対立に決着をつけるために必要な,「意識は脳内でどのように生み出されているのか」という点については,現在の科学は全く未解明というのである。

「脳には,視角系が集めた情報を受け取る認識主体がどこかにあるはずである。手足を動かす前に,手足を動かして何をどうするのかという意志的決断をくだす意志の座があるはずである。ところがそういう肝腎かなめのところが全然わからないのである。いくら研究しても,わかってくるのは下位システムの局在的メカニズムでしかないのである。」(下巻p.472)

最終的に,筆者は,この問題にこれ以上頭を悩ませる必要は感じないと言っている。つまり,現時点では解明不能な死の問題に頭を悩ませるよりも,いかに生きている間のQOL(quality of life)を上げるかを考えた方が,合理的だと言うのである。

筆者の結論に対して,私も全く同感である。
もともと死への恐怖などを抱いていたわけではないが,不確実な将来に思い煩って,下を向いて歩き続けるような生き方はしたくない。

筆者が引用している古代ギリシャのエピクロス学派の次の言葉は,なかなか的を射ている。

「あなたが死を恐れているうちは,死はまだ来ていない。本当に死がやってきたときには,あなたはもういない。従って,あなたと死が出会うことはない。死について,悩み恐れるのは意味がない。」(下巻p.469)

本書を読み終えて,死の問題よりも,自分の意識がどのように生まれているのかという問題の方に,強く関心を惹かれるようになった。脳科学は人間の意識の問題にどこまで踏み込めるのか。今後,そのような文献をフォローしていきたいと思う。

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2012年01月12日

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