【感想・ネタバレ】「明治」という国家[新装版]のレビュー

あらすじ

西郷隆盛や小栗忠順は何がすごかったのか? “武士”はどのようにして滅んだのか?──実は謎の多い幕末・明治の実情を巨匠が語り下ろした『NHKブックス「明治」という国家(上・下)』は、ベストセラー&ロングセラーとなり、日本人の「明治観」の基礎となった。従来の上下巻を読みやすくまとめた新装版、この一冊で幕末・明治の空気が実感できる!

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

このページにはネタバレを含むレビューが表示されています

Posted by ブクログ

ネタバレ

第一章 ブロードウエイの行進
遣米使節(1860年2月~11月)は、正使・新見豊前守正興、副使・村垣淡路守範正、目付・小栗豊後守忠順をはじめ、総勢77人。
当時のアメリカ人は、日本人の挙手動作、品の良さ、毅然とした態度の未知の民族に、大変上質なものを感じたという。「明治は多くの欠点をもちつつ、偉大としかいいようがない」。透き通った格調の高い精神で支えられたリアリズムであった。それに対して昭和―昭和20年まで―はリアリズムがなかった、と評する。
第二章 徳川国家からの遺産
小栗忠順(ただまさ)は外国奉行にあり、金がない中で日本で最初の横須賀造船所(現、在日米軍横須賀海軍施設)を造った。施工監督を務めた幕臣の栗本瀬兵衛(せへえ)は、「あのドッグができあがった上はたとえ幕府が滅んでも”土蔵付き売り家”という名誉を残すでしょう」。明治という国家は、江戸を否定してできたのではなく、江戸270年の無形の精神遺産の上に成立した。
第三章 江戸日本の無形遺産“多様性”
薩摩(薩摩隼人・藩文化)は物事の本質をおさえておおづかみに事をおこなう政治家や総司令官タイプを多く出し、長州(長州人タイプ)は、権力の操作が上手なため、官僚機構をつくり、土佐(一領具足)は野にくだって自由民権運動をひろげ、佐賀(長崎警備・様式化)は着実にやっていく人材を明治国家に提供した。
第四章 “青写真”なしの新国家
西郷隆盛はじめ倒幕を進めた人びとには明治国家をつくる明確なプランがなかった。プランなしに革命をした後で欧米に国家見学をして、どのような国づくりをすべきか学んでいた。
第五章 廃藩置県-第二の革命
西郷隆盛は山県有朋から廃藩置県の話をもちかけられ、主君島津久光に相談なしに承諾。久光は西郷を逆臣と罵る。そして廃藩置県という第二の革命は無血で成った。士族の子弟は自らを救済する手段として学校(帝国大学進学)を選んだ。1920年代までの学歴社会は多くが士族出身者で占められた。
第六章 “文明”の誕生
日本に寄港した奴隷船マリア・ルス号(1872年)を断固として告発したのが副島外務卿であった。彼は早くも文明の名において裁いたが、それは日本国内の娼妓売買なども見直すことになったという。
第七章 『自助論』の世界
明治時代はキリスト教、特にプロテスタント精神と武士道精神が融合した時代であった。そんな中、サミュエル・スマイルズの『自助論(Self-help)』を翻訳した『西国立志編』(中村敬宇)がベストセラーになった。つまり、明治はプロテスタント精神を受け入れる素地が、江戸時代の武士道によって醸成されていた。
第八章 東郷の学んだカレッジ-テムズ河畔にて
東郷平八郎は1871年、26歳のときに英国の商船学校に留学(~1878年)したこと。そして、東郷と日露戦争の日本海海戦の戦術を作った秋山真之について言及している。詳細は『坂の上の雲』。
第九章 勝海舟とカッティンディーケ-“国民”の成立とオランダ
幕府が洋式海軍育成のために招いたオランダのカッティンディーケに学んだ。司馬氏は勝海舟について、“日本にまだ国民がいない頃、はじめて自分を国民にした”人物としている。幕臣でありながら、日本、特に世界の中でのわが国のことを考えた、ということであろう。家柄がそれ程でもない勝は、出自により階級がきまるような幕府には、期待できないと考えていたようである。そして、それは坂本竜馬に強い影響を与えることとなる。竜馬自身も勝海舟と出会う前からオランダの市民社会制度には関心を持っていた。つまり、勝海舟、坂本竜馬がそれぞれオランダから影響を受け、互いに影響しあって幕末の原動力になったといえるだろう。詳細は『竜馬がゆく』。
第十章 サムライの終焉あるいは武士の反乱
サムライの時代が終焉し、明治政府を形成した人々もいれば、西郷を押し立てて、西南戦争で散った薩摩武士集団がおり、また、キリスト教精神の中に身を置いた内村鑑三や新渡戸稲造らがいる。福沢諭吉が西郷を擁護する『丁丑(ていちゅう)公論』を執筆。それはなによりもサムライが死んでしまったこと、つまり日本人の品性や気骨、質実さが失われることのわびしさをいいたかったのではないか。
第十一章 「自由と憲法」をめぐる話-ネーションからステートへ
明治維新が多くの運動者に明晰な意識はなかったにせよ、“国民国家”の創出を目的としたものだった。板垣退助の自由民権運動もまた国民の創生運動だった。国民と作り出すには、国民に政治参加の権利を保持する必要がある。彼ら(中江兆民など一部を除き)の目的は「代議士や県会議員になることだけ」という面も。
おわりに “モンゴロイド家の人々”など
モンゴロイド家の一派が「明治国家」という不思議なものを成立させた。つまり日本人の私物(歴史の一部)でない、人類の一遺産と考える方が気分をくっきりさせる。

0
2021年06月13日

「学術・語学」ランキング