あらすじ
わたしは次第に存在していく
知的で壮大にたくらみに満ちた著者初の「私小説」
小説の書き手である「わたし」は物語を書き始めるにあたり、日本語の表記の範囲を定め、登場人物となる13氏族を制定し、世界を作り出す。しかしプログラムのバグというべき異常事態が起こり……。文学と言語とプログラミング、登場人物と話者が交叉する、著者初の「私小説」にして、SFと文学の可能性に挑んだ意欲作。
解説・佐々木敦
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Posted by ブクログ
2018年2月10日第一刷。
「文學界」連載も楽しみに読んでいた。
私小説とは概ね徒然なる日常を書くもの。随想からの跳躍ありき。
本作もまさに徒然なる日常と、その都度考えたことを徒然に書いているらしい。
が、そこは円城塔。凡人の思考ではない。
私小説では語り手は単純に「わたしは云々」と書き始めるが、この小説の「わたし」は「小説そのもの」のことだから、不用意に「わたしは云々」と書き出せない。
そのうちに著者の要素がいろいろなキャラクターに分散、分身、仮託、委託、されていく(?)
さらには堂々たる「わたし対わたし問答」も生起し、それが詰まらないトートロジーに堕さない。
私小説を刷新するのか~、たいそうなこってすな~、アホな読者にはわかりませんわ~、とやっかみ半分で読んでいたところもあったが、
「これが私小説と言うと私小説とは云々と言いがかりをつけられそうだが、まあ無視してよろしい。だってこういうことばかりしている生活なのだ」
と言われてしまえば、もうシャッポを脱ぐしかない。
神秘主義などの衒学趣味とITが融合したら、とか。
あるいはITがごく当然な世界における衒学趣味は、というか。
「エピローグ」との関連については……榎室春乃やイザナミ・プロジェクトなど出てくるが……わからず。
まっこと、アホな読者である。
ところでドリフトグラスが登場するので連想したのが「グラン・ヴァカンス」だが、あながち遠くはない、と思いたい。
というのもPC内に残された物語が、切り離されたままどう熟成するか、という視点は、通じるものがある。
お子さんご誕生おめでとう。
……と、書くのは決して文芸界ゴシップをひけらかすためではない。
中盤で唐突に登場した『赤ちゃんプログラム』が、終盤に向かうに従って大事な小道具になる。
そして濃淡あれど子育てに関わり何がしか考えたことのある人間には、感じ入らざるを得ないリリカルなニュアンスが終結にある。
要は生まれてきてくれてありがとう、と。
その感慨は創作上のキャラクターに対しても、現実に直面し続けざるを得ない実人物に対しても、言いたい言葉になるのだ。
ところで先日柴崎友香「春の庭」を読んだから連想するんだけど。
柴崎友香「春の庭」芥川賞選評で、【建物は上から見ると”「”の形をしていた】と読んで、読む気をなくした、と村上龍。
円城塔はわざと似た表現を340pに置いて、老害村上龍へのあてつけをしている。