あらすじ
この奇怪なる現象の本質とはなにか。我々を魅惑するその不可思議な力は、どこに宿るのか。近代日本におけるその観念の変遷を、「「国体」ナショナリズム」という視座から明らかにし、現在のグローバル化の地政学的な変容のただ中における、その不気味な実在感の意味を考える。いま、ナショナリズムの呪縛が、ここで解かれる。
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Posted by ブクログ
「国体」をめぐって展開されてきたさまざまな言説が置かれている、ミクロな権力構造の磁場を解明している本です。
著者はまず、近代において成立したナショナリズムが、国民国家という「作為性」と郷土に代表される「自然性」を接合することによって生じたものだと論じています。とりわけ日本の近代においては、伊藤博文がこうしたナショナリズムの性格を自覚し、近代日本の枠組みをかたちづくったと著者はいいます。また、こうした二重の性格をもつナショナリズムを取り巻く言説に著者の考察はおよんでおり、本居宣長の「漢意」の排斥や、リービ英雄の日本に対するアンビバレンツがとりあげられています。
つづいて著者は、橋川文三の国体論を参照しながら、戦前から戦後にかけて「国体」はその意味が空疎であったがために、さまざまな変容を経て維持されてきたことを明らかにします。とくに敗戦後は、象徴天皇を中核に置く「国体」が、アメリカとの「合作」によって形成されたことに著者は注意を向け、和辻哲郎や南原繁、江藤淳、丸山眞男らがこれに対してどのような態度をとっていたのかということを、批判的に検討しています。
「ナショナリズム」というタイトルをもつ本としては、あまりにも特殊なテーマに議論が絞られていることが気になりますが、国体をめぐる言説史に関心のある読者にとっては興味深い内容が論じられているといってよいのではないかと思います。