あらすじ
現代イタリア文学を代表し世界的に注目され続けている著者の名作。マルコ・ポーロがフビライ汗の寵臣となって、様々な空想都市(巨大都市、無形都市など)の奇妙で不思議な報告を描く幻想小説の極致。
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Posted by ブクログ
モンゴルの皇帝とマルコ・ポーロ。この組み合わせだけでも読む価値があるというもんだ。カルヴィーノは言葉しか信じないが、われわれ凡人は実在を期待してしまうので、永遠に届かない世界を「あるんじゃないか?」と期待しながら、むなしく空回りしてしまう。
Posted by ブクログ
フビライ汗に、マルコ・ポーロが帝国内の55の「都市」の様子を報告するという形式の小説。
「都市」の姿は、そこで生活する人間の内面の反映である。フビライはマルコ・ポーロのさまざまな「都市」についての報告を通じて、「帝国」の姿を理解しようとするが、それはそのまま人間の精神を理解しようとする試みでもある。
しかし、この「都市」。一体何なのだろう? マルコ・ポーロが語る「都市」は、いずれも異形の街ばかりであるが、その光景はどこかでみたことがあるような気分にもさせられる。そう、それは「記憶」のなかにある「都市」なのだ。「記憶」のなかにある、いわばすべての都市の雛形とでも言えるような、「最初の都市」とは? マルコ・ポーロは言う。「それはただ例外、禁止事項、矛盾、撞着、非条理のみによってできあがった都市でございます。」
フビライは、マルコ・ポーロの報告から、さまざまな「都市」を支配する秩序を理解しようとするが、そこにあるのは理解を拒む「無限の異形性と不調和」ばかりであり、結局手にするのは「無」でしかない。
フビライが知ろうとしているもの。そこに、この小説に込めた筆者の思いが込められているように思われる。フビライは言う、「朕がその方の声を通じて耳傾けておるのは、都市が生存し続けてきた目に見えぬ理由、またそれゆえにおそらくは滅んでもなお再生するであろう理由なのだ」。
そして、最後のマルコ・ポーロの言葉。印象深いので、そのまま引用してみます。
「生あるものの地獄とは未来における何事かではございません。もしも地獄が一つでも存在するものでございますなら、それはすでに今ここに存在しているもの、われわれが毎日そこに住んでおり、またわれわれがともにいることによって形づくっているこの地獄でございます。」
「これに苦しまずにいる方法は二つございます。第一のものは多くの人々には容易いものでございます。すなわち地獄を受け容れその一部となってそれが目に入らなくなるようになることでございます。」
「第二は危険なものであり不断の注意と明敏さを要求いたします。すなわち地獄のただ中にあってなおだれが、また何が地獄ではないか努めて見分けられるようになり、それを永続させ、それに拡がりを与えることができるようになることでございます」
55の「都市」の話のなかでは、筆者が「永続させ」「拡がりを与え」ようとしているものが描かれていると見ることができるのでしょう。ひとつひとつの話が2ページほどしかないので、お酒のおつまみをちょっとずつつまんでいるような感覚で読める小説でした (笑)。