【感想・ネタバレ】世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」のレビュー

あらすじ

世界のビジネスエリートがこぞって身につける教養「西洋美術史」をわかりやすく解説。約2500年分の美術、そして関連する世界史の知識が一気に身につきます。これまで以上に、絵画や彫刻、建築が身近になると同時に、グローバルスタンダードの教養が身につく、あなたの世界観を広げる一冊です

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Posted by ブクログ

ネタバレ

・美術を知ることは、その国の歴史や文化、価値観を学ぶことでもあるのです。

・ギリシャ人にとって人間の姿は、この神から授かったものであり、美しい人間の姿は神々が喜ぶものと考えていました。「美=善」という信念・価値観があった。
・ギリシャの男性に兵役の義務があった。つまり、体を鍛えることはギリシャ人男性にとって必須であり、その結果、肉体の優秀性を競い合うことになった。
・古代ギリシャでは主に男性美を追求したギリシャ彫刻が発展する。

・ペロポネソス戦争以降、粛清が行われるなど恐怖政治がアテネを支配する中で、美術における嗜好はその反動から享楽的なものを求めるようになる。
・紀元前5世紀の崇高で荘重な様式ではなく、紀元前4世紀のものは優美さを漂わせたものが多くなる。

・アレクサンドロス3世は、マケドニア・ギリシャ連合軍を率いてペルシャに遠征し、オリエントやエジプトにまたがる大帝国を建設したのち死去します。その遠征の結果、ギリシャの文明が広域に伝わることになる。
・ヘレニズム時代にギリシャ文化圏が一気に広がったことで、それまで通用していたギリシャ人特有の価値観以外の表現が見られるようになる。大王の後継者たちによって支配らされた地域とギリシャの文化が融合された「ヘレニズム文化」が生まれ、美術の様式も変化していった。
・ギリシャ的な思想ではなく、より個人的な感覚や、理想主義ではなく個性を重視した写実主義へと変化した。

・紀元前146年にギリシャを支配したローマ帝国は、建築屋芸術面でギリシャ文明を継承する。

・ローマ美術の特徴としてスケールの大きい大規模な公共建築があげられる。大規模建築を可能にしたのが、ローマン・コンクリート。セメントと砂利、もしくは粗石を混ぜたローマン・コンクリートは、強度があり柔軟性に富んでいたことに加え、切り石に比べて安価だったことからも、多くの建築の実現に寄与した。
・ローマ建築にはギリシャでは見られない半円アーチが目立つが、半円アーチ自体はエトルリア人の技術。

・キリスト教を異教とし弾圧したディオクレティアヌスの死後、キリスト教を帝国統治に利用するため313年にミラノ勅令が発布される。それにより、帝国内で異教徒して弾圧されていたキリスト教はついに公認され、信仰の自由が認められる。
・392年にキリスト教がローマ帝国で国教化。

・文明的に後進国だったアルプス以北のヨーロッパにおいて、読み書きができない人々にキリスト教の教えを伝えるために、旧約・新約聖書の物語を絵で表した「目で見る聖書」としての宗教美術が肯定され重要となる。

・シャルルマーニュの死後、フランク王国は分裂していき、北ヨーロッパは混乱の時代に突入。キリスト教の修道僧たちは街から離れた場所に修道院を建てるようになる。そこで発達したのが、修道院や教会のための様式である「ロマネスク」
・天井も木造から石造になり、その穹窿の重量を支えるために建物の壁は分厚く造られる。壁が厚いため、ロマネスク様式の聖堂は窓を大きく取ることができない。
・古代ローマ建築の特徴である半円アーチの場合はローマ風を意味する「ロマネスク」様式と見なされる。
・ロマネスク様式発展の背景には、人々の「終末」への強い意識もあった。11世紀以降に盛んになったのが巡礼地への旅。巡礼ブームの背景には、11世紀以降、聖地エルサレムやイスラム教諸国への十字軍遠征によって、多くの聖遺物がヨーロッパへもたらされたこともある。

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2022年02月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

欧米人にとって美術は感じるものではなく読むもの、というのは自分にとっては新鮮な視座で、発見と気付きの多い一冊でした。
これまで、世界史を勉強しているとちょいちょいコラム的に差し挟まれる文化史としてしか「美術史」を勉強する機会はなかったなぁ。
「美術史」という一教科として日本の教育の中で定着して欲しいと思いました。
(と言う意味で、本のタイトルが、中身に対してあまり適切でないと個人的には感じました…)

以下、印象的だったところ。
・「日本人は、どうしても美術を見るときに『感性』という言葉を口にしがちですが、美術を知ることは、その国の歴史や文化、価値観を学ぶことでもあるのです。」(p.3)
・プラトンの本名はアリストクレス。プラトンは肩幅が広いというあだ名(p.18)
・キリストを象徴する魚。「『イエス・キリスト、神の子、救世主』の頭文字を組み合わせると魚(ギリシャ語で『イクテュス』)となり、キリスト教が公認されるまでは、魚の図像がキリスト教徒の隠れシンボルとなっていた」(p.49)
・フランク王国で誕生したゴシック様式。「後にルネサンス時代のイタリア人が、軽蔑の意味を込めて『野蛮人(Goth/ゴート族)の様式』と呼んだことで生まれた不名誉な名称」だが、それを抜きに西洋の建築を語ることができないほど重要な形式。支柱、尖頭アーチ、天井の交差リブ穹窿が上昇感覚を高め、ステンドグラスから光が差し込む。「『光=神』という絶対的な価値観」(p.51-53)
・14世紀イタリアで興ったルネサンス。「美術家は、労働者的な職人という社会的地位から、文化人貴族的な地位へと徐々にその地位を向上させていきます。(中略)その人物の精神や知性が反映された作品が、『商品』ではなく『芸術品』と見なされるようになるのです。」(p.66-67)
・「15〜16世紀のネーデルラントは、経済的・政治的、そして文化的にも、美術史だけでなくヨーロッパ史において大変重要な地です。」(p.75)
・1517年ルターの宗教改革、カトリックvsプロテスタント→新たな宗教芸術・バロック美術。17世紀フランドル(南ネーデルラント≒ベルギー)の絵画王ルーベンスについて。「デザイナーがデザイン画を描くように、ルーベンスは油彩下絵(モデッロ)で絵画構想をまとめ、それを手本に助手たちが制作を担い、ルーベンスが最後の仕上げのタッチを加えたものが『ルーベンス作』と見なされたのです。現代におけるデザイナーズブランドの社長のような存在だったのが当時の大画家たち」(p.102-116)
・17世紀オランダの絵画ジャンルのヒエラルキー。歴史画>肖像画>風俗画>風景画>静物画(p.120)
・1789年フランス革命→1804年皇帝ナポレオン→ブルボン家ルイ18世→オルレアン家ルイ=フィリップ→1848年二月革命、1852年ルイ=ナポレオン・ボナパルト。美術界にも社会主義者の画家ギュスターヴ・クールベが登場。クールベは二月革命による第二共和制を支持した共和主義者であり、社会主義思想にも共鳴していた。「『私は天使を描くことはできない。なぜなら、私は天使など見たことがないからだ』と語ったとされる彼は、造形的には古典主義やロマン主義とも距離を置いた写実主義(レアリスム)の推進者でもありました。」(p.176-178)
・「戦後の日本における大衆化した成金的ブルジョワジーのことではありません。今や日本では絶滅寸前と言ってもよい、一部のエスタブリッシュメントに残っている古きよき時代の控えめなエレガントさを湛えたブルジョワジーです。」(p.216)

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2020年04月18日

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