あらすじ
日本人として知っておきたい“教養としての世界史”古代編。世界最古の文明は、じつは日本であり、人類の歴史のなかで長いあいだ圧倒的な文明先進国として栄えていたのは、ヨーロッパや中国ではなく“オリエント”であった。そもそも、イスラム教の理解を抜きにして、現在の世界を語るのは不可能な話なのである。「“四大文明”はチャイナの妄想である」「チャイナの絶頂期は二千数百年前、諸子百家の時代」「ヨーロッパよりも地中海アフリカのほうが先進地域だった」「なぜヨーロッパは古代ギリシャを起源としたがるのか?」――中国人とヨーロッパ人が歪めた「世界の歴史」の謎を解く! ●第1章 文明の発祥――どこが文明の先端地域だったのか ●第2章 紀元前の世界 ●第3章 消された真の先進地域 ●第4章 ほんとうは怖いキリスト教の誕生 ●第5章 暗黒の世紀の始まりと東西の明暗 ●第6章 世界の大激動と東西衝突
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Posted by ブクログ
本の「はじめに」で、なぜ歴史を学ぶのか、ということで
5つの事柄が挙げられています。
1、正しい事実がわかる
2、現在の自分の立ち位置がわかる
3、未来に何をすべきか見えてくる
4、他人の嘘を見抜けるようになる
5、頭がよくなる
そして、われわれ日本人は不完全な東洋史と不完全な西洋史の野合にすぎない世界史に騙されてきたということだが、倉山満のパースペクティブに基づき、真実の世界史古代編を著したものである。
第1章 文明の発祥――どこが文明の先進地域だったか
第1節 圧倒的な文明先進地域
第2節 「四大文明」にヨーロッパは入っていない
第3節 エジプト文明
第4節 メソポタミア文明
第5節 インダス文明
第6節 黄河文明とチャイナ
第7節 ギリシャ文明
第8節 日本の文明
第2章 紀元前の世界
第1節 例外中の例外!アレキサンダー大王で
世界史を語るな
第2節 本当は怖すぎる韓非子と始皇帝の中国
第3節 地中海のライバル、カルタゴとローマが
戦ったポエニ戦争
第4節 漢帝国の実情
第5節 カエサルとオクタビアヌスのローマ帝国
第3章 消された真の先進地域
第1節 ユダヤ人の悲惨な宿命とユダヤ教
第2節 「怖い人たち」アッシリア
第3節 ヨーロッパが憧れたアケメネス朝ペルシャ
第4節 ヘレニズム文化の担い手は誰か―
アレキサンダー死後の興亡
第5節 安息の国パルティア―シルクロードの国
第4章 ほんとうは怖いキリスト教の誕生
第1節 キリスト教の正体
第2節 王莽の中国
第3節 五賢帝のローマ
第4節 後漢から三国志の時代へ
第5節 三国志の終焉
第6節 ローマの落日
第5章 暗黒の世紀の始まりと東西の明暗
第1節 コンスタンチヌス帝とキリスト教の呪い
第2節 和の国と朝鮮出兵
第3節 西ローマ帝国の滅亡とキリスト教の異端
第4節 聖帝!仁徳天皇と「民のかまど」伝説
第5節 ユスティニヌス帝とビザンチン帝国の栄光
第6節 聖徳太子の素敵なラブレター♡
第6章 世界の大激動と東西衝突
第1節 イスラム教の登場
第2節 白村江の戦いと国民国家・日本の誕生
第3節 中央ユーラシアの“関ヶ原”タラス河畔の戦い
第4節 辺境の雑魚、フランク王国
となっています。
学校で習った個別的、断片的歴史学習では知り得なかったユーラシア大陸を中心とした全体の動き・流れがつながり、また、日本の古代の歴史も解りやすく説明されていた。
日本人として自信をもって世界史に接するための入門書と思えばいいのかも。
少し軽いノリもアクセントがついて大変読みやすい本であります(笑)。
Posted by ブクログ
著者のやや偏った考えがチラチラの目につきますが、ヨーロッパと中国に偏りがちな世界史を中央アジア(イスラム教)を中心に述べている点では新たな視点を与えてくれる本であった。
古代編とはいえ、8世紀くらいまでの世界史を扱っており、古代では中央アジアのメソポタミア文明が中心であり、そこを源流にして歴史が切り開かれていったことが理解できる。
中東への見方を変えてくれる本である。
Posted by ブクログ
嘘だらけの歴史シリーズ(日米・日英・日中等)や、昨年(2016)から興味を持ち始めた「地政学」に関する解説本を何冊となく書いている、倉山氏によって書かれた、古代における世界史を解説した本です。
私にとって、世界史の授業では、ほとんどが欧州に関するもので、古代の時代になると、東洋や中国に関する内容があり、それとは別の時代のように「四大文明」を習った記憶があります。四大文明で栄えたエリアはどうなったのだろう、と疑問に思うのもつかのま、ほかの時代の学習へ進んでいったのを覚えています。
この本では、古代・中世と言われている時代において、各エリアでどのような文明が栄えていたのかが述べられています。この本を読んで、いままで時代毎にエリアを学習していて、断続的であったのが、一つに繋がったような気がしました。
エジプトやアジア等、いわゆる「東」が栄えていたことがよくわかりました。また日本は本当に外乱に巻き込まれることなく国が発展していった幸せな国であることもわかりました。
以下は気になったポイントです。
・歴史を学んで得られること、1)正しい事実がわかる、2)現在の自分の立ち位置がわかる、3)未来に何をすべきか見えてくる、4)他人のウソを見抜けるようになる、5)頭がよくなる(p4)
・日本では最古の土器(1.6-1.8万年前)、最古の磨製石器(3万年以上前)が発見されている(p19)
・エジプトは、それまで1日20時間だったのを、24時間とした。ヒエログリフ(絵・スタンプ)のような象形文字を使用していた(p27)
・ハムラビ法典の「目には目を歯には歯を」とは、同じ身分の者同士の場合は、対等な刑罰まででやめておけ、身分が違う場合はこの限りではない、という意味(p31)
・チャイナの範囲は、黄河・揚子江(長江の下流部分)、そして西の方にある西安の三か所に囲まれる部分、満州・モンゴル・新疆・チベットを足して中国と言い出したのは毛沢東(p36)
・紀元前660年に日本が建国された、歴代天皇の在位年数を足して西暦換算するとそうなる、伝説の部分(p70)
・日本では殺し合いによって人口が減少したのは、弥生時代と南北朝時代のみ、日本には平和な時代が長い(p71)
・共和政ローマは、カルタゴ(ポエニと呼ばれていた)と西地中海の覇権を争って、足掛け118年(3回)戦った、当時は地中海アフリカが先進地域、次が地中海ヨーロッパ(p95)
・カエサルは膨大な借金までして3つのことをした、1)手下を養うための宴会、2)本、3)女性への贈り物(p110)
・ヘブライ王国は、ソロモン王が死去したのちに分裂(前922)してしまう、北部のイスラエル王国と、南部のユダ王国、ユダヤとイスラエルは宿敵である(p124)
・ユダ王国は、新バビロニアがエジプトに勝つと新バビロニアに朝貢し、エジプトが勝つと新バビロニアに反旗を翻す、なので、新バビロニアが派遣した懲罰軍によりイェルサレムの街は破壊され滅亡、属州となり、多くの民が新バビロニアに連れていかれた(バビロン捕囚)(p124)
・アッシリアは最初の世界帝国と言われた、帝国とは異民族を含み、複数の民族が存在する国家である、皇帝が治めるから帝国ではない(p136)
・紀元前612に、アッシリアを滅亡させ、新バビロニア(イラク)・メディア(イラン:高貴なる者という意味)・エジプト・リディア(トルコ)の4つの国に分かれた(p137、145)
・ペルシアの異民族統治方法は、アッシリアや新バビロニアとは異なっていた、軍役・貢納と引き換えに、宗教・風習を容認した。ローマ帝国もこれをお手本にした(p143)
・アケメネス朝ペルシアは、アレキサンダー大王により滅ぼされた後に分裂し、セレウコス朝シリア(後に、パルティア=イランが独立)、プトレマイオス朝エジプト、アンティゴノス朝マケドニア(ギリシア)の3つに分裂した(p146、153)
・遣唐使は四隻で行く、生存率が50%なので(p153)
・イエスが始めた宗派はユダヤ教の改革派である、当時のユダヤ教の二大宗派は、ファリサイ派とサドカイ派であった(p160)
・ハドリアヌス帝は、イングランドとスコットランドの間に「ハドリアヌスの壁」を作ろうとしたが完成しない、石が足りないので、造ってあるところから持ってきては積んでいたから(p183)
・大帝国とは滅びる原因が内部要因であり、外敵からの攻撃によって消耗するのではなく、自ら崩壊していく(p184)
・魏は高句麗とも対立していて、邪馬台国と仲良くしておいたほうが得なので、親魏倭王という称号と金印がもらえた、印鑑をもらえたということは、手下になることを意味した(p197)
・アタナシウス派は、イエスはヨセフの子ではなく、処女マリアから生まれた神、神と精霊とキリストは三位一体であるとするもの、アウリス派は、父である神と子であるイエスは一体ではない、イエスは人間であると考える。コンスタンツ帝の開いたニケーア公会議(325)により、三位一体のアタナシウス派が正統、アリウス派は異端となった(p214)
・キリスト教では、すべての教えは聖書にあるとし、知識・技術をどんどん軽視していった、その結果、下水がだめになり不潔になった(p215)
・ギリシアを征服してもオリンピックは行われていたが、392年にテオドシウス帝がキリスト教をローマ帝国の国教にしてから、異教の神々を祀るので禁止した、古代オリンピックは393年の第293回大会を最後に1200年の幕を下ろした、近代オリンピックとして蘇る1894(開催は1896)まで1500年も待った(p219)
・エフェソスで行われた公会議(431)で、三位一体説がさらに確認され、ネストリウス派が異端となった、ローマ帝国を出て、ササン朝ペルシアから唐に伝わって、景教と呼ばれて奈良時代には日本へも伝わった(p234、243)
・ローマ帝国でキリスト教が国教になってから5つの管区に分けられた、ローマ教会・コンスタンチノープル教会・アレキサンドリア・イェルサレム・アンティオキアである、後の3つはイスラム化したので、ローマ教会とコンスタンチノープル教会で首位権を争った、最終的に、ローマカトリック教会と、東方正教会に分かれて今に至る(p235)
・西ローマ帝国は476年ほろんだ、分裂した中からフランク王国(メロヴィング朝)がのち(800)に建国される(p238)
・昭和天皇が防空壕から出て、新造された吹上御所に移られたのは、昭和36年(終戦16年後)のことである(p252)
・写実画が禁止されていたのは、神の目を人間が持ってしまうことになるので許されなかった(p261)
・隋の煬帝は聖徳太子の国書の内容に激怒したが、翌年、小野妹子が帰国するときに、裴世清(隋の官吏)を返礼の使者として同行させている、これは隋の煬帝が「和国」を対等の国であると認めたことになる(p269)
・ユダヤ教、キリスト教、イスラム教で神の使いである天使は共通している、三大天使とは、ガブリエル(マリアにイエスの降誕を知らせた)・ミカエル・ラファエルである(p276)
・ムハンマドがメッカを離れた日を紀元(622年)とした、メディナに移り、アッラーの言葉を伝えていった(p278)
・イスラム勢力は、ビザンチン帝国から、イェルサレム(638)、シリア(640)、エジプト(642)を奪い、ペルシアからはイラク(637)を奪った、シリア・エジプトは大穀倉地帯でもあったので、ビザンチン帝国はローマ帝国以来続いていた小麦の供給が停止となった(p284)
2017年5月1日作成