あらすじ
柳田国男・渋沢敬三の指導下に、生涯旅する人として、日本各地の民間伝承を克明に調査した著者(一九〇七―八一)が、文字を持つ人々の作る歴史から忘れ去られた日本人の暮しを掘り起し、「民話」を生み出し伝承する共同体の有様を愛情深く描きだす。「土佐源氏」「女の世間」等十三篇からなる宮本民俗学の代表作。 (解説 網野善彦)
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Posted by ブクログ
もともと為政者の歴史より庶民の歴史に興味があるので面白く読めた。宮本常一の最高傑作と言われる本作だが、雑誌掲載のものをまとめた作品だからなせいか、一つの研究成果を起承転結でまとめた研究書ではなく、長年聞き書きしてきたトピックをオムニバス的にまとめたものだったことがわかった。
昭和の初めごろの老人というと幕末明治大正昭和と激動の時代を生きてきた人々。よくぞこの時期に聞き書きをして記録を残してくれたと感謝したい。
私たちが教科書で知っている長州征伐や西南戦争の時の話も田舎ではどう見聞きされていたのかが、よく知ることができた。
また直接慶喜公が大阪から船で江戸へ落ちのびる時の舟渡をした古老の話などもあった。
昔は今より性に関しておおらかで結婚前の夜這いはどの地域でもあり、未婚同士ではない場合もあったようだ。
車が普及する前は物流は主に馬や海川に頼っていたので、職業として博労の仕事に就いている人もおおかったようだ。
職業の変遷も伺える。
旅芸人は旅先で芸さえ披露できれば、宿代や船賃は無料でできたということも初めて知った。
昔は今より気安く世間を知るために旅もしていたらしい。
ともかく、庶民は常に為政者から抑圧され苦しい生活を強いられていたというステレオタイプなイメージが払しょくされた。
また、昭和初年代では60歳をすぎると隠居するのだが、隠居しても暇を持て余すのではなく、村社会での役割があったことを知り、今のシニア層の人の生き方のヒントにもなりそうに思えた。
今なら宮本常一はどんな聞き書きをするのだろうか。
とくに都市での聞き書きに興味があるのだが。
満足度★★★★+0.5
忘れられた日本人 (岩波文庫)
宮本 常一(著)
目次
凡 例
対馬にて
村の寄りあい
名倉談義
子供をさがす
女の世間
土佐源氏
土佐寺川夜話
梶田富五郎翁
私の祖父
世間師 ㈠
世間師 ㈡
文字をもつ伝承者 ㈠
文字をもつ伝承者 ㈡
あとがき
解 説(網野善彦)
注(田村善次郎)
Posted by ブクログ
100分で名著で取り上げられていたので読んでみた。
柳田國男の遠野物語を少し読んだことがあった。番組で解説していた、柳田のそのような視点とは違い、人々の日々の生活がどのように営まれていたかに着目した、という点が、わたしにとっては親しみやすく面白かった。
序盤の方でこの本で語られていることへの興味がぐっと大きくなった一文がある。
「ラジオも新聞もなく土曜も日曜もない、芝居も映画も見ることのない生活がここにはまだあるのだ」(p.27)
正確な年はわからないけど、100年ほど前の日本の端っこには、こんな生活が残っていたんだと、著者が出会った人々のことを知って驚いた。
朝起きて畑仕事をして、ご飯を食べて暗くなったら布団に入る…目の前のことを繰り返し繰り返しやっていく、それが当たり前の生活が、一世紀前にはあったんだ…と思うと、今の日本の生活の方が、日本の人々の生活を大きな視点で見たとき、異常だと言えてしまうんじゃないかって考えた。
他にも印象に残った文章がある。
いなくなった村の子供を村人みんなで探す話で、不思議なことに村人が探しいく場所は、子供の行きそうな場所を的確に分担していて、それは示し合わせたわけではないという…
「ということは村の人たちが、子供の家の事情やその暮らし方をすっかり知り尽くしているということであろう。もう村落共同体的なものはすっかりこわれ去ったと思っていた。それほど近代化し、選挙の時は親子夫婦の間でも票のわれるようなおころであるが、そういうところにも目に見えぬ村の意志のようなものが動いていて、だれに命令せられると言うことでなしに、ひとりひとりの行動におのずから統一ができているようである」(p.103)
昔は町全体で子供を育てていたと話には聞いていたけど、こうやって本当にあったことを読むと、よりイメージが湧いてくる。
あとは「私の祖父」から、番組でも紹介されていたところ。
「市五郎はいつも朝四時にはおきた。それから山へいって一仕事してかえって来て朝飯をたべる。朝飯といってもお粥である。それから田畑の仕事に出かける。昼まではみっちり働いて、昼食がすむと、夏ならば三時まで昼寝をは、コビルマをたべてまた田畑に出かける。そしてくらくなるまで働く。雨の日は藁仕事をし、夜もまたしばらくは夜なべをした。祭りの日も午前中は働いた。その上時間があれば日雇稼に出た。明治の初には一日働いて八銭しかもうからなかったという。
仕事をおえると、神様、仏様を拝んでねた。とにかくよくつづくものだと思われるほど働いたのである。
しかしそういう生活に不平も持たず疑問も持たず、一日一日を無事にすごされることを感謝していた。市五郎のたのしみは仕事をしているときに歌をうたうことであった」(p199-198)