あらすじ
柳田国男・渋沢敬三の指導下に、生涯旅する人として、日本各地の民間伝承を克明に調査した著者(一九〇七―八一)が、文字を持つ人々の作る歴史から忘れ去られた日本人の暮しを掘り起し、「民話」を生み出し伝承する共同体の有様を愛情深く描きだす。「土佐源氏」「女の世間」等十三篇からなる宮本民俗学の代表作。 (解説 網野善彦)
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336P
宮本常一誕生日同じ
宮本常一の忘れられた日本人の命懸けでキンタマのデカさを自慢してくるタヌキが出てくる所好き。面白すぎる。
宮本常一の忘れられた日本人の良さは、性を奔放に楽しむ日本人の野蛮な描写は"美しい日本"のメッキが剥がれるから、現代の"似非保守"にも都合が悪いし、"女性は性搾取にされていた"ということにしたい"偽善的左翼"にも都合が悪い所だと思う。
宮本 常一
1907年、山口県周防大島生まれ。大阪府立天王寺師範学校専攻科地理学専攻卒業。民俗学者。日本観光文化研究所所長、武蔵野美術大学教授、日本常民文化研究所理事などを務める。1981年没。同年勲三等瑞宝章
柳田国男・渋沢敬三の指導下に、生涯旅する人として、日本各地の民間伝承を克明に調査した著者(一九〇七―八一)が、文字を持つ人々の作る歴史から忘れ去られた日本人の暮しを掘り起し、「民話」を生み出し伝承する共同体の有様を愛情深く描きだす。「土佐源氏」「女の世間」等十三篇からなる宮本民俗学の代表作。 (解説 網野善彦)
「蚕を飼うようになるまで、このあたりで金になるものは、藍と茶と煙草と馬くらいであった。馬はたくさん飼うておりました。名倉馬というて、どこの家にも二頭や三頭はいた。十頭もいた家があります。田口から津具へぬけて信州へはいる伊奈街道も、稲武から根羽を通って信州へはいる飯田街道も、中馬*がたくさん通っていまして、その馬を名倉から出したもんであります。それで馬を家の中で飼うものだから昔から家が大きい。 藍もよいのができまして、それを筵に入れて海老まで持っていきました。買いに来るものもあった。買いに来るのは田口の谷五郎という紺屋でありました。稲橋にも紺屋があってそこからも買いに来ました。田口の紺屋は糸をそめるだけであったが、稲橋の紺屋は下の方から腕ききの職人をやとうて来て、糸ばかりでなく、しるしや模様もそめておりました。 煙草もよいのができました。山中でできたものはやにがすくなくて喜ばれたもので、これは吉田(豊橋)から買いに来ました。」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
「働く働くと申しましても、ただ牛や馬のように働くのはだめで 。 この村ではみな仲よく働きましたが、もとはただ働くだけのことでありました。どういうものか、この村にはオイコ(背負子)のある家は私の家のほかに二、三軒しかありませんでした。オイコをもたずに百姓するのはおかしいようだが、百姓家には大工道具というものがない。金といえば鍋釜に 丁、鍬、鎌くらいのもの、鋸や鉋やのみをもっている者はありません。その上近くに大工がなければオイコをつくってもらうこともできません。それである者のところへかりにいく。私の家にはオイコが二十近くもある。ところが、こわれたらこわれたままでかえす。こちらもたまったもんでありません。そこで私の親父が、「オイコを借るのもいい加減にせえ、自分の家でつくったらよかろうに、大工をたのまなくても、自分で工夫すればいい」と文句言いましたら、それですっかり村中がつくりましたなァ。そういうもんでありましょう。ところが一軒一軒でオイコを持つと、みなよく働くようになりましたなァ。」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
「そうでないものでも、本人同士が心安うなるのが多くて、親は大ていあとから承諾したものであります。はァ、申すまでもなく、よばいは盛んでありました。気に入る娘のあるところまではさがしにいって通うたものであります。しかしなァ、みながみなそうしたものではありません。一人一人にそれぞれの性質があり、また精のつよい者もあれば弱いものもある。精のつよいものはどうしても一人ではがまんができんという者もあります。あっちの娘のところへ通うた、こっちの娘のところへ通うたというのがあります。しかし、みな十六、七になると嫁に行きますから、娘がそうたくさんの男を知るわけではありません。よばいを知らずに嫁にいく娘も半分はおりましたろう。若い者がよけいにかようのは、行きおくれたものか、出戻りの娘の家が多かったのであります。はいはい、よばいで夫婦になるものは女が年上であることが多うありました。それはそれでまた円満にいったものであります。はい、男がしのんでいっても親はしらん顔をしておりました。あんまり仲ようしていると、親はせきばらい位はしました。昼間は相手の親とも知りあうた仲でありますから、そうそう無茶なこともしません。」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
「共同体の制度的なまた機能的な分析はこの近頃いろいろなされているが、それが実際にどのように生きているか。ここに小さなスケッチをはさんでおこう。これは周防大島の小さい農村が舞台である。」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
「 「昔、嫁にいった娘がなくなく戻ったんといの」「へえ?」「親がわりゃァなして戻って来たんかって、きいたら、婿が夜になると大きな錐を下腹へもみ込うでいとうてたまらんけえ戻ったって言ったげな」「へえ」「お前は馬鹿じゃのう、痛かったらなして唾をつけんか、怪我をしたら「親の唾、親の唾」って疵口へつばをつけるとつい痛みがとまるじゃないか。それぐらいの事ァ知っちょろうがって言うたんといの」「あんたはどうじゃったの」「わしらよばいど(夜 奴)に鉢を割られてしもうて 」 「今どうじゃろうか。昔は何ちうじゃないの、はじめての晩には柿の木の話をしたちう事じゃが 」 「どがいな話じゃろうか」「婿がのう、うちの背戸に大きな柿の木があって、ええ実がなっちょるが、のぼってもよかろうかって嫁に言うげな、嫁がのぼりんされちうと、婿がのって実をもいでもえかろうかちうと、嫁がもぎんされって、それでしたもんじゃそうな 」」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
「このような話は戦前も戦後もかわりなくはなされている。性の話が禁断であった時代にも農民のとくに女たちの世界ではこのような話もごく自然にはなされていた。そしてそれは田植ばかりでなく、その外の女たちだけの作業の間にもしきりにはなされる。近頃はミカンの選果場がそのよい話の場になっている。全く機智があふれており、それがまた仕事をはかどらせるようである。 無論、性の話がここまで来るには長い歴史があった。そしてこうした話を通して男への批判力を獲得したのである。エロ話の上手な女の多くが愛夫家であるのもおもしろい。女たちのエロばなしの明るい世界は女たちが幸福である事を意味している。したがって女たちのすべてのエロ話がこのようにあるというのではない。 女たちのはなしをきいていてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思うのである。」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
「どうも助平話ばかりじゃあいそがないのう。しかしわしは女と牛のことよりほかには何にも知らん。ばくろうちもんは、袂付をきて、にぎりきんたま(握り睾丸)で、ちょいと見れば旦那衆のようじゃが、世間では一人まえに見てくれなんだ。人をだましてもうけるものじゃから、うそをつくことをすべてばくろう口というて、世間は信用もせんし、小馬鹿にしておった。それでも、そのばくろうにだまされては牛のかえことをしておった。わるい、しようもない牛を追うていって、「この牛はええ牛じゃ」いうておいて来る。そうしてものの半年もたっていって見ると、百姓というものはそのわるい牛をちゃんとええ牛にしておる。そりゃええ百姓ちうもんは神さまのようなもんで、石ころでも自分の力で金にかえよる。そういう者から見れば、わしら人間のかすじゃ。ただ人のものをだまってとらんのが、とりえじゃった。」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
「なさる。「なめますで、なめますで、牛どうしでもなめますで。すきな女のお尻ならわたしでもなめますで」いうたら、おかたさまはまっかになってあんた向こうをむきなさった。わしはいいすぎたと思うて、牡牛を牝牛のところへつれていきました。すると牛は大きなのを立てて、牝牛の尻へのっていきよる。わしゃもうかけるほうに一生けんめいで、おかたさまのほうへ気をとられることはなかったがのう、牛のをすませて、おかたさまのほうを見たら、ジイッと見ていなさる。牡牛はすましたあと牝牛の尻をなめるので、「それ見なされ 」 というと「牛のほうが愛情が深いのか知ら」といいなさった。わしはなァその時はっと気がついた。「この方はあんまりしあわせではないのだなァ」とのう。「おかたさま、おかたさま、人間もかわりありませんで。わしなら、いくらでもおかたさまの 」。 おかたさまは何もいわだった。わしの手をしっかりにぎりなさって、目へいっぱい涙をためてのう。」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
宮本常一『忘れられた日本人』。面白かった!主に昭和前半、地方に住む老いた男性の聞き書きで構成されている。東北地方と西南地方の文化の違い、識字の有無による語りの切り口の違い等、興味が尽きない。女性も伸び伸びと生きる知恵を持っており、文字通り今の私たちの忘れていることを教えてくれる。
宮本常一『忘れられた日本人』143ページまで。面白い!昭和二、三十年代の地方を徒歩で巡り、古い証文などを写し取り、老人たちから昔話を聞いて記録している。百姓が美声の持ち主だったり、村娘が洗練された踊り手だったり、嬉しい予想外の文化の豊かさ。#読書中
宮本常一『忘れられた日本人』179ページまで。地方に住む老人たちの聞き書きがとても興味深い。著者は優れた聞き上手なのだろう。昭和二十年代、明治の記憶が残る人々の語る土地の歴史と人生。今は都市部に住む私が正に忘れていた生き方。#読書中
『忘れられた日本人』
宮本常一
西日本の辺境、下層社会に生きる人々や老人の伝承を描く。北と風習は似てるが違いは貧しくとも自由で生き生きしているところ。土佐寺川シライ谷のシライとはシレエ(彼岸花)のこと。飢饉の時これを餅にして食べたらしい。動物も食べないほどまずいらしいが食べてみたい
忘れられた日本人
¥990 税込
宮本常一/岩波書店
文庫 336ページ
昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907‐81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描く。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作。
bokenbooks.com/items/60441437
宮本常一なんかを読む限りでは、昔の日本人って避妊方法もないままやりまくってる。
ヤリチンとヤリマン以前、貞操観念のない動物みたいな人が多い印象なんだけど、左翼にも右翼にも都合が悪いらしく、そういう「忘れられた日本人」には誰も触れないよね。
そんなに性欲自体が変わるのかなあ。
「人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ」(『民俗学の旅』)
宮本一が父から授けられた「世間」を歩く際の心構え「十か条」の第十条
100分de名著
畑中章宏『宮本常一忘れられた日本人』
より
「 「おれのはどうだ」見ると、岩の上に腰をおろして前をひろげていますが、すごく大きいキンタマがだらりと下がっています。 「大きいのう」と言って、いきなり腰の脇差で、そのキンタマを切りつけました。するとキャッという声がして、そこには大きな古狸が死の苦悶をはじめていました。 こういう話はこの山中にはよくありました。百姓たちは谷の奥などで木を伐って焼畑をつくることがありました。そういう時、風もないのにすごいような風の音を聞いたり、また木の倒れる音をきくことがありました。これはこの土地から近い石 山の天狗や、黒森の天狗のしわざだと村の人々は信じていました。この付近には天狗のいる山は比較的多かったのだそうです。それが今ではどうも人臭くなったと言って天竺の方へとんで行ってしまったと申します。」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
「対馬ちうところは朝鮮へちかい。それで日本人が内緒でよく朝鮮へ人参を買いにいったものじゃちう。朝鮮人参ちうのはよくききもしたが、大そうな値のするもんで、手のひらいっぱいでも何両という値うちがあった。日本にはどうしてもでけんもんじゃから、内緒で買いにいったのよのう。それには銭屋五兵衛ちうのが大将で、加賀の銭屋か銭屋の加賀かちうて、加賀一番の大金持で、また大けな回船問屋じゃった。この人は対馬まで来るときは、日本の着物を着、日本の帆をまいてはしっておるが、対馬をすぎると、朝鮮の帆をまいて、朝鮮の着物を着て、朝鮮人になりすまして朝鮮へわたったちうことじゃ。銭屋はまァええとして、銭屋のまねをするもんが数知れんほどいって、対馬の役人の目をかすめては朝鮮へいく。どうにも手に負えるもんじゃなかった。」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
「祖父が死んでから盆踊りがみだれはじめた。あたらしいものにきりかえようとしたこともあったがうまくいかなかった。その豊富な昔話も私は十分にうけつがなかった。世間話はあまり持たぬ人だったが、その生涯がそのまま民話といっていいような人であった。」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
「 その頃まで芸人たちは船賃はただであった。そのかわり船の中で芸を見せなければならなかった。昔は遊芸の徒の放浪は実に多かった。それは船がすべてただ乗りできた上に、木賃宿もたいていはただでとめたからである。だからいたって気らくであって、いわゆる食いつめる事はなかったし、また多少の遊芸の心得があれば、食いつめたら芸人になればよかった。だから「芸は身を助ける」と言われた。芸さえ知っておれば飢える事もおいてけぼりにされる事もなかった。台湾へわたる船の中でも、そうした芸人たちが歌ったりおどったり手妻(手品)をして見せてくれるので退屈どころか、いつキールンへついたかわからぬほどだった。」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
「翁も十五になったとき、この一夜ぼぼへいって初めて女とねた。それから後もずうっとこの日は出かけていったが、明治の終頃には止んでしまった。 ところが明治元年には、それがいつでも誰とでもねてよいというので、昼間でも家の中でも山の中でもすきな女とねることがはやった。それまで、結婚していない男女なら、よばいにいくことはあったが、亭主のある女とねることはなかった。そういう制限もなくなった。みなええ世の中じゃといってあそんでいたら、今度はそういうことをしてはならんと、警察がやかましく言うようになった。」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
「その夏、隠岐島に国語教壇の講習会*があって、それに出席するため出かけた。そのまえに隠岐へは一度わたった事があり、その時十分見なかった牧畑などもできるだけこまかに見て来たいと思った。この旅で私は森脇太一氏に初めて うた。森脇さんもこの講習へ出かけた人であるが、おそろしくエネルギッシュな人で、もうその頃一〇〇〇ページをこえる大きな『邑智郡誌』という書物を出しておられた。森脇さんという人は学歴から言えば小学校を出ただけだったが勉強ずきで、独学で小学校の先生の検定試験に合格して小学校の先生になった人である。後に森脇という商家へ養子に行かれたが、根っからの百姓っ子で、百姓しながら先生をしていた。質素で勤勉で自分の力の出しおしみをしない人で、その上旺盛な知識欲をもっており、自分はまともな勉強をした事がないのだから、何とかしてよい先生について本当に生きた知識を得たいと思い、しかもその知識が自分にもまた子供たちにも役に立つものであるためには講習会などへいくよりは、先生に来てもらって直接指導をうけるのがよいと考え、家で百姓をして食う方は憂いのないものにし、月給をためて、それで島根師範から一人ずつ先生をまねいて、そのおともをして邑智郡内をあるきまわって実地について指導をうけたという。地理、歴史、動物、植物などあらゆるものにわたって郡内の自然人文現象を見、その見方を教えてもらい、かつ丹念に記録したのである。その費用はすべてためた金でまかなった。そしてその原稿が何千枚というほどになり、それをまた自分でためた金をもとにして、教育会などから若干の補助金をもらって出版したのが『邑智郡誌』で、森脇さんの二十歳から三十歳までの間の仕事であった。」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
「 「田中氏は既に七十歳を超える老人であるが、余裕綽々意気尚壮者を凌ぐ慨があり、談一度郷土の事柄に及べば談論風発一つとして知らざる事なく、夜を徹して語り、その博学と熱情とは訪ねるものをして驚嘆せしめずにはおかない。所謂地方の「生字引」として尊重される所以はここにあるのである。斯様にして「生字引」たらしめるのには理由がある。氏の「永久保存物目録」の序に「書き残す繰言」という題目の下に次の様な事が書いてある。「自分は幼少の時から何でも物を保存するという癖がある。そして学生時代から歴史的なものが好きである。(中略)今僕は若い時に書いたもの等出して見ても何の役にも立つものでもない。だがこれを歴史的に見ると、あの時はこんな事があった。僕が何歳の時にはどんな状態であった等という様な事を見るには矢張参考になる事がある。(中略)何の役にも立たない様なものでも歴史的に見れば、古くなる程面白味が出来てくるであろう」というのである。」」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
「これは田舎にいて文字を解し、しかも百姓をしている老人に見られる共通した一つのタイプではなかろうか。地方をあるいていてこういう老人に う事は多い。その人たちは多くその故里を 愛している。しかし決して郷土自慢をしているのではない。酸いも甘いもかみわけた上で愛しているのである。」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
「高木さんの家を出るとき、高木さんは白米一升を袋に入れて、「一升くらいなら闇米としてとりあげられることもありますまい。これを持っておいでなさい。食うもののないところでは、これをたいてもらえばよい。なくなったら、また米のありそうな仲間のところへ泊りなさい」と言って下さった。 私は丘をこえて和田さんの家へいき、そこでお世話になって長友付近の調査をした。その夜であった。座敷で和田さんとはなしていると、「宮本さんいるか」と、土間の方から声をかけた人がある。高木さんの声である。台所の方へ出てみると、上りはなに腰をおろして高木さんはニコニコしている。」
—『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著
Posted by ブクログ
江戸後期〜明治〜大正〜昭和初期のころの日本の原風景を切り取ってきたような書籍です。田舎の村々での百姓の暮らしぶりが、とてもよくわかります。百姓の日常や村人たちの当時の暮らしっぷりを知ることができます。今より、性に対してゆるい社会で村の中で夜這いも日常的にあったようです。あとは、動物たちとの関わり方が、私はとても興味を持ちました。ミミズにションベンをかけてはいけない、こととか、可愛がっていた犬が山で迷っていた時に助けてくれたり、亀との逸話や狼との対話など当時の人々の考え方と、動物との関わり方がおもしろく感じました。八百万の神を感じながら自然とお付き合いしていた様子が伺えます。貧しいながらも懸命に暮らしていたこともわかります。今の豊かな暮らしに感謝しつつ、そう遠くない時代に生きた人々の息遣いを感じることができました。
Posted by ブクログ
明治から戦後すぐのあたりまでの、農村の生活や庶民の暮らしぶりを伝える名著です。
舞台が四国、山陰、東北などということもあって、暮らしは質素で貧しい。
その中にあっても、素朴にして明るく、そしてたくましく生きてきた庶民の生活や営みが生き生きと描かれています。
当時の日本の地方部って、ある意味では民話の世界だったんだな。
興味をそそられたのは、夜這いや性にまつわる話が頻繁に出てくること。
性に宗教的タブーのなかった日本ならではの現象かもしれませんが、老人が昔の思い出として夜這いのことを語るさまや、農作業での女性の明るいエロ話など、性に対する疚しさは感じられず、むしろカラッとした解放感が見られるのが面白かったです。
タイトルは「忘れられた日本人」ですが、むしろ今の日本人が忘れているものは、本書で随所に見られる明るさやたくましさなのかもしれません。
匿名
何気なく読んでみた本であるが、非常に興味深い内容で、すぐに読み終えてしまった。現代の都会に住んでいると、決して知ることのない村の生活について知れて、視野が広がったように感じる。
Posted by ブクログ
大変面白く、そして貴重な本だと思う。
山あい、海っぺり、日本各地にあった貧しい集落で精一杯生きてきた民の記録。やれることに限りがある中で、日々の楽しみを見出し、やるべきことをやってきた人生。現代人にはなかなかないワイルドなエネルギーがぎっしり詰まった、まさに「忘れられた日本人」がいる。
何度か挫折した本だったが、10数年ぶりに手に取ったらスルスル読めた。どういう事かはわからないが、これが「機が熟す」ということなんだろうか。
Posted by ブクログ
日本の歴史のある時期のなかなか語られない部分が知れて面白かった。
未だに名残が残っていること、消えていったこと、自分の時代もこうして変わっていくのだろうなあ。この辺りの時代の小説を読むときにも想像の手助けにもなりそう。
Posted by ブクログ
記憶に残るようなニュース性のある大きな出来事だけが歴史ではない。そこで語られない大衆の生活も歴史の基本であり、それを研究するのが民俗学であり民俗史である。という事で、歴史関係の書籍から零れ落ちそうな真の日本人、忘れられた大衆に目を向けるのが本書、という内容で抜群に面白い。
ただ、非常にエロい。そうか日本人は性に開放的だったのかという事で、これは間違いでは無さそうだが、少し実体験に沿って考えてみる。
とある仕事の関係で、業界の会合の話を聞いた。そこは、同業他社が集結するため、いわゆる公正な取引に反しないよう「話してはいけない事」というルールが存在する。そうするとマーケットの話などは軽々しくできないので、自ずと仕事の話がしにくくなって、政治、芸能、スポーツなどの共通の話題を探さざるを得ない。しかし、いずれも好みがあるもので、贔屓のチームや政党と異なるリスクもあって、発言を慎重に選ぶ必要がある。そこで行き着くのが「猥談」なのだという。割と古い業界の会合では男性が多いので、共通の話題としてシモの方向に流れやすいのだ(それでも駄目だと思うが)。
つまり、同一化されぬ部外者への伝承に際しては、そのサービス精神からも話題として「猥談」が選ばれやすいという背景はないのだろうか、という話だ。祭事、習俗、農作業なども含めた文化が日常生活に占める割合は大きいが堅苦しい。だからと言って、何か客人が喜びそうな話と言っても、これといってない。同根のことかと思うが、結局、集団が同質化していく過程でのシモネタと、部外者への伝承過程において選ばれるシモネタは、いずれもある種の娯楽性とサービス性において選択されがちなものである。という事で、民俗学はエロ本化していく・・(個人的見解)。
イザベラバードの『日本紀行』のように、そうしたシモネタが排除されて習俗が伝わる書籍もある事を考えれば、やはりある種の偏りが生じる事は仕方ないのかもしれないし、しかし、その偏りこそが面白いのかもしれない。
一応、私が一番面白いと感じたのはこうしたシモネタの部分もそうだが、「寄りあい」(まじめなやつ)の話だったという事は書き残しておきたい。
Posted by ブクログ
農業など前近代的な社会を私たちは下に見てしまう傾向があるように思えた。しかしその社会には知恵と工夫が張り巡らされていて、人々の繋がりも深い。
わたしも農業やりたい!この時代に生きてみたい!と思えるような本だった。
Posted by ブクログ
老人達の語りが印象的だった。自分でも、年長の人の言葉に耳を傾けようと思った。
当時の人々の感覚(の気配)が感じられた気がする。
当時の人々の感覚は、現代の我々の感覚とは隔絶している。この本がなければ知ることもなかっただろう。
肌触りのある本だった。旅に出たくなる。
Posted by ブクログ
とても興味深く読んだ。しばらく前に100分de名著で放送されており、その際に面白そうと思って購入していたが、読めずにいた。今回、機が熟して読んでみたが、想像以上、期待以上に面白みを感じた。
東日本で育ち、東日本を出たことのない身としては、違和感があったがそれも、東と西では違う、とのことで納得。伝承者、というにはあまりにおおらかな土地の人々の話は、つい笑顔になってしまうような話が多くあった。
油を売る、という言葉が当時当たり前だったけど、それを文字で説明することの意義。そんなところで、ふと、子供の頃、トマトに砂糖をかけて食べる、ということを職場で話した際の皆の反応が面白かったことを思い出した。私にでさえ、既に記憶の中だけの風習、習慣ってあるものだ。それを学問にするかどうかは別として、私たちと同じように一生懸命に生きて亡くなっていった人々がいて、今の私たちが存在するのだと当たり前のことだけども、感じた。
文字を知る人と知らない人とでは話し方、考え方が違うということも興味深かった。もはや、日本に住む私たちは文字を知らない人と話す機会はほぼない。ということは、文字を知らない人たちの思考も知らぬままに生きていくのだ。それは誇りでもあるし、私自身が書くこと、読むことで人生を豊かにしていることを考えると複雑な気持ちになるのだが、多様性といいつつも、つまらぬ時代だなと思う。
民俗学というと、柳田國男のイメージでほんわかとしていたが、もっと知りたいと思うようになったし、時代を書き記すことの意義を強く感じられた。
Posted by ブクログ
読んだと思い込んでたけど読んでなかったっぽい。
NHKの100分de名著はよいまとめ方だったんだなぁと改めて思ったけど、常一のお父さんが常一に伝えた旅をするときの注意点は別の本からの引用だったんだな。あれ、ちゃんと読み直したい。
それにしても、文字を知らない民は人を信じるしかなかったとか、歌で覚え伝えたとか、オングを思い起こさせられる。常一のおじいちゃんが動物や虫をいじめちゃいけないよ、と諭すありかたなど、愛おしくグッとくる。また、己の日々の生き方を考えさせられてしまうな。
村落自治に民主主義の祖型あり
司馬遼太郎「私の三冊」の一冊。主に江戸期から昭和30年頃までの西日本における村の暮らしを当事者インタビューで描く📝昔の村落の運営は、直接民主主義に基づき、皆対等な立場で様々な知識を持ち寄って熟議を凝らし、意見対立による禍根を未然に防いでいた。これは民主主義の本来のあり方を示唆する。令和の民主主義は、論破至上主義とSNS上の罵倒の連鎖から、著しい断絶を生んでいるが、民主主義自体を憂うのではなく、その劣化を憂わななければなるまい📝それにしても「土佐源氏」の後家ハンターぶりは凄い。男は女に対して、例え体目当てでも、心から寄り添って、存分に甘えさせれば、そこに偽りの愛ではなく真実の愛が生まれるようだ📝
Posted by ブクログ
知ってるようで知らない日本
でもなんだかこの雰囲気
身体が感覚として
覚えているような気がする
現代の価値基準からいくと
猥雑だったりプライバシーの事で
「昔は良かった」なんて
100%言えないけれど
「生き物」として考えた時
現代よりも過去の生き方の方が
現代の価値基準より
圧倒的に強いなぁと思う
hennbooksにて購入
Posted by ブクログ
エッセイであり、オーラルヒストリーであり、記録された伝承であり、当事者の記憶である本書には様々な視点があり、著者の多様な問題意識があるように思われる。一つの視点を持って本書に向き合うのはもったいないことである。
Posted by ブクログ
ずっと積読になっていた本。無名な老人のライフストーリーを伝えた本。全ては読まなかったが、「土佐源氏」という盲目のおじいさんの話がとても独特。これが現実生きてきた生身の人間の話なのだと分かると、「家ついてっていいですか」を聞いているような気持ちになり、人間こそ歴史なのだなということを、ありありと感じた。日本中を歩き回りこうした方々に、こんなに詳細なインタビューをしてきた宮本常一さんに感謝しかない。
Posted by ブクログ
歴史上の主要人物や戦時中の様子は歴史の教科書で知ることができるが、一般市民はどのような生活していたのかずーっと気になっていた。
一番興味を惹かれたのは民謡に関する事柄。夜、峠を越える際に民謡を歌いながら歩くことですれ違う人や生き物を判別したり、田植えをしながら歌を歌ったり。民謡に描かれた生活や土地の特徴について純粋にもっと知りたいなと思った。言葉に縁がある人、縁が薄い人との対比も興味深かったな。
生活を描いた内容だから良い出来事も悪い出来事も淡々と書かれており、私情を入れずにただひたすらに知る行為が民俗学というか学問のあり方なんだろうなと思った。
この本を書かれたのは1950年代で、発刊されたのは1984年。その時に「忘れられた日本人」と名付けて、今はどうだろう。私が受け継いでいる伝承もきっとあるはずで、言葉を持つ者として受け継いだ伝承は記録せねばな...と思ったりした。
Posted by ブクログ
昭和20年頃までの話を作者が60年頃にまとめている。出征する人を峠まで見送ると終わりどきがわからないので、峠の手前で分かれるようになったという話は実に面白い。演出と合理が田舎の生活に溶けこまれている。
百年もしないうちに、日本人の価値観はこんなに変わるのかと興味深い。
Posted by ブクログ
面白く読んだ。
宮崎駿がこの本を読んでいなかった鈴木敏夫に「教養が無い」と言ったそう。
この本を読んで今の日本人は確かに昔の日本人を忘れていると思った。
核家族化が進み親から子に継承することがなくなってきた。資本主義のもとに大事な価値観も大きく変わってきた。もう50年も経てば戦前の人からみれば想像できない日本人となっているだろう。その時大事な事を失っていない事を願うばかりです。今でも何か失いつつあるのではないかという脅迫観念に陥ることが時々あります。
大部分の人はそうは思っていないのだろうが。
Posted by ブクログ
小学5年の初夏のことであった
おちんちんがとんでもなく腫れたのである
もうぱんぱんである
痛いし、痒いしでとてもじゃないが学校にも行けないということで2,3日休んで家で寝ていると当時一緒に住んでいた祖父が来て一体どうしたのかと聞いてきた
そこで実はこういう訳で学校も休んでいると答えると「お前どこぞで立小便をしてきたな」と言うのである
確かに立小便をしたと返すと「みみずに小便をかけるとちんちんが腫れるのだ」と言うのである
みみずの怒りを買ったのだと
しかし、みみずを見つけて、水できれいに洗ってやればみみずの怒りは収まり腫れはひくと続けるのである
そんな馬鹿なことがあるものかと思ったが、祖父が「年寄りの言うことは聞くものだ。大した手間ではないのだから騙されたと思ってやってみろ」と言うので、みみずを見つけて洗ってみると次の日の朝にはきれいに腫れがひいて元の粗ちんに戻っていたのである
不思議なことがあるものだ
本書の中でもこのみみずの話が出てくるが、日本各地でこのような伝承は残っているようである
って、誰が粗ちんやねん!( ゚д゚ )クワッ!!
*ちんなみに本書『忘れられた日本ちん』はクマちんにおすすめ頂いた
たいへんおもちんろかったです
ありがとうクマちん
Posted by ブクログ
民俗学者、宮本常一の代表作。主に宮本常一が戦後、聞き取り調査を行った農村の古老たちの話をまとめたもの+α。
語られている内容は明治から昭和にかけての農村に暮らす市井の人々の日々の営みの中でも個人史や世間話のようなもの。いずれも面白いが読んだ印象は民俗学の本というよりは、もっと文学的な読み物といったほうが近い。有名な橋の下で乞食として暮らす元馬喰の色懺悔とでもいうべき「土佐源氏」は現在では宮本常一の創作であったとする説が有力であるようだが、それはそうかもなという感じ。
村の意思決定機関である寄り合いの実態や、世間師といわれる村と外部をつなぐ共同体の異端的な存在の話や、女達のエロ話や娘の家出の話、ハンセン病患者が人目を避けて旅する山間の道や、芸人は芸を見せれば船代が只とか興味深いエピソードは数知れないが、一番気に入ったのは、長州征伐の際、負けて逃走中の侍に道で出会った農夫が自分の睾丸を触ったら垂れていたので、それなら相手に負けるものではない」と確信したという話。いざというとき自分の金玉の具合を確認するというのは山口あたりでは一般的な話だったんだろうか?
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何度も読み直したくなる一流のドキュメンタリー
前半は文字を読み書きできない老人たちを語り部とした、村における風俗史といっても差し支えない内容。口語調であるが故に容易に情景が浮かび上がります。中盤は氏の祖父の歴史、世間師、大工といった村と外部をつないだ人々の話から、いかに外部と交流することで変化していったか、が描かれる。
終盤は村におけるインテリ農民による記録から村の隆盛の過程を紐解いていく。。
それぞれが非常に面白く、想像力が掻き立てられます。
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石鎚山は天狗の巣で、その天狗が時々山をわたりあるく事があった。風もないのに木々の梢が大風の吹いているようにざわめくのである。また夜半に山がさけるような大きな音がしたり、木のたおれりするがあった。これを天狗の倒し木と言った。さて夜が明けて見ると何のこともないのである。
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江戸末期から昭和初期くらいのかつての日本人の暮らしが書かれている。寄り合い、村の意思決定、女性の役割、娯楽としての歌や踊りや性など、そもそも人の暮らしとはこうだろうなと思えて、視野が広がった感じ。あるがままに生きることが良いことだと感じる。
記録するのは未来のため
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「私の祖父」や「文字をもつ伝承者(1)」などお気に入りの話があったが極め付けはみんな大好き「土佐源氏」。土佐源氏の猥談?色懺悔?はなんとも味わい深い。土佐源氏こそ後世に遺されるべき逸話だと思った。
それぞれの語り手の人となりは面白く、その考え方には感心させられる。
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-こうした貧農の家の日常茶飯事についてかかれた書物というものはほとんどなくて、やっと近頃になって「物いわぬ農民」や「民話を生む人々」のような書物がではじめたにすぎないが、いままで農村について書かれたものは、上層部の現象や下層の中の特異例に関するものが多かった。そして読む方の側は初めから矛盾や悲壮感がでていないと承知しなかったものである(「私の祖父」)
-村里生活者は個性的でなかったというけれども、今日のように口では論理的に自我を云々しつつ、私生活や私行の上ではむしろ類型的なものがつよく見られるのに比して、行動的にはむしろ強烈なものをもった人が年寄りたちの中に多い。これを今日の人々は頑固だと言って片付けている。(「世間師(一)」)
-文字を持つ人々は、文字を通じて外部からの刺戟にきわめて敏感であった。そして村人として生きつつ、外の世界がたえず気になり、またその歯車に自己の生活をあわせていこうとする気持がつよかった。(「文字をもつ伝承者(一)」)
宮本常一の民俗学の金字塔といわれる著書。
巻末の網野善彦氏の解説によると、宮本氏は、客観的なデータを整理・分析する従来の民族誌よりも、「生きた生活」をとらえることを目指したということで、分析的な記述よりも、地方村落のお年寄から聞いたことやフィールドワークの体験がそのまま記録されている。
太平洋戦争直後の昭和20〜30年代に調査は実施された。
東京の文壇ではちょうど同じ頃に小林秀雄が『ゴッホへの手紙』を書いたが、その当時の地方村落は、まだ中世のような生活だった。
地方の村落と言うのは、文明では都市部から100年近く遅れているようで、素朴なやり取りに、ほっこりと里山の空気を感じる。
動物や虫を支配するのではなく共に生き、性愛に風流を感じ、目に見えない神を尊ぶ、などが日本の特徴だろう。
西洋文明では、人は自然を支配し、純潔を重んじ、一神教、となる。
現代の日本が西洋と同じとは勿論言わないが、昔に比べてその傾向に近づいていることは間違いない。
科学技術や目に見える文化だけでなく、人間の頭の中もそのように変わるものだと改めて知った。
『源氏物語』の風流は、庶民にも存在したのかもしれない。
印象的だったのは、対馬である老人を訪ねた際のやりとりだ。
老人「あんたァどこじゃね」
宮本「東京の方のもんじゃがね…」
老人「へえ!天子様のおらしゃるところか。天子さまもこんどはむごいことになりなさったのう」
太平洋戦争敗戦について天皇を気遣う言葉だが、あっさりとどこか他人事のようで、自分が所属する国が他国との戦争に負けた、という実感は感じられない。
そもそも、「国家」というものが機能や組織として意識されていない。
都市部の戦争体験と言えば、空襲を受け、日の丸を掲げ、プロパガンダ新聞を読んで他国への憎悪を燃やす、と悲壮な画が浮かぶが、
それに比べて、「天皇かわいそうだったねー」というこの遠めの距離感。
国家や政府によって作られた物語に煽られず流されない、都市住民にはない素朴な人間の聡明さを感じた。
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一昔前の日本の村の生活や風習を記録した書籍。少し慣れるのに時間がかかったが、貧しくて不自由なようでどこか自由そうな人々の生き方や、農村漁村での生活や風習を感じられて一気に読み進んだ。本来好みというほどではないが、何故か手元に置いておきたい一冊。
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一日を大事に生きる
損得を考えず黙々と働く
人の役にたつ、人を面白がって噂話をしない
文字の知識での生活が違う時代
人と比べず自分と周りの生活を大切にする
忘れてはいけない真摯さ、思いやりがあります
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昭和の初めに地方を巡り老人たちから村の伝承や風習などを聞いて回り集めた話。歴史や石碑なんかには刻まれないけれど、そこにある生活、喜びや悲しみや笑いや涙や知恵のようなもの、もしかしたら読むことも知ることもできなかったかと思うと少し感慨深い。
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机上の話ではない。実際に聞き書きして著わされたことに価値がある。1人の人生が「日本人」の全てではないが、1人の日本人の真実ではある。
気をつけなければならないのは、これは一つの時代の、主に西日本の農村部で聞き書きされたものであるということ。
しかも相当プライベートな内容である。
現代の農村の事情と異なることは当然だが、誰にでも話す内容ではない。このような貧困からくる人生やおおらかな性は、今も表には出てこないだろう。
記録された人たちは、歴史の中の人々として今も生き続ける。
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100分で名著で取り上げられていたので読んでみた。
柳田國男の遠野物語を少し読んだことがあった。番組で解説していた、柳田のそのような視点とは違い、人々の日々の生活がどのように営まれていたかに着目した、という点が、わたしにとっては親しみやすく面白かった。
序盤の方でこの本で語られていることへの興味がぐっと大きくなった一文がある。
「ラジオも新聞もなく土曜も日曜もない、芝居も映画も見ることのない生活がここにはまだあるのだ」(p.27)
正確な年はわからないけど、100年ほど前の日本の端っこには、こんな生活が残っていたんだと、著者が出会った人々のことを知って驚いた。
朝起きて畑仕事をして、ご飯を食べて暗くなったら布団に入る…目の前のことを繰り返し繰り返しやっていく、それが当たり前の生活が、一世紀前にはあったんだ…と思うと、今の日本の生活の方が、日本の人々の生活を大きな視点で見たとき、異常だと言えてしまうんじゃないかって考えた。
他にも印象に残った文章がある。
いなくなった村の子供を村人みんなで探す話で、不思議なことに村人が探しいく場所は、子供の行きそうな場所を的確に分担していて、それは示し合わせたわけではないという…
「ということは村の人たちが、子供の家の事情やその暮らし方をすっかり知り尽くしているということであろう。もう村落共同体的なものはすっかりこわれ去ったと思っていた。それほど近代化し、選挙の時は親子夫婦の間でも票のわれるようなおころであるが、そういうところにも目に見えぬ村の意志のようなものが動いていて、だれに命令せられると言うことでなしに、ひとりひとりの行動におのずから統一ができているようである」(p.103)
昔は町全体で子供を育てていたと話には聞いていたけど、こうやって本当にあったことを読むと、よりイメージが湧いてくる。
あとは「私の祖父」から、番組でも紹介されていたところ。
「市五郎はいつも朝四時にはおきた。それから山へいって一仕事してかえって来て朝飯をたべる。朝飯といってもお粥である。それから田畑の仕事に出かける。昼まではみっちり働いて、昼食がすむと、夏ならば三時まで昼寝をは、コビルマをたべてまた田畑に出かける。そしてくらくなるまで働く。雨の日は藁仕事をし、夜もまたしばらくは夜なべをした。祭りの日も午前中は働いた。その上時間があれば日雇稼に出た。明治の初には一日働いて八銭しかもうからなかったという。
仕事をおえると、神様、仏様を拝んでねた。とにかくよくつづくものだと思われるほど働いたのである。
しかしそういう生活に不平も持たず疑問も持たず、一日一日を無事にすごされることを感謝していた。市五郎のたのしみは仕事をしているときに歌をうたうことであった」(p199-198)