あらすじ
前著から5年、77歳になった著者が医療と介護について再び毒を吐く。世間では2025年問題(団塊の世代が75歳以上になる)を解決すべく、「健康寿命」を伸ばして「要介護」の期間を縮めようと様々な取り組みがなされているが、それは結局“弱っても死ねない身体づくり”をしているだけ。健康寿命を伸ばすことで要介護期間が延び、社会全体の医療と介護費用はますます増えてしまうのだ。誰もが「ピンピンコロリ」を願うが、それは1等7億円のジャンボ宝くじに当たるよりむずかしいこと。ならば老人はどうすればいいのか? 生き方、死に方についての意識が変わる、目から鱗の一冊。
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Posted by ブクログ
「本から」
本人に治せないものを、他人である医者に治せるはずがない
「自然死」の年寄りはごくわずか
介護の“拷問”を受けないと、死なせてもらえない
「できるだけ手を尽くす」は「できる限り苦しめる」
極限状態では痛みを感じない
長期の強制人工栄養は、悲惨な姿に変身させる
鼻チューブ栄養の違和感は半端じゃない
“老衰死”コースの目安は7〜10日
食べないから死ぬのではない、「死に時」が来たから食べないのだ
分娩台での出産は実は不自然
「死に時」をどう察知するか
“年のせい“と割り切った方が楽
がんは完全放置すれば痛まない
「がん」で死ぬんじゃないよ、「がんの治療」で死ぬんだよ
「健康」には振り回されず、「死」には妙にあらわがず、医療は限定利用を心がける
生きものは繁殖を終えれば死ぬ
人は生きてきたように死ぬ
Posted by ブクログ
目から鱗の話題の前作の続編です。
生き方、死に方を考える事は、非常に大切な事。
延命治療や延命介護については、言われるとおり、よく考えなければいけません。
仏教の空の精神、とらわれず、こだわらず、あるがままを受け入れる。これが大切なんですね。
大変参考になりました。
Posted by ブクログ
中村仁一さんの「大往生したけりゃ医療とかかわるな(自然死のすすめ」に続く「同じタイトル(介護編)2025年問題の解決をめざして」(2017.3)を読みました。団塊世代の一員として、多くの示唆をいただきました。病気を治す主役は「自然治癒力」。医療を利用するのは回復するかQOLが改善できるかの時で、死を先送りするだけの治療(延命治療)はやめる。食欲は本能。自分で飲み食いできなくなれば「寿命(お迎え)」。あらゆる生きものに共通の最期の姿。医療の虐待、介護の拷問はやめる。手をつけなけば、お膳はそのまま下げる。
Posted by ブクログ
著者の前作『大往生したけりゃ医療とかかわるなー「自然死のすすめ」』に引き続き、読みました。
かなり毒舌な部分もあったり、すべてに賛同するわけではないけれど、特にこの「介護編」に書かれている『「延命治療」や「延命介護」が「穏やかな死を邪魔している」』という部分は、深く共感しました。ここ数年、高齢の親や親戚の看護・介護をしている中で、強く感じていたことでした。
また、私自身、今まで気軽に病院にかかっていましたが、若い世代へこの恵まれた医療制度を残すためにも、今後は考えなければと思いました。
ただ、あくまでもこの本の内容は高齢者向けなので、若い方はしっかり健康診断やがん検診を受けて、治せるものは治して欲しいです。
Posted by ブクログ
いずれにしても、自分達の行為が、本当に相手のためになっているかということを、きちんと考えない限り、医療の虐待、介護の拷問は避けることはできず、なかなか安らかには死なせてもらえないということです
繁殖を終えれば、いつ死んでもいいというのが、自然界の掟なのです
繁殖を終えた年寄りに残された最後の大事な役目、自然な死が穏やかであることを、後続の者に見せることである