あらすじ
如何に生きるか?生きるとは何か?愛と死、幸福と嫉妬、瞑想と懐疑、孤独と感傷、虚栄と名誉心、利己主義と偽善、旅と個性…、透徹した真摯な眼差しで人生の諸相を思索する。
近代と現代の狭間で人生の処し方・生きざま・死生観が問われた時代に書かれた、今なお読み継がれる畢生の論文集。
『人生論ノート』/死について/幸福について/懐疑について/習慣について/虚栄について/名誉心について/怒りについて/人間の条件について/孤独について/嫉妬について/成功について/瞑想について/噂について/利己主義について/健康について/秩序について/感傷について/仮説について/偽善について/娯楽について/希望について/旅について/個性について/後記
ほか、『語られざる哲学』、自分の娘へ当てた書簡『幼き者の為に』所収。
解説/岸見一郎
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Posted by ブクログ
人間は幸福だと幸福のことを考えない。
内面的なだけでは幸福ではなく、幸福は表現するもの。外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福。
古代には成功は存在せず、幸福が目指すところであったが、現代は成功が主要な課題となり、幸福は関心事ではなくなった。
成功と幸福を同一視することは憐れむべきことである。
ヘーゲルの哲学は、一時的に熱狂的に信奉されるが、やがて顧みられなくなる。
すべての悪は、孤独であるこたできないところから生じる。創造的な生活は虚栄を知らない。孤独は山にはなく街にある。大勢の人間の間にある。
すべてのストイックは本質的に個人主義者である。
ひとは軽蔑されたとき最も怒る。自信があるものはあまり怒らない。
瞑想はつねに不意の客である。思索と瞑想は違うもの。対話している間は瞑想はできない。
我々の生活を支配しているのは、ギブアンドテイクの原則である。すなわち利己的になるのは意識的にならなければできない。利己主義者は期待しない、信用しない人間である。
感傷には常に何らかの虚栄がある。
人生は仮説的なものである。常識には仮説的なところがない。
「善く隠れる者は善く生きる」自然のままに生きることは隠れることである。そのくらい世の中は虚栄的である。
娯楽は近代的な観念である。機械技術によって娯楽と生活を対比するようになった。娯楽より生活を楽しむべき。
希望は運命のごときものである。運命だから絶望的である。失われる希望は期待と呼ぶべきもの。消して失われないものこそ希望。
旅には旅のあわただしさがある。旅はつねに遠くあわただしいもの。旅の利益は、初めてのものを見ることではなく平素自明のものに驚異を感じ、見直すところにある。