あらすじ
“夫のちんぽが入らない”衝撃の実話――彼女の生きてきたその道が物語になる。2014年5月に開催された「文学フリマ」では、同人誌『なし水』を求める人々が異例の大行列を成し、同書は即完売。その中に収録され、大反響を呼んだのが主婦こだまの自伝『夫のちんぽが入らない』だ。同じ大学に通う自由奔放な青年と交際を始めた18歳の「私」(こだま)。初めて体を重ねようとしたある夜、事件は起きた。彼の性器が全く入らなかったのだ。その後も二人は「入らない」一方で精神的な結びつきを強くしていき、結婚。しかし「いつか入る」という願いは叶わぬまま、「私」はさらなる悲劇の渦に飲み込まれていく……。交際してから約20年、「入らない」女性がこれまでの自分と向き合い、ドライかつユーモア溢れる筆致で綴った“愛と堕落”の半生。“衝撃の実話”が大幅加筆修正のうえ、完全版としてついに書籍化! いきなりだが、夫のちんぽが入らない。本気で言っている。交際期間も含めて二十余年、この「ちんぽが入らない」問題は、私たちをじわじわと苦しめてきた。周囲の人間に話したことはない。こんなこと軽々しく言えやしない。何も知らない母は「結婚して何年も経つのに子供ができないのはおかしい。一度病院で診てもらいなさい。そういう夫婦は珍しくないし、恥ずかしいことじゃないんだから」と言う。けれど、私は「ちんぽが入らないのです」と嘆く夫婦をいまだかつて見たことがない。医師は私に言うのだろうか。「ちんぽが入らない? 奥さん、よくあることですよ」と。そんなことを相談するくらいなら、押し黙ったまま老いていきたい。子供もいらない。ちんぽが入らない私たちは、兄妹のように、あるいは植物のように、ひっそりと生きていくことを選んだ。(本文より抜粋)
...続きを読むドラマ化決定で話題。これは著者が経験している本当の話。同じ大学に通う青年と交際を始めた主人公・こだま。だけど、何をどうやっても彼の性器が入らない。いつか入ることを夢見ながら、入らないまま二人の絆は深まっていく。18歳だった私は38歳になり、兄弟のように植物のように安心で清潔な暮らしを営むのもいいと思えるようになった。セックスをするのは当たり前?結婚して子供を産むのは当たり前?「普通」というイメージに当てはまらない幸せが、ここにある。心も体も痛い描写がたくさんありますが、痛みをユーモアに変換して生きていく強さを感じます。衝撃的なタイトルを上回る、新しい視点をもらえる作品。
...続きを読む感情タグBEST3
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Posted by ブクログ
最後にこだまさんの全てが詰まっていると思った。
『目の前の人が悩み抜いて出した決断を、そう生きようとした決意を、それは違うよと軽々しく言いたくはないのです。』
告白をしない彼との関係を続けている姉、明らかにモラハラをしてくる彼や彼の家族との結婚に進んだ親友、彼女の親友に言い寄ってきた男と結婚した親友、、
私は私にはわからない、それはおかしいんじゃないかと思った。でもそれは彼女らが悩み抜いた末の答えであり、それが必ずしもいい形で終わらなかったとしても尊重するべきなのだと自覚した。酷いことを言ってごめん、これからは気をつけるよ、と思った。
Posted by ブクログ
島崎和歌子さんが出てませんが、俺も大変だし俺以外の人も大変だ、という当たり前の事に気づかされました。
笑ったりくらったりしたページの端を折りながら読んでたら、最終的にアコーディオンみたいになりました。
Posted by ブクログ
オーディブルで聴いた。
ずっと気になっていた本をオーディブルで見つけて早速聴いた!
全く入らない人の話かと思ったら、他の人とはできるのか…!
この本を読んで、世の中の夫婦の子供は産まない理由って、人には言えない、言いたくないような様々な理由が色々あるのかもしれないなと思った。
子供を産まないことがおかしなことと思われたり、子供を産まない(産めない)娘を、実の親が欠陥品と言ったり、夫の両親に謝りに言ったりするところは衝撃的だった。今は結婚しない、子供を産まないことも選択肢の一つと言われているのに、少し前の時代なのかもしれないけど、そんなに悪いことのように言われたり思われたりしてしまうんだ…と思った。
学校の先生も、私は学生の頃に学校の先生達を見て大変そうすぎて、絶対自分はなりたくない職業だと思ってたけど、やっぱり大変すぎると思った。
挿入しなくても、シリンジ法とか不妊治療とかで妊娠できる可能性はあるけど、薬を断つと体調が悪化してしまうのはつらいよな…
他人の人生の経験を、このように本として読める(聴ける)のはとても面白かった!
Posted by ブクログ
タイトルを見た時、私は、推察よりも先に面白さを感じてしまったのだが、読み進めて今、その真面目に取り合ってもらえなさも内包する狙いがあって作者様はこのタイトルにしたのだろうと感じた。
本作の内容は大きく分けて、
夫との関係性
仕事場での関係性
傷ついた自身を慰める行為
母との関係性
これらの部分が大きい。
傷ついた自身を慰める行為に関しては、他と質感があまりにも違い、衝撃を受けた。夫が風俗に行っている事に対し、悲しみを覚える主人公の下りがあった分、それが主人公自身に降りかかる事、内容の衝撃も相まってここだけケータイ小説読んでる気分になった。特にアリハラさんの部分やらおっさんの部分。
夫との関係性は、基本的にちんぽ周りがメインに据えられていたため、序盤以外は二人の日常的な関係性が描かれていない。
仕事で忙しく2人の関係性が取れていないのか、序盤の延長として2人だけの関係性を築けているのか。レスによる倦怠期のような日常なら、辛いが後者の方がしっくりもくる。
ただ、ここで理解のある彼、のような作中における都合のいい、しっかりとした人なら、この作品は薄っぺらいものになっていたのだろうとも思う。
仕事場での話は、辛い。
生徒との関係から精神を蝕まれていく様が辛い。ただ、その原因を作った少女を、私はインスタントカメラの下りで許してしまった。
主人公が許す場面でなおも許せなかったのはサクライ先生である。
人が限界を越えてから「あなたには期待していたんだがな。」とか言い出す。その原因の一端に自分がいるとは考えもせずその人生を過ごしていくのだろうと思うと歯噛みせずにはいられない。多分自分に酔ってその発言をしている。自分が悪人だとは毛ほども考えていない真の邪悪。それほどに許せない。
最後の部分、保険のしつこい女性に心の中で半生を振り返る下りがある。
その時の主人公はその宿命を、じたばたせず達観しているような描かれ方をしていて、強い女性として熟成している。
それは序盤、彼女が学級崩壊している場所の担任になる前に求めた強さかもしれないが、彼女の半生を共に見てきた人間からしてみれば、それは強くならざるおえなかった悲しみを含んだものに感じた。
P62
ちんぽは返り血を浴びた人殺しのように赤く染まっていた。
・真面目なシーンであるにも関わらず、面白さに拍車をかけようとしているような比喩。思わず笑ってしまった。
P93
ある日帰宅すると三角コーナーの網目の中で味噌汁に入れた豆腐とわかめが乾いていた。生ゴミボックスの中にはご飯とおかずが そっくりそのまま捨てられている。全く手をつけた形跡がない。寝坊して食べる暇がなかったのだろうか。その時はそう思ったのだが、翌日も、そのまた 翌日も、同じように朝食が無残に廃棄されていた。
・序盤以降の旦那は主人公を癒す役割にない。それは彼の苦しみから来るものかもしれないが、その原因は、と考えると、主人公に帰ってくるもので、どうにも辛い。
P111
アリハラさんは私の口に きんつば を押し込み 私に 咀嚼させてから舌を差し入れ、そのぐちゃぐちゃになった小豆を奪って食べた。その日の私は咀嚼器だった。きんつば が終わると、今度は外郎の包みを解く。名古屋をこんなふうに穢して食べることになると思わなかった。逃げ出したい。しかしアリハラさんはやめようとしない。山と向き合う時の、キチガイの目をしている。有原さんが やめないのならば私も 脱落するわけにはいかない。こんくらべ のような気持ちで付き合う。(中略)あんこまみれになった口を拭おうとすると、アリハラさんが「もう少し そのままでいて」といい 光の速さでスササササとちんぽを擦り、私の口に精液を入れた。
今私は山の代わりなのだと思った 誰かの代わりではなく 山の代理。私は花崗岩で、お花畑で、槍ヶ岳。こういう時はどうすれば良いんだろう。地鳴りを 響かせることもできない。自分の置かれている状況を深く考えないよう心を無にした。アリハラさんに犯され、精子を放たれた山を想像する。雪が溶け、新芽が萌える季節になると 各地の山頂にまかれた アリハラさんの種が一斉に膨らむ。山々が競うようにして クロネコヤマトや 蕎麦屋の電話番号を暗証し始める。山彦が身に覚えのない数字を返してきたならば それは彼が交わった山だ。
・変人だけど悪い人ではないのか...?とか考えていたアリハラさんが悪人へと変貌するシーンな上に、無情さを感じた主人公の想像が異質な世界観を描いている。異常で、印象に残るワンシーン。
そして、申し訳ないことにこのシーンに私は色気を感じてしまった。自分の意志とは無関係に憤るちんぽ。まるで見知らぬ女性に腰をガクガクする犬を止められない飼い主のような情けなさを感じた。
P125
その不穏な空気を刺したのか 日頃から私の指導方法を厳しく批判していた サクライ先生が手招きをして私を廊下を呼んだ。
夕刻と思えないほど空の色が重い 軒下には いくつもの氷柱が垂れ下がっていた。
「もしかしてやめんの?」
「はい…体調がどうしても…申し訳ありません。」
「そうか。きついこと言ってきたけど あんたには期待してたんだ。残念だ。でも 教師だけが 仕事じゃねえよ。やろうと思えば仕事なんていくらだって見つけられる。体が治ったら新しいことを始めてみなさいよ。」
・クソが。
P131
学校の帰りに 写真館 より インスタントカメラを現像してもらった。グラウンドの隅に寄せられた灰色の雪山、ネットのほつれかけた バスケットボール、校長室の前に並べられた寂し系の盆栽、家庭科室のガスコンロ。みゆきの 撮った写真は見事に全部ぶれていた。慌ててシャッターを切り、次の思い出の場所へと駆け出してしまったのだろう。その歪みの一つ一つに彼女の不器用さが映り込んでいる。
・滅茶苦茶良いシーン。この直前のインスタントカメラを渡す少女の「印刷代は自分で払え」という照れ隠しも含めて歌詞にありそうなほどに。
P155
「強い気持ちが実を結んだんだねぇ」
思わず漏れた義母の一言にごめんなさいと胸が締め付けられた。私にはどうしてもこう 授かりたいという気持ちが足りなかった。
「あの子たち あなたの状態 わかってるから電話しにくい みたいなの分かってあげてね」
「おめでたいことなのに気を使わせてしまってすいませんでした」
「生まれてからでいいのでね、「おめでとう」って言ってあげてね。祝ってあげてね」
そこまで 厄介な存在になっていたのだ。面倒な人にはなりたくなかったのに 私はもうその域にいたようだ。義兄夫婦も義理の両親も、誰も悪くない。とてもおめでたいことだし良かったねと心から思っている。子供を持ちたいと思えないこと、ちんぽが入らないという現実、それらを向き直って堂々と生きていないこと、周りに気を使わせてしまっていること、自分の中に巣食う感情全てが悲しかった。
・マイノリティ故に突撃する壁。普通に生きる人に気遣いをさせてしまったことが、自分を苦しめる。
本作の大きな要素が含まれた文章。
P166
「うちの子の体が弱いためにお宅の跡継ぎを産んであげることができず 本当に申し訳ありません。うちの子はとんだ欠陥商品でして。貧乏くじを引かせてしまい何とお詫びをして良いか」
・母は、ひどい人だと思う。この言葉は本作で最も主人公に対する厳しい言葉かもしれない。
その上で、間違った倫理観なりに善人であろうとした母の姿も共に書かれていて、私はひどく苦しさを覚えた。理解できない存在が、理解できる立場にまで近づいてきた故の感情。
P194
私 夫のちんぽが入らないのですよ。他の人のちんぽは入るのに夫のだけ入らないのですよ。夫も他の人とはできるらしいのです。そんな残酷な事ってあります?
私たちが本当は血のつながった兄妹で、間違いを起こさないように神様が細工したとしか思えないのです。ちんぽが入らないから学資保険に入れません。いっぱい 説明してもらったのに すいません。後日また お返事を、と言われても如何せん、ちんぽが入らないのですわ。子を産み、育てることはきっと素晴らしいことなのでしょう。経験した人たちが口を揃えて言うのだから 多分そうに違いありません。でも私は目の前の人が散々考え悩み 抜いた末に出した決断を、そう生きようとした決意を、それは違うよなんて軽々しく言いたくはないのです。人に見せていない部分の育ちや背景全部ひっくるめてその人の現在があるのだから。それがわかっただけでも私は生きていた 意味があったと思うのです。そういうことを 面と向かって 本当は言いたいんです。言いたかったんです。母にも 子育てをしきりに進めてくれるあなたのような人にも。
・彼女の胸の内を全て打ち明けるためには、このエッセイ1冊分の長さになる。それを言うことは到底叶わない。彼女はそれを分かっているから言わない。
この胸の内をさらけ出したこの文章は、言いたい、という衝動にけりをつけるためのものだったのかもしれない。
彼女は自分の弱さをさらけ出す事で、他人の弱さに寄り添う様な人なんだろう。と感じた。
Posted by ブクログ
初めてタイトルを見たとき、なんて破廉恥な!という印象とともに、表紙の優しげなイメージから人間らしい弱さと暖かさを感じた。
セックスレスの問題は単にセックスをしないだけではなく、挿入できないという、夫婦において致命的とも言える問題があったんだ、と独身のわたしは気付く。
著者のこだまさんが夫さんと出会い、一度もセックスできないまま、それでも結婚に至ったというのがまず感動で。男女の関係においてセックスは重要だけれども、それ以上に心のつながりがあったのかなぁと思った。
といっても、2人の結婚生活があま〜く描かれてるわけでなく、自身の仕事の辛さや不器用さ、病んでいく姿には共感してしまった。マヒしてしまうのだ。
退職後は病に倒れ、前向きに頑張った不妊治療も続けていくことが困難になり、夫までもがパニック障害になる。
生きていれば何かしら問題にぶち当たり、うまく回避できることもあれば、まともに受けてしまうこともある。この夫婦を不器用だと笑えるだろうか。病院に行けば済む話だという人もいるかもしれないが、自己肯定感が低い著者にとって、それはハードルが高いと言える。
では、自己肯定感が低い人間が悪いのかというと、そんな風に片付けてしまうのはあまりに冷たい。
多様な生き方が増えてきているにも関わらず、結婚したら子どもができるのが当たり前という世間の考えが苦しめていることはまだまだ多い。
こだまさんはこうして表現することで、吐き出すことができているけど、もっと自分だけの殻に閉じこもって苦しんでいる人はたくさんいると思う。そういう人たちの励みになったんじゃないだろうか。
女性の性に対する前向きな表現が一歩前進したとも言える。