あらすじ
北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大の七校で年に一度戦われる七帝戦。北海道大学に二浪の末入った増田俊也は、柔道部に入部して七帝戦での優勝を目指す。一般学生が大学生活を満喫するなか、『練習量がすべてを決定する』と信じ、仲間と地獄のような極限の練習に耐える日々。本当の「強さ」とは何か。若者たちは北の大地に汗と血を沁みこませ、悩み、苦しみ、泣きながら成長していく。圧巻の自伝的青春小説。
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存在は知っていたけどずっと距離を置いて読んでこなかった 年代的には5歳年上の著者が当時の北海道を舞台にひたすら柔道に打ち込む異様な青春の物語
同時期に北海道札幌で、大学で柔道をしていたのでリアルに話が入ってくる 道都大学 道都短大 東海第四 道警などの猛者も懐かしい 北大柔道や東北大の分役は講道館柔道からは異端視されつつも団体戦での凄味は懐かしい
何度も何度も泣けてくる
クセになりそうだ
学年的に同学年の中井祐樹さんがこのあと登場するのが、楽しみになる 北高出身の中井先生を間接的に繋がっていてなんとなく親近感がすごくある
名古屋大学の小坂先生のDVDも昔持っていたけど最後の小坂先生の言葉がまた泣ける
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柔道をテレビで見るのは、オリンピックのときに見るくらいで、普段は見ることはあまりない。そのテレビで見ている柔道は講道館柔道といって、加納治五郎氏が確立した柔道である。
単に、柔道というと講道館柔道のことをいって、その講道館柔道とは別に七帝柔道(寝技中心の柔道で、戦前の高専柔道を引き継いでいて、七校の帝大で行われている)というものがある。「練習量がすべてを決定する柔道」といわれている。
物語は、主人公(著者)を乗せたディーゼル機関車が札幌駅のホームに入ってくるところから始まる。七帝柔道を知らない私は、ここからどんな物語が始まるのかわくわくする。その七帝柔道に青春をかけた物語である。
名古屋出身の主人公が高二の時(この頃は講道館柔道の選手だった)に七帝柔道に出会い、その時から七帝柔道に憧れる。二浪の末に北海道大学に入る。せっかく入った大学でしかも帝大である。私だったら、多少は大学生活を楽しみ、勉強もそこそこはするであろうと思う。(二浪の末に入ったのだし)
しかし、主人公は学生生活のすべてを七帝柔道に賭ける。マイナーな競技であり、特別に強いわけでもない人達(初心者もいる)が一生懸命に、命懸けで試合に勝つために練習をする。「練習量がすべてを決定する柔道」だからである。
主人公達の柔道に対する努力や情熱に感動し、涙しながら笑いながら物語に引き込まれていく。ページをめくるスピードが加速していく。
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筆者こと主人公は「七帝柔道」という寝技中心の柔道に憧れ、2浪の末にその一角を占める北海道大学に入学した。そこから物語ははじまります。『寝技中心の柔道』に己の全てを賭ける男たちの青春を描いた小説です。
実をいうと僕は、大学時代に1度だけ、七帝戦、もしくは七大柔道大会というものを見たことがあるんです。ここで行われる柔道は、講道館ルールと呼ばれるオリンピック等で見られるものではなく、現在で似た様なものはブラジリアン柔術のように(ルーツが同じだから当然といえば当然)ひたすら寝技で戦うというもので、さらにいうなれば関節を極められてもギブアップはせず、締め技が入れば落ちる(意識を失って気絶する)という本当に壮絶な試合であったことを思い出します。
僕が見ていたときは女子の試合があり、彼女等も必死になって試合をしていたことを本書を読みながら思い出しました。確か、そのときは記憶によると主催校だった北海道大学が優勝し、選手はもちろんのこと、OBとおぼしき年配の男性も男泣きに泣いていたことを思い出しました。さらに僕は、物語の舞台である北海道大学のキャンパスおよび北大の界隈は様々な業者として北大キャンパス内に入って仕事をし、さらには精神的な彷徨を重ね続けた場所であるために、読みながら書かれている地名や北大の学部。さらにはキャンパス内の施設や彼等が酒を酌み交わしたり、食事をしたりしていた店も『あぁ、あそこか』と思いながら、あの無為を極めた歳月はこの小説を理解するためにあったのかと、そんなことを錯覚しながら最後まで読んでおりました。
この小説は旧帝国大学系大学のひとつといわれる北海道大学を舞台にそこで華やかなキャンパスライフをすべてかなぐり捨てて『高専柔道』と呼ばれる特殊な柔道の流れをくむ『七帝柔道(もしくは七大柔道)』に明け暮れる若者たちを描いた青春群像劇となっております。最初の話に戻るかもしれませんが、ですので、これを読みながらきっと僕は試合会場で現在はOBとなったであろう本書に出てくる学生たちの誰かとすれ違ったことがあったのではあるまいか? そんなことを考えておりました(ここでは名前を伏せますがDVDまでリリースしている師範の一人とはすれ違っています)。
主人公こと筆者は名古屋での高校時代に、寝技で相手を圧倒し続ける名大選手の柔道を見て、『大学に入ったらこの柔道をやろう』と青雲の志を持って2浪の末に北海道大学に入学します。読み始めて『だったら地元の名大や京大、阪大でもできたのになぜ流れ流れて北大へ?』という疑問があったのですが、地元を離れて暮らしたかったと書かれていて、納得がいきました。先に入学していた高校の同級生である鷹山氏に柔道をやめたことを筆者は打ち明けられます。しかし『柔道をやるためにここにきた』という決意のもと、入学式にも出ない。授業にもほとんど顔を出さないというバンカラな学生生活を送りながら、柔道部の門をたたくことになります。
そこで展開されるのはひたすら延々と寝技ばかりを繰り返す光景と道場全体を包む異様なまでの熱気でした。同期と共に入部し、先輩たちにメチャクチャなまでに押さえ込まれ、関節技を極められ、締められては落とされる…。そんな日々の中で彼と共に入った同期は次々と去っていくのです。筆者を鍛えた主将の金澤氏は勉強もすさまじい努力を重ね、国家公務員一種キャリア試験をパスし、建設省に入省するのです。この顛末を読むとあまりの壮絶な展開にため息が出ました。
1年目の七帝戦は惨敗に終わり、OBたちもほとんど来ない中、男泣きに泣く部員たち、これは読んでいて胸が詰まりました。そこで後任の主将に任命されたのは和泉唯信氏という広島出身の男でした。和泉体制になってから柔道部の練習はさらに過酷を極めます。満身創痍で寝技の練習を限界までするのはもちろんのこと、さらには道警の特錬という柔道エリートたちのいるところへ行っての出稽古をはじめ、北海道の柔道で有名な大学や高校の柔道部を招いて稽古をする場面は呼んでいて涙が出そうになりました。
彼等に叩きつけられ、極められ、締め落とされながらも徐々に自分の強さを実感する筆者こと主人公たち、それに加えてウエイトトレーニングなどの過酷な練習メニューを黙々とこなしていくのです。そんな中で迎えた2年目の七大戦を迎えることになります。そこでのくじ引きで対戦相手となった阪大の態度に業を煮やした和泉氏をはじめとする北大メンバー。阪大に敗れ、それでも一縷の望みをかけて挑んだ敗者復活戦の対東大戦。最下位を脱出するために壮絶な覚悟を持って試合に臨むも立ち技主体の彼らに寝技で敗れるという悲劇的な結末に。またしても去年と同じ結果になってしまったことに筆者同様、『努力は報われないのか…。』と読みかけのページを閉じて天を仰いでしまいました。
本書はテーマとなっている七大柔道のように、われわれ読者をぐいぐいと物語世界にひきこみ(七大柔道の寝技に引き込むテクニック)一気に読み進めることのできる青春群像劇の極北であることを、ここに確信いたしました。
※追記
本書は2017年2月25日、KADOKAWAより『七帝柔道記 (角川文庫)』として文庫化されました。
Posted by ブクログ
柔道のなかでは、ややマイナーな七帝柔道に打ち込む青春譚(旧帝大伝統の寝技メインの柔道です)
ゴング格闘技が発端で興味を持って買った本でしたが、大学生活の話でもあるので、青春モノとしても良かったです。
キャンパスライフとなんだか書けない空気ではありますが、血と汗とロマンと若さ、往時の雰囲気が偲ばれる良著。
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面白かった。バンカラな文化が残る汗臭い舞台。主人公は壮絶なまでに辛い練習を延々と繰り返す。プロになるわけではなく、有名になれるわけでもないのに、何で人生を捧げるのか。
しかし読み進めていくうちに、しっくり来てしまう。そこは凡人が努力で天才に肉薄する世界だ。そして、試練に耐えた自負が凡人を英雄に変えるのだと。最初は憧れから、後には七帝柔道への愛によって、主人公は練習に耐えている。最初のうちは理解不能だったが、やがて彼らの克己心に無条件の敬意を感じずにはいられなく、彼らの青春が羨ましくなってしまう。そんな、不思議な魅力のある作品だった。
必読
何故、自分は生きているのか?40を超えてもなお、悩むことがあります。この本には自分にはもう取り返すことが出来ない青春が描かれており、その愚直な青春に心がどうしようもなく動かされて苦しくなりました。
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高専柔道での華々しい活躍を描くのかと思ったら、本編の3分の2くらいの1年生時代が弱音と愚痴ばかり。特に2浪して北海道大学に入学したため、そのブランクで体力が戻らないと言う愚痴が目に付く。また金沢先輩の猛烈な寝技でのしごきがきつい。練習は壮絶で体力の限界を超えるレベルで、それについている根性がすごい。弱音を吐きながらも辞めずに続ける。そんな中で同じく辞めずにいる同級生との友情が熱い。
そうして2年生になるとようやく楽し気になる。
ところが、2年生で迎えた大会でやっと活躍すると思ったら大怪我で欠場したまま物語は終わってしまった。
物語としては不発で華々しくはないのだけど、そんなつらい環境を自ら求めて辞めずにとどまる中での発見が広くて深い。
自分たちより弱い先輩を、下に見るのでなく、あんなに弱いのに辞めずに続ける根性が、自分たちよりすごいと高く認めているのに感動する。
女子マネージャーの扱いがひどい。
柔道の世界は広大だ。あんなにつらい練習を毎日していたらあっという間に達人になりそうなのに、それでも全然大会では最下位だし、もっと強い人が大勢いる。
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やばいくらいおもしろかった!!
これは今まで読んだ本の中でも間違いなく十指に入るくらいの傑作。
こんな青春時代あるのか?ってくらいめちゃくちゃだけど、読み進めるたびに引き込まれていく。
「練習量がすべてを決定する柔道」という七帝柔道。常に汗が蒸気となって立ちこめ向こう側が霞んで見える道場。もうとにかく凄まじい…
合間合間に挟み込まれるエピソードも秀逸。「やきそば研究会」とか最高におかしい。
読んでる間はなぜか自分もしっかり飯を食わねばと思ってしまうくらい引き込まれてたなぁ。2〜3キロくらい増えたかも(笑)
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熱い、余りにも熱い。こんな柔道の世界があったとは知らなかった。そしてどうやらこれは著者の自伝的小説のようでまたびっくり。とにかく面白かった。ぜひ続編を読みたい。
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増田俊也著「七帝柔道記」
同じ著者の「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」に続きこちらも文庫版が出ているのを発見!
私が思うにこの作品、柔道の修行中の方々、そしてかつてしていた方々には必読の一冊ではないでしょうか。
そしてこれから柔道を始めようと思っている方々は、もしかしたら読まないほうが良いのかもしれないとも思います。
なぜなら、現在「七帝柔道」と呼ばれるかつての「高専柔道」のあまりにも厳しい修行が伝わってきて、なまじっかのスポーツ柔道をやっている方々やかつてやっていた方々には衝撃が大きく、自分の柔道に対する甘さを知り、軽々しく「柔道をやっています(いました)」と口にする間違いを犯さないで済むようになるからであり(私がまさにそうです)、またせっかくこれから柔道を志している方々にはあまりの厳しい修行に怖気づいて尻込みをしてしまうだろうからなのです。
とはいえ、面白かったなあ〜
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さすがに、ここまでの経験はありませんが、私も何かに打ち込んでいた時期は、人生の中で充実している時だったなぁ。キツいけど、気持ちが満たされる。こういう経験は大切だと思います。
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中学・高校6年間柔道をやっていた。団体でも個人でも優勝経験が無い弱小の柔道選手だった。けれども、七帝柔道の魅力と辛さには共感する。
柔道は過酷な競技だ。乱取り練習というものがある。私は体力が無かったから4分間を5本やっていただけで、立ちながら意識が飛んだことがよくあった。試合で絞められて気がつくと前後の記憶を無くしたこともある。あの頃から1センチも身長は伸びていないが、この数十年間ずっとプラス5キロー20キロの間を彷徨っていて、決して中量級のベスト体重に戻ろうとしない。あの頃は、毎日ご飯を三杯食べながら、全然体重は増えなかった。それだけの練習量だった。繰り返すが、私は弱小の柔道選手だった。(試合形式の乱取りが如何に過酷かは、オリンピック中継で、いつも選手のスタミナ切れが言及さることでも想像出来るはずだ)
北大柔道部は、立ち乱取りより数倍苦しい6分の寝技乱取り等、様々な乱取りを延々と繰り返す。最後に300回の腕立て伏せで閉める。これを「通常の」練習としている。更には合宿が年に7回以上ある。地獄の北海道警察出稽古。あ、あり得ない過酷さだ。そんな過酷な練習をしても、増田俊也が入った時点で北大は2年連続最下位だった。七帝柔道は、15人戦の抜き勝負、一本勝ちのみ、先鋒から三将までの13人が6分、副将と大将は8分、寝技への引き込みあり、膠着の「待て」なし、場外なし。我々が知るポイント制のオリンピック柔道とは異次元のものである。
これは寝技に特化した「練習量がすべてを決定する柔道」の世界を描いたものである。私は柔道は強くなれなかった。オリンピック柔道には、練習量と共に「センス(才能とも言う)」が必要だった。けれども、高専柔道の流れを汲む七帝柔道は、寝技だけを極め、やればやるだけ強くなるのである。
私の高校の古文の先生に、戦前に六高(岡大)で柔道選手だったという方がいた。ものすごい小柄で、どう見ても弱そうな方だったが、国体で優勝した巨漢の高校柔道コーチが尊敬していた。その方の凄さを理解したのは、高専柔道を描いた、井上靖「北の海」を読んで以降だった。
まるで戦前のような練習をこなしながら、実際はつい最近の86-87年の話である。何が彼らをそうさせるのか。私だけの経験で言えば、何十回と負けても、一回だけタイミングがあって強敵に勝てたことがあった。あの勝利が、これまでの人生で何度私を助けたことか。しかし、「まぐれの一勝」は、人生を丸ごと変えるほどに自分を助けてはくれないのも事実だ。増田俊也は、それとは別次元の練習をしていた。
この自伝的小説で、自分の本名で出ている増田俊也が、「柔道をするために北大にきました」と宣言するのも、共感はする。共感はするし頭ではわかるけど、私なら決して出来ないし、やりたくない世界でもある。延々と練習の描写が続き、一年目の七帝戦は読むのが苦しくて目を背けた(読むのを中断した)。
おそらく、全て事実なのだろう。あのベタベタな新入生歓迎行事も事実なのだろう。もう少し感動の展開を用意するべき、七帝戦の試合の結果も事実なのだろう。
「こんなので、何かを掴めるなんていう、著者の主張は理解できんね」
多くの読者が、本音半分ではそう思っているのは目に見えるようだ。学生時代の全てを練習に費し、マスコミにも登場しないし、就職にも有利にならない。私もよくわからない。けれども、わかる気がする。決して著者に阿(おもね)って言っているわけではない。
残念ながら、こんなにも長編なのに、増田俊也は、何も成し遂げることなく途中で小説は終わっている。ように見える。史上唯一の七帝戦を描いたこの小説は、大きなことを成し遂げているが、主人公の増田俊也は未だ何も成し遂げてはいない。連載が中断して10年、続編が描かれる気配もない。北大柔道部らしい、と言えばその通りではある。
Posted by ブクログ
「七帝柔道」とは、北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、大阪大学、京都大学、九州大学の七つの旧帝国大学にはるか昔から受け継がれてきた寝技中心の柔道である。
主人公の増田俊也は、2浪の末北海道大学柔道部に入部する。
そこでは「練習量がすべてを決定する」と言うごとく、辛く過酷な、時には残酷な練習が行われていた。
北海道大学は、近年、七帝の中で最下位をさまよっていた。
かつての栄光を取り戻すため、終わりのない過酷な練習は続いていく。
努力の限界を超えても努力を重ねていく部員達。
それでも努力は報われるとは限らない。
しかし、七帝柔道の過酷な練習の中にこそ生きるためのすべてが詰まっている。
先輩たちの思いを後輩たちに繋げていくこと、自分たちが流した汗を信じて。
登場人物たちの人間臭さや柔道へのひたむきさに、なんとも泥臭い青春を感じる。爽やかさだけが青春ではないと知る一冊です。
作者の増田俊也氏を始め、作中の登場人物は実在・実名で登場する。
彼らのその後も気になるところである。
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ほぼ5に近い4。柔道のことを全然知らない自分でさえ夢中になって読んだ。途中声をあげて笑うほど面白いシーンもあり、退屈しなかった。この続きを読みたい。
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じこう時候の挨拶 日本国土の四分の一は北海道である 井上靖『北の海』 くずれかみ崩上四方固め 差し障り 嘱望されていた 楡の巨木達が初夏の風に揺れていた 私達は粉砕された自分から新たな自分を見つける必要があった。新たな哲学を見出す必要があった。そうしないと、この世界では、生きている価値すらなかった。それほど腕力というのは圧倒的に我々の眼前に突きつけられた命題であった。 再々さいさい 寝技ばかりのルールで排斥されている七帝戦に学生時代の全てを捧げる 卒塔婆 大切なのは、いま目の前にあることに真摯に向き合うことなのだ。自分がいま持っているもので真摯に向き合うことなのだ 練習量がすべてを決定する柔道 岡田有希子が飛び降り自殺を遂げた一九八六年四月 北大裏の喫茶店でクリぜん(クリームぜんざい)を貪り食い