あらすじ
性について正しい知識を持つことは他の学びと同様「未来を生き抜くために」大切なこと。感染症医として、あるいはその立場を越えて性にまつわる考え方を多角的に案内する。
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Posted by ブクログ
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医学用語でゲイの人達をMSM(・・・Men who have Sex with Men)って言うらしいけど、こういう医学用語がゲイ側にしか無い理由が、男性間性交が一番性感染症リスクが高いかららしいね。レズビアンセックスは組み合わせ的に一番性感染症リスクが低いから言葉すら無いんだと思う。
性感染症で不妊になることもあるらしい。その性感染症が無症状で気が付かないとかもあるらしい。
岩田 健太郎
島根県生まれ。島根医科大学卒業。沖縄県立中部病院、ニューヨーク市セントルークス・ルーズベルト病院、同市ベスイスラエル・メディカルセンター、北京インターナショナルSOSクリニック、亀田総合病院を経て、2008年より神戸大学。神戸大学都市安全研究センター感染症リスクコミュニケーション分野および医学研究科微生物感染症学講座感染治療学分野教授。神戸大学病院感染症内科診療科長、国際診療部長。資格:日本内科学会総合内科専門医、日本感染症学会専門医・指導医、米国内科専門医、米国感染症専門医、日本東洋医学会漢方専門医、修士(感染症学)、博士(医学)、国際旅行学会認定(CTH),感染管理認定(CIC)、米国内科学会フェロー(FACP)、米国感染症学会フェロー(FIDSA)、PHPビジネスコーチ、FP2級。日本ソムリエ協会ワインエキスパートエクセレンスなど。
土井朝子(どいあさこ)先生
神戸市立医療センター中央市民病院 総合内科医長、感染症センター長、感染管理室室長。2000年大阪医科大学卒業。京都大学附属病院、静岡県立総合病院、亀田総合病院、洛和会音羽病院感染症科、および総合診療科を経て現職。パートナーである岩田健太郎先生と共に『感染症999の謎』(MEDSI)『トラベル・アンド・トロピカル・メディシン・マニュアル(監訳)』『リスコミWORKSHOP! ― 新型インフルエンザ・パンデミックを振り返る(編集)』など共著書多数。専門は総合診療と感染症。
ネットではよく「これってどういう意味?」とか質問すると「ググレカス」って返事が返ってくるよね。グーグルで検索すればすぐわかるよ、そんな質問すんな、って意味だ。と同時に、実はネット上はまことしやかなガセネタに満ちている。「ヤマザキパンがカビないのは怪しい添加物のせいだ」みたいなのが典型的なガセネタだ。検索ばかりしてネット情報だけを頼りにしていると本当にバカになってしまうよ。きちんとした情報収集、きちんとした科学的な情報分析能力がないと、ネット社会のガセネタにすぐだまされてしまう。
HIVのような病原微生物は悪徳とか善行には無関心だ。そこに感染経路が成立していれば、善人も悪人も等しく感染する。HIVは「よいセックス」とか「悪いセックス」といった善悪判断はしない。男女のセックスでもHIVは感染する。女性同士のセックスでも感染しないわけではない(ただし、この感染は起こりにくい。体液の交換が少ないなど、女性同士のセックスはHIVが感染しにくい理由があるからだ。これも生物学的な理由で、善悪判断とは全く無関係なことには留意しよう)。
HIVはセックスで感染する。でも、逆にセックス以外の人と人との交流では感染しない。生殖器から分泌される体液で感染するけど、唾液(つばやよだれ)や汗、涙などからはHIVは感染しない。だから、感染者と手を握ったり、キスをしたりするだけでは(出血してなければ)HIVは感染しない。ぼくがHIV患者さんを診察する時も、素手で診察する。
1980年代のアメリカでは同性愛者はとても差別されている存在だった。アメリカは基本的にキリスト教社会で、そのキリスト教が同性愛を認めてこなかったからだ。これはカトリックもプロテスタントも同様だ。ちなみにキリスト教社会じゃなかった昔の日本は、同性愛にはずっと寛容だったんだよ。
ところで、世の中には同性愛者と呼ばれる人もいる。男性が男性を、女性が女性を愛するのが同性愛だ。この時、男性が男性と、女性が女性とセックスすることもある。 手元の辞書(大辞林)には「セックス」の説明として「性交すること」とあり、「性交」の説明として「男女が性的交わりをすること」と説明しているけれど、必ずしもこれは正確な説明ではない。「男女」でないセックスもあるからだ。 このように、「性」のあり方についてはいろいろなパターンがある。一口に「こうだ」とまとめてしまうことは難しいし、時に危険ですらある。難しい言い方をすれば、「多様性」がある。要するに「性」のあり方とは「生き方」の一バリエーションなんだ。人の生き方にはいろいろあるわけで、「性」のあり方も多種多様だ。算数みたいな「正しい答え」をひとつだけ求めるのが難しいのはそのためだ。だから「疑う」「問う」「悩む」といった、(高校までの)算数・数学とは異なる勉強の仕方が必要になる。
例えば、(望まない)妊娠のリスクを回避する方法。これもたくさんあるんだけど、日本でよくある方法は二つに絞ってよいと思う。コンドームとピル(経口避妊薬)だ。 コンドームもピルも、妊娠を回避するには有効な手段だ。適切に使用していれば、コンドームは98%程度の確率で、ピルなら99%以上、妊娠を回避してくれる(ARHPリプロダクティブ・ヘルス専門家協会より。
膣外射精とか、リズム法(基礎体温を測定する方法)なんかは、正確性に問題があり、失敗のリスクが高いから、妊娠回避の方法としてはおすすめしない。ネットで探すと他にもいろいろ「妊娠しない方法」が出てくるけど、たいていはガセネタだ。信用しないほうがよい。ググれば正しい情報が得られる、というナイーブな(ここではウブでだまされやすい、という意味)考え方は捨てなければならない。
「感染症のリスク」を減らす方法としてもコンドームは有効だ。コンドームは感染症と妊娠、両者のリスクを回避してくれる。だから、授業でも「ちゃんとコンドームを着けましょう」ということになる。コンドームの正しい使用方法を教えるのも、そのためだ。
高校生では女子の2割、男子の1割がセックスを経験している。中学生でもクラスで一、二人くらいの割合でセックスを経験している。これが現実だ。彼らが全く無知なままで、セックスにまつわるリスクにさらされるのを、我々大人は許容してはいけない。
コンドームが避妊や感染症の予防に重要だと知識でわかっていても、それだけでは不十分だ。「着用するぞ」「着用してもらうぞ」と思っていても、「彼氏がいやだというから」なんて理由でコンドームをあきらめる人だって多い。「コンドームしないんだったら、セックスはしない」ときちんと断る力も必要だ。
では、ぼくの見解を述べよう。 ぼくの意見は、「中学生や高校生の時は、一般的にはセックスしないほうがよい。セックスは長く愛し続ける覚悟ができている相手とだけしたほうがよい(その理由は、後述する)。でも、多くの場合、中高生でそこまで覚悟の決まった恋愛をすることは(ゼロではないにしても)、限りなく可能性は低い。だから、まずはセックスのない恋愛に留めておいたほうが良い」。 ただし、これはぼくの「見解」であり「教育」ではない。セックスにおいて何が「正しいセックス」かどうかをぼくの側から一意的に決定することは難しいし、たぶんできないんだ。
昔のヨーロッパでは、女性は性的な快感を得てはならない、と言われていた。性的快感を得るのは男性と娼婦だけで、「淑女」はベッドの中で快感などを感じてはならず、出産のことだけ考えていればよい、というのだ。と、あくまでも出産・育児を念頭においてセックスするように薦めている。西欧、キリスト教社会は性に関しては非常に厳格、かつ狭量だった。 女性が性的快感を得て、オルガスム(性的な絶頂感)に達することを認め、科学の世界で始めて説明したのは産婦人科医のウイリアム・マスターズと心理学者のヴァージニア・ジョンソンだ。
日本では、男子がマスターベーションをしすぎると精液が減って健康によくない、くらいの教えはあったようだけど、道徳的に否定されるようになったのは西洋文化が入ってきた明治時代以降だ。同性愛同様、キリスト教文化が日本人を性的に不寛容にしてしまったところはあると思う。
2014年7月、ろくでなし子という女性が自分の生殖器をかたどったデータを3Dプリンターに送り、わいせつ物頒布等の疑いで逮捕された。 ぼくには逮捕の妥当性はわからない。でも、女性の生殖器だけを切り取って立体的に送ったその「もの」をわいせつ物として認識するなんてバカげているとは思う。そんなものに、(見てないけど)何の魅力も感じない。
性教育はイデオロギー論争になりやすい。ぼくはイデオロギーには興味がない。興味があるのは子どもたちに妥当な性教育が提供されることだ。それだけだ。
もし、一族の中に血友病の人がいて、近親婚を許してしまうと、異常なX染色体をあちこちで共有するようになり、病気の男性が一族に増えてしまう。かつてヨーロッパの王室では親戚同士で結婚を重ねたため、血友病が一族で増えてしまうことがあった。 このように、「病気を予防する目的」で近親婚はよくない、という「わかりやすい説明」がなされてきた。 でも、よく考えてみたら、これはおかしい。 なぜなら、逆に言えば、一族に病気の染色体がない場合は、むしろ近親婚のほうが病気になりにくいからだ。「知らない誰か」の遺伝子を入れてしまったら、その遺伝子に病気の原因が入っているかもしれない。長い間病気知らずの一族とかならば、むしろ他の血を入れないほうがよいはずだ。性感染症の原因微生物がなければ、セックスのコミュニティーのなかでSTDが増えないのと同じ理屈だ。他のコミュニティーにセックスの輪を広げていけば、STDのリスクは当然上がるのだから。
例えば、同性愛。同性愛は長い間日本で許容されていた恋愛とセックスのあり方だった。しかし、明治時代以降に西欧文化(キリスト教文化)の流入とともにタブーとされる。
さて、幼児に恋愛感情を抱く人がいる。英語では子どもを愛する、という意味で、pedophileと言う。しかし、思春期に至っておらず、第二次性徴もまだなく、よってまだ性欲が芽生えていない相手に性の欲情を強制するのは、「わたし」の欲望が他者に苦痛、迷惑をかけてはならない原則に反する。多くの場合、幼児を対象とする恋愛、そしてセックスの強要はその幼児への長い長い心的外傷(トラウマ)の原因にもなる。大人と違ってこれを拒むのも容易ではない。このように考えると、幼児を対象とする恋愛や性行動は禁止されるべき、と結論できる。
同性愛者の定義にもよるけれども、アメリカ、イギリス、フランスだとだいたい1、2割程度の人が同性愛者的な傾向を持っているそうだ(Journal of Homosexuality 1998; 36(2):1-18)。
西洋でもギリシアの哲学者ソクラテスが同性愛者だったことは有名な話だ。古代ギリシアは同性愛には寛容な社会だったんだ。ところが、その後数百年が経過し、キリスト教社会となった西洋ではだんだん同性愛をタブー視するようになり、同性愛者は差別の対象となってきた。同性愛は宗教上の罪と考えられたからだ。 同性愛に限らず、中世以降のキリスト教社会は「性」というトピックそのものに対して厳格な態度をとるようになった。
なにしろ英国では男性同性愛は「犯罪」だった。コンピューターの原理を開発した天才数学者のアラン・チューリングは当時風俗壊乱罪に該当していた同性愛の罪で女性ホルモンを注射することを強要された。第二次世界大戦後、つまり現代の話ですよ。びっくりです。今だったらもちろん人権侵害、噴飯物の悪法です(現在では英国でも同性愛は合法です)。この実話の悲劇性は、ベネディクト・カンバーバッチ主演の映画「イミテーション・ゲーム」(モルテン・ティルドゥム監督 2014年)で強く感じ取ることができる。ぜひ観てほしい。
MSM; Men who have Sex with Men・・・男性同性間性的接触者
安全な水や食料、治安の良さ。日本以上に安全な国をぼくは他に知らない(まあ、自然災害は多いですけど)。エボラも、犯罪も、テロも(あまり)気にしなくてすむ。
例えば、「健康のために一生セックスをしない」「海外にも行かない」のは、けっこう、つまらない人生だとぼくは思う。
セックスの背後にある恋愛もまたリスクがある。ふられるリスク、傷つくリスク。 でもやはり、恋愛は大事だ。ぼくたちの人生を豊かにしてくれるのが恋愛だ。たとえ成就しない、失恋に終わる恋愛ですら、それは人を成長させてくれる。
人間は進化論では一番最後のほうに位置している、(今のところ)進化論の最終形だと考えられている。地球上の生物でもっとも優れている(ところもある)その最終形の生物が、「わざわざ妊娠しやすいという効率的な戦略を(どこかに)捨ててしまう」というのは奇妙な話だ。何か進化論に間違いがあるのだろうか。 でも、逆に言えば発情期がない(排卵日が正確にわからない)おかげで、人間は日常的にセックスを楽しむことができる。男性は、「今日は排卵日じゃないから、セックスはしませんよ」と突っぱねられることはない。女性のほうも、排卵日でない日にもセックスを楽しむことはできる。子どもができる可能性がないときでも、(純粋に快楽を目的とした)セックスが可能になった、というのは一種の「進化」と言えるのかもしれない。
印象的だったのは、ゲイの人々の一番のなやみが「からだの関係にはすぐなるけど、恋人が見つからない、長続きしない」ということだったこと。いまの若い人たちのなやみにとても似ている。
昔は……まあ、数十年前は……男性が女性を口説くのが一大事で、女性が男性を口説くことは多くなかった。中高生で付き合ってるカップルも多くはなかったし、かりに付き合っていてもセックスに行くまでもハードルは高かった。女性もそう簡単には「させてくれ」なかった。女性に至っては、(前述のように)性欲なんて存在しないかのように振る舞うことが社会的に期待されていた。
いずれにしても、「生き延びるためのスキル」としての性教育の必然性は、最終的には「セックスをしない」というのがもっとも安全という結論を導き出す。 しかし、ぼくは「リスクをとらない」という結論は目的と手段をとっ散らかした下策だと考える。その一方で、「セックスをしない」という選択肢を積極的に許容し、多様性を積極的に歓迎しようともぼくは言う。 なんだかぼくの主張は支離滅裂になりつつあるように見えるけど、ぼくの中ではこの理路は一貫している。もう一つ迂回路を取ることで、その理路の一貫性がお示しできるはずだ。
絶対恋愛の原則は、
〈その1〉ひとりの人だけを長く愛し続ける、生涯愛し続けるような気持ちで愛する。セックスの対象もそのひとりだけ。
〈その2〉「わたし」よりも常に「あなた」を優先させる
長く愛する恋愛対象とのセックスだから、その価値はずっと高い。ぼくはそう考える。行きずりの、その場限りの、なんとなくのセックスではない、世界でたったひとりの愛する人とのセックスだ。非常に価値の高いセックスは、セックスを「よいもの」にしてくれる。
しかし、「絶対恋愛」においては、条件なんて問うてはならない。それでは「絶対」にはならず「相対的な」恋愛になってしまうからだ。部分がどうなっているか、相手の学歴がどうか、おっぱいの形や大きさがどうか、という情報は「事後的に」ついてくるもので、それは相手を選ぶ条件にはなりえない。まあ、最初はそういう「学歴」とか「おっぱい」とかがきっかけになることはあるかもしれないが、そういう条件を根拠に値踏みすると、絶対恋愛は成立不可能になる。 なぜかというと、「条件」を根拠とした恋愛は常に「相対的」だからだ。「相対的」というのは、他の誰かと比べて……ということだ。
例えば、「わたしはお金持ち(高収入)と付き合いたい」と考えたとする。条件としての高収入だ。 そうすると、目の前に金持ちが現れ、「条件を満たしている」という理由で、あなたはその人に恋をするかもしれない。 しかし、そのような「条件付き」の恋は長続きしない可能性が高い。 なぜならば、もしその人物がお金を失って貧乏になってしまったら、「条件を失った」その人を愛する理由がなくなってしまうからだ。あるいは、「もっとお金のある人」を見つけたら、そちらの人物のほうに気がうつってしまうからだ。他者との比較でしかものを語らない人や、偏差値のような順列でものを考えていると、「絶対恋愛」には到らない。絶対恋愛とは「一番の人を愛する」ことではなく、誰とも比較なんかしようがないような形で「あなた」を愛するということなのだから。
「絶対恋愛」においては、恋愛対象である「あなた」はつねに「わたし」よりも優位に置かれている。だから、「あなた」の美しさ、素晴らしさ、がんばり、快挙、すべては「わたし」にとっての喜びであっても、嫉妬の対象にはならない。「わたし」が何かを成し遂げるよりもずっと、「わたし」は「あなた」の成功を望むのだ。
嫉妬心をばねにして自分ががんばる、というやり方がある。心理学の言葉で言えば、「昇華」ってやつだ。これはライバル同士がお互いを伸ばしていく上で、とても有用なやり方だ。嫉妬心をガソリンにして、肯定的な目的のために、前に向かって走るんだ。
フェミニストの上野千鶴子氏は、「おひとりさま」を推奨している。配偶者(ここでは主に夫)の面倒を見ながら老後を生きていくより、ひとりで生きていくほうが気楽、という考え方だ。「自分が一番大事」という考え方であれば、確かに「おひとりさま」のほうが効率的な生き方かもしれない。 でも、私は「わたし中心」よりも「あなた中心」のほうが生き方としては美しいと感じる。「わたしよりもあなたが大事」という自己犠牲の精神は「わたし」の価値も高めてくれる。逆説的だけど、ある種、一番「自己実現」に近いのは自己犠牲的精神なんだ。
「絶対恋愛」は表面的には利他的な恋愛だけど、利他的な行為こそが実は最大の利己的な行為であるともいえる。 立派に身を引く利他的な精神は、あなたの尊厳を守る意味で自分を利してくれる、つまり利己的な行為なのだ。 相手を傷つけてすかっとする行為は、一見利己的に見えるけど、実はあなたの尊厳を貶めてしまい、自分の利益にはならない。
問題は、それを苦痛と思うか、愉快と思うか、だ。ぼくは愉快に思ったほうがよいと思う。 他者に自分にない属性を認め、「なるほどねえ、そういう考え方もあるんだ」という発見を快楽と考えれば、毎日が新鮮でエキサイティングで楽しくなる。これを「おれの習慣と違う」と苦痛に思い出せば、毎日がだんだんつらくなる。同じ人生だ。どちらが得かは、言うまでもない。
ぼくは一年間イギリスに、五年間アメリカに、そして一年中国に住んでいた。異国異文化の生活を「つらい」と思えば毎日つらい。「楽しい」と思えば毎日新鮮で楽しい。同じやるなら、楽しく過ごしたほうがずっとトクだ。
実はぼくは、こういう儀式を長らく軽していた。商業主義のマーケティングにのせられて、金を使わされているだけじゃないか、とニヒルに考えていた。法事とか、結婚式とか、そういう古来の日本の儀式も軽していた。単なる時間の無駄であり、お金の無駄であり、効率性に欠ける、と思っていたんだ。以前の私は効率重視の、アメリカのビジネスマンみたいな考え方をしていた。 とんでもない間違いだったと、今ではとても反省している。 商業主義に「わざとのせられる」のも大事なんだ。 いいじゃないですか、キリスト教徒じゃなくたってクリスマスプレゼント。それで、与えるほうももらうほうも幸せな気分になれるんだから。儀式、形式って大切なんだよ。 バレンタインデーでチョコレートをもらい、ホワイトデーにお返しをする。こんな形式的な(そして商業主義的な)ことでも、そのような贈与の交換を行ったことでまた気分はリフレッシュする。この気分のリフレッシュを体験できるのならば、いいじゃない、商業主義、乗ってやろうよ、とぼくは最近思うようになった。苦虫を嚙み潰したように、「バレンタインなんて商業主義」と軽していた時より、今のほうがずっと楽しい。騙されているかどうかは、関係ない。
問題は、なぜ「夫婦別姓」という異なるオプションを全否定してしまうのか、ということだ。 他者に対する寛容を重視するならば、これは非常にヘンテコな論理だ。自分のあり方を、他人とあわせなければいけない、というのは古い昭和的、悪い意味での同調圧力だ。
今、恋人がいるのなら、その恋人を「一生愛し続けようかな」と思っていただけたら、なお嬉しいです。
Posted by ブクログ
もちろん性の話だし、性感染症を防ぐための性教育の話なのだけれど、射程はそこだけにとどまらず、どう生きるか、どう人を愛するかというテーマに帰着する。語り口も軽妙で非常に面白い。こういう本を他人に勧めるのは気がひける感覚が私にもあるのだけれど、できるだけ多くの人に、特に中高校生には読んでおいてもらいたいと思う。
Posted by ブクログ
ブログとかも拝見してるんで、おおかたの言い分は予想のつくものでした。最後の章で熱く語られる絶対恋愛は、少なくとも自分の感性とは相容れない気もしたけど、あくまで可能性をあまねく提示する意図の元で触れられていることだから、なるほどそういう考え方も、って感じで読み進められた。家庭での性教育と、学校での性教育は、やっぱり意味合いが違ってくると思うけど、少なくとも家庭での対応は考える必要がある訳で、その一助にもなると思えた。
Posted by ブクログ
ひと通り性感染症について学びたいと思い手に取ったが、性教育についての話がメインだった。性教育に関しては考えが深まった。感染症としては病名、病原菌、感染経路が少しだけ書いてあるだけだった。
Posted by ブクログ
面白かったです。
大学生とかに是非読んでほしいです。
一時間目:性と感染症
二時間目:中高生はセックスしてよいのか?
三時間目:性を伝えにくくしているものとは?
四時間目:正しいセックスなんてない
五時間目:絶対恋愛という可能性
私も性教育をした経験があるので、どう伝えるか悩むところもたくさんありますが、感染症という切り口から一般の人たちにどう伝えるのか、その伝え方が面白かったです。
知っていることも多かったですが、様々な文献(論文はもちろんですが、小説など)も引用されているの印象的でした。
近親婚、いとこ婚については詳しく知りませんでした。
リスク回避のためにセックスしないというのは寂しい話です。
今の大学生には少し難しいというか、実感がないかもしれないですが是非一読していただきたい本です。
学校の先生や、医療者にはもちろん読んでいただきたいですね!
Posted by ブクログ
ふわっとしたイメージに
引っ張られがちなところに、
データに基づいた視点を打ち立てる。
イワケンさんらしい
スタイル。
子どもに何をどこまで伝えるべきか
悩む親にとって大いに参考に
なった。
最後の絶対恋愛、
城山三郎の
「そうか、もう君はいないのか」
の世界なのかな。
Posted by ブクログ
性感染症、性についてのお話からの、絶対恋愛論がとても良かったです。
お互いに、相手を生涯愛する前提でともに過ごし、相手のことを尊重して過ごしていくということ、と受け取りました。
10代でこういう本と出会えると、その後の人生がより安心な、幸せなものに向かっていきそうだなと感じました。
Posted by ブクログ
内容は中高生(高校生?)向けの性教育。
医者だし性感染症の知識と防衛策についてがメインかなと思ったら,そのかなり上を行っていて,「絶対恋愛」という恋愛論を展開していく。一人を一生涯愛し続け,自分より相手を優先するべし,と。
感染症のリスクを極小化するには,感染源との接触を断てばよいのは自明の理。性感染症も同じで,リスクをなくすには,誰とも一切の性的接触をしなければいい。しかしそれでは人生つまらない。
性愛は悪いものではなく良いものだ。抑えられない衝動もあるだろう。
そこでその相手をただ一人の人に限って,誠実におつきあいをするなら,その愛の価値はいっそう高まるし,おまけに性感染症のリスクも低く抑えることができる。まさに一石二鳥!
そしてその生涯の愛を見極めるためには,ある程度大人になっていなくてはいけない。なので君たちくらいの年齢でのセックスはあまりおすすめしない。でも禁止はしないから,予防策はしっかり教えておくよ。
…まあ正論だけど,中高生相手に「絶対恋愛」とか言えるのってなかなかすごいと思った。