あらすじ
「わたし」はどうして死んだの?
自殺未遂の末、記憶喪失になった少女。
亡くなった同級生と自らが残した謎を辿る。
『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』シリーズの太田紫織の新境地!
なぜ、私は「あしたはれたら死のう」と書いた翌日、橋から飛び降りたのか――。
自殺未遂の結果、数年分の記憶と感情の一部を失った少女、遠子。
そのとき一緒だった同級生男子の志信は亡くなったが、周囲も、遠子自身も
なぜ自分たちが死を選ぼうとしたのか、わからない。
唯一の手がかりはSNSに残された日記だけだった……。
感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
最初の方は、主人公の同級生達のいじめがあまりに幼く羞恥すらも感じたのですが、後半につれて謎が解けていき、最後の十数ページは号泣してしまいました。
これは私が家族に恵まれているからこその感想なのかもしれないので、もしかしたらあまり感動できない方もいらっしゃるとは思いますが…
(以下、少々ネタバレ入ります)
この物語の『わたし』である遠子と志信は、“面白くて、優しい、無責任な人間”の被害者だと感じました。“面白くて、優しい、無責任な人間”とは即ち、遠子にとっては父親、志信にとっては母親の元恋人のことを指します。
遠子はヒステリックな母親を疎み、父親といる方が快いとすら感じていました。父親はヒステリックでもなく、怒りもせず、冷静に話を聞いてくれるからです。しかし、最終的には母親のヒステリーが心配故のものであると気づきました。
一見腹立たしいことを言う人の方が、自分のことを想ってくれている場合も多いことに私自身、改めて気付かされました。
志信の方も同じです。
遠子も志信も遠子の母親も花子さんも、全員“無責任な人間”に人生を狂わされています。
何故“無責任な人間”が面白くて優しいのかといったら、それは責任を取るつもりがないからです。だから、なんでも好き勝手できるのです。相手の後先も考えずに優しくできるのです。
これからの人付き合いを考えさせられる話でもあるなと思いました。