あらすじ
家康謀略史観に疑問を持つ事で見えてきた、浪人やキリシタン、商人の存在。武将の活躍の陰で、彼らもまた生き残りを賭け参戦した。軍功書、首取状などの豊富な史料を提示しつつ、大坂の陣を鮮明に描写する。
〈目次〉
はじめに
第一章 関ヶ原合戦と江戸幕府の成立──徳川公儀の確立
1 関ヶ原合戦後の戦後処理と諸勢力の動向
2 江戸幕府の成立と徳川権力の進展
第二章 大坂冬の陣勃発──仕組まれた戦い
1 方広寺鐘銘事件起こる
2 大坂冬の陣前夜
3 大坂冬の陣開戦する
第三章 和平交渉から大坂夏の陣へ──豊臣家の滅亡
1 和睦交渉の経過
2 大坂夏の陣への道
3 大坂夏の陣と豊臣氏の滅亡
第四章 大坂の陣のその後──戦国終焉の舞台
1 徳川方と豊臣方の扱い
2 落人・浪人たちのその後
3 キリシタンたちのその後
4 戦国の終焉
主要参考文献
おわりに
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Posted by ブクログ
信長、秀吉、家康、
一番最初に買ってもらった本はこの三人の自伝だったんです。
戦国時代にタイムスリップして実際の現場でどうであったか確認してみたい。
Posted by ブクログ
大坂の陣について浪人問題に主軸がおかれているのが面白かった。もちろん、そこに至る過程は描かれている。「国家安康」の銘を考えた禅僧のことなんて初めて知った。また、二重公儀制と家康が当初から積極的に豊臣家を滅ぼそうとしていたことへの否定になるほどと思った。
Posted by ブクログ
「大坂の陣」の定説をくつがえす。
家康が、豊臣家を滅ぼしたのはなぜか?その答えは浪人たちにあった。
戦国時代に終わりを告げた「大坂の陣」。徳川家康が豊臣家を滅亡させるために謀略に満ちた戦いといy通説は、事実なのか。家康謀略史観に疑問をもつことで見えてきた、浪人やキリシタン。商人の存在。武将の活躍の陰で、彼らもまた生き残りを賭けて戦っていた。軍功書、首取状などの豊富な史料を駆使しつつ、関ヶ原合戦から大坂の陣にいたる激動の時代を鮮明に描く。
ここのところ仕事が忙しく、本を読む時間がとれないので積読状態の本が山積みであるなか、最近購入したこの本は、思わず引き込まれて読んでしまった。
本書は読みやすく、新しい研究の成果を知ることができるが、反面、もやもやした部分も少なからずあった。
家康は秀頼を右大臣にしたものの関白にする気は無かったという推測は面白い。
(とはいえ右大臣とは破格であり、豊臣が本当に臣下の礼をとれば制外の家として生き残る道があったと思う。)
方広寺鐘銘事件事件や大坂城の堀の埋め立ての通説の見直しは参考になる。
「家康謀略史観を克服する」という部分は、十分に発揮されていないと思う。この点からいうと、私は、笠谷和比古の著書を読んだ時の方が衝撃を受けた。本書
では、笠谷説に疑問を挟んでおり、参考になる部分もあるが素人目には差が感じられない部分もある。
また、疑問な点もある。
・岡部長盛は外様大名なのか(p55)
・家康が二条城において秀頼に臣下の礼を取らせたとあるが、天下に徳川公儀が
豊臣公儀に優越していることを知らしめる儀式ではあっても臣下の礼を取らせたとは言えまい。
・二重公儀制の有効性を補強するための8点に対する批判をしているが、二重公儀制を肯定しているのか否定しているのかがわからない。(仮に二重公儀制を認めるにしても期間限定であるという考え方の模様)この点、私は二重公儀制という言葉が一人歩きしていて批判されているようにも感じる。
・家康が、豊臣家を滅ぼすになったのは何故かの分析が欲しかった気がする。
答えは近いものの、回答に至るルートが異なる。そんなモヤモヤ感が残る1冊であった。(もっとも、笠谷著も含め最近の著作を読んでいないので、私のベースとなる知識が数年遅れていることは否定できない)