あらすじ
英語・英文学教師から国民的人気作家へと転身した場所、東京市本郷区千駄木町。代表作『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』もここで書かれた。多くの弟子にも恵まれ、嫌いな大学も辞めた、博士号も辞退した。それなのに、千駄木はイヤだ、豚臭い、そうか、それなら慈悲のために永住してやる……と。書簡、作品、明治の千駄木から描き出す素顔の漱石とは。文庫のために「千駄木以後の漱石」を加筆。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
千駄木時代の漱石とその周りの人々、そしてその地域、その時代にまつわる諸々の逸話ともりだくさんで興味深く、至福の読書だった。家族に対する暴君ぶりと打って変わって、弟子たちに対する細やかな優しさが印象的。千駄木を離れて作家一本でやっていくようになってからは執筆活動に追われ、弟子への手紙も業務連絡的なものが多くなったというので、漱石にとって千駄木時代は色々不平不満はあるものの人と交わりを楽しめる良い時代だったのだろう。
Posted by ブクログ
国費での英国留学から帰った漱石は、一旦、妻の実家に身を寄せた後、千駄木の借家に移る。
そこは、十年ほど前には森鴎外も住んだことのある家だった。
その、「千駄木の家」で、『吾輩は猫である』『坊ちゃん』が執筆され、漱石は人気作家となった。
少し前に、『硝子戸の中』を読んだ。
漱石の最後のエッセイだが、自身の内面と人生を振り返ったものが多く、千駄木時代のことも多く書かれている。
この作品は、それを外から裏付けているような面もあり、漱石が立体的に浮かび上がってきた。
家族から見たらとても怖い人だった、というのを以前に読んだが、それは漱石の本来の人間性ではなく、どうも「神経衰弱」の発作のためだったらしい。
後輩の面倒見が良かったので弟子たちからは尊敬される。
残っている書簡を見ても、まじめであり、ユーモアと人徳のあった人のようだ。
人付き合いが苦手で、過干渉な隣組的お付き合いを嫌う。
能や歌舞伎、寄席、美術館通いが好き、権力が大嫌い。
自分の健康と気分が最優先。
立身出世にきゅうきゅうとするより、小さく暮らしたい、そんな人であったらしい。
…他人とは思えない(笑)
仲の良かった寺田寅彦のこと、明治の二大文豪として漱石と並び名前の挙がる森鴎外のこと、弟子たち、本づくりにかかわった人たちが多く描かれる。
もちろん、千駄木という土地も、この本の一方の主役である。
漱石は、内容そのものはもちろんのこと、誤植のないこと、装丁装画の美しいこともふくめて「良い本を作ること」そのものが大好きだったようだ。
「漱石先生」を、とても身近に感じるようになった。
Posted by ブクログ
千駄木時代の漱石、というと、ロンドン留学後、『吾輩は猫である』や、『坊ちやん』、『野分』を書いたころらしい。
千駄木のその家は、鴎外兄弟も住んだ家だという。
ということは、今は明治村にあるあの家ということか?
さすがの森まゆみさんで、明治のころの街の様子、借家事情、経済生活など、細部まで調査されていて、そのころの漱石の様子が今までよりクリアに伝わってくる。
かつてであれば、偉大な文豪、弟子たちに慕われ、漱石人脈を形成した偉人のイメージがあった。
近年は鏡子夫人の立場からのドラマや書籍も多く、家族からすれば厄介な人という側面もクローズアップされている。
本書は、そのどちらにもバランスよく目を向ける。
身勝手で、暴君で、外面がよくて、面倒見がよく、率直で・・・という、漱石の多面性が見えてくる。
Posted by ブクログ
漱石が帝大で講師をしながら小説を書くことをはじめた4年間の千駄木時代の話。"根は真面目な人"ー漱石、弟子に優しく、ユーモアのある手紙数々。
漱石も歩いた千駄木周辺を歩き回りたくなった。
Posted by ブクログ
ひとりごと
漱石が好きな友人に、お茶の水近辺にある、漱石が食べた牡蠣定食屋さんの店に連れて行ってもらって食べたことがある。
まだ10代の私は、幻想文学にどっぷりはまっており、夏目漱石にはあまり興味がなかった。
けれどあの友人にはかなり刺激を受けたのを、この中の牡蠣の話で思い出した。
音楽もそうだが、本もとても個人的な想いと重なるものだが、ぼんやりと、何でも揃っているような大きな書店で、棚を隅から隅へと渡り歩き、そして、かなり前に出た(私からすると「最近」の感覚)この本を見つけ、表紙が漱石の絵で、時間潰しにはもってこいと思ったのに、こんなに素晴らしい本を手にできたと思えたのは久しぶり。
ネットができてからも本は本屋でと、なるべく意識しているのは良かったな。それ以前に、まだまだ大きい本屋が続いてくれていること、それを支えるべく、やはりこれからも本屋で。