あらすじ
大ザルがロバにライオンの皮をかぶせた偽アスランの「命令」により、木々の精霊は切り倒され、もの言う馬たちは奴隷のように働かされている。その光景を見たティリアン王は激怒し、剣を抜くが……。カロールメン国の大軍や邪神タシュまでがナルニアに到達する絶体絶命の状況で、物語は思わぬ方向へと動き出す! 衝撃の最終巻!(解説・山尾悠子)
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Posted by ブクログ
既に7冊も読み終えたので、自分もナルニアの一員になったような気持ちである。アスランに無条件の安心感を覚えるし、ナルニアが自分の仲間だと言う気持ちになる。
そもそもナルニアという空間が、現実とは違う概念なのだが、『ナルニア国物語』を読んだ読者の間でも『ナルニア国物語』に対する解釈、好きなキャラクター、好きなシーンが大きく異なる。読者みんながそれぞれの心に自分だけのナルニアを思い描いている。魔法のタンスがナルニアにつながっていたように、我々の心のタンスには、この物語を読んだ素敵な思い出が詰まっているのかもしれない。
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他の作品と違って冒険のない物語で宗教色がかなり強い作品。
要所要所で賛否分かれるとは思うけれど、読者がナルニアの友であればあるほど
納得の行く作品ではないでしょうか?
(正直ナルニア国物語の中では好きではない部類なのだが)
ただ信じる者は幸福となる、疑うものは見えるものも見えなくなる、というのは
正しいようで少し極端で怖い描写だなと思ったり。
ナルニア国物語が聖書等を元にしているので、こういう方向性が正しいとは思うけども...。
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シリーズ完走、最終巻
子供の頃は、宗教観が強すぎ、なぜ滅亡なのか事故死なのか全く釈然としなかったけど、大人になった今ではナルニアは何も終わってないのかと気付く。
終盤のカーテンコールのような演出も嬉しい。
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井辻朱美の解説はネタバレ
リリアン王から二百年も経つとナルニアの空気も濁ってきて、(20世紀の執筆当時と同じく)“救世主の再来”と思われた獅子があとで「なんであんなに従順に恐ろしいことをしたのだろう」Tyrantだったりする。王と一角獣が殺人をしたのは良くなかったが劫初から植わっていた〈国の守りの木〉を伐ることは、国家反逆罪に当たる。引き返しで名乗り出たのは最悪だった。“保護者”たるべきルーンウィットはあっさり殺され、地球からの二人が事情がわからないのは同じ。
偽アスランは早くに正体がバレるが、
熱望するアスランは姿を見せない。
魔神は実在した。位相転換した世界で〈ナルニアの友〉はMentorとなり
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ナルニア最終巻。
全体として、正しくないことをした者がアスランの導きによって善い者となるという構成をとる。白い魔女を復活させたディゴリー、兄弟を裏切ろうとしたエドマンド、頑なに自分以外の価値観を受け入れないユースティスなど、「正しくない」者たちがそれぞれの物語において登場する。アスランは違う選択をした未来については決して語らず、あくまで目の前にある選択肢を提示し、選ばれたことに関してのみ言及する。これは善悪を自ら選び取る行為であり、アスランは人々を救ったり、正しい方向へ導いてくれる存在ではない。あくまで正しい選択をした者だけを選択した道へと導く役割である。
神を信じる者は救われるというキリスト教的な考え方が充満している作品だが、あくまで児童文学らしく、易しい世界観で描かれている。終始、「筆者にも分からない」「ナルニアに行ってみれば分かるだろう」といったように、ナルニアの様子については抽象的にぼかすことで、読者の想像に委ね、またその想像以上の世界がナルニアなのだということを強調している。
アスランという絶対的な存在に従う者だけが「正しい」とされる点や、アスランの正しさを信じる者だけが救われ、真のナルニアにいることを許される点など、キリスト教に馴染みのない私にとってはあまり納得のいかないものであった。アスランの言う「正しさ」は果たして善なのか、アスランの善に従うことが良いことだとされるならば、あらゆる選択肢の中から正解を選び続けることが善なのか。アスラン(神)が全ての基準となることにあまり理解ができないが、ファンタジー作品としては手軽に読むことのできる作品だと感じた。
物語のラストでスーザンが真のナルニアに歓迎されないことについても、「ストッキングや口紅やパーティの招待状」に興味を持つことの何がいけないのか、ナルニアを忘れてしまっていることが悪なのか、鉄道事故が現実に起こったことならば、それだけの理由でスーザンは事故から救われなかったのか、アスランの選択に疑問が残る。スーザンは『ライオンと魔女』でルーシーがナルニアに行ったと主張したときも、エドマンドのように馬鹿にはしなかったし、常に兄弟の中の年長者として、4人の中で保守的な考えを持っていた人物と言える。むしろ、善悪の選択を迫られる必要がなかったために、アスランを信じる・信じないの土俵に立つ機会がなかったとも言えるのではないだろうか。そんなスーザンが年齢とともに成長し、ナルニアのことを忘れてしまったからといって、鉄道事故に巻き込まれるのは少しやりすぎな気もする。大人になってもナルニアを忘れなかったディゴリーは、大人になるにつれてナルニアを忘れてしまったスーザンを冷ややかに批判するが、「俗っぽい」成長を遂げたスーザンを愚かだとするその語りは、悪意すら感じられる。終始善悪を選び取り、善を選んだものがアスランにたどり着くという構図をとる本作品だが、スーザンがアスランを選ばなかったからといって「善でない」とは言い切れない。善を選んだ先にアスランがあるのか、アスランを選ぶ者が善なのか……いずれにせよ、アスランの持つ善悪観に共感することは難しかった。
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最終巻。老ロバが偽アスランに仕立てられ、邪悪な大ザルが代弁者として権力をふるう。戦中の日本の構図を思う。ハルマゲドンによりナルニアが滅ぶ。その壮絶さと無念さに胸を打つ。その後に叙述される楽園は天国といったところか。全巻通して楽しめた。2025.3.24
Posted by ブクログ
ナルニアの終焉と、もうひとつの始まり。
時はティリアン王の時代、大ザルによる偽アスランの出現は、大国カロールメンの侵攻を招き、ドワーフの不信も加えて、ティリアンを勝ち目のない最後の戦いへと導く。呼ばれたジルとユースティス、夢の中に現れた7名の王と女王、そして厩の中にあったものとは——。
読んだことはなくとも、ナルニア国は最終巻で崩壊し、呼ばれた子どもたちが現実世界としては死ぬのだと知っていた。それは有名な作品であるためにネタバレは避けられなかっただけで、今回読んでみて、やはりネタバレを知っているだけでは意味がなかった。
『銀の椅子』でもわかっていたようにアスランの国とは死後の世界である。ティリアンたちはナルニア国での戦いにおいて、ピーターたちはイギリスでの鉄道事故において、亡くなったのでアスランの国に集まり、再会する。ナルニア国の最後の戦いはまるで聖書の最後の審判であり、世の終わりにやってくる神の国がアスランの国と重なる。先にナルニア物語に現れるキリスト教的なモチーフの話を聞いてしまっている身として、そのような理解は仕方ないかもしれない。
しかし愛すべきリーピチープをはじめ、今までの登場人物の名前が次々と並ぶくだりは嬉しいものだ。もう一度皆に会える感動的な大団円である。現実世界において死んでしまっているけど。でもいつか自分も影の国を離れて本物の世界へ行ける、そこでは皆に会えると思ったら。それは幸せだと言えるだろう。死への恐怖がすべて拭いさられるわけではないけど。
ところで解説でも触れられていたが、現実世界としては1人残されてしまったスーザンはその後どうしたのだろう。ストッキングや口紅に夢中になっている、なんと年頃の女の子なのかと。願うなら自分では忘れていたとしてもかつての女王のように強く生きていってほしいし、いつか年老いてからでもナルニアのことを思い出して、アスランの国に来て、皆と再会してほしい。