あらすじ
「自己」とか「自分」とは、私たち個人の内部的ななにものかだろうか。自分の「自」は「おのずから」の「自然」となり、また「みずから」の「自分」となり、両者の間で根源的な生命は躍動する。自己あるいは自分とは、私の内部にあるものではなくて、私と世界との、総じて人と人との「あいだ」にあるのだ。自己の自己性にかかわる危機として分裂病(統合失調症)や離人症を取り上げ、「あいだ」の時間性や、自己の「もの」的ありよう・「こと」的ありように光を当てる。著者の内面の歴史を背景に語られる木村哲学への最初の一歩。
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Posted by ブクログ
何度も何度も読んでみて、いつも新しい発見がある。読み直す中で新しく語彙を体感して、実際の自分の実感をつかみ取れる。やはり木村敏はすごいなと思う。
Posted by ブクログ
以下の文章が印象に残った。
フロイトの精神分析が神経症理論から出発したものであることについては、いまさら書くまでもないことだろう。神経症と精神病、特に精神分裂病との違いは、世間一般では軽症と重症の違いとして理解されることが多いようだが、精神医学の専門的な立場からいうとそれほど単純なものではない。むしろこの二つを区別する最大の特徴は、その病態が神経症の場合には患者自身の自己の内部に限定されるのに対して、分裂病の場合には患者をめぐる対人関係を巻きこみ、自己世界と他者世界との関係の障害として表面化してくるという点だといってよいだろう。
神経症=心理療法家(河合隼雄)のテリトリー
精神病=精神科医(木村敏)のテリトリー
どちらが庶民的か?どちらの格が上か?は推して知るべしである。