あらすじ
2013年7月26日、ドイツ上空で旅客機がハイジャックされた。テロリストがサッカースタジアムに旅客機を墜落させ、7万人の観客を殺害しようと目論んだのだ。しかし緊急発進した空軍少佐が独断で旅客機を撃墜する。乗客164人を殺して7万人を救った彼は英雄か? 犯罪者か? 結論は一般人が審議に参加する参審裁判所に委ねられた。検察官の論告、弁護人の最終弁論ののちに、有罪と無罪、ふたとおりの判決が用意された衝撃の法廷劇。どちらの判決を下すかは、読んだあなたの決断次第。本屋大賞「翻訳小説部門」第1位『犯罪』のシーラッハが放つ、世紀の問題作!
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Posted by ブクログ
テロリストに乗っ取られ、7万人が居るサッカー場に突っ込もうとしていた航空機を撃墜した軍人は有罪か無罪か・・・
いままさに生じてもおかしくはない出来事ですね。この作品の秀逸なところは、その結末。有罪と無罪の結末、両方が書かれています。読者に考えさせると言う事なんですね。
あっという間に読み終わりましたが、中身は物凄く濃いです。
Posted by ブクログ
憲法裁判所が違憲の判断をしているのに、それでもその法を執行する可能性を示唆していた元大臣。公然とそれを是認する議論をしていた軍部エリートの勉強会。表面上、旅客機を撃墜してはならないと命じながら、撃墜を前提とするかのように、スタジアムの避難を指示をしていなかった上層部(その判断をしたのは誰なのかは極めて曖昧。)
一見、被告人個人の有罪無罪が焦点のようだが、実はさらっと描かれている背景の「国家」が、とても怖い。
テロによる間接的影響として国家自身による民主主義や自由の理念の侵害が、実は一番怖いし、それこそがテロリストの狙いだと、訴える巻末のスピーチがついているのは、偶然じゃないぞ。
そういえば、「テロとの戦い」って、最近どっかの国の首相が声高に…。
Posted by ブクログ
――
少し趣を変えて、フェルナンド・フォン・シーラッハによる戯曲。
よく見たら本屋大賞翻訳部門獲ってたから趣変わってないかも。
2013年、ドイツ。テロリストによってハイジャックされた旅客機が、7万人の観客が集うサッカースタジアムに墜落させられようとしている。緊急発進した空軍少佐は独断でこれを撃墜、乗客164人を殺して7万人を救い、地上に戻ると即刻逮捕される。
舞台はその彼の裁判。参審員制が取られているドイツの法廷を舞台に、被告人、弁護人、検察官、裁判長の4人をメインキャストとし、証人 (弁護人側と検察側とのふたり、かと思ったのだけど実際は両方検察側みたいになっている)が時折そこに加わる6人舞台。廷吏も入れたら7人のキャスティング。
そう、つまり観客は、観客席から参審員として裁判に参加することになる。
そして観客の「判決」に応じて、物語にはふたとおりの結末が用意されている……という仕掛け芝居もの。
いわゆるトロッコ問題 (作中では転轍器係の問題、として言及されている)をテーマとして、観客に分岐を変えるか変えないかを選ばせるというのは面白い試み。
参審員、というのは日本で云う陪審員のようなもので、一般市民による法廷参加なのだけれどドイツの場合は少し特殊で、先ずはその権限が殆ど裁判官と同等であるということ、量刑まで判断が及ぶと云う点、そしてそれだけの権限を持っているからこそ選出方法が日本のように無作為ではなくて、政党等からの推薦であり、任期も5年あるというところから純粋な「一般市民」とは云えないところもある。これは第三者機関みたいな、法律の専門家ではない目線で事件を見ようとする狙いなのかしらね? 直観的には無作為に選ばれた陪審員よりもアテになりそうだな、と思ったけれど「政党等からの推薦」ってところが少し臭い。
さて全体的に、扱っているテーマとしては面白いものがあったのだけれどやはり戯曲として納めなければいけない部分もあろうて、事件の細かな部分が置き去りにされている風もあって、ミステリ読みとしてはそのへんが引っ掛かって少し消化不良なところ。
ところでこのトロッコ問題、最近ツイッタで見かけたポイントの上を車体が通過する瞬間に分岐させて前輪を本線に入れて後輪を支線に逃し、股割きみたいな状態にしてトロッコを止めるという解決方法が目からウロコだったわけだけれど、何年か前にポイントを中立にして脱線させる、みたいな方法も出てたから最近例を引かれる場合はトロッコにひとが乗ってるのかもしれない。脱線させたり急停止させたらそのひとが犠牲になりますよ、って風に。重箱の隅をつつくひとに対応して形を変える、これも民俗学か(違います
元々が「転轍器係」という、トロッコの行き先に責任を持つ職業を対象として提起されているものだから、正直一般的な人間に当て嵌めると本当に、正答なんてなくなってしまうのかもしれないなぁ、とも感じた。多分プロの転轍器係であれば、ひとりでも犠牲を少なくする、という思考に自然と傾くだろうし(それは、そうしなかった場合に非難が集まる、というのも勿論ある)、その立ち位置がこの作品では空軍少佐であり戦闘機パイロットである、という実力行使が可能な立ち位置なのだから、旅客機を撃墜して7万人を救ったという判断は当然じゃないか、と思ってしまった。
撃墜された旅客機の乗員の家族も証人として出てきたけれど、なんだか悪し様にヒステリックだな、とか思ってしまう自分にもどうかと思ったけれど。
それから検察官が被告人に対して、「旅客機に自分の妻と娘が乗っていたら撃墜したか?」という質問をして追い詰める場面も、なんだか設問的にそんなにフェイタルじゃない気もする。なんなら「スタジアムに自分の妻と娘が居たから撃墜したんじゃないか?」って方が設問としては恐ろしいよね。
と、いうわけでこの問題に対して、「手を下す」訓練を受けている軍人という職業を転轍器係としてしまうと、あんまり感情移入は出来ないんだなと感じました。ふぅむ。
☆3.1
Posted by ブクログ
シーラッハの長編と短編を1冊ずつ読んで、今度は戯曲。
戯曲は好きだけど、会話劇だとさすがにあの独特な乾いた文体は味わえないのでそこは残念だった。
紹介文を読んだときは、この判断は本当に難しいな…と思ったが、途中でスタジアムの観衆を避難させる時間は十分あったとわかった時点で、一体何を裁く必要があるのか?と思ってしまった。
被告人のパイロットは確かに命令を無視して独断で行動したけれど、そもそもそんな決断をせざるをえない状況にしたのは誰なのか。
諸悪の根源テロリストは別として、次に責められるべきは避難という手段を取らなかった軍の対応ではないのか。
軍は命令が絶対、ということは、責任は当然トップにあるはず。それなのに被告人だけが責められている状況には違和感しかなかった。軍の責任者も別途起訴されているのならまだわかるのだが…。
その点で私は「無罪」を選択した。もし避難の時間がない前提としたら、、その場合はかなり悩むが、やはり無罪に傾いた気がする。
実際に舞台で上演されているのを観たかった。再演があれば行こうと思う。