【感想・ネタバレ】異郷の友人のレビュー

あらすじ

阪神大震災を予言し、信者を増やす淡路島の新興宗教。教祖Sはイザナキ、イザナミの国生みの地で、新たな世界創世を説いていた。ある日、アメリカ西海岸の秘密組織から男たちが訪ねてくる。彼らは何を企んでいるのか。すべてを見通す僕とは、いったい何者か? 世界のひずみが臨界点に達したとき、それは起きた――。大注目の芥川賞候補作。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

回りくどさと軽快さのバランスが絶妙な文章。
記憶だけを知っている人物たちが、偶然の重なりで山上の前に集結するのに、少年漫画みたいな熱さがあった。最後まで読むとタイトルの意味が分かってグッとくる。
スツナキミの正体は「無」だというけれど、全てを無に帰してしまうような津波が起きても、世界は無にならないし、大再現は起こらない。ずっと続く世界に、人間はただ存在する。それは虚しいけれど、裏を返せば、どんな事が起きても人間の存在は無くならないという事を強く示す、大きな希望でもあると思った。最高の作品。

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2018年08月04日

Posted by ブクログ

読書開始日:2022年1月28日
読書終了日:2022年1月29日
所感
良くも悪くも限界、頂上が見えてしまうと極論に走る。
極論に走った行き止まりを見たが最後。
だがその最後を見れば、急き立てる怯えから解放される。
Eも早乙女も山上も、津波に立ち向かうことで解放された。
早乙女は、まだ行き止まりを見るには早いと思えたことこそがある意味での解放であった。
Sは本当の意味で悟りを開いていた。
EMJ早乙女山上集結の飲み会は良かった。
Eは会話がしたかった。
この怯えを共有しあえる仲間と。
意見なんか合わなくてよかった。
本当の会話ができればそれでよかった。
神は孤独、Eも有能故孤独、世界一すらも無意味で孤独わかってしまうところも孤独。だが目指すところはもうそこしかないという悲劇
つまるところ人間は偶然の奴隷。なぞるべきをなぞるだけの明るい諦念で繋がれた奴隷

リビドー=快感を満たすための原動力となる仮想エネルギー。または性欲の意
生命とは物質が羅漢した病
エスタブリッシュメント=支配階級者
敵愾心
一旦リセットだ。さて、俺は何をやる?

濃縮した暴力
荒唐無稽
怯えて待ってはいけない。怯えるのは、本当に恐ろしいことが起きてからで間に合う
煎じ詰めたら最悪の場合、死ぬだけ、だけ
時間軸をとっぱらった世界はモンスターエンジンのコントをするだけの退屈な日々
つまるところ人間は偶然の奴隷
カタストロフィ=突然変異、大破壊
人間の生は悲劇でなく喜劇
ディストピア=暗黒世界
デファクト=事実上の
趨勢
この世の全てがフィクション。そのフィクションをとっぱらって何も拠り所ない世界を作る。その世界を作ることによって人間は真に寄り添い合う。そんな世界をEはつくるため、山上に礎になる様願う
メランコリック=憂鬱
神は孤独、Eも有能故孤独、世界一すらも無意味で孤独わかってしまうところも孤独。だが目指すところはもうそこしかないという悲劇
つまるところ人間は偶然の奴隷。なぞるべきをなぞるだけの明るい諦念で繋がれた奴隷
Eは神の友達が欲しかった。自分くらい全知全能な
次の処理へ、次の処理へ、
体の組成のほとんどが水、いわば海
Eは人間の現在地を見たかったそこでの津波
大再現がおきた。
山上の成仏

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2022年01月29日

Posted by ブクログ

お友達の薦めでよんだ。
感じ方は人それぞれなんだなと思った…全体を通して何を伝えたかったのか、よくわからなかった。
でも、全員が集まっていくとこはワクワクしたし、異郷の設定も新鮮味があって良かった。

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2022年01月14日

Posted by ブクログ

実在のワードや地名が織り込まれ、オーバーラップする視点や経験は輪廻転生とはまた違った世界観を追体験できた気がした。

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2020年02月26日

Posted by ブクログ

ネタバレ

前世の記憶をいくつも持っている我輩、そして今は山上甲哉。

今世は普通の平凡な一般人として人生をまっとうするはずだったけれど、
我輩の意識の中にはある人物の記憶があった。

ひとりはJといって、ハッカーとして大変頭の切れる男でありながらも、自分の能力を活かし切れずにいる自意識の塊のような人物。
もうひとりはSといい、淡路島で新興宗教の教祖をしている人物。

我輩である山上甲哉が、Jに自分の存在を知らせるために送ったメールは
Jの所属する組織のEに気づかれ

EとJ、同じ組織のMは
教祖のS、教団だった早乙女や北海道にいる山上甲哉に会いにくる。

JとSの記憶を覗くことができ、Sを通してEと早乙女の記憶も覗けて
地震による津波で、それぞれの運命は別れ、我輩はまた新たな人間となる。

不思議な話。読むのに時間をかけすぎた。

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2018年05月25日

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神というものの存在を,一つのあり方として料理した物語,阪神大震災の震源地,淡路島を舞台に始まり,最後は東北地震に終わる.コンピュータを介しての啓示というのが,現代風.

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2016年05月03日

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語り手は「私」と「吾輩」という2つの一人称を同時に使い、
しかも今は「ヤマガミ」という青年であるがかつては石原寛治でありフロイトでありテレンティウスであったといい、
その上ほかの登場人物の意識を覗いて記述することも出来るという。

なんだかわけのわからないメタメタな構成である。

けれど「語り手」のその立ち位置というのは要するに、
登場人物に憑依してその視点で物語世界を見るという「書き手」、すなわち小説家自身のことを、
SF的に、もしくは寓話的にとらえ直した私小説なのではないか、とも思う。

「中二の時に他人の意識が流れ込んでくるのを感じるようになった」というようなくだりはつまり、
「このころから妄想と自意識の線引きが出来るようになって、自分でない別の人格としての物語を造り始めた」という「書き手」自身の独白であって、また、
「吾輩に起きていることは全て私の妄想なわけだ」という一文は、
「吾輩」を「語り手」に、「私」を「書き手」に読み変えることも出来る。すると、そのあとの御託云々はそのまま、書き手の「意識の流れ」そのものだ。

物語を産む「書き手」とは、その世界においては創造主なのである。神なのである。
しかしこの世界の「神」は自分自身が物語の中に入り込んでしまっていて、「語り手」たる主人公に「語られて」しまってもいる。

「私」が溢れまくっている。「私」があり余る。「私」以外にも「私」はいるの。
という、そんな「私」小説である。

主人公は「私」という概念そのものなのかもしれない。

文学の世界の中で「私」はこれから、どこに行けばいいのだ。どこに行くのだ。

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2016年03月11日

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