【感想・ネタバレ】人生論のレビュー

あらすじ

いっさいの自己愛を捨て、理性的意識に生きることによってのみ、人間は真の幸福を獲得することができる――人間いかに生きるべきか? 現世において人間をみちびく真理とは何か? 永年にわたる苦悩と煩悶のすえ、トルストイ自身のこの永遠の問いは、本書にみごとに結実した。誤ることのない鋭い観察力と、愛の直感と心の目で綴った、人生についての内面的、哲学的な考察。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

本書は小説ではなく生命に関する論文であるが、トルストイを文豪たらしめているその表現力は存分に満喫することができる。多彩な比喩を用いたその表現は、人生、苦しみ、死といったものと対峙した人間の心情を鮮明に描き出し、トルストイの思想を説得力を持って表現する。これらの比喩の多さ、斬新さ、的確さはそれだけでも本書の醍醐味の一つと言える。以下に一場面を引用する。

「真の生命の発現とは、動物的な個我が人間をおのれの幸福の方に引き寄せ、一方、理性的な意識は個人的な幸福の不可能さを示して、何か別の幸福を指示するということにある。人ははるか遠くに示されるこの幸福に目をこらし、見きわめることができぬため、最初はその幸福を信用せず、個人的な幸福の方に引き返そうとする。しかし、ひどく漠然と幸福を指示している理性的な意識が、あまりにも疑う余地のなり確信に充ちた様子で個人的な幸福の不可能さを示すために、人はまた個人的な幸福をあきらめて、指示されるその新しい幸福にふたたび目をこらす。理性的な幸福は見当たらないが、個人的な幸福がこれほどはっきり粉砕されてしまった以上、個人的な生存をつづけてゆくことは不可能であり、その人間の内部には動物的なものと理性的な意識との新しい関係が確立されはじめる。その人間は真の人間的な生命に向って誕生しはじめるのである。」(本書p.71より)

身に覚えのある人は少なくないだろう。今まで幸福の要素であると信じて疑わなかった、成功体験や賞賛、肉体的・精神的快楽といったものが突然、無意味で空虚な幻想のように感じられ、それらをいくらかき集めても幸福には到達できないのではないかという疑念が自然に沸き上がってくるのを感じる。より高尚な人生の意義のようなものを求めてみるも、なにもそんなものは見当がつかず、一方でホルモンの分泌によって与えられている幸福感のみは、たしかに自分が感じている実在するものであるような気がすることから、その幸福感の追求こそが人生の意義であると納得しようと試みる。しかし、一度空虚に見えてしまった今まで幸福と思われていたものに対して、意味を再付与することは到底できず、困り果てる。これこそが、トルストイの表現するところの「真の生命の誕生」の体験に他ならない。

しかし、現代を生きる多くの人にとっては、こんなことをいつまでも考えていても始まらないし、今日も明日もやるべきことがたくさんあるのだから、こんなことは見て見ぬ振りをして現在よりマシと思われる未来の実現のために無心に行動するというのが妥当な選択であろう。もしくは、「理性的な意識によって生み出されるやりきれない内的矛盾」から逃れるため、「人生のこうしたがんじがらめの状態をひと思いに断ち切って、自殺」するという選択をとる人も少なくない。だがトルストイは、ここからさらに論を進める。肉体的・精神的快楽を求める存在としての動物的個我と理性的な意識を明確に分離した上で、理性的な意識にこそ人間の本質たる生命の存在を認め、この「理性的な意識を満足させうるような幸福だけが真実」であり、「個我の幸福の達成だけに向けられる人間の活動は、人間の生命の全面的否定に他ならない」と述べる。さらに、その理性的な意識を満足させる幸福とはなにか、そして、幸福と対極に感じられる苦しみや死とはなにか、三次元空間の比喩、円錐体の比喩、案山子の比喩などの斬新な表現を用いて論を展開する。

以前よりトルストイの作品に興味があったが、個人的にどうしても小説全般が苦手という事情があり、本書を手に取った。本書も魅力溢れる作品であったが、小説に苦手意識のない人にはぜひ「戦争と平和」などの小説作品をおすすめする。

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以下に、本書の内容についての反駁、および異なる解釈を述べる。

まず、肉体の死後も生命が存在し続けることの論証についてである。筆者は、キリストが死後も多くの人の精神に作用し続けていることを論拠に、生命が永遠に存在し続けることを述べている。つまり、現存する者への精神的作用に生命の存在を見いだしている。この生命の理解を採用すると、キリストのみならずアッラーやゼウス、さらには小説やアニメなどのフィクションの登場人物すらも人々の精神に作用していることを否定できない。しかし、これらのフィクションの存在に人間の生命を認めるのは無理があるように感じられる。

そこで、二つの新しい解釈を提案する。一つ目は、生命の働きとして本書では世界との関係の構築こそ本質としているが、ここに前提として手段たる動物的個我の支配の条件を付け加えることが必要であると考える。これにより、フィクションの登場人物と実在する人物との間に差異が生まれ、実在するもののみを生命と認識できる。しかし一方で、これでは本書の根幹とも言える生命の不死を証明できなくなる。なぜなら、肉体を失った時点で動物的個我の支配が不可能となり、フィクションの存在との差異が消失するためである。ここで、二つ目の解釈を提案する。本書の中でトルストイは頻繁に、理性的な意識は空間的時間的な束縛を受けない、それらの束縛を受けるのは動物的個我のみである、と述べている。それにも関わらず、生命が死を経験しないことを述べるために、肉体の死後の生命の存在を認識しようと試みている。ここに、矛盾が生じている。すなわち、そもそも時間的束縛を受けない理性的な意識の不死を述べるためには、肉体の死後の時間的存続を述べる必要はないはずであり、逆に、生命が肉体の死後も時間的に存続し続けていると認識可能であることは、理性的な意識の時間的束縛と同義である。つまり、次のように説明出来る。人間の生命たる理性的な意識は、その働きとして動物的個我の支配を前提とするため、肉体の死後は存在し得ないが、理性的な意識は動物的個我と異なり時間的空間的束縛を受けない故、肉体の死と同時に生命の死を経験することはないと言える。こちらの解釈の方が合理性と妥当性に優れるように感じられるが、どうであろうか。

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2020年09月17日

Posted by ブクログ

ネタバレ

トルストイがパスカル、カント、キリストなどたくさんの
先人の教えを受けて究極の博愛を示す。
正直、今、自分のものとして、実行することはできない。
ただ、その理想への道筋を追うことで、得るものは多いと思う。
まとめると『人類が 理性と愛で 幸を生み』といったところでしょうか?

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2011年07月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

人間の生命について曖昧な定義を明確にしようという発想が新鮮でした。人間の生命とは理性的な意識を持って自分ではなく他人の幸福のために生きること、また他人を平等に愛することであり、これにより生命は時間や空間とは離れ、死にすら臆すことがなくなる、というのが筆者の考えかと思います。
筆者はこの精神を持つことで、死の恐怖すら超越できたのか…晩年の筆者の心情が純粋に気になりました。

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2025年10月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

モヤモヤをうまく言語化して説明してくれた。
正直なんの解決にもならないし、幸福のために宗教や愛があるんだって言われても、僕には合わないって思った。
でも、生命、幸福、死、死後とかについての他人の本気の意見を聞くことは今までの人生であまりなかったからとてもいい本だった

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2024年11月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

【感想】
人間が生きる意味はまさに、他者に尽くすことであるという一言に尽きる。
理屈では分かるものの、これが中々難しい。生命の法則が相互奉仕にあることも理解できる。だが、現実世界を生きるには絶えず闘争に打ち勝たねばならないという意識もある。ゲーム理論的には、お互いに協力し合うことが両者にとって最善なのだろうが、出し抜いた側はより一層恩恵を受けられる(欲を充足できる)。ここに、一人一人の人間が陥りがちな個人の幸福を願う動物的個我の問題点が発露する。

頭でまずは理性を自覚する、生命の至上命題を理解することが、社会が幸せになるための大きな一歩なのであろう。その方策として考えられるSDGsや社会起業家の出現等に鑑みれば、理性に従属する動物的個我の発現は今後大いに期待できるのではないだろうか。

【メモ】
何物も個人の幸福を追求するならば、それは死への絶え間ない接近にすぎない。故に真の意味での幸福はありえない(その場合、死によって全てが無に期すためである)。

この個人の幸福を追求する動物的個我を理性へと従属させること(生命活動そのものである愛の認知※愛とは特定の人に向けられるものではなく、自己の動物的個我よりも他の存在を好ましく思う感情)で①幸福を実現することができると同時に、②死の恐怖を克服する(死が存在しなくなる)ことにつながる。

①生命の法則は闘争ではなく、存在同士の相互奉仕。
②動物的個我による生存を重視する人は、生命とは身体と結び付いていると考えるため、身体の消失は生命の死であると感ずる。しかし、人の自我や世界との関係性は肉体の消失によって発生するものではないため、理性における生命に死は存在しない。(例:亡くなった方々の思い出や記憶が連綿と現在に引き継がれていること、生前よりも一層影響力をもつこと等)

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2022年01月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

人生論というよりも、トルストイ個人の視点から「生命」というものを分析した論文のような文章です。

生命を構成する分子、更にもっと細かい物質まで科学によって研究を重ねていけば生命を理解できるというのは誤った視点であるという問題提起から始まります。

そもそもその分子レベルでの研究を重ねっていく目的自体はなんなのか?今、我々にある苦悩や幸福は本当にその科学的な分析で明らかになるものなのか?今自分にある「生命」とは本当にそんなものによるものなのか?
という問いかけが常になされます。

そこから人間の中に存在する「動物的個我」と、「理性」についての説明や対比を述べ、いち個体の幸福の追求、つまり「動物的個我」の幸福の追求は不幸の拡大にしかならず、生命、つまり「理性」としての幸福の追求こそが人間の生命であるという結論に至ります。
これはキリスト教でいう愛であり、他の宗教でも言葉を変えて語られていることでもあります。

かなり難しい文章であり、読むのに苦労しましたがもし今後自分が苦しむような事があればこのトルストイ君の言葉を思い出せると思います。

読むのに本当に体力が要りました。

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2019年02月03日

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