あらすじ
「いったい私たちの毎日の生活を生きるかいあるように感じさせているものは何であろうか。ひとたび生きがいをうしなったら、どんなふうにしてまた新しい生きがいを見いだすのだろうか」神谷美恵子はつねに苦しむひと、悲しむひとのそばにあろうとした。本書は、ひとが生きていくことへの深いいとおしみと、たゆみない思索に支えられた、まさに生きた思想の結晶である。1966年の初版以来、多くのひとを慰め力づけてきた永遠の名著に執筆当時の日記を付して贈る。
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Posted by ブクログ
わざわざ目を向けなければ、生きがいなど考えずに生きていけます。しかし、ひとたび自分の生きる意味は何か、生きがいはなにか、と考え出すと、はっきりとした答えのなさに肝を冷やします。
では生きがいは何かと考えるだけ損か、と言われるとそうは思いません。生きがいを探すためにもがく行為が、人間的な成長を促しますし、何よりその行為自体が生きる意味となるのではないでしょうか。
Posted by ブクログ
軽い気持ちで手にとってしまったが、手軽に読めるという本ではない。
生きがいというものについて真剣に考えた事がなく、なんとなく日々を過ごしてしまっている自分。
生きたくても生きられない人。
病になり生きる意味を見出せない人。
そのような人たちに対して自分のなんと恵まれている境遇か。また、そんな境遇にいながら日々を大切に過ごせていない自分のなんと罪深いことか。
全てに共通するが、人のために何が出来るか。使命感。生きる意味を考えさせられた一冊。
またいつか読み返すと思う。
Posted by ブクログ
簡潔に語るには内容が重厚すぎる。
それだけで人の生きがい、人生というものについて、多くの人たちと向き合う中で、深く眺め続け、考え抜かれた言葉たちが紡がれている。
中でも大きな苦しみにもがきながら生きる人ほど、深く豊かな心で世界を見ることができ、幸せを感じることができるというメッセージが重く、鋭く心に刺さり続ける。
人生、楽な道はない...などという安直な慰め、教訓ではなく、むしろその方がいい、そうでなくてはいけない、苦しみと向き合い続けることこそが、人生の価値であるという戒めが、そこはかとなく重いのだけれど、どこか安心感も感じ、自分はどう生きるのか!という命題に向かって、力強く背中を押してくれる。
Posted by ブクログ
前から使命感という言葉が気になっていました。今回読み始めて生きがいとつながっていると知りました。
話が飛躍するが最近は企業でも人的資本経営の考えが出てきているので前向きなマインドを持ち活力ある組織を考える人事部門では必読の本と感じた。
Posted by ブクログ
かなり良かった。今の自分に刺さることがあった。将来に対して前向きな感情がないと、生きがい感を喪失してしまう。仕事でもそうだと思う。指示されたり売上のためと自分を殺すことで、生きがい感を失ってる人はたくさんいる。
高度成長後に書かれた本であるものの、今の方がむしろ刺さるような本じゃないかと思う。
Posted by ブクログ
病による孤独は壮絶なものだと思うが、病でなくても傍からみたら豊かであっても、心が孤独である人も多いと思う。孤独である、ということを真正面から受け入れられた時、そっと光が射し込むのではないかと思わせてくれた。私の生きがいとはなんだろうか、と常に持っていくことになると思う。
Posted by ブクログ
仕事、恋愛、結婚など悩む人全てにこの本を送りたい。
内容は難しいが、どれか1文でも必ず心に残る文章がある。この本に出会えて良かったし、明日からも元気に生きていく糧になった。
Posted by ブクログ
この本を手に取ったいきさつを忘れてしまったが。今の時代だからこそ、というよりも本に記してあるように、いつの時代でもきっと、生きているうちに、もっと言えば窮地に立たされた時、或いは幸福至極な時に、自分自身に問うていみたり、答えてみる言葉だと思う。仕事の中で対象者の「生きがい」について深く考える立場でありながら、自分自身、なぜその言葉を表出することがなかったか、その理由が何となくわかったような気がする。他人の「生きがい」なんてそうそう語るものじゃないし、「生きがい」そのものの持つ意味すらこの本に巡り合うまで本当にわかっていなかったんだなとつくづく思い知らされた。自分の中で再び言葉を噛み締めて再読してみたい。
Posted by ブクログ
いま読んでる
「生きがいということばは、日本語だけにあるらしい。〜 “ただ漫然と生の流れに流されて来たのではないことがうかがえる”」
「こうした論理的、哲学的概念にくらべると、生きがいということばにはいかにも日本語らしいあいまいさと、それゆえの余韻とふくらみがある」
フランス語で近いのは“raison d'être” (存在理由)
「ためらわずに行動するためには反省しすぎることは禁物なのであるから。しかし、深い認識や観照や思索のためには、よろこびよりもむしろ苦しみや悲しみのほうが寄与するところが大きいと思われる」
「ひとは自分が何かにむかって前進していると感じられるときにのみ、その努力や苦しみをも目標への道程として、生命の発展の感じとしてうけとめるのである」
「”身をささげるものが何もないというのは何という欠乏を感じさせるものだろう。幸福とは独立性にあると一見思われるかも知れないが、実際はそのさかさまなのだ”」
「どのようにしてひとは特定の価値体系を採用するようになるのであろうか。幼年時代に主として両親を通して社会的環境によってこれが与えられるという考えは、フロイトをはじめ多くのひとによってみとめられて来た。そこに文化人類学者たちのいう文化と人格の関連性があるわけであるが、しかしことはそれほど簡単であろうか。〜 別の生活圏から現れて来た人物との出会いを通して、まったくちがった価値体系がもたらされることもある」
「生きがいを求めるという心は、被害や非難のない状態を前提条件にするか、あるいはたとえ被害や非難があっても、それをおぎなってあまりあるようなものを求める心であろう」
「結局食欲の満足というものは、ただそれだけではあくまでも生理的なもので、身体と精神に低い次元の安定をもたらすだけではないであろうか」
「“成長動機”の場合にはむしろわざわざ一層の困難や努力を、すなわち一層の緊張を求める欲求がみられるという」
「キャントリルによれば人間はあらゆる経験に際して直観的に価値判断を行うようにできている。それを彼は経験の“価値属性 value attitude”とよんでいるが、彼の考えでは、人間の最も普遍的で本質的な欲求は“経験の価値属性の増大”を求める傾向であるという。
この欲求がみたされたときには、それは経験の“高揚”として感じられるはずであるが、その感じの判断は本人のみによって行われる。」
「キャントリルのいう“経験の高揚”とは私たちの“生きがい感”にほかならない」
「ふつうの健康の持主が、朝おきて、その日自分のなすべき仕事は何かわからない、というような状況にあるとすれば、それだけでも生存の空虚さに圧倒されるにちがいない。精神生活の上での失業はこの点でなお一層大きな不幸である」
「未来においてより大きな自由を手に入れるために、現在の小さな自由を放棄し、覚悟の上で自らを不自由の中に拘束しておくというならば、そのような計画性と選択性には、やはり自由と主体性がひそんでいるといわなければならない」
「いきいきと、堂々と歩いていくためには、どうしてもひとは自己に忠実に“そのあるところのものになる”必要がある」
「本質的な自己を実現して行くには多くの努力と根気が必要とされる。その結果、この目標が少しでも達せられるならば、そこにはすべてを圧倒するようなよろこびが湧きあがるであろう」 p70
「人間の知覚というものは必ず“解釈”を伴っており、またその解釈には過去や未来まで内在していると考えられるからである」 p73
「ところがひとは自分の心の世界を超えるものについては、自分の世界での概念を使って説明や理解をこころみることしかできないので、そこからたくさんの心のくいちがいがおこる」
「ほんとうのところは自分が住むのに最もふさわしい世界、つまりそのなかで一ばんのびのびできる心の世界を作ろうと努力しているだけのことなのかも知れない」p84
「しかし何よりも苦しみの感情を概念化し、ことばの形にして表出するということが、苦悩と自己との間に距離をつくるからではなかろうか。
“いうにいわれぬ”苦しみをいいあらわそうとするとき、ひとは非常な努力によって無理にも苦しみを自分からひきはなし、これを対象として眺めようとしている。
その時、自分ひとりでなく、だれかほかのひとも一緒にそれを眺めてくれれば、それだけでその悩みの客体化の度合いは大きくなる。
悩みというものは少しでも実体がはっきりするほど、その圧倒的なところが減ってくるものらしい。
したがって、いいかげんな同情のことばよりも、ただ黙って悩みをきいてくれるひとが必要なのである」
p128
Posted by ブクログ
フランクルの「夜と霧」、エディスイーガーの「選択」と並び、自分の書棚に残しておきたい本が1冊増えました。テーマは「生きがい」です。
精神科医、神谷美恵子さんが、ハンセン病患者との交流を通じて本当の生きがいとは何なのか?7年かけて考察しています。
少し厚い本でしたが、心理学の本としては思ったよりも平易に読むことが出来ました。彼女がアカデミックな分析よりも、患者の発言や、作品など実体験を通じた考察を好んで引用しているためです。
初めてハンセン病患者の療養施設(愛生園)に収容されたとき、患者の多くはどれほど絶望したのか。その中で、どんな発見をしていったのか?
わたしたちが日頃大切だと「思い込んでいる」お金や、地位、名誉、物的な充足感がいかに皮相的なものなのか。
そんな誰にとっても大切な話を書斎だけで終わらせず、臨床の中で膨らませている。だからこそ、彼女の一言一言に重みがあります。
この本の副読本(100分DE名著)を読んで知ったのですが、書中で引用されている話のうち、いくつかは彼女自身の体験だそうです。
20歳のときに意中の人を結核で失ったこと。
自分自身も結核で死の淵をさまよったこと。
癌にかかり、期待していた人生を送れないかもしれないという恐怖。
生きがいを失うのはハンセン病患者に限った話ではなく、
生老病死から逃れられない、われわれ全員だと気づかせてくれるエピソードです。
こうした苦しみを通じて、ハンセン病患者と、神谷さん本人がどのような生きがいを見出したのか?
たくさんある中で1つ、わたしが手を止めた一節がありましたので、そこを引用して、レビューを締めます。いい本でした。
『人間が最もいきがい感じるのは、自分がしたいと思うことと義務とが一致したときだと思われる』
Posted by ブクログ
分厚い本だけど、読み進めやすく感じた。難しい言葉はあまり出てこない(1966年に著わされた本なので見慣れない表現はあるけど)。
思うところはたくさんあった。
・「この人精神科医?医者の文章じゃないでしょ?」とまず思う。…これは私の知識不足。神谷美恵子さんは本当にすごい人なのだと知った。他の著書もまた読みたいと思う。
・50年以上前に書かれたものなのに、今の時代にもすごく通じるところが多い。しかもさりげなく(?)今の時代への警鐘も含まれている。
・私自身に思いを重ねて読んだ。うまく言えないが「自分はこれでいいのだ」と思えた。生きがいを求める心は、ハンセン病患者のように肉体的精神的に追い詰められ社会や家族からも疎外されて強く打ちのめされた人でなくても存在するし、だから文中の愛生園の患者の人たちの言葉にもすごく共感できたりする(最初のうちは「私はハンセン病患者の人たちほど健康被害や差別や偏見に苦しんだりしていないのに共感してしまうって失礼じゃないだろうか?」などと思いながら読んでいた)。
…等々。
本編の後に「執筆日記」が付いていて、これも著者の人柄がよくわかって良かった。
Posted by ブクログ
もしかすると読むのは今ではなかったかもしれない。
そう思せるほど、人生の大事な局面でまた読んでみたいと思った一冊でした。
正直言って章立ては荒々しく、大事なことがまとまりなく散りばめられているような印象で、決して読みやすいとは言えません。
ただ、それがスゴくいいのです。
著者の情熱的かつ詩的な文体から、これを書かずにいられなかった衝動が伝わってきて、生命の躍動をダイレクトに感じられます。
おそらく今の時代に書かれていたらもっと綺麗にまとまった本になっていたことでしょう。一時代前だからこそ生まれた名著だと思います。
読むのは今ではなかったかもしれないと言いつつも、今読んで良かったのは、この本を今読むべき人に勧められることです。
Posted by ブクログ
言葉には物理的な座標軸を示す力があって、「上から目線」「横から失礼します」みたいに、相手との関係性を示すものがある。それだけではない。「夢」という言葉は自分から随分と“遠い“が「目標」はそれより“近い“感じもする。
言葉にはこうした物理的な距離の他にも、言葉の強度、質感などがあり、更には、事象を示す精密さにも大小ある。曖昧か、明瞭か。
例えば「幸せ」という言葉が生まれたのは、そうした状況を感じた人がいたという当たり前の事と、ある人はそれに欠乏していたという“裏表“を示すのかも知れない。
「生きがい」という言葉は日本語だけにあるらしい。著者もいう通り、この言葉の存在自体が日本人の心の生活のなかで、“生きる目的や意味や価値“が問題にされて来たことを示すものだ。日本人がただ漫然と流されて来たのではない事も分かる。
他方で、立ち止まって「生きがい」を考えたくもなるような日常だったとも言える。長い人生に、一度は「生きる意味」を考えることは誰しもあるのではないかと思うが、「生きる甲斐」には悲観的な主語を予感させる。日々の「甲斐、手ごたえ」を考えたくもなったのだろうか。
ー 生きがいというものが、生活をいとなんで行く上の実利実益とは必ずしも関係がないということである…これは「無償の」活動で人間が単に生物として生きて行くためにぜひ必要ということではない…一種の無駄、またはぜいたくともいえる一面がある。この角度からみれば、ホイジンガのいう「あそび」の性格をおびているといえよう。
ー 生きがい活動は「やりたいからやる」という自発性を持っている。たとえ海外医療伝道というような召命意識にもとづく献身的活動であろうと、単に「させられる」ものではなく、召命をよろこんでうけ入れる、という自発性がふくまれている。ウォーコップのいう「生きた挙動」である。
老、死、病、苦。人生の四苦は、人間生存の厳然たる事実である。人間が、どうしても逃れえない重圧にあえぐような、ぎりぎりの状況をヤスパースは“限界状況“と呼んだ。
だが「限界状況や四苦」を地面にして地に足をつけ、痛みを手触りで感じなければ、生きる実感は差分でしか感じられないのではなかろうか。欠乏を満たす欲求こそ本能的原動力になる。
ー 「俳句に興味を持ってから、その日その日がみじかすぎて仕方がない。心もいきいきとしてきた。この身も心もぞくぞくうれしくはればれしい心境をば十分味わわせていただきつつ、ひとしお修養させていただいている。」
… 文盲であった死刑囚が、死の数日前に書きのこした俳句である。
「子の手紙蠅といっしょに読みました」
「絵を描いてみたい気がする夏の空」
「キャラメルで蠅と別れの茶をのんだ」
俳句をならったおかげで蠅ともあそぶことができます。
人生には、身体的欲求にある程度は素直に生きて、しかし、それを管理統制し、自らに目的を課すような何かしらの「信仰」が必要なんだと思う。本書にはその知恵と言葉が溢れている。
蝿を友と見て、生きる甲斐とする。認知により世界を変えるのは「信仰」というOSである。私は、本にそれを託している。
Posted by ブクログ
思っていた以上に理解するのに時間のかかる本かもしれない。ただ、これがとても深い話で、これからの人生に影響を与えるであろう一冊だということは感じることができた。
100分名著でもとりあげられていますし、解説本も含めて読んでいきたい。
ただ「やりたいからやる」ことの方がいきいきとしたよろこびを生む。
「もっとも多く生きたひととは、もっとも長生きした人ではなく、生をもっとも多く感じた人である」
Posted by ブクログ
前半に出てくる四つの問いが重い。
自分の生存は何かのため、または誰かのために必要であるか。
自分固有の生きている目標はあるか、あるとすればそれに忠実に生きているか。
以上あるいはその他から、自分は生きている資格があるか。
一般に人生というものは生きるに値するものであるか。
これを読んで、叔母のことを考えた。
叔母は独身のまま、親や兄妹の面倒を見て、順に看取り、独りになった。
気丈で聡明だったが、それが災いしたのか、人付き合いが上手ではなく、親しい友人はいない。
これまで病気ひとつしたことが無かったが、昨年から急に腰痛になったあたりから急激に衰え、一人で生活できなくなり、老人ホームに入居せざるをえなくなった。
入れば生活はできるが、自分でやることが何もなくなり、結果的に記憶力や理解力が信じられないくらい低下してしまった。
これは、上記の4点が全て満たされなくなってしまったからではないか?
ただ、高齢になると多かれ少なかれ、この様な状況が訪れるはず。しかし全員がなるわけではない。
神谷さんは隔離施設に入っている方々との交流を通じて論考を深めたと思うが、これは誰もが直面するかもしれない恐怖であり、だからこそ多くの人に読まれるんだろうな。
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『名著の話』と併せて読んだ。
ルポルタージュであり、論文であり、自叙伝でもある。苦しみや悲しみと不幸はイコールではない!
岩波文庫の『自省録』も神谷女史の翻訳と知って、また読み返してみようと思った。
Posted by ブクログ
以前、神谷美恵子のことを知り本を買った。
今回それをを気分転換のつもりで読んだ。
取り返しのつかない悲しみや絶望からの脱出には「生きがい」を見つけて、それをを支えに命を保つことだという。精神科医になりハンセン病の療養者に交わり病理や心理学の分析をへて、人間の生きがいの効用を確信する。彼らへの共感の思いをエッセイに綴る。
神谷は恵まれた境遇に育ち英文学を学ぶなかでハンセン病という業病の存在に遭遇する。患者は不治の伝染病として強制隔離され、故郷の家族や友人から遮断され存在も抹消される。そんな人達に寄り添うために精神医学を学び、瀬戸内海の長島愛生園に勤める。見聞きした煩悶と呻きに触発されて生きる意味を考える。他にもパール・バックの障害をもつ娘の話など不幸に直面する多くの人のことも知る。
この類の本に接するといつも、若い時に読んでいたらどうだったのか、当時の自分ならこれをどう受け止め、その後の人生にどんな影響を及ぼしたか考える。
今の自分は「平穏で安全」なところに身を置いて他人の不幸や絶望を眺めている。気分転換どころか、鉛を飲み込んだ気持ちで自分の来し方を振り返る。
ビクトール・フランクルの『夜と霧』を読んだ時もそうだった。
この作品は彼女が夫や子供そして尊敬する父親と忙しく生活しながら不幸に悲しむ人に「寄り添う」心の記録であり人生の結晶である。
巻末の「執筆日記」では実際の創作の日々が描かれている。
Posted by ブクログ
もう一度、二度読まないともったいない内容。豊富な参考文献についていけていない。実存主義の本と思えるような難解さもある。優しい表現で書かれているのに、ラストのメッセージは痛烈。
Posted by ブクログ
■まとめ
★ 自分に与えられた命をどう使って生きていくか、と思い悩んだなら、それはあたらしい自分を創造する第一歩。この自己実現のプロセスを怠ると、深刻な生きがい喪失に陥る。
- 純粋なよろこび、未来への前進、義務と欲求の一致、自分が採用している価値体系、使命感、日常生活のルーティン(「その日、自分のなすべき仕事」)、選択の自由、成長や自己実現、など。これらのものが生きがいを形づくる。
- 生きがいをなくしたとき、安易なごまかし(「にせの生きかた」)に走らず、耐えがたい生をなんとか持ちこたえるだけのストイックな抑制と忍耐をもってやり過ごすことが大切。くわえて、しかるべきタイミングで「生きる勇気」(パウル・ティリッヒ)を奮い起こせるかどうかで、その後の一生に天と地の差がうまれる。
- ときに深い悲しみに打ちのめされることも、人生にはある。その傷を癒やしてくれるのは結局のところ、時の経過と忘却。悲しみを意識の外に押しやるために、なにかしら具体的な短期の目標を持って生活するとよい。また、自然とふれあうことによって、自然の持つ癒やしの力に癒やされてみるのもよい。
■感想
初版発行の1966年からすでに半世紀がすぎたものの、人間愛と精神医学への信頼に裏打ちされた著者の観察と洞察は、生きがい喪失の闇をほのかに照らす、いまだ古びない灯りであり続けていると思う。
その一方で、「クソどうでもいい仕事」(ブルシット・ジョブ)の増加や少子高齢化の進展など、現代は仕事にも家庭生活にも価値を見いだせない人が増えつつあるようだ。そういう人たちの生きがいは、本業とは別の社会活動に参加したり、あるいは余暇の趣味を楽しむ、「推し」を推すことにリソースを全振りする、といったあたりに落ちつくのだろうか。
Posted by ブクログ
【生きがいという体験の解体】
本書では、生きがい喪失の深淵をさまよった人の変革体験などを考察し、これらを心理現象として論じている。
1980年、45年前に書かれた本。そしてこれを書き終えるにも10年近く(7年!!)かかったということだから、50年以上前の聞き取り調査とかなのだと思う。英訳されて世界的にもよく読まれているみたいだったので手に取った。
たしか、教科書とかにも載っていたけれど、これまで読んだことはなかった。
個人的には、私の知る日本語では、「生きがい」は一般的な概念として、とても便利だなと思う。感覚的にそれがいいものであることが分かる。(今のサステナビリティみたいな?)一方、実態はよく分からないし実現しようとしてもその方法は分からない。だから言葉として便利であり、実在としてあまり意味を持たない(ように思ってきた。)
そうやってバズワード化した言葉の本来持つ重さ、みたいなものを学べる本でもある。生きがいに求めている人間の欲求とは何なのか、生きがいを奪うものは何なのか、などな、精神医学的に、実際の患者の証言・哲学・文学的思索を分析し、「生きがい」とは何か、解体することが試みられている。
とくに著者が興味を持って研究対象としているのは、極限にある人々。そこで生きがいを見出す人々とそうでない人々。そこでいわゆる悟る人は何をどう悟るのか、みたいなことが具体的に書かれている。だから、ある意味この本は、そのような闇と新たな光を体験をした人々の声を代弁している部分もあると思う。
今、極限状態にいなくても、生きてるといつかそんなときがある。でも生きがいについての知識はその時のためだけじゃなくて、今、自分は自分の生きがいを感じているか、何かうまく行ってないことはあるか、なんで退屈を感じているのか、など、今の生き方を見直したり、意識的に新しい価値体系に適応することを助けてくれるものでもあると思った。
私たちは普段、何かしらの出来事がきっかけを作って、小さな自分の価値体系の変容、適応が起こっていると思うし、そこで欲求不満になったり、生きることへの高揚感を見出したり、し続けているように思う。
読書も、そんな好奇心からしていると思う。
全ての生きがいの体験は個性的であるという。
それぞれにある生きがい感、その喜び、そこにある周りとの関係性、たぶんその多様性、独自性、変化や成長の過程、未来への希望の持ち方、みたいなものがまた自分への励みにもなったりする。だから人は、いろんな本を読んだり、ドラマ・映画を見たり、そこでまた自分の価値形態をずらきっかけに出会ったり、影響しあっているのかなーと思う。
生きがいを求める健全な精神。
Posted by ブクログ
本屋さんのメンタルヘルスのコーナーで見つけて読み始めました。
何に注力することが生きがいなのか、どんな人生を歩めば幸せになれるのかそんなことを改めて考えさせられました。
自分の中では生きがいというものはおそらく死ぬまで考え続け、この世を去る時にようやく見つけられるものなのかと思いました。
この本を読んで理解できたのは、生きがいというのは、少なくとも自分の周りの環境によって左右されるものではないということです。自由という不自由もある。色々感じるところがありました。
また、年を重ねてからこの本と向き合いたいと思います。
Posted by ブクログ
「生きがい」をテーマに深く思考を重ねた本。著者の神谷美恵子さんはハンセン病患者の施設愛生園の精神科医として勤務していた経験から本書が生まれたと話している。本書の中でも時折、患者の心情が語られる。
生きていくことが、とてつもなくしんどく苦しい人たちの気持ちに寄り添い続けた経験が本書を生み出したのだと感じた。
Posted by ブクログ
よくある自己啓発本に書いてあるような好きなことをしようとかそういうことではなくもっと本質的な本でした。
光、愛、自然、宗教などに触れて自分の中から湧き上がってくるもの。
人間の存在意義は野に咲く花のように、ただ無償に存在しているひとも、大きな立場からみたら存在理由があるにちがいない。
この言葉が響いた。
もっとしっかり読むべき本だなとおもう。
Posted by ブクログ
とても心に響く部分とただただ読み進めていった部分がある。おそらく自分のその時の感情や悩み、立場などによって感想がかわる本なのだろう。また折に触れて読み直したい。
Posted by ブクログ
松岡享子さんのエッセイ集、『ランプシェード』に著者のことが書かれていたので、興味を持って読んでみました。
途中は飛ばし読みしましたが、共感できるところも多かったです。
「生きがいということばは、日本語だけにあるらしい。こういうことばがあるということは日本人の心の生活のなかで、生きる目的や価値が問題にされて来たことを示すものであろう。たとえそれがあまり深い反省や思索をこめて用いられて来たのではないにせよ、日本人がただ漫然と生の流れに流されて来たのではないことがうかがえる。」
「生きがいを英、独、仏などの外国語に訳そうとすると、「生きるに値する」とか、「生きる価値または意味のある」などとするほかはないらしい。こうした論理的、哲学的概念にくらべると、生きがいということばはいかにも日本語らしいあいまいさと、それゆえの余韻とふくらみがある。それは日本人の心理の非合理性、直観性をよくあらわしているとともに、人間の感じる生きがいというものの、ひとくちにはいい切れない複雑なニュアンスを、かえってよく表現しているのかも知れない。」
「たしかに何か利益や効果を目標とした活動よりも、ただ「やりたいからやる」ことのほうがいきいきしたよろこびを生む。金のためのアルバイトばかりやることを余儀なくされているひとは、金のためでない仕事をする自由にどんなにかあこがれることであろう。」
「子供にとっては「あそび」こそ全人格的な活動であり、真の仕事、すなわち天職なのであるから、そこで味わうよろこびこそ子供の最大の生きがい感であろう。」
「現代文明の発達はオートメーションの普及、自然からの離反を促進することによって、人間が自然のなかで自然に生きるよろこび、自ら労して創造するよろこび、自己実現の可能性など、人間の生きがいの源泉であったものを奪い去る方向にむいている。」
Posted by ブクログ
生きがいとは何か。
その問いに対して、一つの応えを示してくれる本である。
生きがいとは千差万別十人十色である。そう本書にも示唆されており、私もそうだと思う。
生きがいという大きなテーマに対して、今すぐに誰かがあなたにとっての生きがいを教えてくれるものではない。ある種の人生においての思考であり、思索であり、体験であり、実験であると私は思う。
この本では、生きがいとは自分自身で掴み取るものであり、この現代文明において、テクノロジーがいくら発展しようとも、そのあなたの生きがいというのはあなた自身で日々考え学び活動し、その先に得られた副産物であると私は考える。
「生きがい」自体が人生では過程に過ぎない。
人生何が起きるかは、誰にもわからない。だからこそ、あなただけの生きがいを歩みを止めることなく、自分で考えて活動していくのだろう。