あらすじ
「わしの目には十年先が見える」「新事業は、十人のうち二~三人が賛成したときにはじめるべきだ、七~八人が賛成したときには、遅すぎる」――経営者と社会事業家の二足のわらじを履き続けた大原孫三郎。クラボウやクラレなど、多くの企業を創立・発展させるとともに、町づくりに貢献。三つの研究所を設立し、総合病院や美術館をつくった。社会改良の善意をいかにして行動に移していったか、その波瀾にみちた生涯を辿る。
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Posted by ブクログ
孫三郎は、労働者と経営者の利害は一致すると確信して、共存共栄を実現するための施策を倉敷紡績内で実践したが、このようなスタンスは、地主と小作人の関係についても変わらなかった
第二次世界大戦後の農地開放によって、孫三郎から寄付された農地を失った農業研究所は、岡山大学の所管となり、大麦のDNAサンプル保持と研究で世界的な権威として岡山大学資源植物化研究所として現存している
孫三郎は、主張を持った、生きた金銭の使い方にこだわり、虚飾のような贅沢を嫌った
渋沢が養育院に関与し始めた当初、厳罰主義で子供に対応していた職員を渋沢は更迭し、自らが適切であると、みなした人材を新たに発掘して採用したりもした
周知の人を中心にして、大原奨学生と孫三郎の無形の遺産についてまとめてみたいと思う。①児島虎次郎②近藤万太郎③薬師寺主計④神社柳吉⑤武内潔真⑥三橋玉見⑦公森太郎⑧友成九十九⑨土光敏夫。