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「わしの目には十年先が見える」「新事業は、十人のうち二~三人が賛成したときにはじめるべきだ、七~八人が賛成したときには、遅すぎる」――経営者と社会事業家の二足のわらじを履き続けた大原孫三郎。クラボウやクラレなど、多くの企業を創立・発展させるとともに、町づくりに貢献。三つの研究所を設立し、総合病院や美術館をつくった。社会改良の善意をいかにして行動に移していったか、その波瀾にみちた生涯を辿る。
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Posted by ブクログ
経営者としていかにあるべきか、示唆に富む著書。一貫して言えるのは、企業とは、公共性と私益性を併せ持つ必要があり、公共性だけでは成り立たない、と言う。綺麗事では企業は成り立たず、しっかりと利益を上げることが重要だが、情、という面を織り交ぜながら労使で協力しながらやっていかなければならないと言うことだろ...続きを読むう。また、孫三郎の妻の寿恵子夫人の存在も大きいと思った。奨学金の件は夫人に任せていたようであるが、真に奨学金を孫三郎の売名行為ではなく、見返りのない援助として支援し続けれたのは、夫人の力が大きいだろう。著書でも、わがままな孫三郎を、諫め、止めることができるのは自分だけだと夫人も考えていたようであるし、本当にそのようだった。 孫三郎は「自分の一生は失敗の歴史であった」とよく語っていた。「片足に下駄、もう片方の足に靴を履いて」と自ら表現したような、本業の経営活動(経済性、理)と社会事業的活動(倫理性、情)の両立は、不況による経済事情などの側面からも相当難しかった。 孫三郎は、「仕事を始めるときには、十人のうち二、三人が賛成するときに始めなければいけない。一人も賛成がないというのでは早すぎるが、十人のうち五人も賛成するようなときには、着手してもすでに手遅れだ、七人も八人も賛成するようならば、もうやらない方が良い」 天領であった倉敷の歴史的風土については、前述したように自由、大らか、自治、責任の精神が宿り、それらも影響して独特の人物が輩出されたと指摘される。 祖父の壮平は、一八五六年(安政三年)から一八六五年(慶応元年)まで、倉敷に簡塾という私塾を開いていた森田節斎に五十蔵過ぎから師事し、「満は損を招き、謙は益を招く」という謙受説の教えなどを体得したのであった。この謙受説は、壮平と同様に節斎に師事した孫三郎の父孝四郎のモットーにもなっていた。森田節斎からの教え、「謙受説」にヒントを得て、倉敷紡績の社章として「二三のマーク」(漢数字の二の字の下に三角形をなす点、三つからなる)を考案した。これには、「とかく人間は一番だと思うと慢心し、心が弛緩して退歩するものであるから、いつも一番に迫ろうとする希望に満ちた二、三番の謙虚な気持ちで不断の努力を続けるべきである」という意味が込められている。 尊徳は、推譲(譲ること)、特に他譲(他者のために譲ること)の重要性を説いていたのだが、孫三郎の社会貢献(フィランソロピー)に対する考えと行動は、まさに、この報徳思想と聖書の教えからの影響が大きかった 「我が法は(中略)誠心誠意実行するにあり」と語った尊徳は、頭の中に理念が詰まっていたとしても、それを応用して現実に役立てなければ無益であると説き、善事とみなしたら即座に実行することを論した。また、尊徳は、実地実行を強調するなかで、「大事をなさんと欲せば、小なることを怠らず動べし」と、小事を侮ることなく、勤勉にコツコッと即時に実行せよと唱道した。さらには、富者が現在の立場や財産を保有しているのは、すべて先祖のおかげであるのだから、そのことをきちんと認識して謙虚でなければならないと警告した。このような、尊徳が重視した実地実行、勤勉、譲るという人道、先祖の積徳の認識などは、孫三郎に見受けられた特徴であった。 倉敷紡績の万寿工場の職工村は、日本における工業村の「唯一の事例ともいうべき」ものではあったが、「イギリスなどの例に比べて未熟であった(中略)要するに日本の資本主義の後進性に原因が求められる。大原孫三郎でさえ、常に一方で算盤をはじき、生産第一主義のためには工業村構想も変更することをためらわなかった」 孫三郎は、社会や文化、教育のために大金を投じつづけた人物ではあったが、「良いことならば何でも金銭を出す」社会事業家とみなされることは好まなかった。また、社会経済的な格差の拡大を危惧し、機会の平等のために尽力した孫三郎ではあったが、均一、横並び、結果までの平等を目指していたのではなかった。孫三郎は、公正な競争や能率も尊重していた。また、経験則ではなく、科学や学術に裏打ちされた方策を奉した。そして、科学、理に基づいた改革のために、学術、教育を重視した。また、事業は人にあり、と考えていた。 倉敷絹織(クラレ)を作り、その工場を分散させた考え方について孫三郎は、「一ヵ所で大きな工場を運営することは不利で、分散主義をとることにより、各工場の技術の特徴を発輝させ、そして批判してまた新工夫を出させる。 積価的に技術を取扱って行こうというのが、新居浜、西条、岡山の各工場をつくらせた理由であります。感情的な無意味な競争ではなくて、技術的な競争、技術の新発見、技術的進歩という意味から分散主義を取った。孫三郎は、大工場一ヵ所での量産とコスト削減よりも、競争に基づいたイノベーション誕生の社風づくりを重視していたといえよう。倉敷訪績や倉敷絹織の企業経営の例からもわかるように、大原孫三郎は、情にのみ傾いていたのではなく、理と情、経済と道徳・倫理のバランスをとりながら自分の主張を貫き通したのであった。 得意先の繁栄は即銀行の繁栄であり、銀行の繁栄は即得意先の繁栄である。両者を不即不離の関係にあらしめよ。常に相談相手となり本当の親切で接し行かれよ。公平なる取扱が肝要である。これを公に主張しうるよう各自修養頂きたい。理想のない仕事には生命がない。過去の知識、経験に囚われず白紙で進み、情味のある軌道にのった『人間中国銀行』の建設の使命に選進いただきたい」。この訓辞からも、銀行を無機質な単なる金貸業ではないと孫三郎が考えていたことがうかがわれる 社会文化貢献には、稼いだ金銭を年月を経た後に、何らかの形で還元するというタイプのものもある。もちろん、そのような社会貢献を否定するつもりはない。しかし、孫三郎は、経済活動などの日常活動を行いながら、それら自体が同時に、地域や人々の利益につながる社会文化貢献を目指した。そのようなタイプの貢献を追求した孫三郎の日常活動、考えは、地域を決して離れるものではなかったのである。 損をしながら事業を継続するということは永続するものではない。それゆえ私は決して金もうけが悪いとは言わぬ。ただ金もうけにさえなればなんでもするということは、実業家たる責任を解せざるものだ、と批評するだけのことである。少なくとも自分が金もうけのためにしている仕事は、真実世間の人々の利益になっているという確信、それだけの確言をば、すべての実業家にもっていてもらいたいものだというのである。 労働生産性をあげるとは、無駄な動作を排除し、作業工程を簡素化し、労働者の疲労を避けながら、コストを削減しながら最大生産を達成すること 孫三郎は経済性を追求しながらも守銭奴にはならない、人間性や倫理を重視し、社会や文化、公共のために貢献することも忘れない、つまり、経済と倫理、理と情の両立を追求する経営者だった。 刊行にご協力した方々 大原美術館理事長の大原謙一郎氏、大原れいこ氏、正田泰子氏、大原あかね氏、倉敷の安井昭夫氏、大野彰夫氏、山本俊夫氏、原敬夫氏、林良子氏、小熊ちなみ氏、株式会社クラレ会長の和久井康明氏、原道彦氏、倉敷芸術科学大学の時任英人先生
倉敷紡績が現在のクラボウ、倉敷絹織がクラレって知ってました?知ってるか(笑 恥ずかしながら、「大原孫三郎」よく知りませんでした。 いわゆる成功者って自分、自分じゃなく、世のため、人のために汗を流す人なんですね。
倉敷という土地に密着しつつ倉敷紡績(現・クラボウ)や倉敷絹織(現・クラレ)などの企業を創立・発展させただけでなく、大原社会問題研究所などの研究所、総合病院や美術館の創設など社会事業にも尽力した経営者の評伝。 近々、倉敷を訪ねる予定もあり、また個人的には柳宗悦との関連にも興味があり、興味深く読んだ。...続きを読む渋沢栄一、武藤山治との比較も面白い。CSR活動に興味ある方にも是非。
先日、兼田 麗子 氏 による「大原孫三郎―善意と戦略の経営者」を読み終えました。 私の場合、「大原孫三郎」氏と聞いて真っ先に思い浮かぶのは「大原美術館」です。遥か昔、学生のころ休みで帰省した際に時折訪れていました。 大原孫三郎関係の本としては、以前、彼の有名な言葉をそのままタイトルにした城山三...続きを読む郎氏による小説「わしの眼は十年先が見える」を読んだことがあります。まさにこの言葉のとおり、大原孫三郎は倉敷を中心に地方振興の観点から様々なジャンルの基幹事業を興しました。
孫三郎は、労働者と経営者の利害は一致すると確信して、共存共栄を実現するための施策を倉敷紡績内で実践したが、このようなスタンスは、地主と小作人の関係についても変わらなかった 第二次世界大戦後の農地開放によって、孫三郎から寄付された農地を失った農業研究所は、岡山大学の所管となり、大麦のDNAサンプル保持...続きを読むと研究で世界的な権威として岡山大学資源植物化研究所として現存している 孫三郎は、主張を持った、生きた金銭の使い方にこだわり、虚飾のような贅沢を嫌った 渋沢が養育院に関与し始めた当初、厳罰主義で子供に対応していた職員を渋沢は更迭し、自らが適切であると、みなした人材を新たに発掘して採用したりもした 周知の人を中心にして、大原奨学生と孫三郎の無形の遺産についてまとめてみたいと思う。①児島虎次郎②近藤万太郎③薬師寺主計④神社柳吉⑤武内潔真⑥三橋玉見⑦公森太郎⑧友成九十九⑨土光敏夫。
『仕事を始める時は、10人のうち2,3人が賛成するときに始めればよい。一人も賛成がいないというのは早すぎるが、5,6人も賛成するときは手遅れ。7,8人ならやらない方がよい。』 『弱い立場にある人々の身になって考えることが必要。自分の快楽や都合の為に他者を踏みつけてはいけない』 『少なくとも自分が金儲...続きを読むけのためにしている仕事は、世間の人々の利益になっているという確信をもつ』
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大原孫三郎―善意と戦略の経営者
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兼田麗子
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