あらすじ
1997年6月28日。
僕は、僕ではなくなった。
酒鬼薔薇聖斗を名乗った少年Aが18年の時を経て、自分の過去と対峙し、切り結び著した、生命の手記。
「少年A」――それが、僕の代名詞となった。
僕はもはや血の通ったひとりの人間ではなく、無機質な「記号」になった。
それは多くの人にとって「少年犯罪」を表す記号であり、自分たちとは別世界に棲む、人間的な感情のカケラもない、
不気味で、おどろおどろしい「モンスター」を表す記号だった。
感情タグBEST3
寂しさと悲しさが人を狂わせる
内向的で繊細で、親と相性がよくなくて
居場所や心のよりどころ、安らぎやほっとすること
自分でもどうにもならない、抱えきれない気持ちが
溢れ出して狂気が生まれる
やったことは、世紀のサイコキラーだけど
だれもが共感する部分もある
絶歌を読んで
元少年Aさん あの当時あなたも何かの被害者だったのですか。性的サディズムに関して私は分かりませんが。同じ人間が数年でこんな感情がもてるはずはない、生まれ持った何かではなく、Aさん自身がその時代何かの影響を受けてしまった被害者だと。
そして凡人では描けない文章力を持ち、、
取り返しのつかないことをしてしまったのは事実です。
万人が少年少女時代の自分と今の自分、変わったこと少なからずあるでしょう。今、真っ当な心を持って精一杯生きるだけ、全人類に課せられた宿命です。前を見て生きましょう。
Posted by ブクログ
正直高い評価はつけたくない、でも1番リアルで衝撃的な本だった。これ以上没頭した本は無い。
理解し難いでも近くにあるような、同情、軽蔑たくさんの感情が生まれた本だった
Posted by ブクログ
えーなんか本当にすごい
あの少年Aが書いてる、言葉が聞けるっちゅーのがなんか信じられない…!
憧れとは違うけどなんか手の届かないカリスマ的な異次元の存在がめっちゃ身近に感じられる
しかもめっちゃ文才あると思うんだが
ウィリアム・ハイレンズみたいなこと言うんだな
本人が描いたキャラクターとしての酒鬼薔薇聖斗と翡翠魔弧のビジュアル見たい
えーしかも悠紀夫について語っとる興味深
圧倒的な14歳だなしかし
天才は天才
強いて言うなら犯行の状況とか心境とか手順のこともっと詳しーく細かーく教えてほしい
Posted by ブクログ
この本を読む人は何が目的かによって評価が変わる本。
私は事件の真相や当人らの心理が知りたかったため、「絶歌」には星5をつけるとする。
この事件の異質な点は事件そのものなことはもちろん。
加害者、加害者両親、被害者2人と事件関係者全員が本を出版したこともあると思う。
犯行時の詳細についてはこと細かく記されている。
犯行の動機については執筆時に後付けしたような印象あり。
独自のネーミングセンスや言葉選びには、いわゆる中二病とも言われるような幼さが残っている。
読んだ本や観た映画からの影響か?
内容としては
1.犯行に至るまでのこと
2.捕まったあとのこと
3.更生に向けてのこと
に分けられる。特に3が多い。
Posted by ブクログ
この本に評価を付けるというのは大変難しい。
文章として、とても美しく心打たれた部分が何箇所かあった。
p.118「『自分の息子だから』と、ただそれだけの理由で、僕を愛さなくてはならないのだと自分自身に言い聞かせるように、僕の写真を肌身離さず持ち歩く、罪なほど生真面目な父親が、悲しかった」
父親が自分を大切にしてくれてる、ただそれだけなのにそのように受け取ってしまう少年Aが、読み進めていくうちに周りの人の支えを受け感謝をし、人間になれたように私は感じた。
ただ一つの歯車が狂って育ってしまったばかりに、世間をざわつかせるモンスターになってしまった。僕が僕でなくなった、そんな加害者目線の心情がどんな読み物よりも新鮮だった。
フィクションであって欲しい。
Posted by ブクログ
両親が書いた「少年A」に続き、少年Aの手記。読む前は一定数いる産まれながらのサイコパスかと思っていたが、キラーになる迄が書かれていてイメージが変わった。祖母の死を経て悪魔の作られていく様。多少の美化を差し引いて読もうとするが、読ませる内容。少年Aの心の叫びが胸に刺さる。表現者なのだなと感じる。
出所後生活、身元を隠し逃げる日々。それでも生活がある。警察の一人が「もっと早く逮捕してあげれなくてゴメンな」という表記があるが、そうも思う。彼が言う精神的奇形児。
■その他
両親が中々出てこないのが気になる、出てきても短い時間描写に感じた。
押収物とともに写真を取られる父を見るのがキツかったと
Posted by ブクログ
日本で大きな影響を及ぼした事件の犯人が本を書くなんてなかなか聞いたことなかったので当時学校帰って発売日に書店に行った思い出。
本人の人間性と芸事は関係ないと考えてるのでいるので文章力すごいなあと純粋に思った。
厨二的思考と精神異常が混在してて不気味だった。
Posted by ブクログ
これほどまでに読み手の感情の置き場所を迷わせる本があるだろうか。
純粋に本の感想を書くと、とにかく文章が美しい。
この文を本当に本人が書いたのなら相当読書家だし、頭も良い。
ライターが代わりに書いたのかと思ったけど、文章の随所随所に独特の自己陶酔感が滲み出てるから、ご本人が書いたんだなと思ってる。
かなり重い事件だけど、それでもこの本が地獄みたいに重くないのは、作者が周囲の人間を非常に肯定的に受け取ってるからだろう。
実際はわからないけど、自分を支えた人間を愛している事が伝わってくる。この本の中でもこれが本当に救い。
もう少しセンシティブな内容に触れるなら、卑劣な殺人を犯した人間がこの様な本を出す事自体やはり良い様には思えないし、何より作者が本当に反省しているのか疑問に思う点が多々ある。
ただ殺人者が贖罪に塗れた人生を送る事を、前向きに生きて行くのを否定する事を、誰にも強要出来ない。強要したって意味がない。
その辺が読み進めながら凄い揺れ動いて、一層被害者が受けた傷、加害者のこれからの人生を考えてしまった。
良い本に出会えたとは言えない。
でも読めて良かったし、ほんとに色々考えさせられた。
普通の顔
少なからずショックだったのは、彼に人を思いやる心があり、殺人鬼のモンスターの顔は一側面に過ぎないということ。寮母さんの誘いを、断っては悪いからと了承するシーン。ペアを組んだバイト少年のフォローを感謝するシーン。里親さんの信頼に驚くシーン。部分的に切り取れば、真面目すぎるだけの不器用なただの青年に思えた。その一方でやはり過度な暴力性やムラのある自己中心性、認知のゆがみも感じられる。狂気と普通がマーブルのように混在している。
Posted by ブクログ
殺傷中の描写があれだけ生々しく書かれていながら、最後の方は罪の意識に駆られ胸を痛めているのが、同じ人間だと思えない。彼が自身で書いていたように、私達は彼のことを【人間的な感情のかけらもない、不気味でおどろおどろしいモンスター】だと思っている。だからこそ、こんな事件が起こせるんだ。自分には到底理解のできない生き物の理解のできない感情で、行為だ。と無理やり思い込ませている。彼が今も同じ世界に生きて、事件を起こして時間も経てば罪の意識も持てるだなんて考えたくない。それこそ、怖い。
文章がとてもうまい。さすが本を読み耽っていただけのことがある。そして地頭がいい人だってことがとてもよく分かった。
Posted by ブクログ
個人的には、絶版になった理由があまりわからなかった。
本当に頭の良い人で真面目な人なんだろうと思った。犯罪を犯してしまう人とそうでない人の差は紙一重なのかもしれないという気持ちになった。
Posted by ブクログ
賛否が分かれる1冊だと思います。読書が好きという筆者によって執筆されており、当時の心境や状況が高い解像度で書かれており、筆者自身についてよく知ることができました。それ故に、生々しく残酷な情景がリアルに想像できるため、苦手な方は辛くなってしまうかも知れません。
少年法や矯正教育の現状についても触れられており、自身の課題と向き合うことは社会復帰に必要不可欠ですが、その期間が社会との間に溝を生じさせてしまうという点にも課題を感じました。
Posted by ブクログ
文章がうますぎる。
それによっておどろおどろしい手記を1日で読み上げてしまった。
事件当時の記憶についてあまりにも生々しく、本当に更生したのか疑ってしまう。
反省している文についても取り繕っているのでは?と懐疑的になってしまうほど言葉がただの容れ物に感じた。
僕は今頃になって、「生きる」ことを愛してしまいました。
遺族に向けた手紙に書かれていたこのフレーズは重くか心に響いた。
Posted by ブクログ
著者の気持ちや思いを汲まずに書くのであれば、
文章の所々が妙に抽象的で色鮮やかに書かれていた。
その時の感情などとてもリアルに表現されといた。
ある意味本当の天才なのだと思う。
そして彼の苦労が深く思えた。
決して許されるものではないため読む方も苦しいし、書いた方も苦しい人生を送ってきたのだと思う。
彼のしたことは許されることではない。
しかし、読んでいるうちに彼の悔いや苦しみを感じて応援をしたい気持ちにもなる。
だが被害者側の気持ちにもなると、本当に難しい事件だなぁと深く悲しい。
答えが出ないが、彼の気持ちを深く知れたことは読んで良かったなと思う。
Posted by ブクログ
すごく評価が低い。
本を評価するこの媒体で、読む価値がないと言われて2.88。
書いてる人が世間を震撼させた『元少年A』だから?
私はそれが一番悲しいなと思ってしまった。
断っておくが、少年Aがやったことを肯定するつもりは一切ないしどんな理由であれ人を殺すのはよくない。喧嘩とか怨恨とか痴情のもつれとかだとしてもダメだし、理由なく興味で殺すなんてもってのほかだ。
ただ、フィクションとは違う実体験だからこそ分かることだってたくさんある。
犯罪者が本を出すことに対して金が欲しかったから書いたんだろ的な発想をよく目にするけど、メディアがそう見せてるだけなのではとよく思う。
少年Aの言葉はすごく詩的で、どの描写の詩的様式で撮られたモノクローム映画のようだ。
きっと人を生まれて物心がついてから目に入った全てがそんな風に見えていたんだろう。
目に映る人も登場人物なだけ。
身近に愛をくれる人間以外は出演者。
そんな風に思える文章だった。
ここに首を置いたら美しい演出になっただけ。
美しいものを見たら興奮したからオナニーしただけ。
それがたまたま死だっただけ。
それだけの話。
その後の半生で人らしくなるための努力をして、やっと普通になれたとしても、罪を背負う。
自分のしたことが罪であることを認める。
流石に100%理解はできない。
一線を越えてないだけだけど。
逆に言えば、私は被害者家族ではないから、そっちの気持ちに寄り添うこともできない。
だってみんな、事件に注目した理由はドラマや漫画で出てきそうないかにもは殺人だったからでしょ。
被害者家族よりも、首が置かれたことに注目した。
私だってその1人だから被害者家族と一緒には泣けない。
ただ、少年Aが自分の人生を振り返って同じ気を起こさないまでになったことや、それでも罪を背負っている。それが人を殺した者の全てだってことを、一番分からせてくれる本だと思った。
フィクションのミステリーだけじゃ分からない。
ちゃんと見つめて、正当に判断してほしい。
犯罪者が書いた本はクソなんじゃない。
その視点は結局、事件の凄惨さに食いついた者たちと変わらない。
って思いました。
Posted by ブクログ
人を殺した時の思いや心境が生々しく感じられて良かった
人を殺った側の意見はあまり聞かないからこそ新鮮で面白かった
ただ猫好きや殺人者が少しでも嫌いな場合読むのは進めない
ついでに
元少年Aの母の手記
〜少年Aこの子を産んで〜や被害者土師淳くんの父守さんが書いた 淳 を一緒に読んでみても面白い
Posted by ブクログ
生々しかった、恐ろしかった、言葉や行動すべてが。人を殺めてしまう人の心理ってこんな感じなのか。出会えてよかった、読めてよかった、とは決して思えないけど、読んでおく必要があったのかなと思う。
p.49 僕は強いストレスを感じるとよく熱を出したり、肌が荒れたりする。普段から表に感情を表さないせいもあるんだろうが、おそらく“精神“と“肉体“のシンクロ率が他の人たちよりも高いのだろう。
p.65 フロイトによれば、人間の欲動は「生の欲動」と「死の欲動」の2つに大別されると言う。「生の欲動」が自己保存や、生殖行為等“生きる“ことに目指した欲動にあるのに対し、「死の欲動」は意識的・無意識的に死を求め、死へ向かおうとする欲動である。「死の欲動」は「胎内回帰願望」とも強く連動しており、自分を生命発生以前の限りなく死に近い状態ーーつまり、母親の子宮内ーーに回帰させようとする“退行“の究極点とも言われている。「すべてを無に帰したい」、その願望は翻って、自分はこの世界もろとも滅ぼしたいと言う破壊衝動に直結することがままある。村上隆著『コインロッカー・ベイビーズ』で、神経兵器“ダチュラ“で世界を壊滅させたキクのように。精神分析学では、これを涅槃原則(ねはんげんそく):ニルバーナ・プリンシパルと呼ぶ。胎内回帰願望は死の欲動を駆動させるエンジンであり、死の欲動の馬力は、胎内回帰願望の強弱によって決定される。
p.205 成長期には、骨が急激に発達し、体の節々に痛みが生じる「成長痛」が伴うと言う。同じことが、「心の成長」にも言えると思う。きちんと「心の成長痛」を伴わない成長は、本当の成長とは呼べないのではないか。僕は、あの時、ちゃんと心と体真っ芯から「痛み」を感じ切れたのだろうか。本当にとことんまで、自分の犯した罪を、自分自身と直面できたのだろうか。「成長」できたのだろうか。無意識のうちに、人間としては何か大事な機能を停止させ、ギリギリのところで、「痛み」を回避してしまったと言う事は無いのだろうか。やっと掴みかけた大事なもの、すんでのところで取りこぼしてしまったと言う事は無いのだろうか。僕があのあと黙々と日課をこなしていたのは、「成長」下からなのか?それとも、自分でも気づかないうちに大事な何かを欠落させて、間違った方法で痛みをやり過ごしていただけなんだろうか…。
「心の弱い人は精神病になる」と言う意見もある。果たしてそうだろうか。人間としての痛みをちゃんと真正面から感じているからこそ、病気になってしまうこともあるのではないだろうか。精神を病む人の心の友はとても敏感で、他の人たちが全然平気なレベルの微弱な刺激でも、荒れたりただれたりするのではないか。
p.234 池谷孝司『死刑でいいです』
p.282 大人になった今の僕が、もし10代の「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問われたら、ただこうとしか言えない。
「どうしていけないか分かりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしあったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」
哲学的なひねりも何もない、こんな平易な言葉で、その少年は納得させられるとは到底思えない。でも、これが、少年院を出て以来、11年間、重い十字架を引きずりながらのたうち回っていき、やっと見つけた唯一の、僕の「答え」だった。どんな理由であろうと、一度、他人の命を奪えば、その記憶は自分の心と体の1番奥深くに焼印のように刻み込まれ、決して消える事は無い。表面的にいくら普通の生活を送っても、一生引きずり続ける。何より辛いのは、他人の優しさ、温かさに触れても、それを他の人たちと同じように、あるがままに「喜び」や「幸せ」として感受できないことだ。他人の真心が、時に鋭い刃となって、全身を斬り苛む。そうなって初めて気がつく。自分がかつて、己の全存在を賭けて唾棄したこの世界は、残酷なくらいに美しかったのだと。いちど捨て去った「人間の心」を再び取り戻すことが、これほどつらく苦しいとは思わなかった。まっとうに生きようとすればするほど、人間らしくなろうと努力すればするほど、計り知れない激痛が伴う。かといって、そういったことを何も感じず、人間であることをきれいさっぱり放棄するには、この世界にはあまりにも優しく、温かく、美しいもので溢れている。もはや痛みを伴ってしか、そういったものに触れられない自分を、激しく呪う。
何度願ったかわからない。時間を巻き戻せたら。の罪を犯す前の子供の頃の記憶が、たまらなく懐かしく愛おしい。その頃に戻ってもう一度やり直したい。今度こそ、まともな人生を歩みたい。でも、どんなになっても、もう遅い。二度とそこに戻ることができない。だから、せめて、もう二度と人を傷つけたりする人の痛みをまっすぐ受け止め、被害者や、これまでに傷つけてしまった人たちの分まで、今、自分の周囲にいる人たちを大事にしながら、自分のしたことを死ぬまで目一杯、がむしゃらに「苦悩」し、それを自分の言葉で伝えることで、「なぜ人を殺してはいけないのですか?」と言うその問いに、僕は一生答え続けていこうと思う。
p.291 事件、当時の僕は、自分や他人があって、生きていることも、死んでいくことも、「生きる」「死ぬ」と言う、匂いも感覚もない言葉として、記号として、どこかバーチャルなものとして認識していたように思います。しかし、人間が「生きる」と言う事は、決して無色無臭の「言葉」や「記号」のではなく、見ることも、嗅ぐことも、触ることができる、温かく、柔らかく、優しく、尊く、気高く、美しく、絶対に傷つけてはならない、かけがえのない、この上なく愛おしいものなのだと、実社会での生活で経験した様々な痛みを通して、肌に直接触れるように感じ取るようになりました。人と関わり、触れ合う中で「生きている」と言うのは、もうそれだけで、他の何物にも変えがたい奇跡であると実感するようになりました。
自分は生きている。その日にただただ感謝する時、自分がかつて、淳くんや彩花さんから「生きる」ことを奪ってしまったと言う事実に、打ちのめされます。自分自身が「生きたい」と願うようになって、初めて、僕は、人が「生きる」ことの素晴らしさ、命の重みを皮膚感覚で理解し始めました。そして、淳くんや彩花さんが、どれほど「行きたい」と願っていた日、どれほど悔しい思いをされたのかを考えるようになりました。
2人の人間の命を奪っておきながら、「生きたい」などと口にすること自体、言語道断だと思います。頭では、それを理解していても、自分には生きる資格などないと自覚すればするほど、自分が死に値する人間であると実感すればするほど、どうしようもなく、もうどうしようもなく、自分でも嫌になる位、「生きたい」「生きさせてほしい」と願ってしまうのです。みっともなく、いやってたらしく、ただ生きて、呼吸していたいと願う自分がいるのです。僕は今頃になって、「生きる」ことを愛してしまいました。どうして事件を起こす前に、こういった感覚を持つことができなかったのか、それが自分自身で情けなくて、歯痒くて、悔しくて悔しくてたまりません。淳くんや彩花さん、ご家族の皆様に、とても合わせる顔がありません。本当に申し訳ございません。
生きる事は尊い。生命は無条件に尊い。そんな大切なことに、多くの人が普通に感じられていることに、なぜ自分は、もっと早くに気をつけなかったのか。それに気づいていれば、このような事件を起こさずに済んだはずです。取り返しのつかない、最悪の事態を引き起こしてしまうので、どうして自分は、気付けなかったのだろうか。事件を起こすずっと前から、自分が見ないふりをしてきたことの中に、それをに気づくこともできるチャンスがたくさんあったのではないだろうか。自分にそれを気づかせてくれようとした人も、大勢いたのではないだろうか。そのことを、考え続けました。今さら何を言っても、何を考えても、どんなに後悔しても、反省して、遅すぎると思います。僕はほんとに取り返しのつかない、決して許されないことをしてしまいました。その上、さらに、このような本を書くなど、皆様からしてみれば、怒り心頭であると思います。
この11年間、沈黙が僕の言葉であり、虚像が僕の実態でした。僕はひたすら声を押し殺して生きてきました。それは全て自業自得であり、それに対して「辛い」「苦しい」などと口にする事は、僕には許されないと思います。でも僕は、とうとうそれに耐えられなくなってしまいました。自分の言葉で、自分の思いを語りたい。自分の生の軌跡を形にして残したい。朝から晩まで、何をしている時でも、もうそれしか考えられなくなりました。そうしないことには、精神が崩壊しそうでした。自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たった1つの「生きる道」でした。僕には、この本を書く以外に、もう自分の声を掴み取る手段がありませんでした。本を書けば、皆様をさらに傷つけ、苦しめることになってしまう。それをわかっていながら、どうしても、どうしても書かずにはいられませんでした。あまりにも身勝手すぎると思います。本当に申し訳ありません。すべて、この本の中に、皆様の「なぜ」にお答えできている部分が、たとえほんの1行であってもあってくれればと願ってやみません。
Posted by ブクログ
感想を書くと批難がありそうだから
悩んだけど伝えたいと思ったので書きます
第三者だから読めたのですが
正直私はこんなにも当事者の言葉で伝えられる日が来るとはおもってなかったので生々しい言葉がすごく刺さりました。
心の感じとり方って制御出来ないししょうがないし
する必要性はあまりないと思う私にとって
とても難しい話でした。
Posted by ブクログ
酸素のないニュータウン、息苦しさがありありと伝わる文章。
特に前半の漢字の多さに、この人がどれだけの言葉を持てば自分の世界を表現できるのか悶えながら語彙を獲得した過程がみれる。そうした「小難しい熟語」の羅列は、主に風景描写のみだ。対して彼の内面は、分かりやすいほど純真な語句で完結している。
事件に至るまでの心情や行動が詳細に書かれていて、いつも通り感情移入してしまって手足が冷えきって痺れてしまった。生々しい描写は苦手だ。
pp.64 「自分には手も足も出せない領域にあった死を、自分の力でこちら側に引き寄せた。死をこの手で作り出せた。さんざんに自分を振りまわし、弄んだ死を、完璧にコントロールした。この潰れた猫の顔は、死に対する自分の "勝利" だ。」
pp.124 「僕は、自分が、自分の罪もろとも受け容れられ、赦されてしまうことが、何よりも怖かった。…(中略)…僕は罪悪感の中毒者だった。」
筆者にとって自分を許容されることとは、自分を全否定されることだった。
自分の"生"を実感するために、蔑まれたり全否定されたりすることを望む。私が、痛みを感じることで生きていることを実感することとなんら変わらない。ただその方法が、この社会にはあまりに不適切すぎたんだろう。
被害者遺族の出した2冊の手記を読み、精神が壊れていく筆者が「苦しみから逃れたい一心」で部屋中の掃除や課題学習や筋トレに励む姿を「成長」と呼び評価する少年院スタッフへの違和感を、筆者は「間違った方法で痛みをやりすごしていただけなのだろうか」と自分への疑問視でまとめている。私は、これは筆者が自分にベクトルを向けざるを得ない環境だったからこう書かざるを得なかっただけではないかと感じ、シンプルにこの社会の規範に不気味さを覚える。
黙々と一心不乱に脳みそを使わない行動で時間を消費することを、どうして「成長」と呼べるのだろうか。それは真に「更生」なんだろうか。そもそも「更生」ってなんなんだろうか。
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自分のことを「昔から異常だった」と語っている部分と、あんな顔(当時マスコミで出回った顔写真)だけど実は普通の純真な子どもの時期もあったんだ、みたいな部分とが文が進むにつれて交錯する。筆者の中でも、何かを守りたくて理論や難しい言葉で固めているけど、どうしようもない、なんの理由もない好奇心や衝動性に留まらない剥き出しの「なにか」が見え隠れする。
僕は最低だった、というような、自分を卑下する言葉が至る所にある。欠陥人間、どうしようもない人間など。
それは、ある意味で、筆者のアイデンティティなのかもしれない。他者とのちがいやズレを、「個性」といった美しい言葉で語ることが許されないような気がして、自分自身に貼り付けていったラベルがそうなのかも。
とまぁ、ここまで書いておいてなんだが、筆者の自分を守る言葉を集める書籍だったのかなというのが総括。
冒頭の方で、筆者は自分を教室の端にいる、いてもいなくても気づかれないような座敷わらしのような人に例えている。どんなクラスにもいただろう、とも。確かにそういう人はいた。だけど、そういう人は突然誰かに手を上げたり攻撃的になったりすることはなかったように思う。ただただうっすらと、影を潜めて生きていたあの人たちのことを思い浮かべて読み始めたのに、進むにつれていくつもの「突発的な暴力行為」に筆者が及んでいることが分かる。小学生あるいは中学生の頃の男子はそんなもん?いやそんなことなかったなぁと思う。少なくともそういう人は「普段大人しめだけどやばいやつ」で通っていたから、「思い出せないような人」ではなかったのではないか、と。だからこうした表現は、筆者なりの自己アイデンティティというか、自分はこういう人だと信じていた理想形だったりするのはないか。
既存の言葉で表すと「衝動性」だとか「こだわりが強い」だとか、あるいは「劣等感が大きい」だとか「機微を読み取るのが難しい」だとか、そういう人だろうか。筆者自身の感性や特性は制御不能な「なにか」であり、筆者という「生き物」であったのに、事件と逮捕と更生によって何重にも塗装され、人間の形を模して社会に排出されてしまい、それこそこの社会によくいる「人間」のフリをして生きようとするもやはり塗装でしかなく、出てくる言葉は謝罪や後悔ではあるがそれは筆者自身が自分を見失う行為に等しく、生きていることが苦しくなったための吐露がこの作品の気がする。
#読書 #読書記録 #読書ノート #絶歌
Posted by ブクログ
絶対に読まないであろう本を敢えて読むと脳が活性化されると聞いたので砂を食べるような心持ちでこの本を読んだ。
結論から言うと面白かった、と言うよりすごく印象に残った。印象に残ったと言う意味では今年読んだ本の中では一番かも知れない。
少年Aの家庭がとても暖かだったのは意外。
うちの両親や兄弟よりよっぽどまともだと思った。
いまはどこで何をしているのか。
潜在的に危険な人物である疑いは結局拭えなかった。
Posted by ブクログ
今度は、加害者本人の手記だ。
一貫して言えるのは、加害者は、何か自分が何故このような犯行を犯してしまったのか、色々と理由を付けようとしているように思った。理由は一つや二つであるはずもなく、また、本人も気付かない理由もあるだろうし、なんだか第三者的になりすぎている気がした。淳くんとの関係、淳くんへの想いも、全く理解ができなかった。なぜ、自分のことを無垢に認めてくれている淳くんを殴りたい気持ちになったのか、殺害したいと思ったのか。わからない。自分がインテリであるかのように、言葉をいろいろと使い分け、客観視したような言葉に、ものすごく違和感を感じざるを得ない。
加害者は言う。
淳君の無垢な瞳が愛おしかった。でも同時に、その綺麗な瞳に映り込む醜く汚らわしい自分が、殺したいほど憎かった。淳君の姿に反射する自分自身への憎しみと恐怖。僕は、淳君に映る自分を殺したかったのではないかと思う。真っ白な淳君の中に、僕は”黒い自分”を投影していた。
「抱きしめたい気持ち」の白い縦糸。
「無茶苦茶にしたい気持ち」の黒い横糸。
その白黒の糸を通した二本の針が、僕の心を交互に突き刺し、隙間なくぎっちりと縫い塞いだ。
淳君の瞳が映し出す醜い自分を消し去り、綺麗な淳君を自分のそばに引き留めたい。
この二年後、僕は淳君と自分自身を、タンク山で同時に絞め殺してしまった。と。
ただ、途中、加害者の叔母の話が出た時、何か論調が変わった。何か、加害者の心に普通の人間の心が現れたというか、何か違う感じがした。加害者をきちんと更生するにはこの叔母の力が必要なのではないかと思った。
また、本書では母親のことを好きだと言っているが、額面通りにそう理解していいかは少し疑問に思った。
また、加害者は言う
現代はコミュニケーション至上主義社会だ。なんでもかんでもコミュニケーション、1にコミュニケーション2にコミュニケーション、3。4がなくて5にコミュニケーション、猫も杓子もコミュニケーション。まさに「コミュニケーション戦争の時代」である。これは大袈裟な話ではなく、今この日本社会でコミュニケーション能力のない人間に生きる権利は認められない。人と繋がることができない人間は、人間”とは見做されない。コミュニケーション能力を持たずに社会に出て行くことは、銃弾が飛び交う戦場に丸腰の素っ裸で放り出されるようなものだ。誰もがこのコミュニケーションの戦場で、自分の生存圏を獲得することに躍起になっている。「障害」や「能力のなさ」など考慮する者はいない。
これは、正鵠を得ていると思う。コミュニケーション障害とか言うが、そういうことが苦手な人もおり、また、病気ということもある。それを知らずに、コミュニケーションを取れ!と声高に言うことは、暴力とも言える。気をつけなければならない
本書の前半と後半は別の人が書いたのだろうかと思うぐらい、その文章の表現が違って見えた。前半は、すごく第三者的で、評論家的で、なんとも言えない内容だ。後半にいくに従い、文章は心から出ているかと思うような内容になっていく。それが、本当かどうかは本人以外は分からない。だって、そう自分を隠すことが上手な加害者だったのだろうから。鵜呑みにすることはできないものの、なんとなくいままで生きてきた心情はわかった。ただ、やはり、本書では、自分のことをわかってほしい、苦しんでいます、といっているようで、また、なぜ、人を殺すことがダメなのかと言う問いに、自分自身も苦しみますよと、被害者のことを考えていないセリフが出るので、自分本位なのだなと思ってしまう。だから、今後は、もっと自分のことではなく、被害に遭われた方のことを、もっともっと考えていくことが必要だと思った。
Posted by ブクログ
「生きる」ことを愛してしまいました。
人の命を奪い、どれだけ後悔しても
それは取り返しのつかない事であり
決して許されることではない。
本書では、社会復帰後に公園で見かけた
夫婦と幼児の何でもない光景を見て
「自分が奪ったものはこれなんだ」と回想しているが
少年Aが犯行当時に同じ事を想像出来ずに
時を経て思い至れる感情が言語化され印象的であった。
人が生涯行ってしまう過ちの中で
最大級に誤ってはいけない行動であり
本書内で、幾度となく反省と後悔の文章があったが
何をしても、絶対に取り戻す事のできないもどかしさは
読んでいて胸が苦しくなりました。
Posted by ブクログ
本書に描かれるAの姿は、単なる少年犯罪の枠を超えた恐怖を読者に与える。猫への残虐な殺害シーンは、その後に行われたであろう淳君や幼い女児への犯行を想起させ、戦慄を禁じ得ない。彼が殺人に及んだ動機は「己の性的欲求の充足」という身勝手なものであり、これはまさに日本版ダーマーと評しても過言ではない。
Aの家庭環境を読み解くと、両親との関係が希薄であったことが浮かび上がる。記述上は仲の良い家庭のように描かれているが、実際には祖母との関係ばかりが強調されている点に不自然さがある。健全な親子関係が育まれていれば、こうした歪んだ人格が形成されなかったのではないかと考えられる。
さらに注目すべきは、彼が「殺害する喜び」に取り憑かれている点である。一度覚えた快感に再び手を伸ばす可能性は、麻薬中毒者の再犯率にも似て極めて高い。更生したように見えても、社会が油断した頃に同じ過ちを繰り返す危険性は否定できない。この意味で、Aは社会にとって持続的な脅威であり、警察による監視体制が不可欠である。
本事例は、単なる個人の逸脱行為ではなく、社会全体への警鐘である。人間の中にはごく少数ながら、生来の性質や環境の歪みから「怪物」と呼ぶべき存在が生まれてしまう可能性がある。もしそうであれば、社会は早期発見と強制的な矯正の仕組みを整え、第二のAやダーマーを生まない努力をすべきである。
結論として、Aは社会復帰させるにあたり極めて厳格な監視下に置かれるべきであり、さもなければ死刑を含む厳罰が妥当であると考える。本書を通じて示されたのは、異常犯罪者の恐怖そのものよりも、そうした存在を生み出し放置してきた社会の脆弱さにほかならない。
Posted by ブクログ
第一章の少年時代の異常性と、10年ほどの少年院での暮らしを経て価値観が変わった少年Aの構成の第二章のギャップに驚いた。
どんなに悪いことをしても、更生を信じ支えてくれる人もいるものなのかと素直に感じた。
Posted by ブクログ
あの猟奇的殺人酒鬼薔薇聖人を名乗った少年Aの手記。少年Aの両親の書いた手記を以前読んだことがあるが親が思っている息子「少年A」と犯罪者少年A本人との乖離の大きさに驚いた。
ひとつ驚いたのは文章力。本を読むのが好きらしく文章力が高い、ただ全体を通して滲み出る自己陶酔感に不快感を覚えた。
自分には到底理解不能な性癖が赤裸々に語られており衝撃的であった。少年A自身も歪んだ性癖に苦しんでいると語っており、自分が普通の感性を持って生まれてこれた事にありがたみを感じた。あの事件での動機、殺し方、死体の処理法など詳細に書かれていた事にも驚いた。被害者側のことを思い終始胸糞悪い気持ちだったが、自分の知らない世界という意味では好奇心も満たされ複雑な気持ちで読んだ一冊であった。
また、以前読んだ本で凶悪犯罪者は脳に気質的な違いがあると読んだが少年Aはどうなのか気になる。
Posted by ブクログ
事件後の少年院を仮退院してからの話。
装飾や言い回しが華美で厨二病っぽい。
自己陶酔しているように思える。
自分の家族に対しての罪悪感はたっぷり書き込んでいるのに、被害者に対しての謝罪は薄っぺらく感じる。
軽い気持ちで読めない内容
他でレビューを見ましたが、読んで後悔する猫への虐殺…
辛口レビューが多いのも納得な内容です。
ただ、どうして猫へ憎しみが向かったのか。
家族同然のペットを飼われた経験がある人なら、感情は解るとこはあるのでは無いでしょうか?
今の感情が抑えられず、絶歌を出版したA。
被害者への謝罪を読んで、感情がぐちゃぐちゃになり泣きました。
被害者家族からしたら、許せる内容では無いと思います。
Posted by ブクログ
評価の難しい書籍。少年Aのメディア報道からはみられない一端を垣間見える一方で、ここで書かれてることがどこまで本音の部分なのかつくられたことなのかがわからないところはある。文章が上手がゆえに、本音がみえづらい内容になってしまうところもあると思う。一般的な感覚からすると、書籍で書かれてる反省と苦悩と、遺族に無許可で書籍を出してしまうことのギャップが甚だ理解に苦しむのだけども、この感覚のズレが本質な気がするし、この感覚のズレこそが事件が起きてしまったことの背景にあるように思った。このズレはこのあとなくなっていくものなのか、先天的に厳しいものなのか、いずれしても、まだまだ、少年Aの苦悩が続きそうなところに人間としてふつうに生きることの難しさを感じた。
Posted by ブクログ
評価は難しいですね。
読み物としては文章力もあるので読みやすいです。
そして、犯罪心理学や青年心理学を学んでる方などは一読するのもありだと思います。
遺族の許可を得ず、出版した事はとても残念に思います。
彼は遺族へこの本を出さなければ生きていけなかったからと言っていますが、恐らく吐き出す場所が欲しかったのだと思う。
世間に身を隠して生きている中で、自分の過去を偽り誰も知らない生活の中で『自分はここで生きている』と吐き出す場所が必要になったのだと思う。
しかし、その状況もすべてひっくるめて彼は耐え忍んで生きていくべきだったのでは。
犯罪者が世間でどう生きて行くのかが第二部から書かれているのですが、そこはとても興味深かったです。
優しく受け入れてくれる人達もいるけど、やはり孤独で苦労も並大抵ではなく、私としてはホッとしました。
それだけでも読む価値はあったかな。
Posted by ブクログ
発売当初からずっと読んでみたいと思っていた本。
一気に読み進めたが、なんとも言えない読後感は終始私の思考回路をグルグルと回転させ続けた。
第一章と第二章それぞれから受けるAの印象は全く違ったように感じた。
第一章は、事件当時の描写がメイン。
自分の話であるのにどこか自分を俯瞰して見ているような書き方で、小説のような美しい言葉でスルスルと話が進んでいく。
本書の中に「自分が自分でなかった」旨の記載が多々あるが、まさにそれを自然と表しているかのようだった。
第二章は社会で過ごす描写がメイン。
一章とは真逆で、泥臭い人間らしさが溢れていた。
様々な人との関わりや経験を通して、人として生きていくことの意味理解し、罪の重さに自分を苦しめながらも一生懸命生きて行きたい強い想いを感じた。
とにかくこの本は一言では言い表せない。
Posted by ブクログ
買うのも読むのも悩んだ。読みながら吐き気がした。でも事件後の加害者の現実を本人の口から知るというのは、初めてだったし、感情的なものを抜いて色々考えさせられた。
Posted by ブクログ
何回も読むのやめようと思ったけど、
進めていくうちに、色んな悲しさにぶつかった。
罪を犯してしまったら、
何を思っても罪人なんだと私は思う。
この人がこの先、真っ当に生きてくれるといいな。
匿名
この本を書かずにはいられませんでしたって…どこまでも自分勝手だなと思いました。結局は自分の気持ちが耐えられなくなったからってご遺族の方たちにだまって本を出したりして…そういう苦しさも全部背負って生きていかなければいけなかったはずなのに。文章も自分に酔っているようなところがあってなんだかなって思います。もし自分が被害者の子どもたちの親だったら…この本を出されたことで、子どもの苦しい最期がさらされることで二度殺された気分になります。すみませんでしたと謝るのならこんな自分勝手な本を書くべきじゃないと思います。とことん苦しんで生きていくべきです。