あらすじ
「一トンの塩」をいっしょに舐めるうちにかけがえのない友人となった書物たち。本を読むことは生きることと同じという須賀は、また当代無比の書評家だった。好きな本と作家をめぐる極上の読書日記。
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塩を1トン舐めるように夫婦を共にするという言葉を姑から言われたそう。そこで、筆者は読書に置き換えたそう。
筆者は晩年新聞等のコラムに書評を書いていたそうだ。
いい読書のとっかっかりになると思う。
読書だって塩1トン舐めるようなもの。
いろいろな本を読んで、少しずつ消化したい。
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著者の読書遍歴とその作品たちへの思い。夫と噂話をしていたらイタリア人の義母が、ひとりの人を理解するまでには、少なくも一トンの塩を一緒に舐めなければだめなのよ、とやんわり諭したことに由来する書名。
読んだ本、これは読んでみたいという本がいっぱい。特になるほどと思ったのは、谷崎の「細雪」について。作者が源氏物語の現代語訳をやっていた時期に書いたのだそうで、蒔岡家の雪子と妙子を日本古来のあでやかさと奔放さと表現し、作品中の文章についても和文の優しさをつたえる文章と、漢文のかっちりした味を伝える文がある、源氏物語派と非源氏物語派だと。
塩1トンの読書。読んでも読んでも、どんなに長生きしても、人の一生では「読み足りる」ということはないだろうと思いつつ読み終えた。
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このタイトルはどういう意味だろうと興味を持って手にとってみた。
なるほど、塩一トンをなめるのにはとても長い時間がかかるけれど、それくらい本と向き合うということか(本来は人との付き合いに対して著者の義母が言った言葉だったらしい)。
前の須賀敦子作品へのレビューでも書いた気がするけど、なぜだか私は須賀敦子の文章にすごく惹かれる。今回も、私からすると、到底手の届かない高いところに達した須賀敦子の思考と、博識ぶりと、読書量と、書評の文章の上品さに、圧倒されるし、理解はできないし・・・という状態だったけれど、やはり惹かれる。
ちなみに、後半の書評については、どの本ももちろん読んだこともなければ、ほとんどが知らない本だった。
いわゆる「文学」と言われる有名な作品や海外作品に全くもって疎いことを一瞬恥じたけれど、私は私の読書をしていこうとも思った。
しかし、日本語以外の言葉で読書ができるって、とてつもなく羨ましい。一度でいいから、母国語以外で本を読んでみて、日本語と同じように感慨を得たい。
最後にとてつもなく惹かれた部分を(長いけれど)引用したい。
「砂のように眠る」(関川夏央)によせた書評より
ー著者がこの本を書きおえて二年目の一九九五年、阪神地方を襲った大震災がそれにつづく暗い時代のいやな予兆ででもあったかのように、日本人は、じぶんたちの国が、世界のなかで確実に精神の後進国であることを真剣に考えずにはいられなくなった。いったい、なにを忘れてきたのだろう、なにをないがしろにしてきたのだろうと、私たちは苦しい自問をくりかえしている。だが、答は、たぶん、簡単にはみつからないだろう。強いていえば、この国では、手早い答をいつけることが競争に勝つことだと、そんなくだらないことばかりに力を入れてきたのだから。
人が生きるのは、答をみつけるためでもないし、だれかと、なにかと、競争するためなどでは、けっしてありえない。ひたすらそれぞれが信じる方向にむけて、じぶんを充実させる、そのことを、私たちは根本のところで忘れて走ってきたのではないだろうか。この本を書いた関川さんは、そんなふうにいっているようにも、私には思える。
まだまだこの国は、人生における空虚な価値観が漂っているのではないか。あれから数十年経とうというのに、何も変わっていないのではないか。心に沁みる文章だった。
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須賀さんの文章を読むと背筋が伸びる。そして読書は、本が好きな人たちだけの趣味ではなく、人間が豊かに生きていくのに欠かせないものであるということに気づく。
” 人が生きるのは、答をみつけるためでもないし、だれかと、なにかと、競争するためなどでは、けっしてありえない。ひたすらそれぞれが信じる方向にむけて、じぶんを充実させる、そのことを、私たちは根本のところで忘れて走ってきたのではないだろうか。”
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タイトルに興味を持ち購入。初めて読むジャンルの本で、時をタイムスリップしたかのような気持ちになった。歴史を文学を通じて読み解く、歴史の一コマが目に浮かぶ感覚だった。
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こんなにも読みやすい文章を読んだのは久しくなかったように思う。スルスルっと読めてしまう。それは良いことなのか、残念なことなのか。スル何かしっくり来ない、何か引っかかる、肝心なことが読めていない気がする、と感じた時は、また、気軽にふらっと読み返しもできる。そんな受け入れやすい、でも、意識がちゃんと起きていないと理解しきれない文章に思えた。
表題エッセイ「塩一トンの読書」がまず良い。次に良いなと感じたのは、「細雪」という作品についての見解を緻密に綴ったもの。長編だということと、文章が少し古典的だという先入観が邪魔して手に取ったことがない作品なのだが一念発起して読んみたいとうずうずするのだ。
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「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければならないのよ」
著者の須賀さんが結婚して間もないころ、姑に言われた言葉がこの本のタイトルに。
一トンという大変な量の塩をともに舐めつくすには、途方もない時間がかかる。一人の人間を理解するというのは、生易しいことではない、ということ。
そして須賀さんは古典文学に触れたとき、この姑の言葉を思い出すのだそう。理解しつくすのがひどく難しい、という意味で。
海外で暮らした経験を持つ文筆家、須賀敦子さんの読書エッセイ集。
日々の生活や人とのふれあいのなかには常に本が存在していて、それはけして特別ではなく当たり前のことなのだけど、その当たり前を切り取って文章にしているような本。
シンプルに本が好きな人の側には確かに、ごく自然に本が存在している。そこに多くの出逢いや発見があり、年々大切な本が増えていく。
私はどちらかというと海外の作品よりは日本の作品を多く読むほうだけど、このエッセイでは海外の作品が多く紹介されていて、読んでみたいと思った本もいくつか。久々に付箋の出番でした。
本当は、一冊の本を理解するのにも、一トンの塩を舐めつくすくらいの時間が必要なのかもしれない。
日々たくさんの本にふれあいながら、一生をかけて理解したい唯一の本を持つというのも、いいのかも。
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「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」
ミラノで結婚してまもない頃の筆者に諭したという姑のこの言葉、そして本、特に古典とのつきあいにも同じことが言えるという筆者の解釈に強く感銘を受けた。
読書は大好きだけれど、自分の読書はスイーツを食べる感覚に似ている、と思った。
時には精進料理のようなものや、ステーキみたいなご馳走にも手を伸ばすし、まがい物はある程度見分けられる自身も多少なりとあるので味音痴ではないと思う。
けれど、どのくらい深く味わっているか、を問われると正直自信がない。
この本も、少し前に読んだ書評本も、読んでいて素直に面白いと思うとともに、自分の読書の経験値の低さ、知識不足に気の遠くなる思いに落ち込む。
書物の大海の広さに愕然とするだけではなく、その先に待っているであろう未知の世界や新たな出会いにワクワクする気持ちももちろん湧いてくるけれど。
私の読み解く力はまだまだ未熟で、大海の遥か沖まで漕ぎだせるほどのチカラは持っていないけれど、楽しみながらも深く味わい、いつか一トンの塩を舐めきる日が来ると良いと思う。
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本を巡るエッセイである本書は、読むというより須賀敦子さんの語り口を聴いているかのようだ。「ひとりの人を理解するまでには、少なくとも、1トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」姑に何となく言われたその言葉は書物に対しても同様であり、塩だけでなく辛酸も舐めてきたからこそ発することのできる滑らかな理知と厳しくも優しい温かさが込めれている。それは古典の様だと思いながら、解説にもある通りこんな風に言われている気がしてくるのだ。あなたの声を見つけなさい。それは弱く、か細くとも構わないのだから。あなた自身の声を。
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人生の味付け。
古典を読むこと、人を知ること。どちらも長い時間をかけて、だんだん深めていくことだ。落ち着いた文章で、ゆっくり読めた。
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「読書が趣味です」という言葉を口にするのが憚られる。比較すること自体おこがましいんだけど。それくらい1冊に対する向き合う方が違う。その本の持つ形を捉えて、読みこめるようになりたいという思いを新たにさせてくれる本だった。
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神楽坂のかもめブックスで購入。初めての須賀敦子。
「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」
ではじまる冒頭の節は、これからも何度か読み返す文章なんだろうなあと思う。
他のエッセイがどうなのかは分からないけれど、この本に関しては荒川洋治を彷彿させる。次々と本を読みたくなる。読んでない本に関する書評なのに、説教臭くもなく、次々読んでみたいと思わされる。書物へ向かう好奇心が尽きない人が書く文章だからこそ、読み手も影響されるんだろう。
そして、書評としてだけではなくて、エッセイとして面白いということ。そこが大事なポイント。
次は「コルシア書店の仲間たち」を読んでみよう。