あらすじ
2015年6月に文科省が出した「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」の通知を受け、各メディアは「国が文系学部を廃止しようとしている」と報じ、騒動となった。これは事の経緯を見誤った報道ではあったものの、大学教育における「理系」偏重と「文系」軽視の傾向は否定できない。本著では、大学論、メディア論、カルチュラル・スタディーズを牽引してきた著者が、錯綜する議論を整理しつつ、社会の歴史的変化に対応するためには、短期的な答えを出す「理系的な知」より、目的や価値の新たな軸を発見・創造する「文系的な知」こそが役に立つ論拠を提示。実行的な大学改革への道筋を提言する。【目次】第一章 「文系学部廃止」という衝撃/第二章 文系は、役に立つ/第三章 二一世紀の宮本武蔵/第四章 人生で三回、大学に入る/終章 普遍性・有用性・遊戯性/あとがき
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Posted by ブクログ
2015年の文科省通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」が出て、「文科省は文系学部廃止を企んでいる」という解釈が瞬く間に広がった。2013年の国立大学改革プランで示された文言の焼き直しに過ぎなかったにも拘らず、である。
この原因は、この「通知」の文脈的な理解ができずに文章の字面だけで記事を書いて平気なマスコミ記者たち、あるいは関連資料に当たることも記事を系統的に検証することもなく、マスコミ情報を前提に議論を始める一部の大学人やメディア言論人の劣化に一因がある。もう一つ「文系は役に立たない」という認識が広まっていたことも大きい。
「文系は役に立つ」が本書の主眼である。
この点では広田照幸氏の発言が印象的である。「哲学なんかこそ、実は新しいアイディアの宝庫なんです。現象の本質を抽象的な概念で論理的に考える訳ですから。長い目で見れば、そうした思索こそが、あたらしいアイディアを生み出す。そういう意味では、『経済効果』から見ても、ちゃんと意味はある」。つまり、目的遂行的には理系的な知が役立つが、「価値創造的」には、文系の知こそが、長く広い未来のために役立つといのが、著者の主張である。
ただ、昨今の新自由主義的経済の中では、結果がすぐに、しかも成果を数値化して示すことが求められるなかで、文系的な知の重要性が評価されにくいのは事実かもしれない。さらに、数ある大学の中・下位校、特に多数を占める文系の学部教育のお粗末さが、「文系不要論」に拍車をかけているように思われるのである。
この著書では、大学人やマスコミなどが混同(誤解)している用語を整理していることも重要だ。人文社会系、教養、一般教育、リベラルアーツの定義がされないために、大学教育改革の論点が定まらないことが多いからだ。
○リベラルアーツ(Liberal Arts):
11、12世紀に誕生した中世の大学教育における言語系の三学(文法学、修辞学、論理学)と数学系四科(代数学、幾何学、天文学、音楽)を指す(著者は「音楽」を芸術系に分類しているが、ここでの音楽は現在でいう物理学と解すべきである)。リベラルアーツは、リベラルに思考する技法、つまり、私利・私欲、因習、社会通念、偏見、迷信、先入観、そして功利性から解放された(liberal)、普遍妥当性のある価値や概念(真理)を見出し、理性的で論理的な思考でもって正しい問題解決策を導く技法(arts)を身につけるための科目群と考えるべきであろう。
○教養(Culture):19世紀以降の「国民国家」の形成(ナショナリズム高揚)が背景。近代産業文明のなかで、国民の人格の陶冶・涵養をするために過去の伝統との結びつきを強調。「文化=教養」を通じた国民主体と国家の一致という考え方がある(p.83)。
○一般教育(General Education):大学教育のユニバーサル化とともに、一般大衆に向けて機能する基礎教育の必要性とともに登場。異なる専門分野を総合する力を身につけ、未来的な課題に立ち向かう能動的な知性を具えた市民の育成を目指す。アメリカにおける大学院の発展が背景。
○共通教育:1990年代以降の大学改革の流れの中で登場。従来の一般教育に加えて、スキル科目(コンピュータ・リテラシーや実践的英語能力)が含まれる。グローバル化社会や情報社会を生き抜くスキルを身につけることを目的とする。
第四章「人生で3回、大学に入る」では、あまりにも理想的すぎるはと思われる記述が散見された。大学で学ぶ費用が高くなっている中で、その費用を投資しても、少なくとも2回目、3回目の入学では回収できる期待がほとんどない。そもそも今の日本の社会では、大学入学のため退職しようものなら、再就職のときにより良い条件で雇用される可能性は低い。単に趣味で学びたいという人もいるかもしれないが、あまりにもコストがかかる趣味である。知識を得るのであれば、書物や学会、インターネットでも十分可能である。そもそも、大学のレベルでは一方的な講義形式が主流であるし、数少ないゼミでも、中身の深い議論が期待できないからだ。
東京大学の教授の著書だけに、中身が濃く読み読み応えがある章(1~3章)と少し現実離れしているのではないか思われる章(4章)が併存している、そんな印象であった。
Posted by ブクログ
「文系は役に立たないからいらない」「文系は役に立たないけれども価値がある」という議論を批判している。「文系は必ず役に立つ」らしい。「価値の軸を創造する力」「既存の価値を相対する力」が文系の知にはあるようだ。
私は文系人間だが、べつに価値がなくてもいいし、役に立たなくてもいいと思っている。でも、下り坂の日本でこれからの時代を生きていく子どもたちが今までと同じ感覚で安易に文系を選択することはあまりよいことだとは思えない。
いろいろな考え方があると思うが、大学に関する議論はそこに勤める人間の食い扶持ではなくて日本の将来や学生のことを第一に考えてほしい。