あらすじ
頭上には電線がとぐろを巻き、街ではスピーカーががなりたてる、ゴミ溜めのような日本。美に敏感なはずの国民が、なぜ醜さに鈍感なのか? 客への応対は卑屈で、「奴隷的サービス」に徹する店員たち。その微温的「気配り」や「他人を思いやる心」など、日本人の美徳の裏側に潜むグロテスクな感情を暴き、押し付けがましい「優しさ」に断固として立ち向う。戦う哲学者の反・日本文化論。
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Posted by ブクログ
「奴隷的サービス」と「醜と不快の哲学」が特に面白かった。ある食堂で、「72番さんです。お待たせしました!」と不快な物扱いをされたことを思い出す。「72番の札でお待ちのお客様、お待たせいたしました」だろ!この店員がいる時には、そっと店を後にする私...。
「たとえどんなによいことでも、人々の言葉が一律になってしまったら、用心しなければならないと思う。そのことを、われわれは歴史からうんざりするほど学んできたはずである」
「「他人の気持ちがわかる人」とか「他人の痛みがわかる人」というスローガンをもとに、他人の感受性を尊重する教育がなされているように見える。だが、この場合、じつは「わかる」内容は、感受性のマジョリティが「わかる」ことに限定されているのだ」
Posted by ブクログ
沈黙しない正しきマイノリティーである著者の真骨頂。自分がいかに醜いもの不快なものに対し鈍感・無関心になっていたかを突きつけられた。僕も気づかぬうちに「感受性のファシズム」に支配されていたのだ。
あることを「醜い・不快だ」と思った時、そう感じることがマイノリティーの感覚だと分かっていたとしても、そのことの正当性においてマイノリティーが潜在的、あるいは倫理的マジョリティーであることはありえるのだということを忘れずにいたい。