あらすじ
残酷、非情で甘美……名画の“怖さ”をいかに味わうか。「特に伝えたかったのは、これまで恐怖と全く無縁と思われていた作品が、思いもよらない怖さを忍ばせているという驚きと知的興奮である」。絵の背景にある歴史を理解してこそ浮き彫りになる暗部。絵画の新しい楽しみ方を提案して大ヒットした「怖い絵」シリーズの原点が、満を持しての電子書籍化。ドガの『エトワール』、ラ・トゥールの『いかさま師』など全22作の隠れた魅力を堪能!
電子書籍版の絵画はすべてオールカラーで収録されています。
本書には、紙版に収録されていた以下の2点の絵は収録されておりません。
フランシス・ベーコン「ベラスケス〈教皇インノケンティウス十世像〉による習作」
岸田劉生「切通之写生」
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
673円
237P
ゴヤ、
★再読
ブリューゲルはベルギー人か
目次まえがき
作品 1 ラ・トゥール『いかさま師』
★作品 2 ドガ『エトワール、または舞台の踊り子』
作品 3 ティントレット『受胎告知』
★作品 4 ダヴィッド『マリー・アントワネット最後の肖像』
作品 5 ブロンツィーノ『愛の寓意』
★作品 6 ブリューゲル『絞首台の上のかささぎ』
★作品 7 クノップフ『見捨てられた街』
作品 8 ボッティチェリ『ナスタジオ・デリ・オネスティの物語』
作品 9 ホガース『グラハム家の子どもたち』
★作品 10 ゴヤ『我が子を喰らうサトゥルヌス』
★作品 11 ベーコン『ベラスケス〈教皇インノケンティウス十世像〉による習作』
作品 12 アルテミジア・ジェンティレスキ『ホロフェルネスの首を斬るユーディト』
作品 13 ムンク『思春期』
作品 14 ライト・オブ・ダービー『空気ポンプの実験』
作品 15 ホルバイン『ヘンリー八世像』
作品 16 ジョルジョーネ『老婆の肖像』
作品 17 ルドン『キュクロプス』
作品 18 コレッジョ『ガニュメデスの誘拐』
作品 19 レーピン『イワン雷帝とその息子』
作品 20 ゴッホ『自画像』
作品 21 ジェリコー『メデューズ号の筏』
作品 22 グリューネヴァルト『イーゼンハイムの祭壇画』
中野 京子
(なかの きょうこ、生年不詳)は、日本の作家[1]、ドイツ文学者[2]、西洋文化史家、翻訳家[3]。北海道生まれ[4]。1979年、早稲田大学大学院修士課程修了[5][6]。オペラ、美術などについて多くのエッセイを執筆する。2007年に発表された『怖い絵』を端緒とする『怖い絵』シリーズが大ヒットとなる。新聞や雑誌に連載をもつほか、テレビの美術番組にも出演する[7][8]。早稲田大学講師[9][10]。『怖い絵』シリーズの刊行10周年を記念して2017年に開催された「怖い絵」展では、特別監修を務めた[11][12][13]。2021年9月に開催された「怖いクラシックコンサート」(東京文化会館)での解説[14]、2022年3月公演の舞台「怖い絵」の監修[15][16]、同年7月上映の「星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム」の監修・解説を担当した[17][18]。
「エトワールとは「スター」を意味するフランス語で、ここではプリマ・バレリーナをさす。 今しもそのエトワールが、背景装置である書割りから舞台中央へ走り出てきて、片足を上げるポーズを決めたところだ。首に巻いた黒いリボンが軽やかに翻り、躍動感を醸し出す。下からの強いライトに照らされたトゥシューズ、脚、胸、首筋が人工的な白さに輝き、顔や腕の一部の暗い影とくっきりした対照を示す。胸元と腰に赤い花を散らした膝丈の白いチュチュの、透けた感じが得も言われず美しい。 この鮮やかに切り取られた「決定的瞬間」を見る視点は、舞台斜め上方である。つまり平土間の観客席からではなく、舞台真横の、ステイタスの高い桟敷席からの視点なのがわかる。ここからだと、本来は観客から隠されている装置の奥や舞台の袖まで見通せることがあり、今もいくつもの層に重なった書割りの陰に、次の出番を待つ脇役バレリーナたち数人の姿が見えている。彼女たちの手前には、黒の夜会服を着てポケットに手を突っ込んだ男がひとり。劇場支配人か、バレエ教師か、新聞記者か、はたまた……。 斬新な構図、みごとな光の表現、大胆と繊細が絶妙に入り混じったタッチ、華やかで幻想的な舞台の魅力を伝えて、これはドガ随一の人気作だ。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「印象派の画家とされ、事実、印象派展に何度も出品したドガだが、「自然を眺めるのは退屈だ」と公言したとおり、自然光のもとでありのままの風景を描く気はなかった。色彩よりデッサンを重視し、膨大な数のスケッチや自分で撮った写真をもとに、人物や小道具を理知的に再構成して画面を作った。彼の作品によく見られる、身体や顔が画面の端で半分に断ち切られた人物は、リアルな瞬間を感じさせるための綿密な計算にもとづいた彼独自の手法であって、スナップ写真をそのまま使用したというものでは決してない。 線や動きに対するドガの興味が、バレエという正確さとバランスを必要とされる様式へ向かったのは当然の成り行きであったろう。彫刻をも含む彼の作品の半数以上がバレエを扱ったものであり、「踊り子の画家」と呼ばれたのも故なしとしない。ほぼ十年にわたり、オペラ座の舞台や楽屋や練習場に毎日のように通いつめ、踊り子たちのありとあらゆる動きを全身カメラのレンズとなって追ったのだ。そのうちドガの存在は透明人間と同じになってしまったらしい。練習光景を描いたどの作品を見ても、彼女たちはくつろいだ素のままの姿を平気で晒している。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「『エトワール、または舞台の踊り子』へもどろう。背後の書割りの陰にたたずむこの男は、着ている夜会服からして舞台関係者ではなく、上演中の舞台に平気で立っているところから報道関係者でもない。つまりエトワールのパトロンである。これは当時の人々にとっては一目瞭然だったろうが、現代の我々、バレエを洗練された芸術と考えている者には、なかなか見えてこない側面だ。いやにくっきりした黒が使われていながら、目に入ってこないのだ。ところがこうしたことを踏まえて見直すと、エトワールの首に巻かれたリボンの色もまた、紳士の服と同じ鮮やかな黒で描かれているのが目にとまる。まるで金で縛られていることの象徴のように……。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「しかしもちろんドガは、当時流行のファッションとしてリボンを描いたにすぎない。がちがちの身分制社会の上方に属していた彼は、その階級の男性が持つ常識内にいた。要するに今の基準で言えば、踊り子に対する偏見を持っていた。この時代は観相学全盛でもあり、階級やら犯罪傾向は顔で判断できると信じられていたので、ドガは彼女たちの顔をことさら醜く描き、それが労働者階級特有の顔であることを示した、との説まであるくらいだ(それに関しての判断は日本人には難しい)。 ともあれ、ドガ描く踊り子たちはどれも個性がないのだけは確かである。誰が誰やら区別がつかない。誰が誰でもいっこうにかまわなかったのだろう。競走馬や騎手を描く場合と同じで、興味の方向が個人にではなく、動きや形態に向かっていたということもあるし、いくぶんかはこの職業への偏見もあったろう。どの絵も踊り子と描き手との交流、あるいは温かな交感といったものが全く見られない。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「ガリラヤのナザレに住む乙女マリアは、同じ町の大工ヨセフの許婚だった。その彼女のもとへ、ある日ガブリエルが突然あらわれ、「あなたは恵まれた方だ、おめでとう」と言う。何のことかと驚く彼女に、大天使は続けて、「マリアよ、恐れることはない、あなたは主の恵みで男の子をみごもった。生まれたらイエスと名付けなさい」。マリアは、そんなはずはない、自分は男性を知らないのだから、と答えるが、「聖霊があなたに下ったのだ。生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれるだろう」との天使の預言に、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身におきますように」と受け入れる──。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「天使の方もそこまで見越していたらしく、本題に入る前にまず、選ばれたのは目出度いことだと彼女を讃える。それでもなおマリアの恐怖が去らないので、恐れるなとなだめてからでなければ受胎を告げられない。ところがマリアがすなおに告知を受け入れず、それどころか精一杯抵抗し反論してきたため、これが神の意志、即ち命令であることを明らかにしなくてはならない。そうすることでやっとマリアも諦め、自分が神の「はしため」であるからには、言われるとおりにいたしましょうと答えるのである。読むかぎりでは、神の子を宿して嬉しい、光栄だ、とマリアが感じたようにはとうてい感じられない(それはこちらが異教の輩だからか?)。 昔むかしに、領主の初夜権というものがあった。ほとんど奴隷と変わらぬ境遇におかれていた領民は、結婚にあたって、花嫁の最初の夜を領主から権利として要求されたのである。たいていの花嫁は嫌がったはずだが、領主といえば神も同じ、最後は諦めて従うより他どうしようもなかったし、その初夜において子どもを宿したこともあっただろう。受胎告知はそれに似ている、などと罰あたりなことを考えてしまうが、ここではそれは本題ではない。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「さて、受胎告知を描くには、いちおう幾つか約束ごとがあった。必須三点は、大天使ガブリエル、聖母マリア、そして聖霊の鳩だ。ガブリエルは大きな翼を持ち、マリアは赤い服に青いマント姿が多い。鳩はたいてい天上からの光に乗って、マリアの頭部または胸部めざして降下し、受胎の瞬間をあらわす。他にも、聖母の無垢の象徴として白百合の花、また彼女がかつてエルサレムの神殿で祭司の衣服を織っていたとの言い伝えをふまえての糸まき棒、あるいは毛糸を入れた籠が置かれることもある。天使が訪れたときマリアは読書中だったので、ページを開いた聖書も描かれ、これは『イザヤ書』の、「見よ、乙女がみごもって男児を産む」という一節とされる。 先に触れたように、受胎告知といっても三段階になっており、天使の来訪に驚くマリア、受胎したと告げられて当惑、ないし怯えるマリア、そして全てを受け入れた瞬間のマリアである。それぞれ数多く作品化されているが(ダ・ヴィンチ、ボッティチェリ、ラファエロ、ティツィアーノ、クリヴェッリ、フィリッポ・リッピ、エル・グレコ、オラツィオ・ジェンティレスキ、 etc. etc.)、中でも静謐な美しさで人気の高いフラ・アンジェリコの『受胎告知』(プラド美術館蔵)を見てみよう。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「 ここには、全ての虚飾をはぎとられた女性がいる。必要以上に辱めを受ける、堕ちた偶像がいる。かつて「ロココの薔薇」と讃えられた彼女の、華やかに着飾った肖像画の数々を見慣れた目には、まさに衝撃的といっていいほど残酷な絵だ。リアルだからというより、描き手の悪意が感じられるからだ。ラフなスケッチとはいえ練達の筆によって、さりげなく欠点が誇張され、美化ならぬ醜化がなされている。女性なら誰であっても、決してこんなふうには描かれたくないと思うだろう。こんな姿を後世に残されるのは嫌だと思うだろう。 ここに至るまでにアントワネットは、もうさんざん戯画の対象にされてきた。フランス革命への道のりは情報合戦だったため、王党派も革命派も、噓を承知の報道を夥しく垂れ流した。特に反王妃派は、彼女が「敵国オーストリア生まれ」であること、「淫乱な女性」であることを攻撃材料に使い、男女年齢を問わずさまざまな相手と情事にふける場面を、まるで見てきたように面白おかしく描いて流布させた。大量のパンフレット類や新聞紙上にあふれる、それら版画やイラストの中で、アントワネットはだらしなく肌をさらしていたり駝鳥やら豹に擬されたりしているが、それでもダヴィッドのこの一枚に比べれば、女性としての誇りを真に傷つけるものはなかったとさえ言えるくらいだ。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「アントワネットはこのとき三十八歳。死刑が確定し、一夜にして白髪になったとの伝説が残されたが、それは民衆がそう信じたというだけの話にすぎない。彼らが公式の場で見る王妃は常に麗々しく装っていたのに、ヴァレンヌへの逃亡失敗後チュイルリー宮に幽閉され、さらにタンプル塔、そしてコンシェルジュリ監獄へ移送されると、ほとんどその姿を目にする機会もなくなってしまった。処刑見物(当時は大エンターテインメントだった)に来て久しぶりにアントワネットを見た人々は、彼女の激変ぶりに驚き、一夜にして老け込んだと感じられたのだろう。実際には、革命からすでに丸三年がたち、精神的肉体的苦痛の甚だしさによって、ゆっくりやつれていったのだが。 とはいえダヴィッドのスケッチからは、アントワネットの身体のラインがまだあまり崩れていないのがわかる。胸は高く、ウエストはくびれている。荷車の揺れに抗するためか、やや脚を開きぎみとはいえ、玉座にでもあるように背をぴんと伸ばし、昂然と頭を上げている。子どものころから王権神授説を教えこまれ、高貴なる「青い血」を誇り、下々の者の前で長時間同じ姿勢を保つ訓練を受けた「選ばれし者」たる矜持が、この姿勢にみなぎっている。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「何の飾りもないシンプルな服や粗末な帽子はまだしも、無惨なのは髪の毛だ。ギロチンの刃の邪魔にならないよう首をあらわにするため、襟足よりずっと上の方で鋏を入れられている。刑場へ出発する直前、監獄の中でサンソンから乱暴に切り取られたのだ。誰もがされることとはいえ、耳までのザンギリ頭は女性には、まして誇り高い王妃には辛かったに違いない。髪はとかす暇も与えられなかったらしく、不ぞろいに撥ねている。剝き出しになった首には、若さの消失を示す筋まで描きこまれた。 さらに若くも美しくもない証拠のように、への字に結んだ口元の歪みが強調される。有名な「ハプスブルク家代々の受け口」はアントワネットにも受け継がれていたが、若いころにはそれがかえって可愛らしいおちょぼ口に見えたし、宮廷画家たちが肖像画を描くときには、この特徴は微妙に仄めかされるにすぎなかった。今や遠慮はいらない。真横から見るせいで下唇が突き出ているのがはっきりわかるし、その唇の端は頰のたるみで下へ曲がり、底意地悪そうな印象を与える。やや鉤鼻なのと眼をかたく閉じているのも、それを強める働きをしている。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「もともとアントワネットは、いわゆる美女というのと違って顔立ちはむしろ平凡な方だ。しかしほっそりしたスタイルと透きとおる色白の肌のおかげで何を着ても似合い、また自分を引き立てる豪奢な衣装や宝飾品の選別眼に優れていたのと、立ち居振る舞いの高貴な優雅さ、いや、何よりも王妃という国内女性トップの地位によって、美の時代ロココのリーダーと目されたのである。もはや王妃でもなく、身を飾る何ものもなく、素のまま放り出されたとき、彼女は誰の目にも少しも美しくないのであった。周囲の憎悪に対して、軽蔑と頑なな顔つきで応じる様は、さらにいっそう美しくないのであった。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「現実を意識から完全にシャットアウトするかのように、アントワネットは目を耳を心を閉ざし、全身に見えないバリヤーを張りめぐらせている。毅然たるこの姿は、死に方も見事であったろうと想像させるに十分だ。ギロチン台の上で泣き叫び、懇願し、逃げ回った前代ルイ十五世の愛妾デュ・バリー夫人──アントワネットが嫌い抜いていた相手──とは正反対の、落ち着いた態度を最後まで貫くに違いない、と。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「ブリューゲル描く絵はどれも、風景にさえ、比喩や暗喩、寓意や象徴など、隠されたメッセージがふんだんに詰まって解釈も一筋縄ではゆかない。この奇妙な絵、明るいんだか暗いんだか、騒々しいんだか静謐なんだかよくわからない、しかし一度見たら忘れがたい本作もきっと、幾重にも錯綜した意味が込められているのであろう。全てが解明されたわけではない。 まず手前のふたり並んだ男が何をしているのか、どんな役割を果たしているかが不明である。行列も何のためのものかはっきりしない。踊る三人組のうち、白頭巾に赤いスカート、ブルーのエプロンという女性も、これまでブリューゲルが『農民の婚礼の踊り』などで描いてきたダンス姿の女性たちとは違ってずいぶん姿勢が悪く、腰を折りまげ、鬱屈でもあるように下を向いている。列を抜けた人々がどこへ行くつもりなのかも謎だ。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「不思議なこのパステル画は、ベルギーの町ブリュージュを描いたものである。だが現実の景色そのままではない。 無人の広場、人の気配の全くない家、草一本鳥一羽動くものなく、時の止まった無音無風の街角が、夢のように濡れそぼっている。建物がどこかしら安定を欠いて見えるのは、画面途中でふつりと切れているのと、空が異様なほど広いせいばかりではない。家と平行なはずの歩道が右へ行くにしたがって幅が狭まっているため、建造物がごくわずかながら左へ傾いて感じられ、家が真正面を向いているのかそれとも斜めに建っているのか、確信が揺らぐからだろう。 しかもこの建物は、きっぱり人を拒んでいる。窓はみなかたく閉じられ、短い階段アプローチを上がった先の玄関扉には、どこにも取っ手がない。正面玄関ばかりか地下室への扉も、何かで塗りこめたように出入り不能になっている。これでは中へ入れない。とうぜん中から外へも出られない。思い出を閉じ込めたきり屋内の空気は淀み、煮詰まり、とうに死臭を漂わせているのかもしれない。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「フェルナン・クノップフ(一八五八 ~一九二一)はグレムベルゲン =レ =テルモンドに生まれたが、一歳から六歳までを、ここ中世都市ブリュージュで過ごした。裕福な上流階級に属する彼にとってブリュージュでの幼年時代は平和で幸せだったが、それ以上とりたてて町への執着があったふうでもなく、一家で首都ブリュッセルへ引越したあと、所用以外で故郷を再訪することはなかった。 大学ではまず法律を学ぶ。父と同じ裁判官になるためだったが不向きとわかり、美術アカデミーに入り直す。まもなく退学し、官製美術展に対抗する展覧会をアンソールたちと開くなどするうち、二十代半ばで早くも肖像画家として名を上げる。一方で、スフィンクスやメドゥーサなど神話に題材を取った幻想的な作品群を発表し、ついにはベルギー象徴派の代表的画家として名声を確立。 そんな一九〇二年、四十四歳のとき、一冊の小説が彼の心を烈しく捉えた。ジョルジュ・ローデンバック作『死都ブリュージュ』(一八九二)だ。町そのものが主人公のようなこの小説によって、クノップフの胸に幼いころの思い出が、宝物のように蘇えりでもしたのだろうか。以来、取り憑かれたとしかいえない熱中ぶりで、三年近くにわたってブリュージュの絵ばかり描き続ける。それまではもっぱら人物画で、風景画には目もくれないできたのに、描くとなると彼の風景画には、ただのひとりも人間は登場しないのだった。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「この小説最大の魅力は、ストーリーそのものよりむしろ、主人公の心情を代弁するかのようなブリュージュという町の描写にある。重苦しい北国の空におおわれた中世の町の佇まいが、丹念にねっとりと描かれる。思い出が「泉の顔のように橋の下から湧き出て」くるし、窓ガラスは「臨終の時にかき乱された眼」のようであり、カリヨンの「遠くかぼそい歌のしらべ」は妻の声、水面に映る切妻屋根の先端からは「死の感触が発散」される。霧雨は「魂を突き刺す」し、岸辺のポプラは「悲しみ歎き」、寺院の高い塔は「彼の恋を嘲笑している」。運河の白鳥が飛び立つ姿さえ、「まるで病人が、もだえつつ病床から抜け出す感じだった」。 主人公が何より恐れるのは、あれほど愛していた妻の思い出が薄れてしまうのではないかということ。かつて美しかったブリュージュが、今や「永遠の半喪期から脱しえない灰色の神秘」の町となり、「廃位された王妃」さながら見捨てられてしまったように、妻もまた「記憶のなかで少しずつ変色し、色褪せて」ゆき、自分の中で「いま一度死ぬのだ!」。(『死都ブリュージュ』窪田般弥訳、岩波文庫)」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「西洋では子どもは大人のミニチュア版としか捉えられていなかったから、完全な子ども専用服は十八世紀後半になるまで登場しない。そういうわけでグラハム家の子どもたちも、大人と全く同じ格好でポーズを取っている。中央に立つ姉妹など、花飾りのボンネットを被り、フリルたっぷりの袖、胸元のあいたドレス、レース付きの真っ白なエプロン、成人女性なみにウエストをぎゅっとしぼり、鯨骨入りの外へ広がるスカートをはいて、ずいぶん歩きにくかったに違いない。 だがもっと大変なのは、見るだに身動きしにくい「衣装の檻」に閉じ込められた、左下の幼児である。姉たちと同じボンネットにドレス姿なので、女の子と間違えそうになるが、これはトーマス・グラハム君、れっきとした男の子だ。当時はイギリスばかりでなくフランスも(少女姿のルイ十五世像が残っている)、オランダも(庶民もそうしていたことが数多の絵画から知られている)、そして日本も、三、四歳くらいまでは男の子に女児服を着せていた。男児死亡率が女児より高かったことと関係しているのだろうか。女児と見せかけて死神から守ろうとしたのかもしれない。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「我が子を喰らいながらサトゥルヌスは、凄まじい呻き声をあげているのではないか。画面から動物めいた咆哮が響きわたってくるようだ。さらに戦慄すべきことに、ゴヤはもともと(現状では修復され塗りつぶされているが)、サトゥルヌスの股間に勃起したものまで描いていたらしい。 サトゥルヌス( =クロノス)とは、ギリシャ・ローマ神話における農耕神であり、また「時」をつかさどる神である。絵画では、大鎌を持つ老人の姿で描かれることが多い。その鋭い鎌で、草ばかりでなく、人間の大切な時間をも無慈悲に刈り取ってゆく、老いた巨人だ。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「 サラゴサ州の寒村に生まれたゴヤは、地元の絵画工房で技術を身につけたあと、十八歳で野望を抱いて首都マドリッドへ出る。しかしまだ野望に実力は伴わず、美術アカデミーコンクールに三年かけて二度応募し、二度とも落選してしまう。やむなく私費でイタリア留学したあとサラゴサへもどり、教会壁画の共同制作などするうち、ある王室画家の妹と結婚するのだが、これは出世を狙う彼の計算高さからと言われている。それを証明するかのように、結婚後まもなくゴヤは義兄の紹介で、マドリッドのカルトン(タピストリーの下絵)制作者の職を得る。 庶民を題材に明るい風俗を描いたゴヤのカルトン画は人気を博し、やがて貴族たちから肖像画の依頼が殺到するようになって、いよいよ真価を発揮しだす。三十四歳でアカデミー会員、四十歳でカルロス三世の王付き画家になり、次いでカルロス四世が即位した一七八九年(フランス革命の年だ)には、念願の王室画家へと上りつめる。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「『我が子を喰らうサトゥルヌス』のほんとうの怖さは、単に我が子を喰らっているからではない。そうではなくて、サトゥルヌス自身が感じている恐怖、それが錐もみ状に見る者の胸に突き刺さってくるから怖いのだ。 サトゥルヌスは自分の子どもを喰らわずにはいられない。それが彼の宿命である。そしてその宿命に恐れ戦くサトゥルヌスは、自らを狂気に追い込まざるをえない。せめても狂気の裡でなら、子どもを喰らうことができるだろう。だがそこにはいくばくかの人間の残滓があり、激しく拒むのだ、なんという浅ましさだ! と。 ゴヤは戦場の血の海で、異端審問の拷問室で、人間が人間をやめる瞬間を何度も見てきた。いっさいの音が欠落した中で見る凄惨なその場面は、ゴヤの眼に焼きつき、眼をはがしたいほどの痛みと怒りを生じさせたに違いない。彼は描いて描いて描きまくり、視て視て視まくったが、それがサトゥルヌスへと凝結したのである。ほんものの恐怖へと──。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「ベーコンが刺激されたのは、ベラスケスの筆で暴かれたインノケンティウス十世の正体(ないしは正体と思えるイメージ)──競争相手を蹴散らして権力の座についた男が身にまとう、一種の「悪」ともいうべき陰険さ──であったろう。これが単なる政治家の肖像であれば、またフェリペ四世像だの宮廷道化師たちの肖像だったなら、決してこのような引用表現を取らなかったはずだ。ここには紛れもなく「罰したい」との画家の思いが見える。宗教界のトップとして民衆の精神へ絶大な影響を及ぼし続けてきたローマ教皇が、信仰の名のもとにこれまでどれほどの悪事を行なってきたか(ベーコンはカトリック嫌いだった)、その罪を肖像画の上で贖わせたいとの、無意識であれ、強い思いが。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「フランシス・ベーコン(一九〇九 ~一九九二)はアイルランドに生まれた。シェークスピア時代の同姓同名の政治家兼哲学者(こちらの方がはるかに有名であろう)は、彼の遠い先祖である。そのことを、というより、ご先祖ベーコンが男色者であったらしいことを、画家ベーコンは常に意識していたと言われる。なぜなら彼自身も同じだったからだ。ホモセクシャルを扱った作品も数多い。 少年時代、陸軍少佐の父親に厳しく鞭打たれて育ったベーコンは、父を憎悪する反面、男らしい父に性的に惹かれていたと後年述懐するようになる。それともそれは、彼らしい露悪的な言辞にすぎないのだろうか。くり返し、自分は作品で何も告発するつもりもないし物語る気もない、とインタビューに答えているが、それと根は同じかもしれない。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「母親の下着をこっそり身につけるような息子を持った彼が激怒し、力ずくで矯正しようとしたのも無理からぬところがある。だがベーコンにしてみれば、それは自己の精神にふるわれる赦しがたい権力の行使以外の何ものでもなかった。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「かっと眼を見ひらいた少女が、裸で簡素なベッドに座っている。 ちょうど子どもから大人の女性への過渡期にあたる、どこか痛々しいような身体つきだ。薄い胸、ぺたっとした髪、骨ばった肩、ひょろりと長い手足……幼いふっくらした頰に似合わない張りつめた表情だけが、妙に大人びている。視線は強い。とはいえこちらを見据えるというより、見えない何かにじっと目を凝らしているかのようだ。 リアルな身体描写に比べ、背景はぞんざいである。壁も床も、素材が木なのやら漆喰なのやらわからず、ベッドも遠近法を考えていない。特に枕は、ただ適当に線を引いただけなのでシーツとの差が曖昧だし、質感が全くない。光源もはっきりしない。大きな黒い影はもちろんリアリズムからはるかに遠い(それこそが絵の核となっているのだが)。 部屋が不必要に寒々と見えるのは、モデルに対する描き手の温かさや愛情が感じられないせいだろうか? それとも単に色数が少なく抑えられているからか? いずれにせよ、誰もが真っ先にこの絵から感じるのは、強烈な「存在の不安」とでもいうべきものであろう。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「要するにムンクの絵はわかりやすいのだ。他の世紀末画家たちが題材を神話や歴史に取り、鑑賞者に知的なアプローチを求めることが多かったのに対し、彼はあくまで個人的体験や感情に重点を置き、しかもそれを独特の誇張、歪み、色使いで表現した。そうなるとふつうは理解しにくくなるものだが、彼の個性は見る者の胸にすっと入り込む。それはおそらく現代人が無意識のうちに表現したいと願いながらできずにいたものを、ムンクが自然にやってみせたからではないか。ムンク作品の新しさに驚きながら、しかし誰も拒否しなかったのは、強い感情に襲われたとき、周りの景色が、世界が、確かにこのようにうねり、このようにねじれ、このような色に激変することを、みな心の裡ですでに知っていたからではないか……。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「本作は、科学の市民化時代の幕開けにふさわしい、きわめて知的に計算された絵画といえよう。 まだ前時代の怪しさをたっぷり残した実験者を中心に、老若男女の各年代層が並んでいる。科学に対する態度も、肯定、否定、無関心、懐疑、とさまざまだ。ただし現代の目から見れば、科学を否定したり無関心の者に、いわゆる「女こども」を当てはめているところに古さを感じる(フランス革命以前の絵なのだ)。今なら間違いなく、科学少女も哲学する母もいるのだが。 それはさておき、再び目を画面中央下の幼い姉妹へもどしてほしい。 ふたりは、いかにも資産家の娘らしく、きちんと結い上げた髪に高価な飾りをつけ、大人の女性と変わらないファッションに身を包んでいる。その正装にふさわしく、きっといつもならおしゃまな様子で一生懸命背伸びしていたに違いない。でも今回ばかりは大人のふりは無理で、年相応のいとけなさが──子どもというのは何と手放しで泣けるのだろう──つい顔を出してしまった。姉は妹の細い首に右手をまわし、左手で目を覆わずにおれないし、妹は姉の腰にすがりつき、ガラス瓶を見上げる目に涙をためている。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「しかしまともに話の通じる相手ではない。息子に非難されたツァーリは例の如くかんしゃくを起こし、呪われた長杖をまたも振りあげるや力いっぱい殴りつけた。もちろん殺すつもりなど毛頭ない。大切な跡取り息子なのだ。ただ全く自制がきかなかっただけ。興奮すると、ブレーキの壊れた車のように暴走してしまう。謂わば一時的な狂気に捉われるようなもの。自分が何をしているかわかっていない。 気がつくと息子は死に瀕している。 イワン雷帝はそこでようやく我に返る。犯人は自分だ。もはや取り返しはつかない──。 狂気に捉われるのは怖ろしいことだが、狂気から覚めて自分のしたことを突きつけられるのは、さらにいっそう怖ろしいことではないだろうか。ツァーリの両の眼がそれを如実に物語っている。 イワン四世の生没年は、織田信長のそれとほぼ重なる。前者は一五三〇年から一五八四年、後者は一五三四年から一五八二年だ。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「色彩とその組み合わせに関して研究に研究を重ねたゴッホは、本肖像画では赤茶けた髭と髪以外、全体を淡い寒色で統一した。映画の中にありふれた赤い渦が出てきたことで、かえってゴッホの卓越した色彩感覚が再確認できる。そもそもブルーという色は気持ちを鎮めるはずなのに、これほど見る者の心をざわめかすのこそ画力であろう。ぐいぐい押しつける烈しく執拗なタッチ、絵の具の妖しい盛り上がりも加わり、あたかも人物から立ちのぼる青い瘴気のようで、しかもそれはいつしか画面から漂い出てきかねない。 表情も、凄みを帯びて険しい。削げた頰、きつく寄せた眉間、鋭く陰鬱な光を放つ両の眼。どこにも静けさ温かさ安らぎはない。ただただ冷たく燃えている。上着はいかにも安物で、肩のところが捩れてのたくり、内なる歪みが外へあらわれたかとさえ思う。将軍ならずとも、得体の知れない深みへ引きずり込まれる気がする。」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
「ゴッホは、数多くの自画像を描くだけでは足りず、生涯に七百通以上もの手紙を書き、自分について饒舌に語った。 牧師の息子として生まれた彼は長男とされるが、実際には一年前に同じヴィンセントという名の兄が、生まれてすぐ亡くなっている。心理学者によれば、親は死んだ子を「良い子」と認識し、そのすぐ後に生まれた子を否定的に見がちなため、置き換えられた子は自尊感情を持てなくなる場合が多いという。ゴッホと両親の関係が一貫してぎくしゃくしていたこと、彼が生涯かけて自分の存在理由を探し続け、餓えるように周囲に理解を求めた遠因は、この出発点にあったに違いない。 常に己を知ってほしがった彼、そんな彼が単に「見たまま」の自分を描くだろうか? そもそも見えたとおりの自分を描けるものだろうか?」
—『怖い絵 (角川文庫)』中野 京子著
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どこか高尚で難解なイメージの西洋の絵画作品が、身近な恐怖や、語られることで想像できる恐怖に繋がって、とても近しい存在に感じられ
西洋絵画に興味を持つきっかけになった本です。
まず純粋に作品を見て、次に著者の解説を読み、また改めて作品を見返すと、新たな発見、知見を得れたことへの高揚感と、それにより見えてなかった怖さが浮き彫りになった事で更に増長した恐怖感。とても癖になります。
特に作品16「老婆の肖像」が、ただ作品を見ただけでは感じ取れなかった、もしくは感じても具体的に言語化できなかった怖さを最も強く感じました。
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著者の美術の知識量はもちろん、素人にもわかりやすく説明できる語彙力と文章力が素晴らしい。一見しただけでは特に何とも思わないが、時代背景や画家の意図を説明されるとじわじわと恐怖が押し寄せ、落ち着かない気分になる。やはり写真ではなく本物を観賞した時の恐怖を体感したい。ドガの『エトワール、または舞台の踊り子』なんて、本書を読むまで華やかで素敵な絵としか思っていなかったのに。説明がなくともゴヤやベーコンなどは一目見ただけで恐ろしさが伝わる。シリーズはもちろん、怖くないものも著者の解説を是非読みたい。
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いろいろな観点から「怖い」と感じる絵画をいくつも紹介しています。概ねヨーロッパのもので世界史に詳しくない私にはあまりピンとこないものばかりでしたが、それでもそれぞれの絵から迫力とエネルギーが感じられ途中から「次はどんな絵なのだろう」とビクビクワクワクしながら読み進めていました。
絵の解説も分かりやすく、絵を見ただけでは気づかない細かな点やその背景を知ることで改めてその世界観に圧倒される思いでした。
結局のところ「怖い」内容なのでハッピーな本ではありませんが、芸術的な感銘、迫力を感じられる本だと思います。
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絵のストーリーや発注された背景などがわかって面白かった。
こんなにグロテスクな絵画を昔のお金持ちはなぜ、大金を払って描いてもらったのか、などの疑問が解消される。
マリー アントワネットのレンブラントによる鉛筆画も興味深かった。レンブラントの意図は意地悪だったのかもしれないが、誇り高きまま亡くなった、一つの証だ。
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恐ろしい西洋絵画が目白押し。絵の謎を解き明かす解説エッセイ。
文章がすごく上手で、どの絵の章もおもしろく読んだ。
特に最終章の『イーゼンハイムの祭壇画』は圧巻。地味な絵を最後に持ってきたな〜と思っていたら、迫力のある文章に驚かされた。あの旅路は本当に肝が冷える怖さだ...。
いくつかの絵は「無理やり怖さにつなげなくても...」と思わないこともなかったな。
知れば知るほど絵っておもしろくなるんだなあ、と実感できる本でした。
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面白い!めっちゃタイプでした。
一作品数ページで読みやすいし、確実に絵画の見方の奥行きが深まりました。
誰もが知ってるような有名な絵から、微笑ましい雰囲気の絵まで、何となく感じる気味の悪さを見事に言語化してくれる。
もちろん美術の見方は千差万別なので、いやそれは流石にあなたの感想でしょという部分もありますが、
歴史的背景や画家の生い立ちなどの情報を含めて解説されてるので、数ページでも作品に対する解像度が上がり、ゾッとすると同時に考えさせられます。
しばらくはこの著者の怖い絵シリーズを読み漁ろうと思います。
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何年も前に上野の美術館で「怖い絵展」をやっていて観に行ったな〜
当時は大行列で、館内の展示物の説明もじ〜っくり自分のペースで読み進めることができなかったです。
でも初見ではただの絵としか認識されなかった絵達が、解説を読んだ後に再度観ると怖さというか、描かれている絵の意味がわかり、より彩り豊かになっていく感覚が今でも忘れられないです。
文庫本なので仕方ないですが、是非絵はググってwikiなどに載っている鮮明な絵を見てほしいです。
本だと暗い部分がよくわからなかったり、塗りつぶされているように見える部分も鮮明にみえて、拡大したりもできますから。
時代背景やその画家の人生をみると想像も含まれますが、こんな意味があるのかと新たな発見と出会える素晴らしい本です。
今後美術館での絵画鑑賞の時にも、ただ絵を順にみていくだけだったのが、なぜ?どうして?と調べたり考えようと思えるキッカケをくれました。
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美術作品の持つミステリアスな雰囲気は好きだったけど、その作品にどういった時代背景があって、何を目的として描かれたのか?という深い所までは考えたことなかったのでものすごく興味深い作品だった^ᴗ ̫ ᴗ^♡倫理の授業で習ったこともちらほら出てきて、そのたびに「ふふふこれ知ってる〜!」と興奮
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美術館は好きだけれど、絵の背景やさまざまな解釈について深く考えたことはなかった。
感覚的に一目で恐ろしく感じるものもあれば、説明を読んでゾワっとするものもあり、後者の方が恐ろしく感じた。
本や映画では自分なりの解釈や感想を持つようにしていたけど、たった1枚の絵から色々と読み解くことは情報量が少ない分さらに難しいと感じた。それでも今後はもっと絵の背景を知ったり、絵の隅々まで見て自分なりの解釈を持ちたいと思った。
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●取っ手のない玄関扉。人を拒む建物。かつてそこで起きた悲劇。内部に死を抱えたまま海に沈んでいく。●38歳のかつての王妃。刑が確定し一夜にして白髪になる。動物死体運搬用の荷車で後ろ手を縛られ大きく市中を引き回される●部屋の中央でうずくまる男がふたり。身を崩れかけている若者。抱き寄せる老人が左手で噴き出る血を止めようとする。傍らに長杖が横たわっている。…恐さの源、それは死。肉体の死、精神の死である「狂気」。抗いたいが、垣間見たい。皮肉にも死の恐怖は楽しみにもなる。見て感じ、知って味わい、生きてる実感を得る。
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中野氏の提示する読み解き方を知って、印象が変わった作品多数。まさに「絵画の新しい楽しみ方を提案する」という謳い文句通りで、読んでいて楽しかった。
特に印象的だったのはドガの『エトワール、または舞台の踊り子』の解釈。
ドガの美しい絵の何がどう怖いのか?この部分を読むためだけにでも本書を買う価値あり。
文庫サイズの悲しさで掲載作品が小さいことだけが難点。
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一見怖い絵と言われてピンとこない作品であっても、それぞれに解説を読んでいくと深い意味が隠されていることが分かった。画家が生きる当時の時代、政治的背景や育った環境などが大きく影響を受けていることを感じた。美術館に行った時ただ眺めるのではなく、絵を描いた今を考えて見てみたいと思う。
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西洋美術について興味はあるものの知識は殆どないので、良い刺激になった。踊り子などは私でも知っている超有名な絵だが、この画面は劇場のどの座席からみたステージか、後ろの黒いスーツの男は何者か?などの推察が面白かった。
中にはこじつけというか、人の嫌な面を見ようとすれば誰でもそう思うだろうという、その絵としての説明から離れすぎた部分も感じられた。
しかし、紹介される絵の数も多く、超有名どころだけではないところに好感が持て、総じて絵画への興味が増した。
“怖い絵“というタイトルは本当は恐ろしいグリム童話のような印象だったが、本書はもっと現実的な人間の嫌な面を取り上げている。
怖い絵というからには、もっとホラーやグロテスクを期待してしまう。
我が子を喰らうサトゥルヌス、ベラスケスによる習作、ホロフェルネスの首を斬るユーディト、の3作などは見るからにグロテスクで印象通りだったが、確かにこうゆう絵ばかりが続くのも疲れるかもしれない。が、見たい笑
文庫本の構成上、難しいのかもしれない(絵がカラーであるだけ有難いのかもしれない)が、絵の後に解説ページが続くので、絵のこの部分は〜と言われる度にページを戻って確認しなければいけない手間が少し煩わしかった。
西洋絵画に興味を持つきっかけとして、良い本だと思った。
本作では、老婆の肖像が一番印象に残った。
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怖いの基準は人それぞれ違うから、私にとっての怖いと著者にとっての怖いは違うなと感じた。ただ共感する部分もあったし、ヘンリー8世の肖像画は怖いねってなった笑
結局人間が1番怖いな、、って世界史とか歴史を学ぶと感じる。
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再読。文庫ゆえ絵が小さいのが難点。ともかく怖さには、描かれた絵からわかるものもあれば、その背景の怖さにあって、同時代に生きていない私たちに分かりにくいものがあり、ナビゲーターの中野さんに案内されて理解を深め、面白さを伝えられる。今回の再読では、怒りに囚われて予期せぬ事態を生み出す意味で、ルドンの「キュクロプス」と、レービンの「イワン雷帝とその息子」には、近しいものを感じた
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以下はメモ。この本の内容をもって観覧したい絵画
ラ・トゥールのいかさま師
ティントレットの受胎告知
ブロンツィーノの愛の寓意
ボッティチェリのナスタジオ・デリ・オネスティの物語
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様々な年代の絵画について、その描かれた背景・思想・作者の環境などについて解説された本作。
中でも人々の恐怖・畏怖・不安・猜疑心・悔恨などなど、“怖い”と感じる絵画を軸に解説がなされる。
絵画や芸術は中世時代に爆発的に発展を遂げたが、その成り立ちを考えると、そこには当時の宗教観や文化そのものを反映していると言っても過言ではない。
一枚の絵の中に無数にちりばめられたモチーフや構図、その一つ一つに込められた意味やその背景を知ることで、今まで見えていた世界がさらに広がりを持つことになる。
本作は、そういった芸術鑑賞の醍醐味を味わえ、さらに本物の作品を見てみたいと思わせてくれる図書となっている。
一般教養としてお勧めの図書。
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取り上げている絵の数は多くないが、個々の絵が描かれた時代背景、使われている技法、作家の生涯を丁寧に説明している。
含まれている情報量が多いので下手をすれば簡素な説明本になりそうなところを、著者の巧みな筆力によってミステリー小説のような臨場感ある一冊に仕上げている。
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ブリューゲル『絞首台の上のかささぎ』ゴヤ『我が子を喰らうサトゥルヌス』…etc。ここに取り上げられている20点の絵画。絵の中にこめられた凄惨・残酷・非情・無惨、そして甘美を味わって頂ければ…。
ビジネス書ばかり読んでいるとついこういうものを読みたくなって手にとって読んでいました。前にNHKでこの本がテレビ番組化されたものを一度だけ見たことがありますが、本格的に筆者の著作を読んだのはこれが初めてになります。
ここで紹介されているのは誰でも知っているような名画が実はこんな恐るべき意味を含んだものであることを紹介するというコンセプトで執筆されたもので、ムンク『思春期』やティントレット『受胎告知』などの一見『何でこの絵が!?』というものから『黒い絵』で知られる一連の連作で知られるゴヤの『我が子を喰らうサトゥルヌス』などの『言わずもがな』という作品まで20点の絵が紹介されておりまして、絵の中にこめられている人間、もしくは神々の中にある『ダークサイド』に見事なまでに光を当ててあって、1ページ1ページをめくりながら、底知れぬ怖さを持ってしまいました。
例えばブロンツィーノの描く『愛の寓意』という絵は中央で唇を交わす男女が実は…。であったり、さらに女性側の唇を見てみるといわゆる『オトナのチッス』だったりと後から考えると恐ろしいものがあったり、ブリューゲルの『絞首台の上のかささぎ』は一見、のどかな田園風景の中にこめられている濃密なまでの『死』のイメージなどここまでのことが描かれているのかと。
さらには宮廷画家のダヴィッドがスケッチした『マリー・アントワネット最後の肖像』にいたっては作者のこめた『悪意』など、詳細に解説されてあって、非常に楽しく読むことが出来ました。いい刺激になったと思います。
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アレゴリーについての解説が密。どの絵画に関しても物語性のある書き方になっているので、想像力がかき立てられる一冊だった!
ベーコンやジェンティレスキの作品の解説に、ジェンダー学とも結びつく要素を感じた。さらにこの二者+ルドンの作品の解説を読んで、美術制作はトラウマの受容に貢献するのだなと改めて思った。
クノップフが(極力)ブリュージュを訪れることなく、自分のイメージでその街並みを描いていたとの記述からは、三島由紀夫の「金閣寺」 に近いものを感じてどきっとした。
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描かれた小物の解説や時代背景が書かれているから、はーなるほど!と読めた
絨毯や壁紙すらも身分を現す小道具なのね
我が子を喰らうサトゥルヌスやイワン雷帝とその息子のインパクトが強い
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タイトルから、ホラー的な怖さを想像して読んだら、政治的だったり、作者の人生を知る事で怖い印象がより怖くなるという、感情に訴えた話だった。
表面的にしか絵画を見てなかった事に気付かされたが、絵画を正確に鑑賞するという事がいかに難しいか痛感した。
私は、何も知らないママ、感性でみるのも良いと思っている。
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絵画の話で盛り上がった同僚に借りた本です。
「怖い」絵と言ってしまうと感じ方は人によるので言い過ぎな気もしますが。
絵よりもすぐに気に入らない人を死刑にする時代が怖いです。あと、ギリシャ神話。神様が気に入った子をすぐ誘拐。
一見、写実的で柔らかな絵画もよく考えると不自然という箇所がよく分かりました。
惜しいのは見開きの絵の綴じられてる箇所が見にくい!コストかかりそうですが、絵の左端を綴じてくれたらなぁと思いました。
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先日読んだ「フェルメールとオランダ黄金時代」を本屋で探してたら、それは見つからなかったんだけど、こちらを見つけたので購入。
表紙のインパクトがいい。
大きめシルプル明朝体フォントの赤字タイトルとマッチしてて、なんか得体の知れない怖さを感じる。
22の西洋絵画とその描かれた背景、画家の情報を、わかりやすく、時にドラマチックに教えてくれる絵画鑑賞の入門書みたいな本。
怖い、というのは直接的に怖い、というだけでなく、それが描かれた背景や画家の心理を探るうちに見えて来る怖さ、というのも含んでいる。
私が1番印象の残ったのは6作品目のブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
たぶんこれを美術館で観ても素通りしちゃいそうだな、と…それぐらい、不穏なタイトル以外にはあまりわたしの目を惹く要素はないんだけど、これが描かれた時代、一見楽しそうにパレードする人々、絞首台、そしてヨーロッパにおけるかささぎの意味など、効果的に開示される情報によって、わたしにとっても忘れられない「怖い絵」になった。
ほかの21作品もそれぞれに見応え、読み応えがあり、西洋絵画の沼が手招きしてくる一冊。
シリーズ本みたいなので、またしても読みたい本に出会う楽しみが増えた。
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新しい章になるたびに「なんでこんな怖い絵ばっかり」と思ったけど、これ怖い絵だった。
題材の絵のほかにもいろいろ紹介されてて、その度に調べてたら時間がかかった(笑
絵の説明もすごく細かくて、そういう風に見れなかったので勉強になった。
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展覧会に足を運ぶのは好きだが、1枚の絵に対してこんなに時間をかけて観たのは初めてだ。
どの作品も背景知識を知ってから観ると違った印象を持てて面白かった。
2017年の「怖い絵展」には行ったが数枚しか記憶にないので、先に本を知っていたらよかったとつくづく思う。
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「特に伝えたかったのは、これまで恐怖と全く無縁と思われていた作品が、思いもよらない怖さを忍ばせているという驚きと知的興奮である」。絵の背景にある歴史を理解してこそ浮き彫りになる暗部。絵画の新しい楽しみ方を提案して大ヒットした「怖い絵」シリーズの原点が、満を持しての文庫化。ドガの『エトワール』、ラ・トゥールの『いかさま師』など全22作の魅力。