あらすじ
1989年の香港ツアーで一人の青年が消えた。彼が想いを寄せていた女性、同じツアーに参加した会社員、添乗員……青年を取り巻く人々の記憶は、肝心なところが欠落していた。15年後、彼の行方を追う駆け出しライターは、当時ひそかに流行していた「迷子つきツアー」という奇妙な旅に行き着くが――。記憶のいたずらが、一人の人間の運命を変える。現実と虚構の境が揺らぐ、ミステリアスな物語。
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Posted by ブクログ
1989年の香港への「迷子ツアー」
旅客の中の目立たない誰かがひっそりと「迷子」になるという奇妙なツアー。他の客は、ぼんやりとした喪失感を覚えながら帰途につく。
何かを置いてきたような気がする…。だけど、それが何か分からない…。
時間が流れ、さらにその記憶は失われていく。
すっかり忘れていた香港での時間を、日記を通して思い出す男女。かつて迷子ツアーがあったことを、思いがけず知り、そのなぞを解き明かそうとする一人の少年。3人のそれぞれの、1989年のあの日に向けられた物語。
他の人の記憶と経験と、自分のそれの区別がつかない。
自分の輪郭になるはずの記憶と経験が、多くの人に共有されるものであったならば…。バブルまっただ中のこの頃に、集団の記憶を見ようとしているのだと思う。80年代の村上春樹が区別の付かない双子の姉妹を描いていたのを思い出した。ああいう感じが、ここでは、“記憶”として描きだされていると思う。
歴史へと物語を接続していく中島京子の小説に、最近ハマッてる。
Posted by ブクログ
「1989年の香港ツアーで一人の青年が消えた」
そんな一文に惹かれて購入。
あまりにもど真ん中のストーリー展開に心臓を打ち抜かれてしまった。
あああ、何でこんなに惹き込まれるんだろう……!
どの章のどの登場人物にも奥行きがあって、妄想が止まらない!
そんなはずはないのに、まるで自分が伝え聞いたことのように思えて、すでに自分があやふやになっておる。
まだ余韻に浸っていてうまく書けないが、一応以下覚え書き。
始め、「迷子つきツアー」自体がミステリー要素を含んでいたから、「吉田超人」章にて迎えた解決に、ちょっと物足りなさを感じた。
けれど、すぐに吉田氏の話を反芻して、この小説にとって謎解きはさほど重要な要素ではない、と思った。
それよりも日常生活の中に浮かび上がる他者との希薄さ、アイデンティティの脆さ、だからこそ他者に勝手に己を作りこまれ、そしてそれに飲み込まれてしまうという一見ミステリーのような現実感を楽しむべきなのだ、と。
そういうものを香港という場所設定が、とても引き立てていたと思う。
九龍城とか、迷い込んでる感じにぴったりだ。
あんな、都市全体が生き物みたいな場所で、人いきれの中に突っ立っていたら、私だって自分が何だか分からなくなりそうだ、などと思ってしまう。
うーん、書きたいことはまだあるのに、上手く書けない。
ぶっとんだ設定だとも思ったけれど、技量があるから最後まで書ききれるんだろうなあ。
これ以上設定をがちがちにしてしまったら、矛盾なんかが増えるし、それを消化するためだけの説明なんかが増えてつまらなくなってしまうだろう。
中島さんはそういった取捨選択の駆け引きがとても上手いなあ、と思う。
また解説でも語られていたけれど、中島さんの発想は、思わず「ルーツにあたりたくなる」感じが楽しい。
「迷子つきツアー」は私の中でたぶんずっと”余韻”を伴って残るだろうなあ。
でも、テディ章のブログのところだけちょっと不可思議。
あれは、彼女の他にも全く同じような人間(自分)が存在している、ということでいいのだろうか。
そしてめちゃくちゃ余談だが、クレしんファンとしては、クレしんあたりでこんな話がありそうだし、また、観てみたいと思ってしまうほど本当に好きな設定だった。なんつて。
Posted by ブクログ
ある旅行会社が1989年に企画した、香港行き「迷子付きツアー」。
それは、何かを忘れてき た気持ちを演出するためにわざと人を迷子にさせるというものだった。
それから十数年後、香港で「迷子」になったらしい青年にまつわる記憶が錯綜する。
アイデンティティの喪失とか、虚実入り混じる人の記憶の脆さとか、底知れぬ深いテーマを持った話です。
それを感じさせずさらりと描き、とらえどころのない魅力を発揮しています。
何かを置いてきたような気がするだけど、それが何か分からない。
日常からこぼれて落ちていく、言葉に出来ない感情に言葉を与え、くっきりとした輪郭を与えてくれた気がしました。
なかなか捉えにくい感情を掬いあげ、伝えていく力量は単純にすごい!と思います。