あらすじ
開成、筑波大付属駒場、灘、麻布など進学校の中学受験塾として圧倒的なシェアを誇る「サピックス小学部」。そして、その名門校の合格者だけが入塾を許される、秘密結社のような塾「鉄緑会」。なんと東大理IIIの合格者の6割以上が鉄緑会出身だという。いまや、この二つの塾がこの国の“頭脳”を育てていると言っても過言ではない。本書では、出身者の体験談や元講師の証言を元に、サピックス一人勝ちの理由と、鉄緑会の秘密を徹底的に解剖。学歴社会ならぬ「塾歴社会」がもたらす、その光と闇を詳らかにする。
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Posted by ブクログ
今の世の中は、もはや「学歴社会」ではなく「塾歴社会」。超進学校と呼ばれる学校の大学合格実績も、ほとんどがSAPIX→鉄緑会という「王道」ルートに支えられたものである。
社会として公教育の平等性を追求し、その延長に広がる「競争」が激化する中で生まれた塾歴社会。
競争を勝ち抜く上で、最も効率的な突破方法を知ることは大事であるが、それだけでは社会を生き抜くことはできない。「回り道」にこそ価値があるケースも多いが、今の社会には、その回り道を許容できる余裕がないのかもしれない。
Posted by ブクログ
針間貴己さんのお父さん(克己さん)がある日買ってきたという本。
サピックスや鉄緑会がやはり東京の受験の鉄板ということに驚き
とてもリアルな塾事情が書かれている
・要領がよく、東大医学部も涼しい顔をして合格してしまうような生徒でないと鉄緑会を使いこなせない。
・宿題が6〜7時間もかかってしまい、「型」を使うのではなく、「型」を覚えるのに必死になってしまう
・鉄緑会を利用しなくても東大医学部に進む子もいる
・それほど学力なく、部活をがんばりたくて、塾に時間を取られたくない生徒は平岡塾やSEGに通っていたようにおもう。最近はグノーブルも
・筑駒学生:学校は楽しかった。実験もできるし。鉄緑会は数学の受験実践では最適
・鉄緑会は直近で受験経験のある東大生が教えてくれる
・成増塾:高校2年制の部活引退から詰め込むスタイル。門脇 渉先生
・鉄緑生は馴れ馴れしい印象。
・東大は塾繰り人間よりもラグビーを頑張ってきて、1年浪人した人のほうがほしいはず。
・自分にあった塾や学習スタイルを
・一番を目指して理Ⅲに入ったが、医者になる気持ちはなかったり、その先の目的を見失っては本末転倒
・山崎葵さんは鉄緑会入塾下が受験に失敗、駿台にいって私大医学部も仮面浪人で千葉大医学部(バランスの良い人間が多かった)
姉は東大卒も尼さん
・開成生、鉄緑会の1教科あたり2〜3時間で宿題終える。塾はペースメーカー。部活も両立。
・築駒は自由な校風。鉄緑会の内職も
・桜蔭は鉄緑式回答は減点
・小学生はくもんをしていて、鉄緑通いながら東進の東大特進に数千円で通って無料で自習室
・デッサンやかけっこが苦手でもそれほど追求されないが、勉強は努力不足と言われる。勉強することとできることは違う、ほどほどはできなくてもいいからすることが大切だと著者は思う。
どの塾を選ぶかはその子次第。
Posted by ブクログ
【要約】
日本の教育は、平等性・画一性に基づいて学習指導要領が決められて、中学受験であれ、大学受験であれ、それに則り試験が課されている。この画一性が、逆に子供たちの能力差を浮き彫りにし、競争を生み出してしまった。
元来、塾があるからこそ、学校はその個性を活かし、多様な学びの場となりえた。上述の受験競争により、受験に期待されるウェイトが増え、学校を侵食してきた。また、本来は受験生自身が勉強のスケジュールをたてたり、試行錯誤したり、という中で人間力を鍛えてきたが、塾の台頭により、いかに効率的に答えに辿り着くかがマニュアル化されてしまい、その言いなりになることが受験競争の勝利への近道となってしまった。
また、サピックス→鉄緑会→東大という「王道」は、確かに実績を生み出してはいる。しかし、これだけでは、教育として何かが足りない。「回り道」こそ必要である。その時、名門校の教育力が力を発揮するだろう。名門校とは、単に偏差値が高いとか、東大合格者が多いとか、そういうことではなく、目には見えない教育力を持つ学校なのである。
【感想】
「王道」を歩んできた人たちの特性として、以下が挙げられている。
・「答え」を見つけるのが得意
・「そういうもんだ」と自分を納得させられる
・何でも「いちばん」を目指す
・謙虚
これらは、良い方向に発現すればよいが、悪い方向に行けば、ただの受け身の人生になってしまうだろう。子供にそういう人間になってほしいとは思わない。基礎学力は必要にしても、自分自身で試行錯誤できる人間になってほしいと思う。
「選ぶ基準を世間の評価に求めているのだとしたら、その選択は危うい。人生における選択の善し悪しは、決断したときに持っている情報量やそのときの判断力が決めるのではなく、その後の努力が決める」と著者は述べている。飽くまで子供が主体となって自分なりのフィロソフィーを持って、選択していくことが必要だろう。そのためには、親はレールを敷いてしまわず、様々な経験の場を提供すること(可能性を狭めないこと)、考えるきっかけを与えることが大事だと思う。その上で、選択や選択したあとのサポートをしていくことが、親としての役目だろう。その結果、子供自身が「王道」を進みたいと言うのであれば、それで良いのかもしれない。
これからは、日本独特の平等主義を一旦脇に置いて、各大学のアドミッション・ポリシーを明確化することが必要だ、と述べている。すなわち、「わが校ではこういう学生がほしい。そのためにこういう方針に入学試験を行う」という宣言である。このことにより、これからは偏差値ではなく、子供たちがその個性に合わせて大学に進学する時代が来るのかもしれない。