あらすじ
現代社会に警鐘を鳴らす歴史的名著。南海の酋長ツイアビは、はじめてパパラギ(=白人)たちの「文明社会」に触れた驚きを、島の人々に語って聞かせる。お金、時間、都会、機械、情報、物欲……。その内容は、深い洞察と知恵、素朴にして痛烈な啓示に満ちた文明批評として、今なお輝きを失っていない。豊かさを追い求めてモノと時間を切り刻み、無辺の闇にたどり着いてしまった私たちが、今こそ真摯に受け止めるべきメッセージ。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
都市化された日本や欧米文化でなかなか実感出来ない価値観を本を通して衝撃的に知らされ、何十年も印象強いです。戦争や天災など決して人事ではない災難を乗り越えたり、世界の人々と交流したりする時などに人間の原点として何処か心に留めておきたい世界観です。
Posted by ブクログ
現在の人間たちを昔の人が見た時にありのままに感じる姿が描かれていた。今の生活は便利に思えるが、時間など心に余裕がなくなってきていると改めて感じた。
Posted by ブクログ
考えがまとまらないので、あとでまた書こう。
仕事の分業が人をいらいらさせ、憎悪を育ませるというのは納得。手だけ、足だけ、頭だけを使って生きるようには、人間はできていない。
Posted by ブクログ
シンプルに、恥ずかしいなと思った。
そしてこのところ感じていた、この世の全てがまやかしで、本質的でないような感覚に的確な説明が与えられたようにも思えた。
必要以上にあふれるモノ、必要もないのに生み出されるモノ、そのモノのために頭を悩まし生きる我々。自らうみだした概念で自らを縛り、心を乱す我々。考えるばかりで、自分の身体と心で世界に触れようとしない我々…。
編者や訳者の文中には、ツイアビ氏の文明描写や、提示したりする考えを笑いやおかしみをもって受け止める様子が多く見られるが、ぼくには笑いが込み上げてくるような瞬間は一切なかった。不思議でしようがない。このどこに、そんな面白みがあったか、わからない。彼の言葉は常に賢明そのもので、かつシンプルにこの世の真実を描き出している。
訳者あとがきで取り上げられている、原書の挿絵をかいたエールト=シェンクの、自分たちはもう戻ることのできない流れの中にいる…そんな言葉が胸に残っている。実はぼくだけでなく、多くの人々が本当は戻りたい、立ち止まりたいと感じている。どうやったら、紛い物ばかりのこの文明の中で、生き生きと真実の魂の輝きをもって生を全うできるだろうか?今後生きていく上で重要なテーマを与えてもらったと感じている。
まずは、考えてばかりいるのはやめて、自分の身体と心で世界を感じることを、はじめなくては。
Posted by ブクログ
サモアの酋長が見たパパラギ(白人)社会の文化や生活様式
なんとも奇妙なものに見えて非常に面白い
文明は私たちを幸せにするのか?考えさせられる本
マンションは「石の箱」
ドアは「木の翼」
インターホンは「女の乳首のかわいいにせもの」
Posted by ブクログ
2018/3/9
・「パパラギは、巻貝のように堅い殻の中に住み、溶岩の割れ目に住むムカデのように、石と石のあいだで暮らしている。」 p.34
→価値観、文化が違いすぎて凄い文章。この章は色んなモノがさまざまな表現で形容されていて普通に面白かった
・「ーーー息をするのにもすぐに丸い金属と重たい紙が必要になるだろう。なぜなら、あらゆるヨーロッパ人が四六時中、新しくお金をとる理由を探しているのだから。」p.51
→痒い所に手が届くいいサービスだーーと思っていたものが、この文章を読んでから、がらっと価値観が変わった。
・「もてなしをしたからといって何かを要求したり、何かをしてやったからといってアローファ(交換品)を欲しがるような人間を、私たちは軽蔑する---という尊いならわしを、私たちは大切にしよう。」p.59
→僕も大切にしよう。
現代社会に埋没し、見失っていた価値・感覚を呼び覚まさせてくれた良本。
Posted by ブクログ
サモアの酋長ツイアビが欧州視察の旅で見聞きした白人文化を、サモアの人々に語って聞かせる演説をまとめたもの。ほぼ100年前の話だが、不思議と現代と何も変わらない。忙しさ、お金、時間、仕事、機械、物欲、家族、住まい、都市・・・。白人(パパラギ)の家には光も風も届かない。腕に機械を巻きつけ、時間ばかりを気にしている。仕事を一つ覚え、一生その仕事から離れず魚も取れなければ畑を耕すこともできない。自然のままに生きてるサモアの人々から見ると、白人の生き方は不思議で危険なのだろう。ツイアビがサモアに人々に語りかける内容は、そのまま自分に言われているようで、なんとも気恥ずかしい気分。
Posted by ブクログ
痛烈な文明社会批判。耳に痛いというか胸に痛いというか……。ツイアビが生きていたのは19世紀だけれど、今読んでもまさにその通り。技術力はどんどん向上しているけれど、人間は殆ど変わっていない。
でも最早文明社会でしか生きられない身としては、ここまで軽蔑されるのはやはり哀しい。
最初に彼らと触れ合ったパパラギたちが、もっと彼らを尊重し尊敬していれば、ツイアビもここまで頑なにはならなかったんだろうか。考えたところでどうしようもないけれど、つい考えてしまう。考え過ぎると不幸になるって、真理だな。
“自分探し”している人たち、自己啓発本を何冊も読み漁るより、これ一冊を読む方が色々ガツンと来るんじゃないだろうか。
Posted by ブクログ
読書会用に読んだ本。
ツイアビの視点から描写される西洋文化が、狙ったものではないと思うのにくすっと笑ってしまう。
当たり前のものを違う視点で切り取ることによる面白さに満ちていて、人と話すのにも良いと思う。
Posted by ブクログ
読んでると、生きるってシンプルなんだなと。
何かをできないととか、何かを持っていないと、という心配や悩みは、人間としての本質じゃないのかもしれないなと考えた。
…私、悩む方向性間違ってた?悩まなくていいとこで悩んでた??みたいな、自分の悩みが、実は悩む必要なんてないんじゃないかと思えたというか。笑
子どもの頃から詰め込まれた知識、教養。その環境でのみ適用される常識。
それらにがんじがらめになっているパパラギは、知識病である…
「たったひとつ、知識病にかかった人をなおす方法は、忘れること。知識を投げすてることである。」
最近、知らない国に旅に出たいなとおもっていたけど、旅って知識を投げすてること(いらないものを壊すこと)なのかも。と思った。
Posted by ブクログ
西欧社会を原始的な生活をしている人からの視点で説明している一冊。
(以下、本を読んで現代社会に思ったこと)
人間はいつのまにか自然を忘れて自分だけが得するようにとばかり考えてしまうようになったのかもしれない。
世の中は資本主義、拝金主義、物質主義が蔓延っている。
現代はSDGsなどを掲げてはいるが個々人の理解を促進するには至っていないように感じる。
今や70億を超える人間の生き方というのは地球に合っているのだろうか。
きっと隣人を愛するだけでは事足り無い。
自然を愛するまではいかなくとも自然に触れていくことが現代に求められているような気がした。
Posted by ブクログ
"パパラギは昼夜絶えず何かを考え、時間に追われ、目の前の美しい景色を見ようともしない"
パパラギとはヨーロッパ人のこと。
南の島サモアの酋長ツアイビがヨーロッパの文明、生活から感じたことを村の人に語る。
お金に取り憑かれてる姿、モノで溢れた暮らし、いつも時間に追われるパパラギ達。
初版はおよそ100年前の1920年。その当時より、生活はさらに豊かになったけど、心まで本当に豊かなのか?といろいろと感じてしまう読後。
Posted by ブクログ
メモ:
「だがもし、私がぶらぶら歩いて行くとすると、いろんなものを見物できるし、友達も私に声をかけて、家の中へ呼んでくれるだろう。目的地に早く着くことが、大した得になるわけではない。」
「あまり考えないのが馬鹿なのか、それとも考えすぎる人間が馬鹿なのか、それは疑問である」
サモアとヨーロッパ
共有財産↔︎私有財産
獲得経済↔︎生産経済
贈与経済↔︎交換経済
確かに、パパラギの土地は貧しいために、その貧しさに合った思想と社会とが生み出されたのかもしれない。
Posted by ブクログ
パパラギは靴を履いているから、足で木に登れないみたいなところが印象に残っている。
他の章もそうだけれど、文明が豊かにしたものと、それによって失ったものに、そしてここまでの文明を築きあげた人類の歴史に思いを馳せる。
別にどちらが良いとか悪いとか、正しいとか間違っているではなくて。自分の当たり前を疑うことは大切な視点だと感じる。というより単純に面白い。
文明社会に生まれたから当たり前に思っているだけのこと…というか結局当たり前なんてないのだと。
宇宙が存在してることすら奇跡だな…とぶっ飛んだけれど、そこまで飛ぶともうこの本とは関係ないか。と我に返った。
ありのままに物事を捉えられるように、受け入れられるようになれるといいなとなんとなく思った。
Posted by ブクログ
独特なタイトルの本書だが、パパラギとは南太平洋の島サモアの言葉でヨーロッパ人のことを指すらしい。私たち日本人も含めた現代人のことを指すと思って良いだろう。この本は機械やお金、思考に支配されてしまったそんなパパラギから本当の幸せを知るサモアの人々を守るために語られた演説集であり、パパラギを病的で、悪魔に憑りつかれているとまで言っている。現代人が当たり前だと思っているものが、独特の言葉で表現され、その本質を見抜く表現には軽快ささえ覚える。
読み終わって、もう現代人はサモアの人々の感じる本当の幸せを感じることはできないのかもしれないという寂しさと、それでも少しでも本当の幸せを取り戻せたらなというほんの少しの希望を感じる一冊だった。
Posted by ブクログ
自分の生き方を見つめ直す機会をくれるこの本は、10代で出会ってから、何度も読んでは考えさせられる。
この本の中のパパラギみたいな大人にはならないよういようと思ってたはずなのに、結局は読み返すたびにパパラギなんだと思い知らされる。
フィクションだけど、文章が語り口調だから本当に演説を聞かされているような。
また10年後読み返したい本。
Posted by ブクログ
サモアの酋長、ツイアビによるヨーロッパ紀行を通じて感じた文明批判。ツイアビのようなピュアな目でしか見えてこない文明がもたらす暗雲を浮き彫りにしている。
サモアにあるムシロ、ヤシの木などの少ないアイテムに例えて文明が生んだアイテムを語るとこに可笑しみを感じる。数少ないアイテムで約分して語ることができるほど、文明には不要なもので溢れていることを知る。
文明は貯蓄することを知ることで現在より未来を憂うあまり不必要なほど物や金を蓄えるようになる。他に飢えているひとに分けることもせず、自分の所有物を増やし、見張り、不安に心を砕く。
執筆時である1920年から更に狂った方向に文明が進んでいるようにも見受けられ、それが神が与え給うた自然を着実に失い自滅と荒廃に向かっていると誰もが気づいているが、誰よそれを止めることが出来ない。自分こそ今のこの気持ちを硬い板のようなものをなぜ回して記している。
今を楽しく大切に生きるため、ツイアビの言葉に耳を傾け、不必要なモノを遠ざけ、隣人を愛し、より本質を見極める生活のきっかけとしたい。
Posted by ブクログ
サモアの酋長ツイアビの文明批判。彼らがキリスト教徒なのが意外だった。白人すなわちパパラギは彼らにキリスト教をもたらし、彼らを救った。しかしパパラギ自身は神を信じてはおらず、金や物や時間を盲目的に信じ、人間至上主義で生きている。サモア人たちはキリスト教がもたらされたことで古くからの偶像崇拝を捨て、大いなる心・神に感謝して平和に豊かに生きられるようになったがパパラギは現世的で金臭い偶像にとらわれ、本当の豊かさや幸せを見失い、サモア人を貧乏だと哀れみながら疲れた顔で生きている。鋭い文明批判だし、ツイアビの語ることはもっともではあるけれど、今このパパラギと同じ価値観に生きる日本で何ができるだろう。まずは、与えられたものに感謝することからだろうか。なんだか苦しくなる。
Posted by ブクログ
白人が作り上げた文明世界こそ進んでいて、島々で暮らすような未開発な土地で暮らす人々こそ遅れている。
一般的な認識はそうだ。
しかし、ツイアビ酋長は全てが魔法のような文明世界を目の当たりにして、その暮らしを羨むどころか、悲観した。
文明、科学が発達したことにより、物質的豊かさは手に入れたが、それと引き換えに精神的豊かさを失った白人世界。
物質的豊かさは無いものの、精神的に豊かに暮らしている未開発な土地に暮らす人々。
本来人間というものは自然の一部である。
自然、神とつながっているのが本来の姿。
そのつながりを自ら断ち切っていく白人の生活を見たツイアビの言葉は、現代社会を生きる僕達に考えさせられるものがある。
Posted by ブクログ
サモア人の酋長が、20世紀初頭に、白人についてポリネシア人向けに語った話をドイツ人が翻訳し出版したもの。パパラギとはヨーロピアン(白人)のことをさす。サモア人酋長ツイアビは、ヨーロッパの国々を回り、白人社会の文化と生活様式を正確に理解し、その思い上がった文明社会に対する批判を仲間達に話した。その話に感銘を受けたドイツ人である著者がドイツ語で出版したところ反響が大きく、瞬く間に多数の言語で出版され白人社会に広がったものである。進んだ科学技術に畏怖を感じながらも自然とかけ離れた生活をし、時間にあくせくして、お金に執着する白人を軽蔑する力強い言葉はとても印象に残った。
Posted by ブクログ
往来堂書店「D坂文庫 2013夏」からピックアップした一冊。
パパラギ(白人)の文明社会に触れた西サモアの酋長ツイアビが、島の人々に語って聞かせている内容をまとめたもの。現代文明への強烈な批判であり、アンチテーゼだ。でも、小手先ではなく、人間の根源に響く話になっているので、ただ批判に終始しているようには聞こえない。
パパラギは「あの職業は尊いとか卑しいとか、しきりにごたくを並べている」が、そもそも「すべての職業は、それだけでは不完全なものなのだ」と説く。そう考えると何かフッと肩の力が抜ける。それは取りも直さず、現代文明の中でいかに肩に力を入れて生きているか、ということの証拠でもある。少し力を抜いてツイアビの嘆きを減らしてみようか。
Posted by ブクログ
南太平洋の島国サモアの酋長ツイアビが、ヨーロッパをその目で見て自国で語ったとされる100年ほど前の演説集である。
第三者の視点から近代ヨーロッパを見て、徹底的な観察と批評がなされる。
それは衣服や金銭、所有に依存した精神などに始まり、あげく時間そのものや、考えることへと移る。
確かにこれらは現代人が見てもより深刻に捉えられる問題であり、もはや世界的に同一の考え方で染まりつつある。
私たちはこれらの概念や、科学技術が支える進歩を義務とした生活から抜け出すことが容易ではない。100年近く前の話だが、時代は続き不動なものとなっているらしく、今読んでも新鮮な驚きがある。
だが最終章近くでそこまでになんとなく覚えた違和感の正体が決定的になったが、この話はかつてキリスト教の布教を受けそれを受け入れた島の酋長が見たとされるヨーロッパの現実、という体である。
そもそもキリスト教自体が極めてヨーロッパ的であり、それの根幹である神を善いものとしていることに違和感を覚え、調べたらやはり創作であるとのことであった。
冒頭の語ったとされる…とはそういうことだ。
しかし本書で語られること自体はそれが理由で唾棄されるものではないし、現代でも精彩を失わない強さがあり、ユーモアもあり単純に読み物としておもしろい。
私たちがなにかを考えるときや問題にするとき、現代的な、つまりヨーロッパ的思考や観念を源流とした概念が前提として頭にある。
従って全く異なる観点から物事を見るのであれば、そもそもの前提それ自体を客観的に知る必要がある。
決まった時間にとらわれた生活を意識しても、そもそも時間そのものを疑うことはなかなかない。
哲学的意味の時間存在への批判や懐疑ではなく、リアルな日常生活の上で構築され繰り返される時間割り振り、曜日や週間の単位が当たり前であるということ自体への疑問など。
進歩と素朴、どちらが正しいでもないが、私たちの「当たり前」を一考する上で読む価値は充分にある。
Posted by ブクログ
「パパラギ」ツイアビ
白人の世界で1人の人間の重さを測るのは、気高さでも勇気でも心の輝きでもなく、1日にどれくらいたくさんのお金を作る事ができるか?どのくらいたくさんのお金をしまっているかである。
ギラギラ光り、ピカピカ輝き、しじゅう色目を使って自分を目立たせようとしている白人の物は、体を美しくしたとしても、その目を輝かせた事もその心を強くした事もない。
私たちの言葉に「ラウ」というのがあって、これは「私の」という意味であり、同時に「おまえの」という意味でもある。
白人はいつも早く着く事だけを考えている。早く着けばまた新しい目的に呼ばれる。こうして一生休みなしに駆け抜ける。
同じ仕事の繰り返しほど人間にとって辛い事はない。
教養のある人間になにか質問するとしよう。おまえの口がまだ閉じていないのに、彼はお前を目がけて答えを発射する。彼の頭にはいつでも弾がこめられていて、いつでも撃てるようになっている。どのヨーロッパ人も、自分の頭をもっとも速い銃に仕立てる為に、その生涯の最良の時を費やしてしまう。この考え病を治す方法は、忘れる事、思想を投げ捨てる事である。
私たちは、からだをいっそう強くし、心をいっそう楽しく快くすることでなければ何もしてはならないし、する事は許されない。
神様の光とは、互いに愛し合い、心にいっぱいのあいさつを作る事。
私には6歳になる女の子がいます。この子が肉体の、物質的な欲望ではなく、魂の願いに耳傾けるように育ってくれる事を私は望んでいます。私の最大の願いは、自分自身と他人とを、みんながもう少し愛するようになる事です。
Posted by ブクログ
ヨーロッパを訪問したサモアの酋長ツイアビが島民に向けて語った演説集と言う形式で、そこそこに鋭い文明批判を繰り広げるが、しかし、キリスト教の軛をまったく逃れておらず、明らかにキリスト教の影響下にある西洋人によって書かれた偽書である。邦訳は1981年の出版以来、訳者あとがきでも解説でもこの明らかなフィクションに触れておらず、まあ、そう言う演出なのかなあ。
Posted by ブクログ
文明社会に生きることを、私たちは当たり前に思いすぎる。
今の生活が元来の人間にとっては異質であることを、考えさせられた。きっと人間にとっては機械も文明もなにも、なくたって生きていけるものなんだろう。だってそうやって今まで生きてきたのだから。
冷たく、疲弊し、生命感を失うことの恐ろしさを感じた。今の自分を問うことができた一冊だった。
Posted by ブクログ
痛烈な現代批評。モノに溢れた現代について、とても考えさせられる。この考えること自体も批判されているわけだが笑少しでも他人と自分を愛せるようになれたらと思う。
Posted by ブクログ
衣服、貨幣、労働といった、もはや人間存在そのものの根底から異なる西洋近代文明を、南の島の酋長が冷静に分析する。まずは根底から異なるようなものを平静に受け入れる精神力は尋常でないと思った。そのうえでその分析も正確だと思うが、特に近代文明の負の側面に特化した分析になっていたように感じた。こちら側の人間としては、いやたしかに仰る通りだがそれなりに良いこともあるわけよ、とも思うのだ。そこには酋長の、自分たちの文化に対する自負が透けて見える。同時にその文化をあまりに蔑ろにし、有無を言わさず近代化を押し付けた当時の西洋のやり方が。
Posted by ブクログ
「パパラギ~はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集~」
ウポル島、という。
オーストラリアの右上あたりに、サモアという地域があります。島々です。
その中の一つが、「ウポル島」。小さな島です。
少なくとも、この本が書かれたころは、大らかな原始共産制の暮しだったそうです。
1910年代のことです。
その島の酋長のツイアビという人が、いました。
いろいろあって、ツイアビさんは、ドイツに留学したそうです。
ツイアビさんというのは、酋長だったそうですから、ともあれ大人ではあったのでしょう。
さて、そのツイアビさんが、故郷ウポル島の人々に、
「ヨーロッパの人たちは、こんな暮らしをしているんだよ。おかしいねえ」
と、語った内容、というのがこの本です。
それを、ツイアビさんの友人であった、ドイツ人の(普通の文明人である)エーリッヒ・ショイルマンという人が本にしたそうです。
ショイルマンさんという人は、一時期サモアで暮らしたことがあり、ツイアビさんと友達だった、そうです。
パパラギ、という言葉は、サモア人のコトバで「白人」のこと、だそうです。
#
そこまでで想像できるように、要するに、ちょっと気の利いた文明批判、文明批評な訳です。
#
”私はたったひとつだけ、ヨーロッパでもお金を取られない、誰にでも好きなだけできることを見つけた。空気を吸うこと"
"パパラギは、たとえ百枚のむしろを持っていても、持たないものに一枚もやろうとはしない。それどころか、その人がむしろを持っていない、と言って非難したり、むしろがないのを、持たない人のせいにしたりする"
"あらゆる機械も、技術も、手品も、人の命を長くしたことは無いし、人を楽しく幸せにしたこともない"
"パパラギは、いつでも早く着くことだけを考えている。彼らの機械の大部分は、目的に早く着くことだけがねらいである。早く着けば、また新しい目的がパパラギを呼ぶ。こうしてパパラギは、一生、休みなしに駆け続ける"
と、言ったような調子。
#
ちょっとした、短い、警句。アフォリズム。皮肉。ユーモア。風刺。
そういった本です。
そして、ツイアビさん、「まあだから、我々がパパラギに学ばねばならぬことは、まあ、無いな」という結論になります。
それを超えて何か、大きな結論や風景がある訳でもありません。
#
だいたいそういう仕掛の本なんだな、というのは判っていて読みました。
(和田誠さん「ほんの数行」で紹介されていて、知ったんです)
正直に言うと、「はいはい、こういう話ね。判りました」と、軽く読んでいたのですが、
不思議と読んでいるうちに、なんだかちょっと清々しい気持ちに、なっちゃいました。
巻末で、浅井慎平さんが書いていたのですが、
「"パパラギ"は、都市人間の机の上の1本の椰子だ」
言い得て妙。
#
この本は、どうやらドイツを中心に1910年代に世に出て、そこそこ流行ったようです。
そして、1970年代に再び復刊されたそうです。
読んで、ちょっと考えてみると。
資本主義、消費都市、都市生活。そういったものが勃興して、対抗するように「共産主義・社会主義」が現実的に出てきたのが、1910年代。
第2次大戦の荒廃の後。戦後生まれ世代による、左翼運動。ヒッピー、フラワームーブメントの70年代。
そういう一種の理想の流行とでも言うか。そういう流れがあるのかなあ、と思いました。
#
「ブッシュマン」という映画がありました。1980年の南アフリカ映画だそうですが。
世代によっては、覚えていらっしゃるでしょうか。
あの映画と、味わいとしては同じですね。
クスっと笑える気軽な感じです。
#
...それから、ネットで読んだんですが。
ウソなんですって。ツイアビさんという存在は。
エーリッヒ・ショイルマンさんというドイツ人の人が、サモアで一時期暮らしたのは事実だとして。
要は、ショイルマンさんが全般的に創作したんだそうです。
(まあ、ヒントになるようなサモア人の言説はあったのでしょうが)
実は、意外と知られていないそうで。確かに和田誠さんも、創作という前提ではなくて、この本について語っていました。
だからと言って、この本の素敵さは変わらない訳ですが。
手の込んだ創作。
いやあ、パパラギたちの、やりそうなことだなあ。と、ちょっと可笑しかったです。
Posted by ブクログ
本書は、ドイツ人エーリッヒ・ショイルマンにより1920年に発表され、その後1977年にドイツで復刊された原書を、1981年に日本語訳、2009年に文庫にて再刊されたものである。
著者は、まえがきで「この話は、ヨーロッパ大陸の進んだ文明から自分を区別し、解放しようとする原始の人びとの呼びかけであり、それ以外のなにものでもない」、「世界大戦によって、私たちヨーロッパ人は、人間そのものに対する不信を持つにいたった。今こそもう一度、物ごとを調べ直し、私たちの文明は、果たして本当に私たちを理想へ向かわせるものであるかどうか考え直さなければならない」と語っているが、第一次大戦終戦直後のヨーロッパにあって、現代文明の発展の行き着くところに生じた戦争を見て、人間が本当に目指すべきものは何なのかを改めて考えるべきと、警鐘をならしたのである。
本書で、南太平洋サモア諸島の酋長ツイアビは、「パパラギ(現地語で「白人」の意)のからだをおおう腰布とむしろについて」、「丸い金属と重たい紙について」、「たくさんの物がパパラギを貧しくしている」、「パパラギにはひまがない」、「大いなる心は機械よりも強い」、「パパラギの職業について~そしてそのため彼らがいかに混乱しているか」、「考えるという重い病気」など、現代文明で当たり前と考えられることに対する疑問を率直に語っている。
本書について著者は、ツイアビが現地語で語った話を、ヨーロッパの人々のためにドイツで紹介したと書いているが、現在では著者による完全な創作であることが知られている。
フィクションとはいえ、発表から約100年経ち、益々機械文明の進んだ現在において、本書の提起する問題は一層深刻さを増しており、改めて耳を傾けるべき話といえよう。
(2010年10月了)