あらすじ
日本古典文学中屈指の名文『方丈記』。著者鴨長明が見聞し体験した、大火、大風、遷都、飢饉、大地震などが迫真の描写で記録され、その天災、人災、有為転変から逃がれられない人間の苦悩、世の無常が語られる。やがて長明は俗界から離れ、方丈の庵での閑居生活に入りその生活を楽しむ。しかし、本当の心の安らぎは得ることができず、深く自己の内面を凝視し、人はいかに生きるべきかを省察する。本書は、この永遠の古典を、混迷する時代に生きる現代人ゆえに共鳴できる作品ととらえ、『方丈記』研究第一人者による新校訂原文とわかりやすい現代語訳、理解を深める評言によって構成した決定版。
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Posted by ブクログ
原文は想像以上に短い。推敲を重ね、無駄を削ぎ落として残ったものが、方丈記であり方丈庵なのだろう。
「完璧とは、何も足すものがなくなったときではなく、何も引くものがなくなったときに達成されるものである」を思い出した。ドラッカーとかジョブズとか多々引用されてるが、オリジナルは確かサン=テグジュペリだったか。
対句で物事を鮮やかに対比、列挙。繰り返しの語句による独特のリズムが味わい深い。
接続詞の使い方が印象的。語の意味や込められた思いは言うに及ばず、生み出される間が絶妙。冒頭の「しかも」は秀逸。
章分けはもとより段落や句読点も底本にはなさげ。著者が読み易さを考慮して追加か。読点がいい味を出しているが、多用しすぎの感も。
今なら、すわ盗作かと炎上しそうな箇所も少なからずある。解説によると、傑作を巧みに取り込んだ良質のオマージュ。
著者の長明愛が深い。好きすぎて、思い入れ思い込みが強すぎて、独断と偏見に基づく長明贔屓の解釈、推測、空想、妄想が解説に散見される。だが、それがいい。自覚はあるようで、一般には受け入れられていない自説には、定説ではない旨がちゃんと記されている。
なんか語りたくなる文章、超長文になったので以下割愛。
Posted by ブクログ
荒廃した時代の中に置かれた筆者の優しい価値観が淡々と語られている随筆だった。
かなり昔の作品だが、現在の自分の思想にも通ずるところがあり、人間の営みや感受性は変わらないんだと感じた作品だった。
自分もこんな達観した世界に住みたいと思う。
Posted by ブクログ
学校で習った記憶がありましたが、改めて読んでみるとめちゃくちゃ深い本でした。
著者の飾らない性格が文章から感じられ、とても親近感がわきました。
1212年に書かれた本作ですが、現代にも通じる考え方が描かれており、「やっぱり読み続けられている名著というのはすごい!」と感じました。
ぜひぜひ読んでみてください
Posted by ブクログ
平安末期に放蕩息子として、生まれた主人公は5度にわたる都に広がる天災を目にし、この都の生活に疑問を持ち、出家し、何不自由なく暮らしていた都での生活に別れを告げ山に小屋を作って、みすぼらしく、不自由な生活の中で自分の幸せを見つけるのだが…拘りが無くなったかのような生活の中で自己矛盾に気付いてしまうのである。
Posted by ブクログ
有名だが全編読んだ事は無かったので、読破出来たことは趣深いw
リズムのある美しい詩のような文章で、日々の普通の事が綴られているのが面白かった。
最後に住まわれていた庵を再現した所に行ってみたい。
Posted by ブクログ
鎌倉時代の歌人・鴨長明が晩年に残した随筆で、日本古典文学屈指の名文。著者が見聞し体験した大火、竜巻、大飢饉、地震と天変地異の記述が多く、日本で起こり得る不幸な出来事がほぼ書いてある。
さて最近、季節の移ろいを感じると、鴨長明や吉田兼好のような「隠者」に憧れを抱くことがある。俗世間を離れながら俗世間と交わる生活をし、出家といっても俗塵にまみれ、乱世に翻弄され、幾多の災害に遭遇し、挫折を味わい、辛酸を嘗める。そんな自分を脇から他者のように眺めることによって、この世の「本質」を深く見つめようとした隠者たち。こと長明の次々と京都を襲った災害などの記述は、優れたルポルタージュだし、優れた時代の観察者でもある。加藤周一の言葉を借りれば「逃避的文学」、言い得て妙なり。
Posted by ブクログ
きちんと読み通したのは初めて。本文は意外と短いので、ほとんどの紙面は訳と解説になる。鴨長明が「方丈庵」での暮らしを始めた背景を今さらながら知り、納得した。火事、地震、飢饉、戦乱が次々と襲い、大きな屋敷もやがて焼失詩し、住んでいた人の消息も分からなくなる。長明自身の境遇も、当てにしていた寺での出世も果たせず、そうしたことで世の無常を嫌というほど感じたのだろう。暢気に隠居した老人の昔語りではなかった。
Posted by ブクログ
方丈記は実は文庫本にして20頁に満たない程のものであるとは知らなかった。
「草枕」の出だしとゴロの流れは全く同じと云うのは誰しもが知っていることだろう。
そして中身を読み進めると、終始漂う厭世感は、聖書のコヘレトの言葉(伝道の書)と同内容と言える。
歴史のフィルターを経過して残っている書物には、国の違い、時代の違いを超えて、真理としての共通点が有るのだろう。