あらすじ
本と映画と音楽……それさえあれば幸せだった奇蹟のような時間。「大学」という特別な空間を初めて著者が描いた、青春小説決定版!単行本未収録・本篇のスピンオフ「糾える縄のごとく」&特別対談収録。
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Posted by ブクログ
特に何も起きないけど心地よかった。
社会人になった3人の登場人物が、大学時代をモノローグで思い出す。
3人の大学時代の絡みは大人になった今振り返ると、あったようななかったような曖昧なものだった。
自分に残る人との思い出はなんだろうか?
と10年後の自分へ想いを馳せてみた。
どの関係のどんな場面が印象に残るとかわかんないので、考えるのをやめた。
今は、心をごまかさずに人と過ごそうと思う。
Posted by ブクログ
ザキザキトリオ。
文学、音楽、映画、
高校同級生の大学での話。
地元の友達との関係。
変わりたくないけど変わってしまうもの。
大学の頃はその狭間で悶々としてたのを思い出した。
Posted by ブクログ
早稲田の文化祭、どんな感じなのだろう。
同じ高校でも、そんなに会わないものなのだろうか。
携帯がラインが無いと、確かに気軽に約束はとりつけられないが。
3人で観に行った映画のタイトルが『禍福はあざなえる縄のごとし』
3人で川を覗き込んでいた時の彼のセリフが「糾える縄のごとく」
無知によりタイトルスルーして、何て映画だろう?何て言ったのだろう??と疑問に思っていた。。。
教養が欲しい。。。
『あいつと私』小説
『陽の当たる場所』映画
『青い花』は何なのだろう。。。
GW前とか 入学や入社、新たな時期から、少し経過した、でも
夏真っ盛りでも梅雨でもない今の時期に読み返したい作品だな、と。
楡崎綾音氏の彼氏への回想がラストだけ、というのが
次章の戸崎衛氏とのギャップだなぁ。と。
彼女は作家になることへの思いに一点集中。
戸崎氏は割と時系列順に、音楽を絡めての回想。
映画監督となった箱崎一氏が意外にも心情面が多く描かれている。
大学生の実態の無さ
長距離電車に乗っているよう
もやもやとした不確かな感情を、こうも鮮やかに描ける作者には本当に、毎回脱帽する。。。
過ぎ去った身としては、青春真っ盛りの大学生に読んでもらって、もっと謳歌して欲しいとも思ってしまうが
大学を特に何もないまま卒業して今普通に日常をこなしている社会人だからこそ、分かる部分もあるのかなぁ、と。
対談は、類友じゃないけれど、活躍している人の友人は、活躍しているのだなぁ、と。
ジャズ、今でさえ敷居が高く感じるが、学生時代から好きな人もいるのだよなぁ、と。
同作家の作品で無人島に一つだけ持ち込めるとしたら辞書を持ち込んで、物語を書く、という女性が登場するのだが
生活をより豊かにするのはモノではなく、個人の感性、行動なのだろう、とフットワークの重くなった最近切に思う。。
Posted by ブクログ
「大学」という特別な空間の中で、男女3人の青春を描いたそれぞれの物語。
初めはエッセイかと思ったが、ちゃんと小説だった。
でも明らかに最初の物語は作者の大学時代を綴ったモノであろうと呼んでいたら、後書きでその通りであったことがわかる。
自分も大学を出ているが、確かに学生と呼ぶには小中高とは全く違う世界が広がっている場所だったと改めて思い出す。
物語の3人は同じ高校に通い、同じ大学に通い、ある二人は幼馴染であり、ある二人は付き合っていたり、それぞれ関わりがあるにもかかわらず、まるでそれぞれがパラレルワールドを歩んでいるかのように、別の世界別の時間の描かれ方が、大学という特別な空間をより浮き彫りにしているような気がする。
また、恐らく世代的にそんなに離れていないので、読んでいて懐かしさも後押ししてくれる。
この淡々とした空気感好きだなぁ。
Posted by ブクログ
再読。半自伝的小説。小説、音楽、映画という分野の男女3人すべてに恩田さんの痕跡がある。時代感もばっちり取り込み、あの時代の空気感を共有できるのは、同世代作家さんを読む醍醐味。これだけ綿密にキャラクターと背景を書き込みながら、愛憎もつれる恋愛劇みたいな陳腐なお話にしないのが恩田さんらいしい。専門の学問と無関係のクラブ活動で、多くのプロを排出する大学って、こんな雰囲気なんですね。大学ってフシギなところだ。
Posted by ブクログ
たぶん、5月連休明けか、中旬くらいに読んだんだと思う。
読んでいて、ふと、思った。
これって、もしかして、恩田陸版「なんとなく、クリスタル」?って(爆)
といっても、「なんとなく、クリスタル」は、主人公(だったか?)の女性がパイドパイパーハウスに新譜を見に行こうか迷うシーンしか記憶にないwこともあり、内容ではなくて。
この「ブラザー・サン シスター・ムーン」に出てくる3人の日常の雰囲気が、なんとなーく、“なんとなく、クリスタル”だなーって。
ていうか、それこそ「なんとなく、クリスタル」なんて題名にした方が、この本の内容に合っている気がするのだ。
いや、別に、「なんとなく、クリスタル」にこだわっているわけではなく、「ブリリアントな午後」でも、「たまらなく、アーベイン(だっけ?)」でもいいんだけどさw
自分としては、これを書くにあたって、著者がモチーフにしたのかもしれない、その「ブラザー・サン シスター・ムーン」という映画を知らないこともあり、(話の後、著者と登場人物のモデルとなった当時のジャズのスタープレイヤーとの対談がついていることも含めて)なんとなーくクリスタルな話?、だなぁーって思った。
それはそれとして、ファンとしては、これって、著者はどういう意図で書いたんだろう?というのが気になるわけだ。
ま、意図というか、どんな風に書いたというか(たまたまネタがなかっただけwというのも含めて)。
3つの章+予告編ヴァージョンで構成されているこの話を、著者はどの順番で書いたのだろう?と、なんだかそこが妙に気になるのだ。
ファンとしてはw
とはいうものの、著者はジャズをやってただけあって、インプロビゼーションでノリまくるのはいいんだけど、
ノリまくりすぎちゃって、元の演奏に戻り損ねることが多々ある(というか、常習?)からなーw
(ビッグバンドにインプロビゼーションがあるかどうかは知らないw)
素直に考えれば、「予告編ヴァージョン」は予告編とあるのだから。この3人を主人公に物語を考えていて、次にポツンと話が飛んで2章目を書いたってことかなぁー、と思うんだけど…。
というのも、1章目がよくわからないんだよなー。
ぶっちゃけ、素人が自己陶酔が自己逃避だかで書いたみたいな、この話を一章に持ってきている(残している)ということは、「予告編」にある3人の物語を書くというのはもちろん頭にありつつ、まず一章を書いて。
次に、もっとも小説然としている2章を次に書き、3章でインプロビゼーションしまくっちゃって、例によって話が元に戻らなくなって。
しょうがないから、なんとか収拾をつけようと予告編の部分を、わざわざ「予告編ヴァージョン」とことわりを入れて書いたんじゃないかと勘繰ってしまうわけだw
ただ、短編集なんか読むと、この「予告編」みたいに唐突に始まって唐突に終わる話は普通にあるから、まず短編として(ネタとして)「予告編」があったのかなーとも思う。
だって、1章は「予告編」の設定をちゃんと引き継いでいるし、また、2章に展開を巧く引き渡してもいる。
結局、3章のインプロビゼーション吹きまくりで話を収拾し損ねただけ、と考えれば、なんだ、結局いつもの著者のパターンじゃんwみたいな?
ということは、1章は著者のたんなる照れにすぎないってこと?w
恩田陸の小説の魅力は、めくるめく謎、謎、謎…(ただし、それに見合う結末はないw)にあると思ってたけど、間違っても結末に期待してはいけない!を忘れなければ、これはこれで面白い。
というか、ノスタルジアの魔術師と言われる(らしい)恩田陸が、自ら“自伝的”と言う小説で、自分の大学時代を全否定するのが面白い(興味深い)。
(80年代半ばにおくった自分の大学生活を否定する著者の感覚。もしかしたら、それこそが恩田陸が今ウケる根本なのかも?なんて思ったりw)
というかー、これって、そもそもフィクションなわけで。著者が“自伝的”と言うそれって、ノスタルジーに浸ることを良しとしないことにこだわりたい著者の、当時スターだった大学のジャズプレイヤーとの対談まで全部ひっくるめたフィクション(小説の一部)なんじゃないのかな?なんて思ったw