【感想・ネタバレ】荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方のレビュー

あらすじ

世界の16の国と地域で翻訳刊行されるなど、いまや古典となった『荒木飛呂彦の漫画術』(集英社新書)から10年。だが、ある時、『漫画術』を読んで漫画家になった人もいるとしたら、「もうちょっと深い話も伝えておかなければならないのではないか」と、荒木は考えた。『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズをはじめとした荒木作品に登場する名悪役たちの魅力とリアリティはどのように生まれるのか? 漫画の王道を歩み続けるために必要なことは? いまだ語られなかった、漫画家・荒木飛呂彦の「企業秘密」を掘り下げた、新・漫画術。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

いやぁ〜〜〜ジョジョ読みたくなる!!!

ジョジョの作品は悪役が魅力的なことが多いので、
気になって読んでみると舞台裏に連れて行ってくれたようでとてもワクワクとした…!!
こうやって彼等の行く路がが紡がれているのだと思うと、より深く熱く彼等の鼓動を感じられたッッ

作品が魅力的なのは荒木先生だからだ!!!
と改めて強く感じられる作品だった。

この後、9部1巻マンガを読んでみたのだけれど、
痺れるゥ〜〜〜ッッ面白すぎるッッッッ
続きを読んできまーーーーすっ!


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2025年05月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

◯創作において、作品全体のテーマを決めることが大切。自分はこれを書いてみたい、といったイメージで決めてもよい。

◯主人公と悪役はセットで考える。かっこいい悪役を描くなら、悪役は自分の悪を肯定する。同情を誘うような過去や迷いはかっこよさを低下させる。

◯理に適っていない行動はとらせない。キャラがかっこよくなくなる。

◯社会のルールや常識を身につけるのは創作をするうえで大切。その常識から外れたキャラこそ魅力的になりやすいので、基本としてしっかり理解しておく。

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2025年06月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 デビュー当時の僕は、自分が好きなサスペンス調の話を漫画で描いては、「これでは連載できない」と編集者からダメ出しをくらっていました。そうした経験を重ねて悟ったのは、サスペンスはストーリーに重点を置くので、キャラクターが弱くなりがちだということです。【キャラクター】のところで述べたように、漫画の最重要事項であるキャラクターがしっかり描けていなければ、大勢の読者の支持は得られません。ですから、そのキャラクターたちのためにストーリーを作っていくのが鉄則です。『漫画術』では、そこに僕が気づくまでの経緯を詳しく説明しています。
 漫画の必殺技とも呼べるキャラクターは、それひとつで漫画が成り立つほどの強力な要素ですが、どんなに魅力的なキャラクターも、ファッションやセリフの言葉遣い、価値観などが時代と共に古くなっていく宿命を負っています。その弱点を補うのがストーリーで、時代を超えた名作漫画は、多少、キャラクターに古臭さを感じさせても、その力強いストーリーで読者を魅了し続けるのです。
 では、どうすればそんなストーリーを考えることができるでしょうか。
 忘れていけないのは、ストーリーはいつもプラスで、右肩上がりに主人公が上がっていくように構成するということです。少年漫画のヒットの理想形は、主人公が「勝てそうにないんじゃないか」という困難に見舞われ、そのレベルもどんどんパワーアップしていくけれども、主人公も成長していって最終的には勝利を収める、というストーリー展開です。僕は「プラスとマイナスの法則」と呼んでいるのですが、漫画のスタート時の主人公の気持ちや置かれた状況をゼロ地点として、そこからずっと上がっていくのが、漫画をヒットさせる「プラスプラス」のストーリーです。ゼロよりさらにマイナスからのスタートも、主人公は常にプラスというのは同様で、さらにより劇的な展開になる効果があります。そのプラスの積み重ねを毎回どうしていくかが、漫画家のアイディアが問われる部分と言えるでしょう。
 一方、「プラスで行っていたのに途中でマイナスにしてしまう」のはルール違反です。「プラス→マイナス→プラス」では結局また元のゼロの地点に戻っているだけですし、プラスとマイナスが繰り返されると、「こいつ、また悩んでるよ」と読者をうんざりさせてしまいます。現実の人生はプラスで上がることもあればマイナスで下がることもありますから、「ここで主人公が壁にぶつかる展開にしようかな」という誘惑に駆られたりするかもしれませんが、漫画のストーリーで現実を再現してはいけません。たとえ主人公が何かに迷うことがあったとしても、常に前に向かって進んでいくなど、とにかくプラスを続けていくというのが鉄則です。
 一方、あえて人間の暗黒部分を追求し、主人公がひたすらマイナスに向かっていくストーリーはあり得ると思います、『闇金ウシジマくん』や『ウォーキング・デッド』は、そうした右肩下がりにマイナスになる作品の典型でしょう。大事なのは、プラスにしろマイナスにしろ、矢印が常に同じ方向を指しているということです。プラスプラスで上がっていくストリーで途中でマイナスにしてはいけないのと同じで、マイナスに下っていっているのに、ちょっといい話を入れてほっこりさせると、そこだけが浮いて他と融合しない、何か違和感のある作品になってしまいます。

『ジョジョ』は、そんな風に戦いのことばかり考えている中で、「戦うときに何が一番怖いだろうか。時間を止められたりするのも怖いけど、やっぱり先祖のわけわからない因縁が世代を超えて自分に降りかかってくるのが一番の恐怖なんじゃないか」というところから生まれた漫画です。『ジョジョ』が大好きで、『ジョジョ』みたいな漫画を描きたいと思っている人は、絵やセリフを真似るのではなく、「自分の一番怖いものは何だろう?」と考えてみれば、「『ジョジョ』みたいな漫画」がきっと描けると思います。なぜなら、それが『ジョジョ』の本質だからです。

 相手が強ければ強いほど、主人公vs.悪役の戦いがおもしろくなりますし、主人公はその困難な戦いを通して大きく成長できます。貴族の息子として幸せに暮らしていたジョナサンに対し、強烈な悪の魅力を放つディオは常に先を行っているので、その分、ジョナサンはどうしても平均的な人物にならざるを得ません。そんな平凡な若者だったジョナサンも、強大な敵であるディオと戦うことで、大切なものを守り抜くヒーローになっていきます。ディオという素晴らしい悪役の存在が、ジョナサンをそこまで引き上げていったのです。
 一方、悪役というものは主人公がいてこそ成り立つのですから、悪を魅力的に描くためには、主人公をどういうキャラクターにするかということが軸になります。ジョナサンをディオと同じくらい強烈なキャラクターにするということもできなくはないですが、必ずしも「善」と「悪」を拮抗させる必要はありません。平凡なジョナサンは、いわば『シャーロック・ホームズ』シリーズにおけるワトスンの役回りで、ファンタジー漫画の中の「基準点」という立ち位置です。『魔少年ビーティ―』の公一くん、あるいは『ジョジョ』第四部の康一くんのような、読者と同じ常識を持っているキャラクターという「ゼロ地点」があるからこそ、そこと悪との間にあるギャップの激しさが浮き彫りになっていきます。漫画には、こういう平凡な人物が少なくともひとりはいないと、何が基準か分からなくなってしまう恐れがあり、もし出てくるキャラクターが皆、ディオのようなタイプだったら、ああいう邪悪さが「普通」になってしまうでしょう。

 僕がキャラクターを動かしていくときに特に気をつけているのは、理に適っていない間抜けな行動をとらせない、ということです。「間抜けな行動」は『漫画術』で「ストーリー上やってはいけないタブー」として挙げているくらいのダメパターンで、いくらアイディアが出なくても、敵が間抜けな行動をとってくれたおかげで勝てた、という展開にしてはいけません。特に、ディオは常にジョナサンを上回っている存在ですから、たとえジョナサンが負けそうになっても、ディオが間抜けな行動をとってくれたおかげでジョナサンが勝てた、という展開にはしたくありませんでした。
 僕はホラー映画が大好きでよく観るのですが、「外に逃げればいいのに、なんでわざわざ追い詰められに二階に行くんだよ」とか、「夜、街灯もないような場所に出かけるのに懐中電灯も持たないのか」とか「タクシーが走っているのに、なんでタクシーを捕まえないんだろう」とか、現実にはあり得ない、間抜けな展開がしょっちゅう出てくることには、本当にイライラします。早く振り返ればいいのに固まって動かない、間抜けな警察の性で犯人が捕まらない、というのもよくあるパターンです。そういう間抜けなキャラは作品を弱くしますし、作り手の都合でキャラクターを動かしているということがバレバレで、一気に観客はシラけてしまいます。
 また、「そうか、わかったぞ!」みたいな、現実でそんなことを言う人がいると思えないセリフも嫌だな、と思います。階段から落ちているのに「しっかりしろー」と揺さぶる人、屋上で彼氏と一緒にいるとき、「はー気持ちいい」と深呼吸する女の子など、とにかくわかりやすくしたいという演出なのか、日本の映画やドラマにはこういうわざとらしいシーンが多い気がします。
 もちろん、漫画にはわかりやすさやお決まりのキャラクターも必要ですが、やりすぎると一気に嘘くさくなってしまいます。【世界観】のところで述べたように、漫画はファンタジー、嘘の世界とはいえ、だからこそ「こんなのあり得ない」と読者に思わせるようではいけません。階段から落ちて頭を打っている人を揺すったら命に関わるし、怪しい気配を感じているなら、「なんだろう?」とすぐに振り返るものです。センスと言ってしまうと身も蓋もありませんが、要は「こいつのセリフは何か嘘っぽくないか」「こういうのは現実にはありそうにない」という判断ができるかどうか、そしてもし嘘をつくとしても上手につこう、ということですね。

 露伴にとって京香は「悪役」と書きましたが、基本、編集者は「敵」ではありません。
 もしかしたら、新人の漫画家の中には、「ここができてない」「これはダメだ」と編集者から厳しいことを言われて、「この人は敵だ!」となってしまう人がいるかもしれません。でも、編集者はあくまでプロとして、その原稿をよくするための指摘をしているのであって、別に漫画家本人を否定しているわけではないのです。一生懸命描いた作品を批判されればされでも傷つきますが、そこは誤解しないほうがいいと思いますし、編集者は漫画家と切磋琢磨しながら一緒に上がっていく仲間、バディだということを忘れないでほしいと思います。僕の歴代の担当編集者もよき相棒として、読者との距離感をどこかつかみきれない僕をそれとなく導いてくれています。
 僕も新人時代、編集者から厳しいダメ出しを山のように受けました。『漫画術』でも、原稿を袋からちょっと出しただけで、「こんなの見たくない」「なんかもっと読みたくなるようなの描いてきてよ」と突き返す編集者のエピソードを書きましたが、当時、漫画を持ち込んでくる新人に対する気遣いなどは一切なかったですし、僕も面と向かってずいぶんキツいことを言われました。一時間くらいずっと編集者に怒られたときは、漫画を描いた後で疲れていたので、途中で寝てしまったこともあります(笑)。僕が新人のときに出会った編集者たちのキャラクターを京香に取り入れてみたら、さらにパワーアップするかもしれません。
 自分のメンタルを守ることは最優先だということを前提としつつ、僕の場合はそういう厳しい編集者たちがいたからこそ、「ただ好きで漫画を描いているだけではプロにはなれないんだな」と気づくことができました。特に初代担当編集者からは「好きなことはやろう。だけど、読者が楽しめないような独りよがりのマンガはいけないよ」ということを徹底的に叩き込まれました。漫画家にとって最初の読者は編集者です。彼らが袋から原稿を出したとき、「お、これは読んでみたいぞ」と思わせるにはどうすればいいか、絵やタイトル、セリフの入れ方に至るまで考え抜いたことで、プロとしてやっていく一歩を踏み出せたのだと思います。『漫画術』には、編集者に最初の一ページをめくらせるにはどうすればいいか具体的に解説してありますので、漫画家志望者は活用してみてください。

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2025年04月07日

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