あらすじ
江川は高校時代、1試合丸々全力で投げたことがないと言われている。必ずどこかで余力を残しながら投げ、それでもノーヒットノーランをいくつも達成してきた。だが、1年秋の前橋工業戦は、江川にとってペース配分を考えず、ただガムシャラに投げた試合であるのは間違いない。なぜなら、理想のボールを投げられる喜びにずっと浸りたかったからである。もっともっと進化するはずだ。そうすれば、自分の理想とする完全なるピッチングができる。江川の投手本能が本格的に目覚めていく瞬間でもあった。(本文より) なぜ江川は史上最高の投手と呼ばれるのか? 作新学院時代の怪物伝説と、知られざる真実がいま明らかになる!!
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Posted by ブクログ
今や伝説とも言える「高校野球史上最高の投手」作新学院・江川卓の高校時代を、関係者への取材により振り返ったノンフィクション。
昭和47年だったのか48年だったのかは覚えていないが、当時小学生だった私は、父に連れられて行った栃木県予選で初めて江川卓を見た。父は確かにプロ野球が好きでシーズン中には巨人戦のナイターをよく見ていたし、私も野球少年ではあったものの、高校野球の試合に連れて行ってもらったのは、後にも先にもその1回だったと記憶している。地元の人間としても江川に対する注目・期待が極めて高かったのだろうと今にして思う。
江川が「高校野球史上最高の投手」であるのは、本書にも掲載されている高校時代の公式戦全記録を見れば明らかである。高校3年間の記録は、ノーヒットノーラン12回(うち完全試合2回)、連続145イニング無失点、公式戦通算で奪三振531(1試合平均13.5)/被本塁打0/被安打103(1試合平均2.6)である。江川の甲子園出場は、高校3年のセンバツ大会(準決勝)、夏季大会(2回戦)の2回だけで、地区大会のレベルも全国的に見ればそれほど高くない栃木県大会ではあるものの、その数値は異次元のものと言える。そして何より、実際にその投球を見ていた江川世代の人々は、「江川が最も速かったのは高校1、2年のときで、160キロは出ていたのではないか」、「江川の球はバットに当たらない。ファールチップをするだけでどよめきが湧いた」、「本当に同じ高校生かと思った」と口を揃えて語り、その後甲子園で華々しい実績を残したPL学園の桑田、横浜の松坂らでさえ、そのようなことを言われることはなかったのである。現在YouTube等で見られる高校当時の江川の映像からは、残念ながらそのスピード感は実感できないが、ゆったりと伸び上がるような投球フォームから投げ下ろされる球の威力は十分に想像がつく。
本書では、その江川の高校3年間の足跡に加えて、江川と作新学院同期で二番手投手に甘んじた大橋康延(高校卒業時に大洋からドラフト2位指名)、銚子商の土屋正勝(3年夏2回戦の相手投手)、広島商の佃正樹(3年センバツ準決勝の相手投手)らについても、インタビューを交えて描いており、優れたノンフィクション作品として読むことができる。