【感想・ネタバレ】ぼくが見た太平洋戦争のレビュー

あらすじ

ベストセラー『ぼくらの七日間戦争』の著者が、本当の戦争体験を子どもたちに向けて語り、戦争の愚かさ、悲惨さを伝えます。終戦から来年で70年。戦争体験者のほとんどが、70代後半から80代以上となり、子どもたちの親や祖父母の多くが戦争を知りません。「ぼくらシリーズ」が子どもたちに人気の宗田先生は今年86歳。8歳のとき父が亡くなり、祖父に引き取られたため、中高時代を戦時下の愛知県三河ですごしました。学徒勤労動員で学校に行かず鉄工所で働いたこと、広島と長崎の原爆投下のはざまで起こった中高生450名以上が犠牲になった豊川海軍工廠付近への空襲、戦争末期で救助も来ず2000人以上が亡くなった三河の大地震、空腹とダニやノミ・シラミとの闘い、マンガのような「タコツボ特攻作戦」や「吹き矢作戦」を真面目に練習したこと、B29の機銃掃射……。当時、中高生だった宗田先生が語り継ぐ、戦時下の切ない青春と本当の戦争体験記です。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

昭和3年、1928年生まれの筆者や筆者と同じ、太平洋戦争を体験した人達の実体験などが書かれている物語だった。
筆者はまだ太平洋戦争中は学生だった。その学生の間の出来事などがかかれている。
他の太平洋戦争体験記には載っていないことや、新たに知ったことなどもたくさんあり勉強になった。

本文から、知らなかったことなど
1 昭和12年、東京ではランドセルと半ズボンが当たり前だったが三河の田舎では着物に草履だった。ズックみたいなかばんをぶら下げていた。中には裸足の子もいた。みんな鼻を垂らしていて、それを袖で拭くため着物の袖はテカテカだった。人をいじめるという考えを持っていなかったため、いじめはなかった。

2 千人針の布を腹に巻き、その布の間に認識票を入れていたら、ちょうどそこに球が当たって命拾いした人もいた。認識票とは、兵士1人1人に与えられ、認識番号が振られた金属の小さな板のこと。
氏名、生年月日、住所などが記されていて戦死者の身元確認の為に使われていた。

3 学徒動員中の食事は罪悪なもので、カビの生えた生芋を千切りにして干したもの、小麦と麦を混ぜて炊いたもの、薄い汁に青虫が付いていそうな水菜だけが入った味噌汁、麦に大豆かすを混ぜたものも出ていた。また臭いがひどく手がつけられなかった。

4 10畳の畳の部屋に8人で寝ていた。不潔な環境だったため、ノミ・ダニ・シラミが沢山いて、夜中それらと格闘するのに精一杯だった。

5 B29は1機だけでなく、何十機もあり、それらを使って1日に何回も空襲を行っていた。月日が経つにつれて、B29は1日あたり500機近くになった。

6 本土決戦が近づくと、「タコツボ特攻作戦」を練習させられた。
その作戦とは、海岸線に人が1人入る穴を掘る。
その中に爆薬を持って隠れる。その爆薬には起爆装置の紐が付いている。そして、下級生が傘を広げて穴の上にかぶせ、草や砂をかけてカモフラージュする。敵が上陸して戦車がタコツボの上を通る瞬間、一気に爆発する作戦のこと。
もし前を通らなかったらタコツボの中から飛び出して、敵の戦車の下に潜り込み起爆装置を自分で引っ張る。その作戦を現在の中学生・高校生の年齢の子供にさせようとしていた。

7 敵兵が戦車から逃げ出したり、向かったりした時は吹き矢でやっつけるよう訓練させられた。
海岸の高い松の木に登って、松の葉っぱの中に隠れてそこから近づいてきた敵にストリキニーネという毒を矢の先に塗って吹く。タコツボと二段構えで行うよう言われた。しかも家族や外部に漏らすなと言われていた。

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2023年10月16日

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