あらすじ
「科学ジャーナリスト賞2016」受賞作
<科学ジャーナリスト賞の贈呈理由>
出生前診断の歴史と現状を理解するのに役立つ大変な力作だ。妊娠中、あるいは、これから妊娠を望む夫婦にとって、よい指針となる作品だろう。出生前診断が命の選別につながるとの日本特有の社会状況に肉薄しているところも出色といえよう。(日本科学技術ジャーナリスト協議会ウェブサイトより)
羊水検査、絨毛検査、母体血清マーカー検査、
NIPT、着床前スクリーニング……
1970年代に始まり、次々に登場してきた胎児診断技術。
検査を受けるか否か。結果をどう受けとめるか。
晩産化が進み、産科医療も進歩するなかで、
多くの女性たちが重い問いに対峙し、葛藤している。
体験者の生の声、医療関係者の賛否両論に、
日本で唯一人の出産専門フリージャーナリストが迫る。
【目次】
第1章 動き出した次世代の検査
・出生前診断の本来の目的は「治療」
・新しい出生前診断のニュースで妊娠を決心
・NIPTは母体漿中の胎児DNAを調べる
・実施施設の不足が招いた大混乱
・正確に知りたい「本当の精度」/ほか
第2章 女性たちの出生前診断体験
・アンケートから浮かび上がった女性たちの気持ち
・あえて決断に向き合わないという作戦
・揺れ続ける心
・生む勇気を持つために
・体外受精と出生前診断の関係/ほか
第3章 「羊水検査」で出生前診断は始まった―ある医師の語りを中心に
・胎児が見えなかった時代
・生命の設計図との出会い
・治療だったはずの技術が、やがて検査に
・絶たれた対話
・技術を前に医師たちも苦しむ/ほか
第4章 1990年代「母体血清マーカー検査」をめぐる混乱
・「絨毛検査」が登場、学会による規制が始まった
・採血で調べる初めての検査「母体血清マーカー検査」
・インフォームド・コンセント一切なしのケースも
・上がり始めた抗議の声
・厚生省の科学審議会に専門委員会が設置される/ほか
第5章 超音波検査とグローバリゼーションの波
・超音波検査を応用した「コンバインド・テスト」
・一般医師が行う通常の超音波検査と専門家の検査の違い
・日本に不足している胎児超音波の専門施設
・「見ようとしなくても見えてしまう」ジレンマ
・NT計測も「知らせる必要はない」/ほか
第6章 これからの出生前診断
・NIPTは羊水検査を増やす?減らす?
・日本ダウン症協会は何に反対しているのか
・欧米は「結論は出ない」という結論に達した
・遺伝学者の願いが遺伝カウンセリングを生んだ
・「自己決定」の限界/ほか
感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
女性なら教養として必読。
自分メモ
ダウン症だと判明したときに、今後どうしたらいいのかわからない。産院等ではサポートが足りない。
事前にわかれば、療育や病院の備えができ、(出産前に判明し不安・悲しみ・悩んだ後となるので)幸せな出産となる。
アメリカでは人種が多様で遺伝病や病気・血液型(RHマイナスは日本はレアだがアメリカでは20/1)も多種多様となるので、日本みたいに貧血=鉄欠乏症だと判断・投薬のようにならない(遺伝性の病気の初期症状の可能性があるので)RHマイナスが多く、妊娠時胎児がRH+による血液型不適合妊娠が発生頻度が高く「胎児輸血」の必要性がある。その診断のためにも出生前診断の医学が発達してきた歴史。そこから遺伝子情報が発見解明され、それがいつのまにか治療の為というよりも、胎児の障害の有無を見る為のものへ変化した。(また超音波検査でみられるNT(首の厚さ)によってダウン症の診断がつけられる発見をした(胎児医療の父)ことにより、超音波による診断も進化(ただ普通の医者でもみたくなくても見えてしまうので、不確かな計測でNTを所見されてしまうということが発生する=専門の超音波診断クリニックにて受診する必要有り)
今は医者が施設・学校を越え結束し連絡をとって改革をすすめていっていくスタンスにかわりつつあるし、意見公募をしたりして閉鎖的ではなく広く説明会・意見(批判意見が寄せられそうな団体に意見を求めたり)を集めたりして急な見解・実施・導入等をせず、マスコミや周りと調子をあわせてやっていく風にしていくようになった。以前はそういうことをせずにやってきてたので、世間とのギャップが激しく苦労してきた。
P140
Posted by ブクログ
「出生前診断は病気が見つかった赤ちゃんを出来るだけ早期に治療するためのものである」
言われて見ればこれほど当たり前のことはないのに、恐ろしいことに「出生前診断は生まれてくる赤ちゃんに障害があるのかないのか判別し、産むのか産まないのか判断するための検査である」かのような認識をしてしまっていた自分に愕然としました。
出生前診断に関するニュースとして一緒に取り上げられている話題が、人工妊娠中絶のパーセンテージであることがあまりにも多いためにそんな刷り込みが無意識にされていたことをまずは大変反省しました。
特別支援教育に関わる友人と、知的障害者の兄弟がいる自分が先日この話題について熱く議論をしましたが、これはもう人の数だけ意見がありどれが正しいとも正しくないとも言えないことなのではないかと感じました。
それほどデリケートであり難しい問題だと思うのです。
それぞれの人生の中で、自分の生き方の問題や倫理観、家族のあり方などを考えて結論を出すしかないのだろうと思うのです。
ちなみに友人も私も子供はなく、今後年齢的に子供を持つこともないでしょう。
でも命の関わる問題は、見過ごせないと感じています。
この件に関しては「医学の進歩がいらぬ苦しみを増やした」そう思っていたこともありますが、本来の目的からすればそれは全く本末転倒の意見であることが本書を読むことでわかりました。
多分私のような認識や意見を持っていた人間に対して、著者の方は歯がゆい思いをされるでしょうね。
けれども、そもそも出生前診断とは、何なのかから始まりどのようなことをするのか、ということを知らない人が実際は世の中の大部分なのではとも思います。
医療と療育の連携、教育現場と療育の連携、福祉援助と療育の連携がうまく為されていない現状については、本書で述べられるまでもなく、何らかの状況で障害者と関わりのある人ならかなり実際に感じていることなのではないでしょうか。
本書に出てこられたような、本当に必要な情報が欲しいお母さんたちにすぐに必要なものを届けられるような何らかの体制が全国で整えられることを願います。
障害を持つ人が生きやすくなる世の中はそういう赤ちゃんが生まれてきても大丈夫、みんなで見守るよと言える世の中だと思います。
そんな世の中に…なって行っているとは、今は正直思えないですね。
あとがきから著者の方の強い思いが伝わりました。