あらすじ
いくつかの短篇を連ねることで一篇の長篇を構成するという漱石年来の方法を具体化した作。その中心をなすのは須永と千代子の物語だが、ライヴァルの高木に対する須永の嫉妬を漱石は比類ない深さにまで掘り下げることに成功している。この激しい情念こそは漱石文学にとっての新しい課題であった。 (解説・注 石崎 等)
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Posted by ブクログ
「『彼岸過迄』というのは元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名づけたまでに過ぎない実は空しい標題である。」
そんな由来だったとは。漱石後期三部作、その一。
まず登場するのが敬太郎。冒険を夢見るロマンティストでありながら、実際は大学を出て職も見つからず汲々としている青年である。物語の前半はどちらかというと軽妙な筆致で、敬太郎を中心とする人間模様が描かれる。謎めいた隣人に探偵ごっこにと、読者を楽しませるようなエピソードが目立つ。
ところが後半になると雰囲気は一変する。敬太郎が主人公なのかとおもいきや、今度は彼の友人である須永の存在が物語の全面に出張ってくる。従妹の千代子との恋愛を通して須永の内面が赤裸々に吐露されるのだ。「須永の話」における彼の告白は痛々しいほどであり、『行人』の一郎に繋がる一本の道筋を予感させる。『人間の頭は思ったより堅固に出来ているもんですね、実は僕自身も怖くって堪らないんですが、不思議にまだ壊れません、この様子ならまだ当分は使えるでしょう 』須永に共感できる自分が怖くって堪らない。
須永の口から語られる終盤のシリアスな展開に思い切りのめり込んだだけに、振り返ってみると前半の滑稽味はどこか取ってつけたようなものに感じられる。新聞小説ということで色々事情もあったのかもしれないが、終わり方も幾分唐突に過ぎるのではないだろうか。
構成の点では少しまとまりに欠ける印象も受けたが、後期漱石作品を貫く主題は紛れも無く本書の中に息づいている。