あらすじ
山口県岩国の生家と父母、小学校代用教員の時の恋と初体験、いとことの結婚、新聞懸賞小説の入選、尾崎士郎との出会いと同棲、東郷青児、北原武夫とつづく愛の遍歴……数えて百歳。感動を呼ぶ大河自伝。
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Posted by ブクログ
いつでも、生活の始めに、まず家を建てる。馬込の家から現在の青山の家まで13軒の家を建てたと。宇野千代はおかしい。理解し難いとの風評もしばしば。雄一、悟、尾崎士郎、梶井基次郎、川端康成、東郷青児、三好達治、北原武夫・・・。宇野千代「生きて行(ゆ)く私」、1992.1刊行、1996.2文庫。明治、大正、昭和、平成を生き抜いてきた女流作家が、その愛と創作の人生を語った書。「徹子の部屋」で、著者があまりにも淡々と○○と寝た、○○と寝たと喋るので、黒柳徹子も大笑いだったとかw。
Posted by ブクログ
この本の存在を知ったのは学生時代だった。恩師の文学の講義でたまたま取り上げられていたのだ。
どんな苦労や不幸をも幸せに変える宇野千代の生き方を、先生は惜しみなく称賛していた。
先生の人生にも様々な障害や苦労あり、しかし、それを全く感じさせない人だった。いつも太陽のような天真爛漫な明るさと笑顔とユーモアで、講義の間中笑いが絶えることはなかった。そんな先生と「生きていく私」は何度も私の心の中でリンクしたものだった。
「生きていく私」は、宇野千代の自叙伝である。
何度もの結婚と離婚、戦争、経営していた会社の倒産。波乱の人生に翻弄されながらもこの本に悲壮感はない。
宇野千代は、どんなに艱難辛苦に見舞われても、自分は苦労したと感じることがなかったという。
幸せとはその時の状況ではなく、心の持ちようなのではないかと彼女は伝えたかったのではないか。
頭ではそうと分かっていても、なかなかこういう思考には辿り着けないものである。
やはり、多くの人にとって不幸は不幸でしかない。過去のトラウマや、今を生きる悲しみに胸の中が濁り、常に息も絶え絶えだ。
しかし、最近この本を読み返してみると、宇野千代が根っから前向きで過去に後悔せず、くよくよしない性格だったとは思えない。最初の夫を捨て、他の男性の元へ走った負い目を、一生引きずって生きていたように思う。
男から捨てられた心の傷は忘れられても、傷つけた痛みから一生逃れられなかったのではないか。彼女はそういう人だと思う。
人は人知れず痛みを引きずりながら生きていく。冥き道から冥き道へ身を落とすこともある。
幸せになるのも一種の才能である。しかしその才能と文学を生み出す才能は本来相いれないものなのではないか。
宇野千代の遺した作品を読むたびに、そんな感慨に浸ってしまうのである。