あらすじ
深夜二時四十六分。海沿いの小さな町を見下ろす杉の木のてっぺんから、「想像」という電波を使って「あなたの想像力の中」だけで聴こえるという、ラジオ番組のオンエアを始めたDJアーク。その理由は―東日本大震災を背景に、生者と死者の新たな関係を描き出しベストセラーとなった著者代表作。 野間文芸新人賞受賞。
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Posted by ブクログ
想像ラジオとは、生者が「悲しみ」を糧に死者を想像することで聞くことができる死者から生者へのラジオです。この想像ラジオのDJアークは、東日本大震災の津波により亡くなり、引っかかった高い杉の木の上から、妻と息子に向けてラジオを放送しています。多くの情報や多忙さから死者を忘れ前に進むことが良しとされるこの現代社会で、死者を思い出すことで生者と死者共に未来を作っていくという新たな考えを教えてくれる一冊です。
テレビの音量を、オンリョウが増えるからと消音で聞く人がいるという話がなぜかとても印象に残りました。テレビやYOUTUBEや雑音に溢れる今のこの世の中、私たちは死者の微かな声を聞くことができない、耳を傾けようとしていないと改めて思いました。私は岩手県の宮古市へ訪れた際、今生きている人のことしか頭になく、どうしたら宮古を元気付けられるか、これからの防災への取り組みについてなど、今、そして未来のことばかりを考えていました。しかし、少し立ち止まって死者の声に耳を澄ませて想像ラジオを聞くことが本当に前に進むためには必要だということに気づかされました。
Posted by ブクログ
東日本大震災を背景に「想像」という電波から流れるパーソナリティDJアークの言葉や想いを通して死者と生者の絆や関係性を描いた作品。前情報なしで読み始めて正直全く意味がわからなくてなんだコレと思いながら読み進め第一章の最後で「!!!」とぶん殴られたような衝撃と共に涙腺が崩壊。
毎日のように流れる震災や戦争や虐殺など失われた多くの命のニュースに心を痛めながらも時間と共に記憶は薄れてしまうけど亡くなった人のことを今を生きる人たちが想像しながら語り継ぐ事は魂の浄化に繋がるんだな。
直接的に関わることがなかったとしても「想像」という電波にのせて彼らのことを思い出し語りかけることできっとどこかに誰かに私の声が届いていてほしい。なんてな。
Posted by ブクログ
さらっとした文体で軽快に語られる、最初は全然状況が掴めない。なんなら章ごとにいきなり登場人物が変わる。その人たちが生きてるのか死んでるのか、はたまたどちらでもないのかも分からない。読むのにも想像力がいる作品。震災文学テーマのレポート書くために読んでみたけど、言語化するのが難しいな。沢山書けそうではあるけど。
あぁ、この人達死んでるんだって気付いてから彼らの「会いたい」って気持ち感じるととても苦しくなる。また会いたいね、いつ会えるかなって書いてた第4章は切なくて苦しくて、でもその会話はあったかくて綺麗だった。
現世とあの世の存在とは。被災者とボランティアの関係性。突如訪れた人生の終わり、やり切れない思いで留まる魂。もしかしたら本当にあったのかもしれない震災の話。いろんな切り口の死生観が感じれたのも良かった
Posted by ブクログ
すごい小説だった。
これを書ききった勇気。
東日本大震災というあまりに大きな出来事を、どのように受け止めるか。それをどう表現し、生きている人たちに伝えるか。小説の題材にしていいのか。葛藤と悲しみと無力感に苛まれながら書いたのだろうな、と想像する。
しかし作家であるならば、書かない選択肢は取れないのかもしれない。どれだけ書きたくなくても、それは自分がどう生きるかということと同じだから。
第二章で、震災のボランティアをしている男性たちの会話が展開される。彼らは、人を助けたいとか、助けたいと思うこと自体が不遜なのではとか、死者をどのように悼むべきかとか、関わりのない他者の死とその死者の思いを想像することの罪とか、そういうことを話す。この会話だけでも読む価値がある。彼らはそれぞれが自分なりの考えでボランティアをしているが、無念さとやましさがあり、整理しきれない思いが無数にある。
それでも、彼らは目の前の惨状に対してとにかく手を動かす。感謝されることもあるだろうけど、ボランティア自体になんらかの怒りを感じてしまう被災者もいるため逆に詰められることもある。だけど、とにかく整理されないままそれでも手を動かす。この現実の行動は、私は支持したい。そして当然、これを読んでいる私はなぜ被災地へ行かなかったのか、今からでも行かないのか、と考える。私はたぶん、めんどくさいとか怖いとか交通費がかかるとかそういう理由で行ってない。自分の矮小さ卑怯さが身につまされて嫌になるけど、でもこれからの私の行動は変えられるな、変えたいな、変えようと思った。しかしそうすると当然、じゃあ今から行く準備整えろよ、と自己言及に続く。逃げるようだがこれ以上はここに書くものではなく自分の生活で実践するべきなんだろう。
私自身は、人間には言葉にできないことが絶対にある、と考えるタイプだが、そう考えるとき、別に答えが出せなくてもいいのだ、といったところに落ち着いてしまいがちだ。それは、しんどいことから逃げているだけかもしれない。性急に安直に無理やり答えを出そうとし、さらにそれを言葉にするのは危険なんじゃないか、と身構えているのだが、その思考自体が、問題を遠ざける事態を生んでいるかもしれない、と思った。
答えを出そうとすることが憚られるときでも、言葉にしないといけないときはたぶんあるだろうし不完全で不適切でも言葉にしたり考えたりしないといけないこともあるんだろうな。たぶん。などと考えるのだが、しかしこれ、いま、答えが出せない。どちらに結論づけても誰かを傷つけてしまいそうだし、自分も傷つくかもしれないし、といった逃避のようなループのなか、答えを出すことの怖さに、やはりおれは逃げているのか。
著者は、葛藤しながらでも、表明した。それが冒頭に書いた勇気。
おれよ誠実であれ、と思う。そして言葉だけでなく行動せよ、と自己批判する。そして以下略。
この本が出たのは2013年で、時系列的にどちらが先か分からないが、著者は国境なき医師団とともに行動し、ルポやインタビューなどを出している。そこで語られた言葉が私の頭にずっと残っている。原文がどこにあったか忘れたので曖昧だが、以下のようなことを言っていた。
"なぜ国境なき医師団の人が偉ぶらないか。それは救えなかった人たちへの忸怩たる思いがあるからだ"
本書の第二章で議論をするボランティアスタッフたちも、根底は同じなんだと思う。
さらに本筋とズレてしまうが、日本の政治の世界において、この「忸怩たる思い」を感じている政治家はいるだろうか。ほとんどいないように見えてしまう。だから、どこぞの知事のように、「トリアージ」という重大でセンシティブな言葉を、コロナ禍において簡単に使ってしまうんじゃないか?……
長々と書いたが本のレビューというより内省みたいになったので、ちょっと戻すと、ちゃんとおもしろい小説です。
でもやっぱり、単なる読み物として片付けられない現実の話です。
Posted by ブクログ
アーク
芥川冬助。想像ラジオのDJ。たとえ上手のおしゃべり屋。三十八歳。海沿いの小さな町に生まれ育った。米屋の次男。中二からラジオにかじりつく。三流大学に入って東京に出る。エレキギターを買ってバンドに加入。メジャーデビュー出来ずに裏方として小さい音楽事務所に入る。十数年マネージメントをし、実家に帰る。
Posted by ブクログ
導入はとても良く、すんなりDJアークのラジオとして話に入り込めてラジオトークも面白かったのだが、ボランティアに来た人間が私にもラジオっぽいものが聞こえる〜というその人達のやりとりだったか、テンポが悪く感じた。後書きを読むに、現代の人が過去の被災者らにもっと寄り添っても良いんだよ、というメッセージを込めたらしいが、少し分かりにくかった。
その後、リスナー達との中継や、DJアークの家族とのやりとりなど、重い内容ではあるもののユーモアがあり面白かった。
「そうそう、ふたつでひとつ。だから生きている僕は亡くなった君のことをしじゅう思いながら人生を送っていくし、亡くなっている君は生きている僕からの呼びかけをもとに存在して、僕を通して考える。そして一緒に未来を作る。死者を抱きしめるどころか、死者と生者が抱きしめあっていくんだ。さて、僕は狂っているのかな?〜」p147