あらすじ
その詩に魅せられた者は、不幸になる
夭折した童話詩人の「秋ノ聲」の中の不思議な擬音の正体は? 神無き地・遠誉野で戦慄の殺人事件が幕を開ける。驚愕の長篇本格推理
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Posted by ブクログ
注! かなり内容に触れています
偶然が重なることで「こと」が動き出して事件が起きる、すごく好みの話。
それって、つまり『獄門島』だし、『犬神家の一族』で、すごく横溝正史的(オドロオドロシイ怪奇趣味という意味ではない)なのだ。
その偶然(すでにあった偶然の重なり)も、ある人物がそれをしなければ、「こと」は動き出さない。
しかし、ある人物がそれをするきっかけも、すでにあった偶然との出逢いがきっかけだったりする。
といっても、決して偶然が重なっただけのご都合主義で進むストーリではない。
元々そこに別個にあった偶然に、ある人物がそれが引き金になることで、偶然ではないはずの人物が自ら大事にしているものを守ろうと、起きなくてもいいはずだった悲劇を起こしてしまうという、人の哀しさを描いたミステリー小説で、そういう意味でも横溝正史的だと思う。
(といっても、この著者の性格なのか、哀しさは意識して強調していないように思える)
ただ、この小説。話の軸、みたいなものがないんだよなーw
それがないから、読んでいて自分がこの話に噛み合ってこない。
主人公は、間違いなく真夜子(変な名前w)なのだ。ストーリーも、まあ真夜子を中心に進む。
なのに、話の軸に真夜子がいるかというと、微妙に違う。そう思って読んでいたら、はぐらかされる感じがある。
もちろん、真夜子は、主人公として読ませることで内容をこんがらがらせる、いわゆる狂言回し的な役割もあるんだろう。
でも、狂言回しなら狂言回しで、ずっとストーリーを転がらせる役割があると思うのだ。
その役割が、途中でいったん途切れてしまう感じがすると言ったらいいのか?
それとも、読者が真夜子を主人公だとした思い入れみたいなものを、はぐらかせてしまうところがあると言ったらいいのか?
だから、ストーリーに入り込めないんだと思う。
でも、それはストーリーを通す軸がないからで。
読んでいて、ストーリーの歯車に読者の歯車が巧くかみ合わないから、ストーリーを辿りにくい。
だから、すごく混み入った話のように感じてしまうんだと思う。
ゆえに、最後の真夜子の比喩的で言ったこと(というか、それは何度も出てくるのだが)を、「裏にある真相」のように勘違いしてしまう。
そのせいで、合理的な解決じゃないとイヤな人は、この小説をツマラナイと結論付けてしまう。
そういうことなんじゃないだろうか?
最後の方で、そもそもの根本にある樹来たか子の死、その3つの説を登場人物の一人が整理して言うシーンがある。
でも、その3つの説は、それぞれに関わる人の思惑や思い込み、あるいは間違いがあって。
それらに、現在、この小説の舞台である遠誉野に住む偶然のピースと、本来は関係ないのに偶然に巻き込まれた人たちの、それぞれに思惑や思い込み、間違いによる行動が関わる。
そこに、著者によって読者から遠ざけられていた、もう一つの偶然のピースによる思いが絡んでいた。
この話の構造って、実はそれだけだ。
(もちろん、枝葉は他にもあるがw)
なのに、裏表紙のあらすじ紹介に、“夭逝した童謡詩人・樹来たか子の「秋の聲」に書かれた〈しゃぼろん、しゃぼろん〉という不思議な擬音の正体は?”なんて書くから、読者はその軸で読み進めちゃって。
その結果、この話が、〈しゃぼろん、しゃぼろん〉の謎を追う話じゃないから、こんがらがるんじゃん!(^^;
それはそうだろう。だって、その〈しゃぼろん、しゃぼろん〉なんて、話の筋にはほとんど関係ないんだもんw
ぶっちゃけちゃえば、“不思議な擬音の正体”は水琴窟の音だって、途中でさらっと明かされる。
いや、それ、ネタバレするなよー!と思う人もいるかもしれないが大丈夫。それ、そもそもの事件の真相に“直接的にはつながってない”から(^^ゞ
ていうか、この話って。
その〈しゃぼろん、しゃぼろん〉が何の音なのか?と真夜子が探っていく、ということを軸にして書いた方がシンプルでよかったんじゃないかって気がするけどなー。
偶然の重なりによって起きてしまう悲劇という展開は、それでも十分表現できたはずだし。
読者は、真夜子に思い入れして読むことで、より物語に没入出来たように思う(そうすれば、最後の真夜子の比喩的表現が裏の真相だというファンタジー的勘違いにならないと思う)。
なのに、州内一馬の視点や、謎のハガキ「2-1=3」なんて入れちゃうから、話が取っ散らかっちゃうんじゃないだろうか。
特に、州内一馬の視点はなかった方がよかったように思う。
入れるなら、樹来静弥のモノローグのパート以外に、本来のその人物としてのモノローグで表して。
その人物の過去の思いも含めて表した方が、真相の印象がより強くなったように思う。
個人的には、そこがすごく惜しいなーって思うんだけど。ただ、著者の意図としては、どうだったんだろう?
やっぱり、当時、著者はデビュー間もない頃ということで、「すげぇーの書くぞー!」的な気負いや娑婆っ気みたいなものがあったってことなんじゃないのかなぁー(^^ゞ
ただ、個人的には、そこに著者に連城三紀彦っぽい気負い(ある意味過剰なw)を感じて。すごく好感を抱いた。
そんなわけで、他の本も読んでみたいんだけど、ただ、この著者って、シリーズものや連作短編が多いんだよなー。
自分はシリーズものじゃない長編が好きなので、そこがちょっと残念w
Posted by ブクログ
北森鴻の作品は,読んでいるときはとても面白く,夢中になって最後まで読むのだが,しばらくたってからその本を手にとっても,内容を思い出せないことが多い。「闇色のソプラノ」もそんな作品である。北森鴻の作品が,あとになって深く印象に残らないことが多い理由はいくつかあるのだろうが,この作品が,そのような作品になっている理由は,プロットが複雑すぎて,要約しにくいことにあると思う。「要するに,この本はこういう内容なんだ」という説明がしづらい。だから,印象に残りにくいのだ。プロットが複雑すぎる原因は,北森鴻が,サービス精神が旺盛すぎる作家であり,詰め込み過ぎてしまうからだと思う。読者を楽しませよう,びっくりさせようとしすぎて,やりすぎてしまっているのだ。
この作品の中心となる人物は,樹来たか子である。ヒロインである桂城真夜子は,卒論のテーマを樹来たか子とする。そのきっかけは,樹来たか子の夫の不倫相手の子どもである洲内一馬と付き合っていたからであった。また,樹来たか子の遺児である樹来静弥が教師をしており,その樹来静弥の主治医櫟心太郎は,かつて,樹来たか子が死亡した事件で探偵役を買って出た大学生だった。ここまで偶然が重なると,ご都合主義と言わざるを得ない。「このような偶然が重なるのは,架空の都市である遠誉野市が,不思議な都市だからだ。」という説明がされているが,残念ながら,ご都合主義を払拭できるほどの説明になっていない。
また,この作品は,犯人の印象が薄い。過去の事件では,樹来たか子は他殺ではなく,本当に自殺をしていた。自殺の理由は,夫である樹来重次郎を殺害してしまったからであり,殺害した動機は,樹来静弥が父である樹来重次郎を殺したいほど憎んでいたからである。現在に目を向けると,弓沢征吾と高梨幸太郎という二人の人物を殺害したのは樹来静弥の恋人であり,医師である美崎早音であり,ミスディレクションとして用意されていたのが,樹来静弥の主治医だった櫟心太郎であった。櫟心太郎は,中盤から終盤に掛けて,すこぶる怪しい人物として描かれているが,美崎早音は,ほとんど描写もなく,唐突に真犯人であることが分かる。驚愕の真相といえなくはないのだが,あまりに唐突なので,驚くというより,「そんなのあり?」という感じに思えてしまう。更に,樹来静弥がウィルニッケ脳症という,将来の記憶が残らないという症状であったことが分かる。この点については,それっぽい伏線がたっぷりあり,「なるほど,そういうことだったのか」と思えるのだが,事件の真相解明にこの設定があまり生かせていない。
ヒロインである桂城真夜子の恋人であった刑事,洲内一馬が,樹来重次郎の不倫相手の子どもであったことや,「2-1=3」の数式の謎,そして,最後に民俗学者の殿村三味が狂言回してきな立場から真相を明らかにするところなど,終盤で話を盛り上げようとしてくるのだが,食傷気味になるほどの詰め込みぶりとなっている。このようなサービス精神は嫌いではないが,やや消化不良になってしまっており,練り込み不足感がある。読んでる途中は,文句なしに楽しめたが,最後まで読んで,「それで…?」となってしまった。この点を割り引いて…★3つで。