あらすじ
日本を代表するアルパインクライマー、山野井泰史が考える「山での死」とアルパインクライミング。
かつて「天国に一番近いクライマー」と呼ばれた男はなぜ、今も登り続けていられるのか。
「より高く、より困難」なクライミングを志向するアルパインクライマーは、突き詰めていけば限りなく「死の領域」に近づいてゆく。
そんななかで、かつて「天国にいちばん近いクライマー」と呼ばれていた山野井泰史は、山での幾多の危機を乗り越えて生きながらえてきた。
過去30年の登山経験のなかで、山で命を落とした仲間たちの事例と自らの生還体験を1冊にまとめ、山での生と死を分けたものはいったい何だったのか、を語る。
『垂直の記憶』に続く、山野井泰史、待望の書き下ろし第二弾!
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アルピニズムは失われつつあるのだろうか。
「どこまでやれるのか」は必要ではないのだろうか。
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との著者の問い。山以外の部分も含めて著者のような生き方はできないけれど、自分はどこまでやれるのか。なんだか考えさせられますね。
Posted by ブクログ
尊敬するアルピニスト、山野井泰史さんが語る、それまで死なずに山から生きて帰ってこられた理由。
出会った仲間の死亡率の高さに驚く。
彼ほど自分の力を冷静に見極め、山に向かう人はそういないのではないかと思った。
生きること、生きていることを、よりくっきりと自覚させてくれる本だった。
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「天国に一番近い男」山野井泰史氏の自伝。
後輩でもあり友人でもある野田賢氏の死をきっかけに、今までの経験をプロアマ関係なく後世に伝えることを目的に書かれた本。
自分の体験を当時のインタビュー記事や自分の記憶で振り返りながら語っていく。
その中で印象に残ったところを2つ。
1、2002年に凍傷でかなりのダメージを受けて指の力が入らなくなり、懸垂ができなくなる。
そんな状況で山野井氏は「一瞬で子供のような弱い体になってしまったので、一般の人が嘆く体の衰えを感じることがなく、徐々に進歩していると感じることができる人生を再び歩めているのは、もしかすると幸運なのかもしれません。」(要約)
ポジティブすぎて笑えてくる。
2、自宅近くの奥多摩湖のコースをトレーニング中にクマに襲われ大怪我(右手と顔合計90針)。三か月後にはオーストラリアでクライミング。
熊除けの鈴をうるさく鳴らしながら登る登山者をバカにすることをやめて、見通しの悪い森に足を踏み入れるときに警戒するようになるが、襲ってきたクマが子連れだったので、子熊が成長した姿をいつか見たいらしい。
クレイジーだね!
Posted by ブクログ
自分が登山家になりたいとも思わないが、登山家だったら、間違いなくもう死んでいる。思いつきで行動し、確認はおろそか、著者とは真逆にいるのではと思う。また、著者の極限に挑戦しているからなのだろうか、年齢を積むことでの考え方の違いも見られる。若い時の登山から、指を失ってからの考え方の変化、それでも挑戦する心は失わず、できることを模索する。自分はそんな極限に挑戦する人生は歩んでおらず、でも挑戦することは忘れてはいけないのだと、年末最後の読書で思う。
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山野井さんのこれまで登ってきた山がよくわかるとともに世界の山々について多く知ることが出来ました。とにかく若い時の無鉄砲さがすごい。アルピニズムへの想いも伝わる内容でした。
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垂直の記憶に引き続き読みました。垂直の記憶はインパクトのある山行を中心ですが、本書は温度差少なめに半生を平均的に描かれています。そんな中、時折触れている「アルピニズムに対する考え」はわかる気がします。たぶん頻繁に山に登っても(トレッキング)、なんちゃってクライマーでアルピニスト気取りでも、それを体感できないと思います。
トップのアルパインクライマーって、登る目的自体が違いますね。でも「わかる気がする」人達は、潜在的にその要素がありながら、時代の流れに逆らわず、自分に課せられた画一的な業務をこなし、自分に素直になれなかった人なのかもしれません。意地悪な言い方をすれば、山野井さんは自分の生き方に酔っています。山野井さんから学べる事は、素直に生きなさい!でしょうか?それとも「わかる気がする」人達はトップクライマーを目指しなさい!でしょうか?
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チョ・オユー南西壁にソロで挑んだ時の装備は、何と総重量5kgを切っていたという(p56)。ザックもたったの30リットル。一般人には想像も付かないが、昨今の「ウルトラライト」とは別次元の話なのだろう。何せヒマラヤの8,000m峰。
ザックやビバークテントは余分な部分を切り取って軽量化し、クッカーはEPIのカートリッジが入る一個だけ。カトラリーも現地で買った10gのフォーク一本。軽量化のキーとなる食料は、全部で500gほどだったという。
先鋭的な装備も並ぶ中で、マットはただの「銀マット」、水筒はエバニューのポリタンク(たった300cc)というのも面白い。グランテトラ以前の水筒は確かにポリタンだったですね。
ギャチュン・カンに夫婦で挑んだ時も、ザックは一人5kg未満だったとのこと(p138)。極限状態での挑戦の凄さが伝わってくる。
奥多摩でのトレーニング中に親子の熊に襲われたという話(p150)。ヘリで病院に運ばれて顔を70針も縫い、後に鼻の呼吸にも支障を来すという惨事ながら、熊に恨みは持たず、どこかでまたあの熊に会ってみたいという度量。人柄が偲ばれます。
山野井さんの著書は『垂直の記憶』に続いて二冊目だが、本書もとても面白かった。『垂直の記憶』には書かれていない様々な登山記録も興味深く、貴重な一冊。
Posted by ブクログ
山の楽しみ方、そして山に対する思いは人それぞれ千差万別である。それにしても山野井さんの登攀記録はめちゃくちゃ凄い!山野井さんが登った約40年間分の岩と山をダイジェスト的ながら本書で紙上登山させてもらいましたが凄すぎてため息でまくりだった...!
とにかく、とても熱い思いを感じる一冊でした!
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山は、死と隣り合わせにあることを改めて認識させられた。生きて帰ってきた人と、戻ってこられなかった人との違いは、いったい何なのだろう。この書で触れられた人たちはみんな経験があり、スキルを持ち、状況判断がきちんとできる人たちだ。油断とか不注意とか、ひとことではきっと語れない。山はなんて怖く、そしてなんて素晴らしいのか。
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沢木耕太郎の「凍」を読んでから何となく気になってる人。
ギャチュン・カンの登頂以降、
どうクライミングと取り組まれているのかが
少しでも知ることができてよかった。
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日本のトップクライマーが、指をほとんど失うに至る側から見ると無謀なクライミング人生を振り返り、多くの同業者が死んでいく中で何故自分が生き残ったのかを考察する。
自然に対峙する緊張感の中でのみ、生きている実感を味わえる性格のようで中学生の時より死んでもおかしくないような無理な事をしていて、それが今の今まで指をなくそうが続いている。が、著者自身は他の人よりも慎重だと言っている。本を読んだ限りではたまたま運が良かったようにも見えるが素人なのでよくわからない。
Posted by ブクログ
かつて「天国に一番近いクライマーと呼ばれていた山野井さんはなぜ死なずにいまも生き延びているのか?」について本人がかたった本。
以前、バフィン島遠征の直後の講演会で話をうかがったことがあるが、「もうやめたらいいのにといわれるけど、やめられないんですよね、こんな楽しい事」と朴訥にかたっていたのが印象的だった。
「僕は危険を好み、何度もそれを克服してきました。しかし吹雪の一の倉沢に出かけるような危険な領域には踏み込まないように注意はしてきたのです。破天荒の格好よさを少しは理解できますが、胸の奥に見え隠れする狂熱的な熱を抑えながら計算高く慎重に山を選び、状況を見極めてきたのです。限界のように思えていた一線を超えた瞬間は表現できないほどの喜びがありますが、大幅に限界を超えてまで生還できる甘い世界ではないことをしってるつもりです」132
ここに彼が危険のギリギリでクライミングをし続けながら生き延びてきた答えがある。
そして自分も含めた現代の登山状況への懸念の表明も。楽しむだけの登山が増え、タレントがショーのように山に登り。そういうのを非難するつもりはないが、それだけでいいのか?「どこまでやれるのか?」というアルピニズムは必要ではないか?
自分なりのアルピニズムに山の仕事も向かいあっていきたいと思われるアドレナリンがでる本。
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スゴすぎる。どうしてそこまでするんだろう…結局はまだ理解できなかった。ギャチュン・カンはさらりと書いてるが、下山後の写真は衝撃的。クマの話も恐怖。安全で楽しむだけの登山をしたいんだけど、それでも急登や長い下山道は苦しいんだよね。
Posted by ブクログ
山野井泰史(1965年~)氏は、世界各地の大岩壁や前人未踏の山々に新たなルートを切り開き、南米パタゴニアのフィッツ・ロイ冬期単独初登攀(1990年)、ヒマラヤのチョー・オユー南西壁新ルート単独無酸素初登攀(1994年)、K2南南東リブからの単独無酸素初登攀(2000年)等の実績を持つ世界のトップクライマーのひとり。2021年には、クライミング界のアカデミー賞とも称され、アルパイン・クライミング界で著しい業績を残し、次世代のクライマーたちに多大なる影響を与えた者に対して贈られる「ピオレドール・生涯功労賞」を、アジア人として初めて受賞した(過去の受賞者はラインホルト・メスナーなど12人のみ)。妻は同じく登山家の山野井(旧姓長尾)妙子。そのクライミングのスタイルは、単独、無酸素、未踏ルートを重視するものである。
私は、高尾山に登ることすらない普通の会社員だが、ときどき登山家(冒険家)の本を読みたくなることがあり、これまでに植村直己、長谷川恒男、竹内洋岳、石川直樹、近藤謙司らの本を読んできた。
また、山野井泰史については、本書にも詳しく書かれている、2002年に山野井妙子と臨んだ世界第15位の高峰ギャチュン・カン北壁の登攀(泰史は登頂に成功。妙子は体調不良で途中で撤退)の下山中に、嵐と雪崩に巻き込まれ、瀕死の状態で生還した(重度の凍傷で、両手の薬指と小指、右足の全ての指ほか計10本を切断)記録を、ノンフィクション作家の沢木耕太郎が作品化し、講談社ノンフィクション賞を受賞した『凍』も読んでいる。
本書は、中学生の頃から2013年までの自身のクライミングを、失敗を含めて振り返り、20代には山の仲間から「あいつが一番死ぬ確率が高い」と噂され、「天国に一番近い男」と呼ばれながら、何故これまで死なずに山を登り続けてこられたのかを意識して書かれたものである。
そして、山野井氏は、自らを「若いころから恐怖心が強く、常に注意深く、危険への感覚がマヒしてしまうことが一度もなかった」、「自分の能力がどの程度あり、どの程度しかないことを知っていた」、「山登りがとても好き・・・山が与えてくれるすべてのものが、この世で一番好き」と分析し、それ故に「今まで生きてこられたのかも知れません」と結んでいるのだが、トップクライマーと言われた人たちの少なからぬ人が山で命を落としていることからすれば、素人から見れば、それらは、死なないための必要条件ではあっても十分条件ではなく(もちろん若いクライマーの参考にはなるだろうが)、突き詰めれば、山野井氏は強運の持ち主だったということなのだと思われる。
一度限りの人生をどのように生きるかは、(他者に迷惑を掛けない限り)それぞれの自由である。よって、山を選んだ人たちが、仮に山で死んだとしても、それが幸せであったか不幸であったかは当人以外にはわからないし、わかる必要もないだろう。(山野井氏は、「たまたま山で命を終えたことが悪いとは思えません。でも、夢半ばであったことが、残念に思えるのです。」と書いているが)
それでも、私のような、必ずしも起伏の大きくはない人生を送る人間にとっては、クライミングや冒険の記録は、生に対する刺激を分けてもらうという意味があるし、それ故に、たまに手にしたくなるのだ。
(2022年12月了)
Posted by ブクログ
登山家は山で亡くなることが多いとは聞いていたけど…ここまで周りの登山家が死んでいきながらも登ることをやめられないのはもはや狂気。それだけの死に囲まれながら、難しい山じゃないと面白くないというのも常人には理解しがたい感覚。何度も危険な目に遭いながらも生還し続けることができているのは著者のスキルに他ならないが、ただの幸運としか思えないエピソードもあり、すごい人生だなとただただ感心する。