あらすじ
映画がまだ輝いていた頃。雄さんは故郷を捨て東京へ飛び出した。しかし――歳月は流れる。銀幕への夢に破れ、病んだ彼は、生地に戻り死を待つのみだった。一言だけセリフを貰った一本の映画。人生の最後に、もう一度、雄さんに夢(シネマ)を見せようと、小学校三年の私は幻の映画を探しはじめる(「ラストシネマ」)。傑作と名高い掌編「中村正太郎さんのこと」を併録。
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捨てたはずの故郷だった。
夢破れ、最後を迎えようとしていた"男"。
少年は偶然見つけた。
スクリーンの中に"男"の姿を。
少年の想いに理屈なんて存在しない。
その想いを受け止めてくれた大人たち・・・・
諸々がベタな訳。
それでも必要以上に涙腺決壊してしまう。
それは作者の目線、その優しさだと思う。
そこにはあざとさの一片も無いです。
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雄さんに観せようというその気持ちだけで、第2スカラ座まで映画を観に通う哲太が素敵。
あとは、哲太の父さんが生と死について語る場面がすごく印象に残った。
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寡作で良質の作品を私たちに与えてくれる辻内氏。表題作も併録作もじわじわっと心に染み入る物語だ。
「ラストシネマ」は主人公の父親が個性的でかっこいい。真似したくても出来ない。本当の男の姿を見た。
「中村正太郎さんのこと」は、何気ない中年男の一日も早くを描きながらも、奥行き深い傑作だ。背中で語る男ってこういう人を言うのだろう。
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主人公が小学生の頃、癌に侵されて東京から帰ってきた雄さん。その雄さんが一度だけ端役で出た映画を最期にもう一度見せてあげたい。
淡々したペースで進んでいくものの、ストーリーの空気感が独特で一気に読んでしまった。
最後に主人公が語る、悪人を書けない理由、自分の書きたい物語のくだりがとても、とても良かった。
このラストシネマは正にその通りの物語になっているし、私はそういう話を探しているんだなと思った。
語り手の主人公含めた登場人物すべてが、読んでる人の気持ちを暖かくしてくれる名作。
Posted by ブクログ
哀しく美しい物語。
この人の作品は、どれも美しい。登場するのは善意の人ばかり。
悪く言えば「奇麗事」であり、またストーリーそのものも「紋切り型」であることが多い。でも私は惹かれてしまう。
この作品のエピローグに、本編で9歳だった少年が、47歳の脚本家になってつぶやく言葉がある。少し長いが引用してみる。
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キミは悪人が書けないね。
或る大物プロデューサーからそんな事を言われたことがある。(中略)
そうかも知れないと、自分でも思う。
と言って<悪人を書けるようにナロー!>などという目標を書いて机の前に貼る気も無い。(中略)
父に似たのか、どこかヘソ曲がりな所のある私は、例えば今の世の中が、のほほんと、平和で、穏やか過ぎるくらいに穏やかなものであるなら、もし今がそんな時代であってくれるなら、そこに人間の持つおぞましさの一つでも放り込んでやりたい気分に多分なるのだろうと思う。(中略)
けれどこんな、うんざりするほどリアルにおぞましさが氾濫し、日々その潮位が増していくような時代の中で、そこにわざわざ人間の悪を創作するという事に、私は余り興味が持てない。大火の前で一本のマッチを擦ってみせるような虚しさを覚える。私はただ、かつて私を育んでくれた映画たちのようなーーうまく言えないがーー小さくても、そこに何かしら心の匂いがするような、そんな物語を書きたいとだけ思っている。
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多分、この主人公は辻内さんの分身なのだと思います。
Posted by ブクログ
泣かせる本なんだろーと高をくくってた、甘かった
死を扱った本なのに、晴れやかな気持ちにさせる読後感なのだ
俺がこんなことを言うのは明らかに間違っているんだが
生とはいかに今を生きた(る)か?であって死に様とはまったく関係ないのだ
「中村正太郎さんのこと」もなかなかいい
一つだけ台無しなのは著者紹介
”詩人の魂を抱いて今をさすらう孤高の小説家”
…それはないだろw
Posted by ブクログ
哲太少年と町に戻ってきて入院している田村雄治をめぐるラストシネマと中村正太郎さんのことの二編。
ラストシネマははいゆうをめざして東京に出たが、あきらめて戻ってきた雄治と映画好きの哲太は映画の話でつながっているが、哲太は、雄治がかつて一度だけセリフをもらったという映画を探して、雄治に見てもらおうとする話。年の離れた哲太の雄治のためにという思いと、支える周囲の人々の助けに心あたためられる。
Posted by ブクログ
現代は映画を見る場所というのは、「映画館」と言うよりも、ほぼ「シネコン」というイメージが強い。
たくさんのスクリーンの中から、見たい映画というものを選べるという楽しさもある。
しかし昔は「映画館」と言えば、封切している作品は一つか、同時上映として二つ程度。
それも何だかジメジメした感じや、前の席の座高の高い人の頭をよけながら見ていたようにも思う。
この「ラストシネマ」という作品は、昭和の時代の「とある街」でのエピソードが綴られる。
小学校3年生の主人公は、病の床に伏している「雄さん」が過去に1本だけ出演したという映画を探す。
そしてその幻の映画を探し出し、最後に雄さんに見せてあげるのだ。
このシーンは、それこそ目に浮かぶようで感慨深いものだった。
今はビデオそしてDVDまで普及し、過去の名作をいつでも見ることが出来る。
場合によっては、好きな映画のセリフなども繰り返し見ることで覚えることも可能だ。
しかしそんなものが無かった時代というのは、それこそ好きな映画を何回も見に行き、覚えるしかない。
それでも俳優や女優の一挙一動を覚えているというのは、やはりコアな「映画好き」な人なんだろうな。
物語は大きな展開を見せるわけでもなく、主人公の周りに起こる小さな出来事だけで終わる。
しかし、何だかほのぼの感が伝わり、人の心を温かくさせるような世界観のある小説だった。