あらすじ
なぜ私たちは悩みや不安からいつまでたっても解放されないのか。それは「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いに答えられないために、一つひとつの悩みの根底にある「漠然とした不安」が解消されないからではないか。精神科医である著者が、この問いに初めて向き合ったのは10歳のとき。それから40年経った今、この問いに実践レベルで答えが出せるのは仏教しかないと著者は確信し、日常の中でその教えを実践している。何も出家などしなくとも、誰でも実践できる「行」や「方便」によって、曇りない心で真実をつかみ、毎日を明るく生きられるようになるのである。「行」とは日々の行動習慣の一種だが、「背筋を伸ばす」「眼鏡を拭く」「朝、シャワーを浴びる」といったことでも「行」になる。「方便」はごく簡単に言えば「困っている人に親切にする」ということであり、人間関係のつまらない行き違いをなくすためにも必要な姿勢である。さらに瞑想のやり方やお寺の活用法、怒りを抑える方法なども伝授。満を持して放つ「仏教心理学」のすすめ。
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Posted by ブクログ
生きる理由に答えが出ないままメメントモリするより掃除したり身体動かす方がいいよって部分はほんとにそう思う。
カード不揃いでもなんとかやってやるくらいの腹づもりの人の方が圧倒的に強いし健康です。
Posted by ブクログ
人間が生きる上で不安はつきもの。
お金、人間関係、社会的な地位等、気にかけだすと人間の営み全てが不安や苦しみを生む元凶になってしまう。
これらの苦しみや悩みの根源には、自らがいつか必ず死んでしまうという事実があると著者は述べる。この事実を突き詰める中で、「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いが生まれてくるが、この問いにはどのような哲学や人間の理性をもってしても明確な答えを出すことが出来ない。
そのため、どうせ死ぬのに・・・という疑問に答えを出すには、日常において理論ではなく実践的に行動していかなければならない。その方法として、本著では仏教の教えに基づきながら、「行」、「瞑想」、「方便」という三つの方法論を用いて究極的な問いに答えようと試みている。
しかし、どれだけ仏教の教えに基づいて、明るく前向きな心の平穏を得ようとも、死ぬ直前には死にたくないと嘆くだろうし、死への恐怖は根源的な不安として依然残り続けると感じた。
Posted by ブクログ
タイトルのとおりの悩み、不安をかかえた人に、心晴れやかに生きる方法として仏教の行と瞑想そして方便を示し、日常的に取り組めそうな具体的内容が紹介されている。無心に眼鏡を拭く、呼吸を数える瞑想、相手の成長を願う対応など、仏教の教義とは関連付けなくても参考になる。
あくまで個人的には、このタイトルの悩みが普遍的とは思えず、限りあるからこそ今できるお役にたつことをしないでいることに後悔を感じそうと捉えているので、この本で紹介されている取り組みが自分にとって必要とは思わなかったが、悩みを抱えた方にとっては福音かもしれない。
15-9
Posted by ブクログ
挑戦的なタイトルだけど、「なぜ」の答えは書いていない。
「なぜ」を言葉で考えるよりも、現実に取り組むことが必要であり、そのために仏教の「行」が役に立つという立場。
「僕たちの成長にブレーキをかけている原因の多くは、実は「言葉」に囚われることによってもたらされており、行というのは、その限界を破るきっかけをもたらしてくれる」(55頁)
「「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いに対して、いくら言葉で「答え」らしきものを学んだとしても、それではかえって「現実」から遠ざかることになってしまう」(58頁)
「僕らが自意識を持っているがために、「未来の自分」と「今の自分」を同じ自分として認識してしまう……「今の自分」が満足していても、「未来の自分」が不満を覚えてしまう可能性……がある限り、僕らは決して心から安心することができません。過去についても同じです。……僕ら人間が「過去の自分」もまた、「今の自分」と同じ「自分」と捉えているから」(108頁)
「心を落ち着かせるためには、何よりも自意識の枠組みを取り払い、過去や未来に縛られない「今、ここ」に居続ける、ということが必要なのです。