あらすじ
なぜ私たちは悩みや不安からいつまでたっても解放されないのか。それは「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いに答えられないために、一つひとつの悩みの根底にある「漠然とした不安」が解消されないからではないか。精神科医である著者が、この問いに初めて向き合ったのは10歳のとき。それから40年経った今、この問いに実践レベルで答えが出せるのは仏教しかないと著者は確信し、日常の中でその教えを実践している。何も出家などしなくとも、誰でも実践できる「行」や「方便」によって、曇りない心で真実をつかみ、毎日を明るく生きられるようになるのである。「行」とは日々の行動習慣の一種だが、「背筋を伸ばす」「眼鏡を拭く」「朝、シャワーを浴びる」といったことでも「行」になる。「方便」はごく簡単に言えば「困っている人に親切にする」ということであり、人間関係のつまらない行き違いをなくすためにも必要な姿勢である。さらに瞑想のやり方やお寺の活用法、怒りを抑える方法なども伝授。満を持して放つ「仏教心理学」のすすめ。
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Posted by ブクログ
★★★★★ フルプライスで購入したい
心の浮き沈みと向き合うための仏教のアイデアを紹介してくれる本。基礎的でありながらも素人には新鮮な考えも多かった。
以下参考になったもの
・自分も世界も常に移ろっていくもの
・『自分』と『自分の気持ち』は切り離して考える
自分は安定 気持ちは不安定
・怒り(瞋)は自分も傷つける
・不安・蔑みも怒りから
・心の中で「私は怒っています」
・『行』で安定状態を明るくしていく
『行』…ひたすら無心で何かに集中すること
・簡単で続けられる行を毎日(掃除を毎日10分とか)
Posted by ブクログ
タイトルにある問いの答えは載っていません。が、その理由を含めて、丁寧に、なぜ人間は生きるのかについて考察?している本だと思います。
タイトルの問いの答えを得るための方法が書かれた実践書、という感じです。(言うが易しですが)
日々の数分で実践できるセルフケアについても書かれていて、タイトルに惹かれて購入したがいい意味で期待を裏切ってくれた本。
落ち着いて、自分を俯瞰する時間の大切さを学ぶことができました。
Posted by ブクログ
大学二年生がコロナ自粛期間中に読みました。
今の自分の理解力では80パーセントほどしかわかりませんでしたが、仏教という宗教が身近に感じるいい本でした。
また歳をとった後読み返したいです。
Posted by ブクログ
仏教心理学に詳しい著者が、生きていく知恵としての仏教の教えをわかりやすく解説している。
第一章
どうやったら悩みから自由になり明るく爽やかな心を保っておけるのか。
第二章
四苦:生老病死。
行:姿勢を正す。息を「フー」と出す。
浄土真宗の親鸞聖人の「悪人正機」:善人でも救われるのだから、悪人が救われないはずがない。
「煩悩即菩提」:切実な悩みを抱えている人の方が深く学べる。
「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」の答えは、言葉を超えた「現実」の中にある。
第三章 「最強の心理学」としての仏教
「心が絶え間なく乱れ続けているから」落ち着かせることが必要。
行に取り組み心を落ち着かせ、平静の心で世界を見よう。
五蘊:すべての感覚は空。実体はなく条件によって成り立っている。
行に取り組んで初めて、「心と自分の身体は別である」と認識できる。
「貧(とん):欲深さ、嗔(しん):怒り、痴(ち):欲深さ」を鎮めよ。この三毒が心を乱す。
行は毎日行うのがよい。
第四章
自意識が不安と後悔とを作り、一方で文明を作り上げた。
行は「対象」と「自分」とを同調させることによって、「自分=自意識」を小さくしていく。
「今ここ」に居続ける。
第七章
一世一代の気合で「心が晴れやかになる」状態を目指す。
呼吸、姿勢など身体の状況を観察する。
第八章
現世で善行を積む。
方便(他人や社会に貢献する)。
菩提心
最近、自我、貪欲さで悩むことが多い。
瞑想で心を穏やかにして、自意識を小さくしていきたいと考えた。
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生きる理由に答えが出ないままメメントモリするより掃除したり身体動かす方がいいよって部分はほんとにそう思う。
カード不揃いでもなんとかやってやるくらいの腹づもりの人の方が圧倒的に強いし健康です。
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タイトルとして掲げられている問いに答えているかは賛否両論でしょう。いずれにしても本書の狙いは、問いに答えることではなく、どのように仏教を日常に取り入れて生を実感するかを述べることでしょう。
個人的には、いいことをしてプラスの意識を育むためだけでなく、心のどこかで抱えているマイナスの感情を補うためにも仏教はおススメという点に、とても共感を覚えました。
Posted by ブクログ
題名に対する明確な答えは書かれていませんが、読者個人でそれを見つけるためには、少なくとも心が穏やかでなければならない。
その手段として「行」がある、ということだと思いました。
答えをすぐに期待してしまうあたり、僕は浅はかだなぁとも思います。
朝に明るい気持ちに高めていくと、その後1日が穏やかに進むというのは、よく理解できます。
逆に朝から暗いままで、1日を棒に振ることもしばしば…。
掃除などの「行」で気持ちを整えられればと思う、雑然とした我が部屋なのでした。
仕事でも空き時間ができたら、少し掃除してみようかなとも思いました。
少なくとも取り組んでいる間は、様々な懸案や心配事から解放されそうです。
すでに取り組んでいる方も、もしかしたらそう思っていたりして?
先日仕事で、「ゆっくり話すと気持ちが落ち着くのです」という教えを受けました。
直後が僕の発表で、「いま、ゆっくり話すと…といわれたので、僕もゆっくり話して緊張を和らげます」などと前置きを入れてみたのですが、確かにいつもよりは落ち着いた気がしました。
本書の中にも、丁寧に行動するということが書かれていて、ああいうことなのかもとも思いました。
まずはゆっくり動くことからですかね。
Posted by ブクログ
「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」まさしく自分が考えていた問いで(中二病のようだが笑)、その答えが得られるとは思わないまでもそのヒントは得られるんじゃないか…とは思って読み始めたのが本書。結論としてはその答えは得られない。ヒントらしきものも(少なくとも自分には)見つからなかった。けれどもだからと言ってこの本は読む価値がないかと言われるとそんなことはない。先の問いに関して言えば、そもそもその答えは「言葉」として表現できるものではない。だから言葉を超えたところでそれを体得していこうとするものが本書の基本姿勢だと言えるだろう。
本書のタイトルにもなっている問い自体は摑みどころのないものだが、紹介されている様々な実践方法は具体的だ。姿勢を良くする、怒りを見つめる、瞑想する。こういった行動は心がけ一つですぐにでも実践できることだし、それで心と体が一致してくればきっと何か救われた気分になれるに違いない。
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人間が生きる上で不安はつきもの。
お金、人間関係、社会的な地位等、気にかけだすと人間の営み全てが不安や苦しみを生む元凶になってしまう。
これらの苦しみや悩みの根源には、自らがいつか必ず死んでしまうという事実があると著者は述べる。この事実を突き詰める中で、「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いが生まれてくるが、この問いにはどのような哲学や人間の理性をもってしても明確な答えを出すことが出来ない。
そのため、どうせ死ぬのに・・・という疑問に答えを出すには、日常において理論ではなく実践的に行動していかなければならない。その方法として、本著では仏教の教えに基づきながら、「行」、「瞑想」、「方便」という三つの方法論を用いて究極的な問いに答えようと試みている。
しかし、どれだけ仏教の教えに基づいて、明るく前向きな心の平穏を得ようとも、死ぬ直前には死にたくないと嘆くだろうし、死への恐怖は根源的な不安として依然残り続けると感じた。
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タイトルだけ見ると、哲学的な思索を綴ったものかと思うが、そうではなく、非常に実践的な「仏教生活入門書」。釈徹宗先生の本に「いきなりはじめる仏教生活」というのがあるが、さらに平易にまず「いきなり」日々の「行」から始めようという提案がされている。仏教的知見を体感から取り入れようということで、わかりやすく面白い。
名越先生が言うように、わたしたちは、何か始めようかという時にどうしても、これにはどんな意味があるかとか、これをするとどんないいことがあるかとか考えてしまう。そうではなく、あれこれ考えず、まずちょっとした「行」をしようというところから始まる。本当にちょっとしたことでいい、ただし、緊張感をもって真剣に。これはリラックスするためのものではなく、自分の心を整えて「晴れやかに落ち着いて生きる」ことを目指したものです、と。
ここでまず、ぐっと惹きつけられる。そうなんだよねえ。テンション高くパワーあふれる暮らしをしたいとは思わない。隠遁者みたいにしんねりと斜に構えたくもない。「晴れやか」で「落ち着いた」心でいられたらなあ。前々から、それには仏教の知恵が有効なのではないかと思いつつ、じゃあ具体的にどうすればいいのかよくわからないなあと思ってきたのだ。ここでは非常に具体的に、とっかかりが示されている。ズボラなわたしは「やってみようかな?ま、明日から」とか言って、結局やらなかったりしそうだけど。
順を追って丁寧に、あまり難しい話に深入りせず、生きていく上での心構えまでが語られている。なんとなく知っていたり、感じていたことがわかりやすく整理されていて、腑に落ちるくだりがあちこちにあった。
・わたしたちは「自分の心」と「自分自身」を同一視している。そこから不安や苦しみが生まれる。お釈迦様は〈「あなたの心」は「あなた」ではないよ〉ということを説いたのです。
・現象学は「人間は生の現実には絶対に触れることができない」という洞察に基づいている。仏教というのは「現象学的な物の見方」を自分の手に受け止め、それを実践していくための方法論という捉え方ができる。
・「般若心経」は書かれた内容としても深い洞察に満ちています。しかしそれだけでなく、何度も読経することによって深い瞑想に入るための「実践書」として、古来より使われてきたものではないかと僕は捉えています。
・「欲から自由になる」ということは「欲を持たない」ということではない。
・人間が抱える悩みや苦しみを払うための方法として行や瞑想を行うのは、初期仏教も大乗仏教も変わりません。しかしその課程で自分たちの仲間を救い、世界をよりよいものにしていくことが悟りの王道であるということを、大乗仏教ははっきりと示しているのです。
Posted by ブクログ
慈悲の悲
相手と自分とは「違う」ということ前提とした上で、相手の心の動きに感応するというのが「悲」
「人には計り知れない可能性がある」と信じることが「敬意」
自分の明るさと爽やかさが基準になる
Posted by ブクログ
人に見られたら心配されそうなタイトルですが、暗い話ではありません。
仏教を哲学ととらえるとすれば、普通の思想・哲学と違うのは、実践を伴うところ。本で読めるのは「思想」ばかりになりがちな中、「実践」に重きを置いている面白い本でした。精神科医の視点から、専門用語を多用せずさっぱり説明されていて新鮮です。仏教学の先生が「(語弊がありそうだけれど、という前置きして)心をマイナスから0にしてくれるのが心理学、さらにプラスまでもっていけるのが仏教」と自信を持っておっしゃっていた。まだまだ勉強不足ではありますが、人間は本来善なるものだという認識で、すごく根明なのがどうやら仏教みたいです。信じられたらそれはもう、心強いはず。
瞑想は興味があるけれどなかなか難しい。坐禅は眠っちゃいそうだなぁと思っていたら、「何にも考えない」だけが瞑想じゃないんですね。こちらで取り上げられているのは真言宗がメイン。日本にはいろいろな宗派があるので、誰でもどれか合う方法があるんだろうなぁと思います。
Posted by ブクログ
どうせ死ぬのになぜ生きるのか、
という問いに
行を毎日行うことだと答える。
仏教の知恵を日常に取り入れて、
その問いの答えを考え続けていくこと。
瞑想にも色々種類があって、
自分に合ったものから始めてみたい。
仏教も歴史のなかで分裂し、変化していったことが
書かれていて面白いと思った。
学びは自発性が大事。
人に恩返しするときはプラスアルファする。
なんでこんなしんどい思いをしてまで
生きていく必要があるんだ、
と思ってしまう日もあるけど、
ここに書かれたものを少しずつでも実践して
「明るく爽やかな気持ち」でいる時間を
長くしていきたい。
Posted by ブクログ
仏教の教え本
「行」と「瞑想」を行う事で自分の
感情や内面をコントロールする
怒りは自分自身ではなく別の物ということを理解する
感情は自然だか行動は選択できる
しかしそれがゴールではなく
自分を律する事で本当の目的を達成するための
土台を作る事ができる
本当の目的は「自分が世の中に良い影響を与える」
そういう人間になる事こそが一番大切である
それを「方便」という
人は死ぬ、それでも生きるのは
他者と関わり戯れる事で良い影響を与えるため
何を得るかではなく何を残すか
Posted by ブクログ
ヨガの考え方と似てるなと思った
神とのかかわりを説く宗教が人間とは何かを提示したものであるならば、一方で仏教はどちらかというとどう生きるかを提示したものなんだろうなと思った
Posted by ブクログ
どうせ死ぬのになぜ生きるのかの問いに対して、言葉による理屈でや論理の中では得られない。
言葉をこえた現実の中にある。
各々がそれを得るための方法として仏教、とくに「行」、最終的に「方便」という手段ががおすすめだよって話。
Posted by ブクログ
タイトルの問は秀逸。
行と方便の理解も面白い。
でも,問に端的な答えは提示されていない。
ただ,行と瞑想と方便を実行せよというのが一応の回答か。
Posted by ブクログ
・精神科医である名越先生が、到達した仏教の教え。そこには、理屈や西洋医学では解決できない問題を解きほぐす言葉にできない身体的な世界があるようです。
表題の問いに対する答えは、読者それぞれが、これまでの人生の中で経験したことによって定義づけられているのではないか、と思いますが、名越先生のもとを訪ねる患者さんはともかく、多くの人は、このような問いを意識しないで、それこそ、ジャックラカンが言うところの他者の欲望を模倣しながら生きているように見えます。仏教は、そのような生き方に問いと答えを投げかけているのかもしれません。
私自身は、「どうせ死ぬのに」という部分を、あえて避けているのかもしれませんけど、「なぜ生きるのか」という疑問が目の前に立ち塞がることはあります。そんな時、自分を納得させる回答は、既に背負ってしまった責任を果たすためであったり、家族とささやかな喜びを噛みしめるためであったり…
いずれにしても「どうせ生きるのなら、明るく生きたい」とするならば、「できれば一日の始まりに近いところで、掛け値なしの爽やかな一瞬をつくっておく」と良いらしです。そして、そのピークはほんの10秒ほどであったとしても、朝の爽やかな自分の方が本来の自分だと感じられるそうです。
Posted by ブクログ
仏教を薦める内容。やはりこの手の話は宗教に行き着くようだ。日本には7万ものお寺があると言われ、各都道府県には少なくとも1000はあるらしい。その日本の貴重な資産を利用しないのはもったいない、という主張。それもそうだ。また、日本人には意識せずとも仏教的な生活習慣がある。家や車を自分の手で掃除することは「行」につながる。外国では業者など他人にまかせることが普通のようだが、日本では自分で行うのが普通。
Posted by ブクログ
タイトル買いをしたので、こんながっつり仏教だとは思わなかったんですが、前半は心にすっと入ってくるものがありました。
この問いの答え。
それは簡単に手にできるものじゃなくて、理論的に説明されても十分な答えとは言えない。
人の言動の根本にあるものとか、そもそも論とか、興味深い部分も多かったです。
どうせ死ぬのになぜ生きるのか。
今の私に答えはわからない。
Posted by ブクログ
表記の題名の解明が本文で説明されているかというと、いまいちピンとこない(大部分が仏教と瞑想の話に割かれているので)。ただ、驚いたのが、瞑想というのは、心を単に鎮めるものではないという著者の意見。瞑想は、スカッと心を明るく、心を光らすものだという主張。瞑想にそのような効果があるのかと驚いたし、新しい瞑想のとらえ方、あるいは、瞑想の活用の仕方だと思った。
Posted by ブクログ
初期仏教と真言密教を実践する著者の、仏教紹介本。ブッダとは異なる時代でのわかりやすさ・とっつきやすさが考慮されていると感じた。
・人を動かすのは本能レベルでの自発性
・真実をつかむためには「色眼鏡」を外す方法が必要
Posted by ブクログ
前半は実生活に仏教をどのように活用できるかという流れ。それなりに納得できることも多く興味深く読み進めることができた。一方後半は徐々に宗教色が強まるとともにテーマがより壮大になり、直感的には理解しにくいように思われた。
Posted by ブクログ
挑戦的なタイトルだけど、「なぜ」の答えは書いていない。
「なぜ」を言葉で考えるよりも、現実に取り組むことが必要であり、そのために仏教の「行」が役に立つという立場。
「僕たちの成長にブレーキをかけている原因の多くは、実は「言葉」に囚われることによってもたらされており、行というのは、その限界を破るきっかけをもたらしてくれる」(55頁)
「「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いに対して、いくら言葉で「答え」らしきものを学んだとしても、それではかえって「現実」から遠ざかることになってしまう」(58頁)
「僕らが自意識を持っているがために、「未来の自分」と「今の自分」を同じ自分として認識してしまう……「今の自分」が満足していても、「未来の自分」が不満を覚えてしまう可能性……がある限り、僕らは決して心から安心することができません。過去についても同じです。……僕ら人間が「過去の自分」もまた、「今の自分」と同じ「自分」と捉えているから」(108頁)
「心を落ち着かせるためには、何よりも自意識の枠組みを取り払い、過去や未来に縛られない「今、ここ」に居続ける、ということが必要なのです。